第94話一番の理由

 その瞬間『ぺちんっ……』という、音が部屋の中で一度だけ小さく鳴る。


 普通、こういう場合わたくしのビンタにより『バシンッ!!』と部屋の中で鳴り響くものではないのか?


 実際にわたくしもそうなると思っていたのだが、蓋を開けみればまるで幼児が力一杯ビンタしましたというような音と感触ではないか。


 は、恥ずかしい……。 穴があったら入りたいですわ……。


 まさかここまで体力が衰えているとは思ってもみなかった。


 い、言いますか流石にわたくしの身体、非力すぎますでしょうっ!?


「今までカイザルにされた事を全て許す事はできませんが、こ、これでわたくしも少しばかりわたくしの鬱憤も晴れましたわっ。 そ、それで、カイザルはわたくしの騎士になりたいという事ですけれども……」


 嘘である。


 鬱憤など少しも晴れていないし、今日の事で逆にさらに根に持ってしまいそうになるのだが、それよりも何よりも今この寒い時間を変えたい一心ですぐさま別の話題へと切り替える。


 その時のわたくしの口調が若干早口になってしまったのは致し方ない事であると、わたくしは思います。


「はい。 私を、マリー様の騎士にしていただきたいのです。 本来であれば、私なんかがマリー様の騎士になるなど烏滸がましいという事は重々承知しているのですし、騎士になるからといって私がしてきた事全てを許して欲しいなどという事もございません。 ただ、自分にはこれくらいしか思い付かなかたので──」

「いいでしょう。 カイザルがわたくしの騎士になる事を許可いたしましょう」

「──マリー様にとっては……え?」

「何惚けておりますのよ。 カイザルがわたくしの騎士になる事を許可すると言っておりますの」


 なんかもう、ここまでされて断ったらわたくしが悪いみたいではないか。


 照れ隠しの為にカイザルの騎士の話へと強引に変更はしたものの、もともとカイザルがわたくしの騎士になる事を初めから断るつもりはなかった。


 その一番の理由がわたくしの残りの寿命というのが大きい。


 ウィリアムの時はまだ十年くらいは生きる事ができるかもしれないと思っていたから少し渋ってしまったのだが、今のわたくしの寿命ではカイザルにとっても禊という時間にはピッタリの年月であろう。


 その間、ウィリアムもカイザルもしっかりと反省して、その後の人生を生きて欲しいと思う。


 しかしながらわたくしの気持ちなど知らないカイザルは、まさかこんな簡単にわたくしが騎士にする事を承諾するとは思っていなかったのかびっくりしたまま固まっているようである。

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