中ノ幕〜 共鳴の剣
第7話 占い
辺り一面が白の化粧に染められて。降り注ぐ粉は寒さを運ぶ。家の窓から眺める景色を嘲笑して計画を練り続けるふたりの人物がいた。
片方は幼さを残した顔立ちに殆ど作ったことのない無表情を浮かべてみせる女、この国に於いては当然なのだろうか、メリハリのある体型は不自然なまでに整っており、もはや彫刻や絵画の世界のよう。
一方でそんな女と向かい合う男は細い身体をしているように見えたものの、力を入れる度に筋が服をも破ってしまいそうな勢いで張っていた。
「例の話、受け入れてはもらえただろうか」
「ええ」
互いに交わし合う言葉はそれぞれの想いを、似通った思想を貫いて同調する。
「必要なものは魔界鉱物」
果たしてどのような計画を立てているのだろうか。そもそもこの会話の世界観が大多数の人間の耳では現実離れしたものにしか聞こえない。
「それとあなたの娘さんの命だ」
物騒、そのひと言で片付けること、承知しないことが正しい道のり。人類の軌跡や思考の塊がそう告げていた。
「大切な娘を死なせてしまうがそれでも受け入れられるものか」
一瞬の沈黙が窓越しの雪景色に吸い込まれ、薄暗い部屋は物足りない暖房によってかろうじて人々に快適な住まいを提供してくれていた。
「構わない、夫を蘇らせることが出来るなら」
女は顔も動かさず、手元に置かれた紙に目だけを向ける。遠目から追いかける文字、そこに記された情報を見て取って。
「誰でも蘇らせることが出来るのかしら」
その質問を放つ声にはかつての環境を、感情を欲して憂う色が滲んでいる。それはもはや倫理と呼ばれた常識のブレーキでは止まらない程に強くなっていた。
「かつて〈北の錬金術士〉と呼ばれていたエレオノーレ・セヴェロディヌスカでも命をその手で弄ぶまでには至らなかったか」
「ええ、そしてその素質は娘に引き継がれた」
命を弄ぶこと、それは道徳によって止められたことなのだろうか。そうは見えなかった。エレオノーレ、彼女の良心の枷などとうの昔に錆び付いていた。
「エレオノーレ」
「エレンでいい」
「そうか、エレン。貴女は愛する夫のためなら娘の命でさえも差し出すというのだな」
北方の魔法研究でも届かなかったそれ、今そこにエレンの目の前に眠る禁忌の研究、エレンの選択ひとつで今すぐにでも目覚めようとしている。
「勿論、代価を支払うことが必要なら、娘でも差し出す」
朽ち果てた道徳心、かつては良識の手荷物や悪事への嫌悪もあったはずなのにそれは何処へと消えてしまったものだろうか。
「よろしい、ではまず必要な物質を携えて向かうとしよう」
「向かうだなんて、まるでこの地を離れるみたいなこと」
恐らく予想も付いていなかったのだろう。この場所に娘を呼ぶつもりだったのだ。
「この世界には様々な法則や環境条件があってだ」
錬金術を生きるための道筋としていたエレンにとっては飽きるほどに浴びた言葉。もしかすると条件を整えるために理想郷を探すなどと言い始めるつもりかも知れない。
男はエレンの目を見つめる、急速に冷めていく熱を見て取って、質問を捧げてみた。
「この場所だけは離れたくない、だなんてお思いか」
「人類が到達出来ない次元の術だもの。理想郷でも目指す必要があるのかって絶望してしまうわ」
男はわざとらしく額に手を当てて首をゆっくりと左右に振り、言葉を繋いでみせた。
「そうか、理想郷と来たか」
あまりにも現実離れした場所の提案に乾いた笑い声を零す。一方でエレンは男を睨み付けることしか出来なかった。
「安心するが良い、貴女の述べる理想郷はそう遠くない所にあるのだから」
口を閉ざしたまま、ただ男の語りを耳にし続けることしか出来ない。理想郷は遠くない。もはやエレンにとっては理解の範囲を超えた世界だった。
「様々な魔力の流れが混在していてそれぞれの環境に適した場所をご存じでないのか」
話に依ればそこは山から流れる川のように、合流する海のように、様々な場所から魔力の脈が走っては様々な魔力たちと混ざり合って多種多様な色彩を奏でているのだという。
そうして在り続ける複雑怪奇な環境は魔法の研究に於いて想定外の結果を残し続けているのだという。
「そこは日本という」
「娘の居場所、都合が良いわ」
これは偶然なのだろうか。エレンの中の問いかけは男の口によって吸い込まれてしまった。
「魔法使いたちがそこに集まりやすいからな」
エレンの知識は遅れていた。これまで様々な魔法使いを見かけ、自分の信じる道を進んでいたに過ぎない彼女の耳には入っていなかっただけの魔法使いたちの常識。そう思い知らされるだけで歯を食いしばる。あふれ出る悔しさは噛み締める度に味を染み渡らせていった。
男はそんな彼女の顔を見もしないまま言葉を続ける。
「しかし、この計画の役に立つ四方の魔女の中でも貴女でよかった」
「私が良かったのかしら」
男は頷き、言葉に結び付けられた言葉の上に更なる言葉を紡ぐ。
「西には魔導士、東に魔女を名乗る者、南に呪術師。この誰もが殆どの才能を子に受け継がせて己は打ち止め」
男はため息をついた。本来ひとりひとりが持ち続けているべき才能。しかし四方の魔女だけはそう簡単にはいかないのだと言うこと。エレンもまた、同じ心境を無表情の影に落とし込んでは顔を下に傾けていた。
「そう、つまり私は今や大したことは出来ない」
膨大な才能と力の波に揺られ続けて生きてきた彼女にとって子を産んだ後の生活全てが出涸らしの命にしか見えないでいた。
「なのにあなたは私で良かったといえるのかしら」
男は不意に笑いを零し、エレンの貌に不機嫌のひと言を足しながら答えてみせる。
「ああもちろんだとも」
それがどういった意味なのか、訊ねるまでもなく彼の舌は語りを作り出すべく動き続ける。
「北だけは違うのだよ、錬金術という分野は科学に最も近しい存在」
「ええ、バケガクの延長線上にあるようなものだけど」
「才能を失っても記憶を失うわけではない」
彼の語るところに間違いは見られなかった。それと同時にエレンの内に新たな可能性が産み付けられてしまった。
「薬学化学世界の法則、これらに従えばってわけね」
「そうだとも」
ここまで語ってみせた男の顔には満ち足りた感情で塗り付けられた明るみが差し込んでいた。
エレンは大きく息を吸い、吹き出すと共に肩の力を抜いては男の方へと柔らかな目を向ける。これから進んで行くであろうこの計画を支える覚悟を決め、男の手を取った。
☆
それは日本のある公園でのこと。日本という景色、当たり前のようにそこにあり当然のように生き残っている自然と飾りすぎず騒ぎすぎない人工物が織りなす風景はまさに共存の象徴と言えるだろう。
そんな景色の中で歩くのはふたりの女。背が高く凹凸の激しい身体のラインを誇る褐色肌の女は背中程まで伸びた金髪を揺らし空色の目を自然のあるままに輝かせながら景色を眺めるのみ。その目はいわゆる三白眼。余白が目の気迫を強めて常に人々を睨み付けているような印象を抱かせる。
一方でもうひとりの少女と思しき女は身長こそ日本の同級生たちと比べて大きく見えるものの、実際には大きすぎると言うほどでもなく、追い抜いた人物はそれなり以上に見当たるという事実。160センチを超えていることは目に見えて明らかだったものの、恐らく故郷の中では大きな人物ではなかった。そんな彼女は雪景色に溶け込んでしまい良そうな白い肌と銀髪のように見える金髪を生まれつき持ち合わせている癖でうねらせながら灰色の目を輝かせていた。
「アーシャ」
「なあに、リリアンヌ」
「この景色が好きなのかしら」
「そうだよ」
アーシャと呼ばれた女は柔らかな笑みを浮かべながら答えてみせる。
アリサ・セヴェロディヌスカとリリーアンナ・ウェスト。傍から見ればきっとこのふたりは日本という異空間にも思える地がもたらした縁で繋がっただけの異邦人に見えることだろう。元々は四方の魔女の中でも特別仲が良かったがために繋がった五年もの歳月を積もらせた仲であり、互いに甘い感情を向けあって接する関係。一度出会ってからしばらくの間ペンフレンドとして手紙を送り続けていたものの、日本に渡ってからというものの毎日顔を合わせては少しだけ離れた歳をも埋める勢いで近しい関係を築いてしまった者。リリアンヌの叔母は何度か日本に渡った経験にて積み上げた語彙を使って驚いていた。
――日本で言うあの言葉が似合う、血は争えないって
恐らく姉妹同士で同姓の同性と思えない程の愛を結び合っていたのだろう。止めることは出来ないとまで語っていた。
アーシャはリリアンヌの程よく豊かでツヤを放つ褐色の腕にか細い腕を絡めて顔を肩に寄せながらベンチに座って目の前の噴水を見つめていた。世界的に見て控えめな噴水が自然に囲まれて共存する姿、それに目を奪われていた。
「噴水、毎日見てるね」
リリアンヌの言葉にアーシャは雫に濡れた花のように可憐な笑顔を咲かせながら語る。
「かわいらしいからつい。リリアンヌはそう思わないかな」
ゆっくりと首を左右に振って、アーシャをしっかりと見つめながら低くありながらも鈴を想わせる声を掛けてみた。
「いいや、私も好きは好きだけどもっと色々な景色があるよってだけ」
「そうだね、色々あるよ」
アーシャは言葉で心を重ねてすぐさま自分の意見を持ち込んだ。
「でも、そういう景色や出来事に触れた後の見慣れた景色ってね、今までと違った美しさが見えるの」
彼女の言うことはリリアンヌには分からない。高校を卒業しても尚日本に残って生活を続けるリリアンヌも一度母国に帰ってみればその言葉の意味することが分かるものだろうか。
「景色には見えるものだけじゃなくて香るものや聞こえるもの、色々あるの」
アーシャは人生の中で何を磨いてきたのだろう。少なくとも化学だけではない、そう思えて仕方がなかった。
「科学を学んだら全て理論に置き換えられちゃうのかなって怖く感じた時期があった」
輝きに充ちていたはずの景色、様々な世界の美しさがくすんでしまうこと、それが彼女にとってどれだけ苦しいことなのか、日頃の発言をみて気が付かないはずなどなかった。
「でも実際は逆。どんな景色や音に匂いまでもが全部愛しくなった」
この色はどのような物質によって形作られているのだろう、この香りはどのように名付けられた物質を組み合わせて生み出されて漂っているのだろう。
「色々あるけど、頑張って理解していくんだけど」
厳しく険しい道のり、基本的な魔法使いたちと異なる歩み方で必死に追いかけていく。科学への理解は、魔法への触れ方は、そう難しいことではない。しかし、そのふたつの組み合わせがどうにも噛み合わないようで上手く落とし込むことが出来ない。
それこそがアーシャの中の錬金魔法に対する意見。
そんな彼女が頑張る姿をリリアンヌはただひたすら見守り続けたかった。
「難しいこともいっぱいあるんだけど最後に思うのは」
言葉をキラキラとした声に乗せて奏でるアーシャの目、世界を魔法と科学ともうひとつの視点から見つめている彼女の思うこと。リリアンヌはその語りの終着点が気になって仕方がなかった。
「どんな世界にもそれぞれのルールがあって、その中でこんなに不思議なことを巻き起こしてるみんな、それぞれ全部すごいねってこと」
アーシャの見つめる世界はきっと、幻想にも理論にも塗りつぶされていないきらめきによって人々が見過ごして歩み去る色彩にまで大切なことが宿っているのだろう。
「不思議だよね、魔法も科学も学んでくすんだこの目で見ても、この景色の好きには勝てないの」
それはきっとアーシャの想いのひとつ、ただそれだけに過ぎないことだろう。美しさの形を取り決めてしまうこと、そこに大きな危機があるのではないだろうか。そう思ってしまう。しかし、リリアンヌの頭にはひとりの少女の価値観に疑問を差し出すほどの深みを持った言葉を操ることはできなかった。
「そっか、この景色が好きなんだね」
「小さな噴水がカワイイ、灰色の外にいっぱい自然があるからいい」
辺りを見回してリリアンヌはようやく気が付いた。自然の有無が景色の姿にどれだけの差を生み出すのか。
――確かに、景色が違ったら綺麗
気が付いてアーシャに想いを視点を重ね合わせてようやく理解が追いついて、喜びの声は仕舞ったまま。
アーシャは植物たちが咲き誇る花壇を見つめながら想いを声にした。
「綺麗、百合の花も咲けばいいのに」
「もう咲いてる」
「えっ、何かなどうしたの」
アーシャのきょとんとした顔、分からないことに対する疑問を色濃く映した表情、それが愛おしくてリリアンヌの言葉の意味は細やかな悪意によって隠された。
「なんでもない」
「何か見えたのどうしたの」
「別に、アーシャの髪が百合みたいって」
誤魔化して、それでもあの表情とはさようなら。惜しくても来てしまうそれを受け入れてリリアンヌの目は今を見つめ続けていた。
アーシャは納得のいかない表情をしていたものの、太陽の光を受けて銀髪にも見える金髪のもみあげを指で弄っては落ち着かせて無理やり納得させるに至った。
そんなふたりの時間も過ぎていく。どうしても避けられないもの、夕日の訪れがささやく今日の終わり。
草木は微かに色を変えて空気は気持ちを抑えて熱を冷ます。
きっとこのまま一日を終えてまた次の日。
ずっとそんな日々が続けばいいのに、アーシャの想いはどこまでも普通を貫き通していた。
一方でリリアンヌはこれから緊張の瞬間の連続が始まるのだと身を冷やしていた。空気と一体となった肌は夜の訪れに備えて気を引き締めている証。
ふたりはまた明日と言葉を交わして甘い時間をその場に置き、次の時まで身を暖め続けることとした。
ただひとり、隣の温もりは失われて、止まることなどなく。
見上げたそこに在る月や笑う星たちは空の闇すら掻き消すこと叶わず。
これからリリアンヌの夜が始まる。とは言えども語るほどに大きなことではない。ただ魔法に関する話を聞くか活動の手伝い程度。
母の顔を思い出す。叔母の顔を重ねる。そして自分自身。夜空の背景に浮かぶ記憶は三人の顔を比較してはリリアンヌだけが三白眼なのだという事実を語ってくる。
穏やかな風は全くもって似ていない彼女の目は父親譲りなのだと告げてくる。
――もっと母と叔母に似た顔にしてくれても良かったのに
などと言葉を胸の中に散らしてみても星にも火花にもならずただ深い闇に落ちていく。
どのような想いを巡らせたところで無駄でしかなかった。それを押さえて足を速めて。
きっとこの速度は不満なのだ、今を進む顔も、未来を見る顔も、過去を見下ろす顔も何もかもが母とは異なる。
ノックのひとつもなしにドアを開いて中へと身を放り込む。
中で待っていたのは柔らかな黒髪を揺らしながら椅子に腰掛けている褐色肌の女だった。椅子を傾け揺らして退屈と共に膝を抱えながらリリアンヌに目を向ける。
「今日も占いかな、ミレイ」
ミレイと呼ばれた女は微笑みながらテーブルに置かれた小さな白い物体を指でつまんで転がした。
「そう、だけどこのまま進んだらいけない」
ミレイ・サウスステラ、〈南の呪術師〉として母から才能を受け継いだ人物。四方の魔女のひとり。
「進んだらって、私は止まれとでも」
ミレイは表情のひとつも変えないまま告げる。
「このままだといけないことが三つ」
幾分か固い声で広げられる言葉、果たしてそこにどのような意味が込められているのだろうか。
褐色肌同士。西の褐色は固唾を飲んで喉を鳴らし、南の褐色は喉から口を伝って意味ある音を発す。
「ひとつ、〈東の魔女〉の娘がまだいないこと」
最も遠いところから話すつもりなのだろうか。それはリリアンヌも気に掛けていたことではあった。確かリリアンヌの母よりも幾つか歳を重ねていたではないだろうか。
「女魔法使いを愛してやまないから母世代で打ち止め」
恐らく変えることの出来ない事実。強い愛、深かった恋心に横槍を入れるのは親しい仲でも許されることではないだろう。それに加えて現状を見ていると自分事のようにすら思えてきてしまう。少なくともリリアンヌの想いの中では否定などと言う選択肢はなかった。
言の葉のひとつさえ零すことなく頷くリリアンヌの姿をみてミレイは無表情に凄みを乗せながら続きを言葉に変える。
「ふたつ、〈西の魔導士〉と〈北の錬金術士〉もこのままではこの世代で打ち止め」
占いはどこまで人の心を見透かしているのだろう。データという形で綴られた個人情報から隠し通しているはずの心まで暴かれていたとしたら。
「人の細かな都合まで覗いてないだろうね」
「大丈夫、恋の悩みについて細かく占ってもいいよ、望むなら」
「のぞき魔」
恐らく見抜かれてしまっているのだろう。アーシャを彼氏のように想って日々繰り広げられる妄想から彼女のリリアンヌに対する想いの形まで。
その上で直接告げることはなく、繋がりを持たない話を続けて形にする。
「みっつ、〈北の錬金術士〉のところに脅威が迫っている、確実に迫って来てる」
リリアンヌは顔を青くした。差し込む影は迫る脅威に向けて見せられる顔。愛する人物に向かってくる恐ろしい話など望んではいない。そのようなものを出迎える表情など無の感情ひとつで構わなかった。
「このままだと才能そのものがこの世代、この時で打ち止め」
つまり、命の喪失はすぐ隣を泳いでいると言うこと。果たしてアーシャは気が付いているものだろうか。
「させない」
「そうね、お姫様を守るお妃」
もはや本来の扱いとは異なる言葉、そこに言葉を差し込むだけの余裕など残されているはずもなかった。何せそのお姫様が命の危機に晒されているのだから。
「助けに行く」
即座に駆け出そうとしているリリアンヌの肩をつかみ引き留める。いてもたってもいられない、そんな言葉を宿した身体に言葉を向ける。
「大丈夫、まだ、彼女は遭遇してないから」
迫り来る脅威との邂逅までに幾度かは分からないものの二人は顔を合わせるだろう。呪術士の言葉の厚みに頼って縋ることとした。
「気を付けなきゃいけないことは……そうね、気が付いたら始まってること、そんな暗示」
如何に四方魔女と呼ばれ溢れる才能を駆使してきたこの女であっても未来予知のような詳しい結果は弾き出すことが出来ないそう。飽くまでも占いや呪術といった枠に嵌まった才能だったということ。
それを押さえた上でリリアンヌは質問の針を向ける。
「何か持って行った方がいいものは」
ミレイは柔らかな線を描く顎に指を当てながら空を眺める。夜空、星、それを見つめて何を想っているのだろう。
言葉は弾き出された。
「諦めない心と……〈北の錬金術士〉との思い出」
それはつまるところこういうことだろうか。
「何も準備しなくて良いってことか」
「そこまでは言わないけど、彼女が何をしてどのような成果を上げたか、それは絶対忘れないでね」
それを押さえていたところで数十年後にはきっと四方の魔女の内三つの家系が滅んでいる。下手すれば南の彼女も命を繋ぐ事が出来ないかもしれない。
リリアンヌは疑問を言葉に変えてみた。
「でもどのみち百年もすれば南以外は確実にいなくなってるんだろう」
「そんなの、貴女自身に訊けばいいんじゃないかな」
やはり見透かされている。そんな結論に至って。思わず大きなため息とともに毒を零してしまっていた。
「のぞき魔」
そんな棘を含んでひび割れた鐘のような声を聞いても、叩き付けられた言葉の衝撃に揺られても、ミレイはただ表情を柔らかくするだけのことだった。
やがてリリアンヌが去ると共に訪れた静寂。揺れひとつない水面の夜空を涼しさの水中を掻き乱すようにミレイは声を上げた。
「もう大丈夫、私以外誰もいないから出ておいで」
言葉に応えるように身を表に現したのは微笑みに充ちた少年だった。
「ミレイ、あのかっこいい女は去ったのか」
少年は微笑んでミレイの膝に座る。
「瑠璃斗、実は私、子ども産めないかも知れないんだけど」
どういった意味だろう。
「ううん、もしかしたらギリギリかも知れない」
瑠璃斗はただただ首を傾げる。
「人の呪いって身体に良くないみたいで」
呪う側も呪われる。自分の放つ呪いが少しずつ跳ね返る。それが幾つもの世代を跨いで一族の存続が得られない、そんな罰を受けてしまっているのは自分だろうか。
「結局絶滅するの、愛のカタチは正しいはずなのに」
ミレイは眉をひそめて声を絞って、いかにもな感情を捻り出してしまっていた。そんな様子をみて瑠璃斗はつい言わずにはいられなかった。
「ごめんなさい」
謝罪、どうしてだろう。方向も言うべき立場も異なるそれは口をついて出てしまう。そんな声を聞いてミレイは瑠璃斗の頬をそっと両手で包み込む。
「大丈夫、あなたのせいじゃないよ」
それは気休めにしか思えない。正しい発言なのにどこか誤っているように見えて仕方がなくて。
それ程までに空気感が淀んでいた。
そんな中でミレイは言葉をどうにか続けた。
「それに」
瑠璃斗の顔を手で挟んだまま、瑠璃斗の頬を揉みながら、悪しき埃に充たされて淀んだ雰囲気に澄んだ輝きを注ぎながら言葉を必死に繋げていく。
「白水家の名に誇りを、だったっけ」
たどたどしくもしっかりと発音される日本語、優しい声に耳が惹き付けられてしまう。そのような聞き心地の夢見心地、そんな雰囲気の真っただ中に漂いながら瑠璃斗の中に浮かんでいるはずの言葉を探していく。
「古いよ、その考え」
瑠璃斗の笑顔は穏やかに咲いた。ミレイもつられて笑顔を浮かべて瑠璃斗の顔をいつまでも離さないまま。
☆
リリアンヌは夜闇の中を駆け回っていた。託された依頼をこなさなければならない。味方はひとりたりともいなければ戦力は相手と釣り合っているのかそれすら分からない。困っている魔法使いはただただチューリップの花を育てたいと言うだけのこと。しかしながらそんな花を咲かせるというだけの細やかな願いすら許してはもらえないのだそうだ。
闇の中、薄らと水色に輝く瞳、そこに映る景色は本来もっと好きなものにするはずだった。いつでもいつまでもアーシャやミレイに加えてどうでも良いと思っているはずの高校時代のクラスメイト。そこまで考えて思い直した。リリアンヌが好きだと思っているのは決して昔のクラスメイトたちの見分けすら付かない顔ではなくかつて共に過ごした彼らが作り出す愉快な喧噪でしかなかった。
チューリップの花は決して咲かない。咲き誇る前に潰されてしまうのだそう。酷いときには花壇を燃やされてしまうのだという。
そんなことを聞かされたこと。暗闇の景色に相応しい黒々とした想いたちを思い返しては思わず言葉を吐き捨てていた。
「自然を大切にしないひと」
リリアンヌの言葉の端でも聞きつけてだろうか。
草が一瞬ざわめいた。風のような自然で美しい動きではなく、重たくて踏み出した気配を感じさせるもの。明らかに生き物が、それも人工物を通して出て来た音だった。
リリアンヌは状況を整理する。依頼主は飽くまでも普通の魔法使い。チューリップの花を植えてはそれを踏みにじる人物、どうして人の仕業だと分かったのだろうか。理由など考えるまでもなく勝手に付いてきた。靴で踏んだ跡。
先程の草木を通ったときの音もまたそう。
――自然を大事にしないなら
リリアンヌは勢いよく地面を踏み、蹴るように一歩を踏み出した。
「伐採する」
先程まではなかったはずの剣がその手に握られていた。
一振りの青白い剣に左肩から生えた透き通る翼。
これから行われることを戦いだと言ってもいいのだろうか。
駆け寄って、勢いよく一度の斬撃を浴びせてただそれだけのこと。それだけで相手は太くて滑らかな叫びを上げる。その高さ、明らかに。
「女、命を産む側が命育むことの邪魔を」
リリアンヌの口撃と攻撃にきっと怯えてしまっているのだろう。声のひとつも上げることなく、しかし震えている雰囲気はなんとなく伝わっていた。それほどまで近くにいるのだということ。
「何故そんなことを、答えろ」
胸ぐらを掴まれてもなお静寂を撒き散らす様、黙っていれば救われるのだと勘違いしているように思えた。
「早く言え。私の寝不足が根に響く」
明日もまた学校へ通わなければならない。大学という自由度の高さがウリの学びの場、学問と社会性の両方の経験を積むにはうってつけの場所。そんな自由の中でもやはり無理などしたくはない。
「私は実験を止めに来ただけ」
苦しさに充ちた声、窮屈すぎるだろうか。手を放して更に訊ねてみる。
「実験とは」
リリアンヌの問いに女は乾いた笑いを上げながらただただ時間を潰していく。
「何がおかしい」
何処のドラマや映画で覚えた言い回しなのだろうか。そんな言葉に引っ張られることなく笑い声は少しの間続いていたものの、やがて闇の中から意味のある音を形にした声が届いてくる。
「何も聞かされていないのね可哀想」
リリアンヌは形無き衝撃を受けた。果たしてリリアンヌが関わる出来事の端から見えない実態はどのようなものなのだろう。
「でも、知らない方が身のためかも知れないや」
その言葉の意味することがつかめない。暗闇に身を包んだ女の声から見えてくること。この件にリリアンヌを関わらせないようにしている節が見受けられて仕方がなかった。
「ひとりの少女が可哀想な労働をする羽目に合いそうだから芽を摘んでただけ」
可哀想なのは何も知らずにこの会話をしている自分、そう思いつつもリリアンヌの口からは言葉のひとつさえ捻り出すことが叶わなかった。
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