第9話天竺

 今この瞬間だけ耐えれば良いだけだ。


 学園生活を後ろ指を指されながら生活する事を考えれば何てことは無い。


「ほ、本当に私の言う通りに動いた……半分騙されたと思ってはいたけれども……」


 そして氷室麗華は俺が催眠術にかかったと思っているのか驚いた表情を浮かべてマットの上で胡坐をかく俺を見つめていたのだが、次の瞬間意を決した様な表情をしたあと胡坐をかいた俺の足の上へと何のためらいもなくすっぽりと嵌るように座って来るではないか。


 意味が分からない、理解できない、俺の胡坐をかいた足の上に座るという彼女の行動理由が何一つ思い当たらない。


 そして氷室麗華は更に、俺の思考回路がショート寸前まで追い込まれている間に俺の腕をまるで絶叫マシンのシートベルトの如く彼女の身体を包み込むように前へと持って来ると『きゅっ』と手を軽く握って来るではないか。


 何だこの、恋愛脳絶好調で頭がバカになったバカップルがやりそうな座り方は。


 俺はこの状況でどう動けば正解であるのか、どんなに考えてもその答えは全くといって良いほど出てこないのだが、今ここで実は催眠術にかかっていない事をバラす事は、それ即ち死を意味する事だけは理解できる。


 どうすれば正解か分からない、しかし死にたくはない。


 氷室麗華のお尻が柔らかいとか、良い匂いがするとか、髪がさらさらだとか、そんな事よりも何よりも恐怖の方が圧倒的に上回っており、学校に通う男子生徒全てが羨むであろうシチュエーションを楽しむという余裕は無いに等しい。


 むしろ余りの恐怖からこのシチュエーションで俺の息子が反応する気配すらない事に安堵すらしてしまう。


 そして感じた事のない凄まじい恐怖から全く動けずに約数十分。


 そろそろ流石に足も痺れて来た頃になってようやっと氷室麗華が俺の足から腰を上げる動作が伝わって来る。


 やっとこの地獄が終わり解放される。


 そう思っていた俺なのだが、恐怖の元凶である氷室麗華は何を思ったのか少し腰を浮かせたと思った瞬間くるっと百八十度反転すると、そのままスポッと腰を下ろし、俺へと抱き着いてくるではないか。


「命令。 抱きしめて」


 そして俺は氷室麗華に命令されるがまま抱き着くと、氷室麗華は「あっ」と吐息を漏らした後『ぎゅっ』と抱き返してくる。


 俺の胸には女の子特有の柔らかさと、それとは別に二つの果実が別の柔らかさを主張してくると共に、先ほど以上に良い匂いが鼻孔をくすぐってくる。


 あぁ、三蔵法師様。


 天竺はここだったのかもしれません。


 人間慣れるもので数十分も同じ恐怖を味わっていたせいで恐怖を感じる感覚が麻痺してきているのか、新たに感じる幸せな感触にもうどうなっても良いやという思考が押し寄せて来る。

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