第7話 脳に刻む

 俺の受けるべき授業はいくつもあった。

 浄化が後回しになったので、次は魔術の授業が行われることになった。


 俺は興奮していた。

 少しでも少年時代に児童書やらライトノベルやらを読んだ人間ならば、わかる気持ちだろう。


 自由に超常の力を使って戦う妄想をしたことがあるはずだ。

 俺もしたことがある。

 グリモワールとか作ったりしたことがある。

 もちろん、滅却済みの黒歴史である。

 だが、そんな黒歴史持ちだろうともこの気持ちは抑えられない。


 というわけで魔術の話だ。

 この世界の魔術は、呪文を唱えたりするわけじゃない、とヴェルジネ師匠は言った。


「魔術とは、深淵で発見されたロガル文字を脳に刻むことで使えるようになる術のことさ。見てな」


 ヴェルジネ師匠が俺の前で魔術を披露してくれる。

 ヴェルジネ師匠の手の中の青い石が呪いを魔力へと変換。


「薪」


 ヴェルジネ師匠の脳裏に刻まれた炎が燃えるような文字に魔力が流れると、空中に同じものが浮かび上がる。

 それと同時にそれは炎へと変わる。


「おお!」

「これが1番簡単な火の魔術だよ。薪のロガル文字っていうのを使うのさ」


 なるほど、魔術を使う時に出てくる文字は、ロガル文字というのか。


「その文字を覚えればいいのですか?」

「いいや、そんなことはしない。この文字を脳に刻むのさ」


 文字を脳に刻むって時点で、なんかもう、普通のファンタジー世界じゃないような気配がムンムンしてきた。

 ダークファンタジーって奴だな、知ってた。

 だって、この世界普通のファンタジーよりはるかに過酷なんだもの。


 ただ、それでも憧れは止められないのだ。

 魔術、使いたい、たくさん使いたい

 メテオとかやってみたい。

 超特大のファイアボールを放って、上級呪文と勘違いされて、いいや違う、ただのファイアボールだとかしてみたい。


 そのために日ごろから呪いを操る訓練は欠かしていない。

 というか、勉強と訓練以外にやることがないから、もう暇になったら寝る以外の時間は図書室にこもったり、身体を鍛えたり、訓練をしたりしている。


 呪いを1度に動かせる量も最初は少なかったのだが、今ではこの王都の中の範囲でいくらでも集められるようになった。

 いずれはグレイ王国や、世界中から呪いを集められるようになりたいと思う。


 おそらくだが、この意思力で動かせる呪いの量ってのが、魔力量みたいなものになるのだと思う。

 大量に動かせれば、それだけ魔力を生み出せる。

 なにせ、魔石を通した時のロスあるのだ。

 なんと10分の1くらいの効率だ。

 100の呪いを集めても、10の魔力にしかならないのである。


 それくらいに変換効率が悪い。

 だが、俺には魔力やら呪いやらを見る目がある。

 それを利用して、効率アップを目指す。

 高い魔力量と高い変換効率とか最強だ。


「何をするにもまず頭にロガル文字を入れなきゃ始まらん」

「それってどれくらい入れられるものなんですか、師匠」

「入れられる量は個人の資質次第だね。普通は4つくらいか。聖女だとだいたい多い。私なら8つだ」


 ここは大事だ。

 頼むぞ、俺の身体。

 なるべくたくさんロガル文字を刻める身体であってくれ。

 これで1つとか言われたら、どうしようもなすぎて困る。

 こんな過酷な世界で、劣ったものを武器にやっていくとか、勘弁してほしい。


「それってどうやって確かめるんです?」

「実際に限界まで刻む」


 oh……。

 確かにそれが1番簡単だけども、こうもっとぱっとわかる魔道具とかで、ぱっとわかって、なんだこの凄まじい量は! とかそういうのを期待した俺のワクワクを返してほしい。

 そんな俺の思いもむなしく、ヴェルジネ師匠は気にせず俺をロガル文字を刻む道具のところに連れて来た。


「……これを使うのですか……?」

「そうだよ」

「…………」


 ロガル文字を刻む装置は、出来れば使用を遠慮したくなるような形状をしていた。

 具体的にどんなものか言えば、ホラーゲームとかによくある、脳をいじられる邪悪な椅子といった感じである。

 歯車やらレバーやらがついていて、なんか薄気味悪く汚れているのが、ヤバイ装置であることを助長する。


 あまりにも禍々しくて、この部屋に充満した空気は人体実験室のそれ。

 ロガル文字が書かれた石板と手術道具のように置かれた器具たちは、もう拷問道具にしか見えない。

 空気が冷たく、青白く見えることがあるということを俺は初めて知った。


 魔術を使えるようになると明るかった俺の心を一気に冷まして、氷に変えられたようである。

 できることならここから逃げ出して、温かい南の海でバカンスに行きたい。

 海にも危険なモンスターがいるとか知らない、水着回を所望する。


 しかし、そんなことをヴェルジネ師匠は赦してくれない。

 強制連行、四肢固定。

 暴れる間もなく器具の中。

 口もふさがれ、もう動けない。


「それじゃあ、行くよ。まずは薪から行こうかね」


 揺らめく炎のような文字がくっついた焼きゴテのような道具が、ハンドルを回すことで固定された俺の頭に近づいていく。

 気分は処刑を待つ犯罪者である。


 否応なく、身体は震える。

 ヴェルジネ師匠にみっともないところを見せたくないという思いがなければ、

それはもう無様にガタガタと震えていたことだろう。


 くるくるとハンドルが回され、良い音を鳴らして頭頂部に文字が当たるようにセットされる。


「それじゃあ、行くよ。覚悟しておきな」


 覚悟とは何なのかと考える前に、ガションとレバーが引かれる。

 同時に、文字が勢いよく俺の頭に押し付けられた。


「んぼぇつ!?!?」


 頭に文字が触れた瞬間、俺の身体をある刺激が貫いた。

 痛みじゃなかった。

 それは覚悟していたようなものではなく、まったく予想していなかったものだ。


「なんだい、あんた気持ちがいいのかい? 痛みではなく、これを気持ちいいって感じられるのかい。あんた、狂ってるよ」


 ヴェルジネ師匠が言った通り、俺の身体を未曾有の快楽が貫いていた。

 全身の筋肉が痙攣してびくんびくんと跳ねて制御不能。

 なんとおもらしまでしてしまっていた。


 なまじ予想していなかっただけに、完全不意打ち、横合いからぶん殴られた形になってより一層深々と俺の中に突き刺さった。


 あとから聞いた話であるが、ロガル文字の刻印具は使用者と魔術の相性により与えられる刺激が異なるのだそうだ。

 大抵は痛みとかで、快楽というのはとても珍しい。


 快楽を受けてロガル文字を刻んだ者は、パナギア大陸の歴史上、 1人だけらしい。

 それは筆記者コディコスと呼ばれる人だという。

 ロガル文字の発見者であり最初の魔術師となった学徒ロガルの弟子のひとり。

 魔術の歴史において他の追随を許さない、大いなる発展を巻き起こした人物。

 その魔術は師であるロガルすら超えて歴史上最高とまで謳われている。


 つまり、俺の魔術の才能はかなりのものと証明されたのと同義だ。

 ただし、この時の俺は、そんなことを気にする余裕はまるでなかった。


「まあ、ちょうどいいさ。痛みなら死ぬかもしれないが、快楽ならそんなこともないだろうからね。まだまだ文字はたくさんあるんだ、どれだけ刻めるか楽しみだよ」


 これも後から聞いたのだが、普通は1日に1文字。

 数週間かけてじっくりと刻んでいくというのが本当の刻み方なのだという。


「ちょ、ま……んんん!!!!」

 

 俺の言葉なんぞヴェルジネ師匠は聞いてくれなかった。

 次々に俺の頭にロガル文字が刻まれて行く。

 そのたびに、快楽が与えられていくのだ。

 俺の身体は器具の中で、跳ねまわり、喘ぎ続けるしかなかった。


 痛みは我慢という選択肢が入るが、なまじ気持ちがいいだけに我慢という選択肢が脳裏から消え失せる。

 耐える耐えない以前に、脳を直接犯されているかのような快楽には常識は通用しない。


 まだ子供の身体だとか、そんなこと完全無視である。

 これ転生してなかったら、人格が大変なことになったのではないだろうか。


 そんな不安になるほどの凶行はいつ終わりが来るかもわからずに、いつまでも続いた。


「なんなんだい、あんた。まさか持ってきてたロガル文字全部刻めるだなんて、本当にモンスターじゃないんだろうね」


 信じがたいことに俺は、ヴェルジネ師匠が用意していたロガル文字全てを刻めたらしい。

 8つだとか尋常な量ではない。

 俺が辛うじて数えられただけでも26くらいあったような気がする、もうろうとしすぎてわからない。


 ただし、与えられ続ける極大快楽により意識は朦朧として曖昧模糊である上に、身体をのけぞらせびくんびくんと痙攣していて、制御できない。

 涙に鼻水に涎、汗と出せる体液全てが栓が壊れたかのように流れ続けている。


 だが、全部という言葉に、辛うじて俺は終わったと思って安堵してしまった。


「どこまで刻めるか、わからないから城の保管室からもっと文字を持ってこなくちゃね」


 これが絶望なのだと、俺は初めて知った。

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