エッチ・スイッチ・ワンタッチ 03

隣町から伸びる国道をまっすぐ走り、車は見慣れた町の景色の中に入っていく。

大通りの交差点で止まった時、ふと隣を見ると。


「こぉー……」


助手席の背もたれを倒して眠る友が気持ちよさそうにいびきをかいていた。少し開いた口の端からよだれが垂れている。俺は手の甲でそれを軽く拭ってやった。


行きは友の運転だったので、帰りは俺が運転担当だ。元々そうするつもりだったのだが、こんな風にぐっすり眠っている友を見ると、正解だったかもしれない。


温泉を出てから、ほんの数分で友は窓にもたれて寝てしまったのだ。途中、目が覚めたことがあったので、俺が「背もたれ倒しちゃえば」と言い、今に至る。


起こすのはかわいそうなので、ここまでカーラジオもつけず、友の寝息をBGMに車を走らせてきたが、家まではあと少しだ。楽しかった一日も、これでおしまい―。


そこまで考えてふと気づく。


いや、まだ終わりじゃない。

だって、友とはまだまだ一緒にいるのだ。家に帰ってからも、その先も、これからも。


たとえ、生活リズムが合わなくて、なかなか顔を合わせられなくても。俺と友の帰ってくる場所は同じなんだから。


胸の中で急に愛しさが膨れた。


我慢できなくなって、相変わらずぐうぐう寝ている友の頬を片手でむにむにとつまむ。すると、なぜか「んふっ」と友が鼻を鳴らした。それで目を覚ましたのか、ぱちぱちと瞬きをしてから、友がおもむろに体を起こす。そして、瞼を擦りながらあたりを見回して言った。


「今どのへん……」


「踏み切り渡る手前くらい」


「もうすぐじゃん……ふわあ」


大きな欠伸をし、ぽやんと前を見つめる友。


そういえば、玉こんにゃく買って帰るの忘れたな。


今になって、そんなことを思い出す。何か代わりになるものはないかと考え、俺は友に聞いた。


「友。コンビニ寄ってアイス買わない?」


「……っえ!買う!」


さっきまでの眠気はどこへやら。『アイス』と聞いて、ぱあっと目を輝かせる友に、俺は半ば呆れながらも笑った。







「いけ!入れ……入れえ……!」


「うー……逸れろ!逸れてくれ!」


胸の前で手を組み、友と二人、固唾を飲んで、画面を見つめる。


鮮やかなグリーンの上を、小さな白球が数メートル先のカップに向かって、転がっていく。たった数メートルの距離だというのに、球はいやにゆっくりと進んでいき、緊張感を煽った。試合の行方を決める一打。今はただ、祈りながら結果を待つのみだ。


いよいよ、カップの縁を球が掠めたその時。僅かに跳ねた球が、かこん、と金属音をたてて穴の中に吸い込まれた。


勝負は決した。


『試合終了』の文字とともに、画面いっぱいに紙吹雪が舞う。軽快な音楽が流れる中、俺と友のスコアが並んで表示された。


「勝っ……たあああー!!」


「ああー……くそおー!」


俺が声を上げて喜ぶと、友はコントローラーを放り、悔しそうに床を叩いた。


家に帰った後、夕飯にはまだ少し早かったので、俺達は最近買ったばかりのゴルフゲームで遊んでいた。俺も友も空いた時間を見つけて、そこそこやり込んでいるゲームなので実力は拮抗している。これまでの戦績は五分五分だったが、今回勝ったことによって、俺の方が勝ち越しとなった。


ソファに寝転ぶ俺は、フロアに座る友を見下ろして言った。


「友、ちょっと腕が鈍ったんじゃない?」


「はあ?そんなことないし。このステージはあんまりやってなかったから負けただけだし」


「ふーん……いいよ。そういうことにしとく」


「友がここにしようって選んだステージなのにね」とわざと嫌味っぽく言うと、友もわざと頬を膨らませ「ほんとむかつくー!」とぺちぺちと俺の腹のあたりを叩いた。そんな友に笑いつつも、もう一戦いこうか、とコントローラーを持つと、それをひょいっと友に取り上げられる。


「やんないの?」


俺が首を傾げていると、友がソファに上がってくる。友も座りたいのかと思い、俺は伸ばしていた両足を少し曲げてスペースを作る。だが、友はそこには座らず、俺の上に跨ってきた。


「ひぃ」


友が真剣な眼差しで俺を見つめる。それに対して俺は、何も分からないふりをするのが精一杯だった。


こんなことをされたら、嫌でも『ある予感』が頭をよぎってしまうのに。


けど、きっと違う。勘違いだ。いつもみたいに勝手に期待するけど、何もなく終わるんだから。どれだけ言い聞かせても、胸はどきどきしてしまう。俺は頭の中に湧く煩悩をなんとか抑えながら、やっと「何?」とだけ返事する。


すると一瞬だけ、友が口の端を歪めて笑った、気がした。次の瞬間。


「っ?!やっ……はは、あはははは!やだ!ゆ……っ!ふっ……ふふっ……あはははは!」


友が脇腹をこちょこちょとくすぐってきた。全身を襲う、何とも言えないむずむずした刺激に体を捩らせていると、友が笑いながら言った。


「ふっふっふ、これだったら俺もひぃに勝てるからな」


「はっ……はあ?ふ、ふふっ……そ、それじゃ、ん、あははっ……ぁ、ゲームじゃ絶対勝てないって……ぇ、み、認めるってことっ?!はは、あははははっ!」


「何言ってるか全然わかんないなー」


「う、嘘だ……っ!や、あは、あははははっ?!んふっふふ……あははっ…!」


友の両手は休むことなく俺をくすぐり続ける。脇の下から脇腹にかけて、(友から見て)俺の反応が良い箇所を的確に責めてくる。なんとか逃れたいけど、俺の両足は友が体重をかけてしっかり抑えているので、それもできない。腹立たしいことに、友はこういうところでは恐ろしくスマートなのだ。


笑いすぎて呼吸が浅くなりかけた頃、友が突然手を止めて言った。


「生意気言ってごめんなさいは?」


「んふっ……何それ……」


もうくすぐられてないのに、俺は笑ってしまう。友も声には出さないが、目が笑っている。正直なところ、お互いに今の状況が楽しくなってきているのだ。


はあ、はあと弾む呼吸を整え、俺は少し考えてから言った。


「……友の下手くそ」


さっ、と体を丸め、また始まるくすぐり攻撃に身構える。しかし、いつまでたっても友が何もしてこないので、不思議に思った俺は顔を上げた。すると―。


その時は突然やってきた。


俺が「友」と呼ぶよりも先に、友の唇が俺の口を塞いだ。







「んっ……ふっ……ぅ、ん……っ」


互いに唇を食むように重ね合わせて、友とキスをする。触れては離れるを短く繰り返す粘膜同士が、ちゅ、ちゅ、と音を立てる。

はじめ、これを『急展開』と捉えて強張っていた体も、今はすっかり、どこかにあった『期待通り』という感情に溶かされて力が抜けていた。


ふう、ふう、と漏れる友の鼻息が顔にかかる。閉じていた目を開けると、友と目が合った。つい、いつもの癖で笑いがこみ上げてきそうになったが、今はナシだ。それよりも、ソファの肘掛けについていたはずの友の手のひらが、いつのまにか俺の頭を撫でていることに気がつくと、胸いっぱいに愛おしくなってしまった。


俺は、友の首に手を回すと、さらに深く友の唇を貪った。舌で友の舌先を軽くつついて誘い出し、力を抜いて柔らかくした舌と舌をぬるりと絡ませる。キスが熱を帯びてくると、友が耳の裏から襟足にかけてを、手のひらで包むように撫でまわしてきた。体中がそわそわして、脳味噌が震えるくらい気持ちいい。


もっと、もっと、友の全部が欲しい。


首に回していた手を背中に滑らせ、友の体をぎゅっと抱き寄せる。しかし、その瞬間、友は俺から唇を離してしまった。繋ぎ止めるように唾液が糸を引いたが、それもすぐにぷつん、と切れてしまう。


「……友?」


「……ごめん、ひぃ」


体を起こして息を整える友を見上げる。はぁはぁと呼吸を荒げながら、腕で口の端を拭う友がひどく色っぽくて、胸が切なくなった。


「……ごめんって何が?」


顔に出してないつもりだったが、ひょっとしたら俺はふくれっ面でもしていたのかもしれない。友が眉を下げて「ほんとごめん」と言って頭を撫でてきた。だが、俺はその手をぺちんと跳ね除けて言った。


「だから何がごめんなの」


「それは、その……」


友が俺から顔を逸らして、目線をうろうろと宙に彷徨わせる。せめて体だけは逃すまいと思い、俺はだらりと下ろされている友の手首を掴んで、答えを待った。


たっぷり一分悩んだ後、友が口を開く。


「いや、明日仕事だし……これ以上はやばいなって」


「やばそうって思うなら最初からやんないでほしいんだけど」


「うう……ほんと、本当にごめん」


形勢逆転だ。さっきまで意地悪な顔で俺を責めていた友が、今は俺に怒られて、しゅん、と小さくなっている。まあ、このへんはお互いにちょっとフリが入ってはいるけど。


しかし、俺としては『これ以上』がしたいのは事実だ。どうしようかな。

俺が思案を巡らせていると、友が口を尖らせて言った。


「だって……ひぃに無理させらんないし」


「無理させるつもりだったんだ?」


友の顔が面白いほど、かあーっと赤くなった。俺は思わず笑ってしまい、それでもう『怒ってるフリ』が崩れた。友が「ひぃのせいだからな」と頬を膨らませる。その時ふと、俺はあることに気がついた。


「でもさ、俺も友には無理してほしくないんだけど」


言いながら、友の太ももの間に滑り込ませるように片足を折り曲げて、膝を友の「そこ」に擦りつけた。友がぴくりと体を震わせる。


「……ひぃ!」


「どうする?友。ちなみに俺はね……」


俺は腕を掴んで友を引き寄せると、耳元でこう囁いた。


「友にめちゃくちゃエッチしてほしいってずっと思ってた」


どこにあるのか分からないけど。


友の中のどこかにある、その『スイッチ』を押すつもりで、俺は友の首筋にキスをした。


「ひぃ……」


友がごくりと唾を飲みこむのが分かった。それを見て、俺は喉仏にもキスしたくなったが、その前に友が俺の唇を奪ってしまった。







「真面目な話なんだけど」


「何?」


シャワーを浴び、カップ麺だけの簡単な夕食を済ませた後。折り重なるようにして、友とソファに寝転びながら、日曜夜のお決まりのバラエティ番組を見ていた時だった。ふと、思い立った俺は友に尋ねる。


「友っていつ俺とエッチしたいなって思うの?」


「はあ?」


友が俺の方を振り向いて、眉を寄せる。俺は「いやいや」と言って、続ける。


「真面目にって言ったじゃん。今日もさ、急にしてきたし。いまいち友の『スイッチ』が分かんなくて」


「『スイッチ』って……。あ、朝言ってたのってこのこと?」


「そうそう。で、どうなの?いつ思う?」


「えー……そんなの、分かんないよ」


友が頬をぽりぽりと掻いて戸惑っている。俺は少し、思い切って聞いた。


「……本当は俺のこと、そういう風に見れないとかある?」


「そ、それはない!だって、ひぃってめちゃくちゃエロいじゃん!さっきも―」


そこまで言いかけて、突然、友が「んふっ」と吹き出した。自分で言ったくせに、ソファに突っ伏してげらげら笑っている。俺も耐え切れなくなって笑った。だって、鏡で見なくても分かるくらい、お互い、顔が真っ赤だったから。

恥ずかしさと笑いすぎで胸が苦しい。だけど、それは不思議と幸せな感覚だった。


息を整えつつ、俺は再び友に尋ねる。


「……じゃあ、なんで誘っても乗ってこない時があるの?」


「えー……それもよく分かんない。よく分かんないけど」


「うん」


「なんか、いつも乗ってたら悔しいから」


「……俺も友が乗ってこないと悔しいんだけど」


「じゃあ、俺の勝ちだな?」


「何それ。むかつく」


はは、と声を上げて笑っていると、友が「逆にひぃはどうなの?」と聞いてくる。俺は即答した。


「いつもしたいよ」


「え、こわ……」


「友がもっと乗ってくれたら落ち着くかもね」


「あー……はいはい。頑張ります」


友はそれっきり、ぷい、とテレビの方を向いてしまった。残念。だけど、もう少し構ってほしい。


俺はわざと「んっ、んっ」と喉を鳴らしてから、友に言った。


「友、アイス食べたい」


「まだ冷凍庫に二、三個余ってると思う」


「うーん」


友にすげなくあしらわれてしまったため、腰を抑えながらおもむろに体を起こす。すると、それを見た友が「あ、待って!」と声を上げた。


「取ってくる!取ってくるから寝てて」


そう言うや否や、ソファから飛び起きた友がキッチンに走っていく。友には悪いが、面白い光景だ。「こういう時」、友は決まって、俺をちょっと丁重に扱おうとするのだ。今のはちょっと大げさにしてしまったが、本当はそんなに体が痛いわけではない。別にここまでしてくれなくてもいいんだけど。だけど。健気な友が可愛いので、つい弱みに付け込みたくなってしまうのだ。我ながらだいぶ悪い奴だなあと思う。


「ほい」


友がぱたぱたとキッチンから戻ってくる。差し出してきたバニラのカップアイスとスプーンを「ありがと」と言って受け取った。


「あれ?友の分は?」


「俺はひぃがシャワー浴びてる間に一個食べちゃったから」


そう言いつつ、友の視線はアイスへとまっすぐに向けられている。俺はつい、ふふ、と笑ってしまってから、カップの蓋を開け、スプーンでアイスを掬って友に差し出す。「あーん」だ。


「あー……?!」


と、見せかけて、自分の口に運ぶ。スプーンの行方を目で追いながら、友がものすごく切ない表情をしていたので、俺は友の口の端にキスをしてアイスをくっつけてやった。友は不服そうにしていたが、アイスをぺろりと舐めとると「あま」と呟いた。







寝室のベッドでごろごろしながらスマホをいじっていると、友が部屋に入ってきた。


俺はスマホを置き、友に向かって「おいで」と腕を広げる。乗ってこないかなと思ったが、友はぽすっと胸に飛び込んできた。俺は背中に手を回し、友をぎゅっと抱きしめる。すると、友が俺の髪に顔を埋めて、すん、すんと嗅いでから言った。


「ひぃ、まだヒノキのいい匂いがする」


「そう?温泉で使ったシャンプーかな」


「俺もおんなじ匂いする?」


「どれどれ」


友がTシャツの襟ぐりを引っ張って俺に近づけてくる。俺はその中に鼻先を少し突っ込んだ。そして匂いを嗅ぐ素振りを見せてから、鎖骨にキスした。


「こら、何してるの」


「そこに鎖骨があったから」


「なんだそれ」


友と二人、くすくすと笑い合う。

笑い声が途切れた時、「あのさ」と突然、友が切り出してきた。


「ひぃが言ってた、『スイッチ』なんだけど」


「うん」


「スイッチってさ、それを押す誰かが、絶対必要じゃん」


「まあ……そうなのかな」


「うん。だから、俺のはその、どこにあるのかは分かんないけど……」


友が何やら、もにょもにょと口を動かしている。「何?言ってよ」と俺は友にその先を急かす。すると、友は俺に内緒話でもするように、耳元でこっそり、こう言った。



「俺のスイッチ、押せるのはひぃしかいないから」



「おやすみ!」と友は俺の腕を解き、布団を被って背中を向けてしまう。


何それ。


よっぽど「友、今のはちょっとクサイよ」とでも言って、笑いたかった。


だけど、できなかった。仕方ない。

こんなことでも、俺はどうしたってちょっと嬉しくなってしまうし、こんなことを言う友が好きなのだ。


友のスイッチ。どこにあるかは知らないけど。


俺は布団に入り、隣で眠る友の頬に触れた。


このくらい、すぐに押せる距離に、これからもいてよね。友。





〈エッチ・スイッチ・ワンタッチ 完〉

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