第2話 入れ替わり

「俺はどんなキャラを使ってることになってるんだ?」


 友里恵のパソコンの画面を見ながら、フルーツプラネットを立ち上げる。

 説明を聞かなくてもオンラインゲームは大体どこもログイン画面は一緒である。

 ログインをして、友里恵の使用キャラを見て、けっと毒づきたくなった。

 自分の場合、ゲームの装備は実用中心で、見た目なんか考えたことはない。

 しかし、姉のキャラクターを見たら、それ以外の何かを考えてメイキングしているということがわかる。それはお洒落感だろう。

 無駄に色が統一していたり、スタイリッシュなアクセサリーを装備してたりして、男としてみるといけ好かないったらありゃしない。


「なぁ、このキャラメイク、俺に寄せてない?」

「そう? デフォルトが似てたんでしょ」


 気のせいか、と思いながら、今度会う予定の子とのチャットログを見る。

 ダイレクトメールみたいな場所で、二人きりでやり取りをしているのだけれど、その量が半端ないし、他人の私信を覗きをしているみたいで心がモゾモゾしてくる。

 あとバカップルのいちゃつきを延々と見せられているようなのもイライラする。


「一応二人のチャットログは取り出せるだけ取り出したから、読んでできるだけ覚えて!」


 そうは言われても……。

 文章を読むのは嫌いではない。しかし興味がないからめちゃくちゃ目が滑る。

 覚えるもなにも、姉の持ちキャラ『ロード』と、お相手のサニーとの会話で実りある部分というのがまるでなくて。しかし、なんとなく流し見ていたロードのプロフィール欄を見て目が点になった。


「人の個人情報さらすなよ!」

「特定できるような内容じゃないわよ。モデルいるとリアリティ出てくるからさぁ」

「誕生日とかまんまじゃん!」


 むしろ、年齢や誕生日設定が必要なゲームがあるというのも驚いたのだが。

 ついでに知らない設定に対する説明も求める。


「恋人ってあるけど、なんなのこれ」

「恋人の証という名前の指輪が装備できるのだけれど、バグなのか、複数人からも指輪を受け取れることができるのよね。あるいはハーレム願望をかなえるとか?」


 恋人が複数いたら修羅場なのではないかと思うが、やはりゲームの世界はアバウトなようだ。


「じゃあ、サニーさんが恋人ってこと?」

「恋人の一人、になるのかな? くれるというものはもらうことにしているから、そうなってるなら、サニーさんも恋人なんだと思う。こちらからお返しに、と同じ指輪を返せば結婚関係になるらしいけれど、指輪を返したことは一度もないわ。もらう専門アイテムね」


 姉の口ぶりからすると、他の人からも指輪をもらっているらしい。リア充すぎて怖い。

 リアルだったら、いつか刺されてしまいそうだが。

 そして今の言葉でわかった。姉はこの世界でものすごくモテているのだということに。

 姉たちがやっているフルーツプラネットは結婚システムがあり、恋人関係から結婚もして、一緒に家を買って暮らすこともできるようだ。

 まだ恋人段階であって、結婚にはいたってないらしいけれど。

 恋人までは複数作れても、さすがに結婚は一人としかできない仕組みなようで。深入りはしないで、ライト感覚で楽しむ……そのあたりの距離感はさすが姉だろう。

 ううむ、と眉を寄せて読んでいたら、姉に髪の毛を引っ張られた。


「知らない人に会うなら、その身なり、なんとかしなさいよ」


 それが社会のマナーよ、と言われたらぐぅの音も出ない。

 今の自分の顔を見て、昔のクラスメイトだとしても、自分だと気づける人がどれだけいるだろうか。

 オンラインで依頼を受けるにしても、全部メールで済ませている自分は、人間社会の中で生きていないと思わされる。

 文章だけで済ませられる社会では、マナーも全てどこかからコピーしてきたパターンを改変して、ペーストするだけでいいのだから。

 建前だけの敬意と、見せかけの愛想。それでもなんとかなったのに。


「美容室、行かなきゃダメかな……」


 想像するだけで冷や汗が出てきて、指先が冷たくなってきたのがわかる。

 そんな自分の様子を見て、姉がため息をついた。

 幸い近所に訪問で髪を切ってくれる美容室があり、髪を切ってもらうことになったのだが。

 本格的に外に出る前に、知らない人と話すのなんて、人生の中で久しぶりすぎた。

 この程度ならちょうどいいリハビリだったかもしれない。

 こんな調子で知らない人と二人きりで話せるのだろうか。

 どうせだったら二人きりではなく、グループで会うようなオフ会にしてほしかった。

 はっきりいって想像しただけで逃げ出したい。

 しかし、グラボが俺を待っている。

 それだけを合言葉に、俺は試練を乗り切ろうとしていた。



 その日、朝から照り付ける太陽がまぶしすぎたのも、不調の一因だっただろう。

 それと、姉が用意した黒ジャケットの上下にVネックのシャツは自分らしくなくて落ち着かない。

 ロードとして会うのだからみっともない恰好はしないでという姉の気持ちはわかる。わかるのだが。


 「姉ちゃん……気持ちわるぃ……」


 久々の電車で思い切り酔っていた。

 まさか、三半規管がここまで弱っていたなんて、情けない。


「陽介、大丈夫?」


 電車を降りてすぐに駅のホーム内のベンチに座り込んだら友里恵が心配そうに背中をさすってくれた。


「今日は帰る?」


 冷たいペットボトルを受け取り額を冷やしてたら、顔を覗き込まれた。本気で心配してくれている顔だ。

 その顔も昔から変わらない。

 逆にそれで決意が固まった。行かなければ、と。

 グラフィックボードが惜しかったわけではない。いや、欲しいけれど。

 姉はここまで準備してくれたのに、自分のためにやめようかとまで言ってくれた。それに応えなかったら男がすたる。

 でも、姉の見栄を守るためというより、見知らぬ誰かの夢を潰したくないという気持ちが強かった。きっと姉もそうなのだろう。

 それを配慮するからこそ、姉は恥をしのんで自分に頭を下げて、替え玉なんて願い出てきたのだろうから。


「ううん、大丈夫……行ってくるよ」

「あんたらが落ち合ったと思ったら、私は帰るから」

「わかってる」


 相手には今日の自分の恰好を伝えてあるけれど、こちらは相手の恰好を知らない。

 お互いの写真をあらかじめ送れば早いのではと思ったけれど、セキュリティの問題で姉に止められた。

 まだお互いの個人的な連絡手段は伝え合っていないというのも、男と思われているこちら側というより、男と二人きりで会うという相手側の不安感を思いやった上での提案だろう。

 そういう手際の良さはさすがだなぁ、と感心していた。


「あの、ロードさんですか?」


 待ち合わせの大きな時計の前でぼんやりしていたら声をかけられた。

 振り返れば、まだ初夏の光がそのサラサラの黒髪にきらめいて見えた気がした。まさに天使の輪。


「見てすぐにわかりました! 初めまして、サニーです」


 相手が挨拶するのに合わせるようにして、ぎこちなく頭だけを下げる。声を出すことができなかった。

 そのままじっと彼女を見つめ、彼女が気まずい様子を見せたのに気づいて、慌てて行きましょうか、とようやく促した。

 サニーさんはお喋りで、でも一方的に話すというより、きっとうまく話せない自分に気を使ってくれているだけのようだ。

 どうしても話の内容は主に、フルーツプラネットの二人のことになるのだけれど。

 あの時はこうだったね、とか話を合わせるのに精いっぱいで、何より、人と話すのが苦痛で、自然と聞き手に回ってしまう。


「ロードさんは、リアルだと無口なんですね」

「うん……緊張しちゃってるんだよね。しゃべるのあまり得意じゃないし。つまらなかったらごめんね」

「そんなことないです! ごめんなさい、責めているわけじゃないんです。だから今までマイクオフにしてたんだなぁって思っただけで」


 ネットと違うと気づかれてしまっただろうか。彼女は俺をロードだと思っているのに。

 今までは、姉を通して誰かを傷つけたくないと思っていた。

 でも今は違う。俺がこの人を傷つけたくない、と思っていた。

 こうして近づくと触れてはいないのに彼女の肌から熱気が伝わるのを感じて、この人、生きてる、と変なことを感じた。

 外に出て久しぶりのリアルの世界は、空気自体が熱く感じられた。

 日差しだってこんなに強かっただろうか。知っていたのに知らないような世界。

 ガラス一枚と網戸一枚越しの世界は、自分を別に拒絶していたわけではないのに、非リアルで。

 目の前の彼女は、姉と作られたログの中でしか存在しないキャラではもうない。

 ナマモノとして可愛いと思えてしまって。こうして傍にいるだけで、ひどく心臓の活動が活発になる。

 家族以外の人間で、しかもリアルの女の子を知って、舞い上がっているだけなのかもしれない。

 こういう心の誤作動を起こしている時は、ドリンク剤を飲んで15時間くらい寝ればきっと収まるに違いない。

 そう自分に言い聞かせながら、その日は幸い何事もなく家路につくことができた。

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