|探偵|と|女性|

キングスマン

|探偵|と|女性|


女性「お願いです。開けてください! 助けてください!」


探偵「どうされました?」


女性「あの、入ってもいいですか?」


探偵「もちろんです。さあどうぞ」


女性「ありがとうございます」


探偵「どうぞ、好きなところにおかけください」


女性「……ありがとうございます」


探偵「さて、どのようなご用件で? ずいぶんと焦っていらっしゃるようですけど」


女性「はい……そのことなんですけど」


探偵「はい」


女性「私は、どうしてここにいるんですか?」


探偵「私は何か試されているのかな? 記憶違いでなければ、私がここにあなたを呼んだのではなく、あなたからここにきたように思えたのですが」


女性「それは、たぶん、そうなんですけど……」


探偵「たぶん?」


女性「実は私──記憶がないんです」


探偵「記憶がない? それならどうやってここに?」


女性「ここって、いろんな探偵さんたちがいるビルなんですよね?」


探偵「ええ、その通り。右隣も左隣も上の階も下の階も何かしらの探偵が何かしらの業務にいそしんでいますよ。ちなみに右隣の探偵は紅茶とジョークが好きで、左隣の探偵はいつも失踪中です」


女性「そのことだけは覚えているんです。とにかくここにくる必要があるって」


探偵「ではもしかしたら、事務所を間違えたのかもしれませんね」


女性「そうかもしれませんね」


探偵「よかったら、ビルの中を案内しましょうか? しらみつぶしに一件一件あたっていけば、あなたが本来会うべき探偵ともどこかで会えるでしょう」


女性「……そう、かも……しれませんね……」


探偵「どうされました?」


女性「あの……もう少しだけ、ここにいさせていただいてもかまいませんか?」


探偵「かまわないですけど、理由をうかがっても?」


女性「その……なんていうか、この事務所から出たくないんです」


探偵「かくまってほしいということですか? 誰かに追われている可能性でも?」


女性「それは……わかりません。自分でもよくわからないんですけど、もう少しここにいたいんです」


探偵「居心地がいいと言われて悪い気はしません。念のため入り口に鍵をかけておきましょう。物騒な連中が相手だとしたら気休めにしかなりませんが、しないよりはマシだ」


女性「……失礼を承知でうかがいたいんですけど、このビルのセキュリティーって……」


探偵「盤石とはほど遠いと言わざるを得ないでしょうね。壁は薄いし、守衛もいない。だから、あなたのような切羽詰まった人でも気軽に駆け込むことができる」


女性「すみません、変なこと訊いて」


探偵「気にしてません。それにこれも何かの縁でしょう。さしさわりなければ、お名前をうかがっても?」


女性「……それが……」


探偵「なるほど。ご自分が何者かも思い出せないと」


女性「……はい。あれ?」


探偵「どうされました?」


女性「これ……私のバッグですけど、なんだか変に重たいような」


探偵「よろしければ、私が中を確認してみましょうか?」


女性「大丈夫です。自分で見てみます」


探偵「何か気になるものがあれば教えてください」


女性「──なにこれ……どうしてこんなものが?」


探偵「どうされました?」


女性「見てください……これ……」


探偵「一万円札の束ですね。一束、百万円。それが六つ。つまり六百万円」


女性「他にもまだあります──え? どうして……これって……」


探偵「今度は何です?」


女性「……見てください」


探偵「写真ですね。今どき珍しい。そして写っているのは──私だ」


女性「これって、どういうことなんでしょう?」


探偵「まだ推測の域を出てはいませんが、あなたが探していた探偵は私である可能性が高い、ということでしょうね」


女性「ここって、普段はどういうお仕事をされているんですか?」


探偵「主に浮気調査です。恋人やパートナーの行動に不安を持ったことは?」


女性「……わかりません」


探偵「そういえば記憶を喪失中でしたね。ところで、あなた自身が何者であるかを示すようなものはありませんか?」


女性「……ありません」


探偵「財布やスマートフォンなど、バッグの中だけではなく、服のポケットには?」


女性「……ないですね」


探偵「なるほど、妙ですね」


女性「……というと?」


探偵「財布もスマホも持たずに外出というのが引っかかります。いえ、本当に何も持っていないのならそこまで気にならないのですが、あなたは大金と私の写真は所持していた。これは不自然だ」


女性「そう……かも、しれない、ですね」


探偵「私の顔をよく見てください。何か思い出しませんか?」


女性「いえ、なにも」


探偵「……そうですか」


女性「あの、逆に、探偵さんから私を見て、何か思い出したりすることはありませんか?」


探偵「あればとっくに話していますよ。でもそうですね……これはちょっとした思考実験だと思っていただきたいのですが──」


女性「はい」


探偵「もしかして、あなたは依頼人ではなく、請負人なのかもしれない」


女性「おっしゃってることが、よくわかりません」


探偵「仕事を依頼するためではなく、仕事を遂行するためにここにきた、といえばわかりますか?」


女性「どういうことです?」


探偵「しがない探偵事務所に美しい女性が飛び込んできた。しかし彼女には記憶がなかった。さらに彼女の手には大金と探偵の写真が──推理小説の導入だとしたらまずまずの流れといえる。そして推理小説には意外性がつきものだ」


女性「一体、なんの話ですか?」


探偵「読者の誰もがこう思う。記憶喪失の彼女は何か大切な依頼をするために探偵の元に訪れたのだろうと。しかし作家は読者を楽しませるために工夫をする必要がある。読み手をあっと驚かせる物語を考えないといけない。だからこういう展開を提案してみる」


女性「はい」


探偵「彼女は救いを求めてやってきたのではなく、成し遂げるためにやってきたのだと」


女性「──?」


探偵「自慢じゃありませんが浮気調査はうらみを買いやすい業種です。不貞行為は犯罪ではないけれど、人によっては殺人よりも重い罪に問われることもある」


女性「そうなんですか? 例えば?」


探偵「政治家や芸能人といった、イメージも重要視される方々ですね」


女性「ああ、なるほど」


探偵「そういうわけで、どこかの偉い人の素性をあばいてしまった私を始末するために送られてきた工作員、それがあなただ。殺人の相場は存じませんが、六百万円というのは悪くない数字に思えます」


女性「…………」


探偵「…………」


女性「……えっと、これってジョークなんですよね?」


探偵「もちろん」


女性「びっくりした……探偵さん、演技お上手ですね」


探偵「ありがとうございます。学生時代は役者を目指していました。文化祭で披露していた私の即興の一人芝居はなかなか好評だったんですよ。それとは別に、刺激的な話題を交わすことで脳を活性化して記憶の目覚めを期待してみたのですが、いかがですか?」


女性「ごめんなさい。そっちはまだみたいで……」


探偵「あせらずいきましょう。せっかくだから紅茶でもいかがですか?」


女性「いただきます」


探偵「では準備してきます」


女性「ありがとうございます」


探偵「──おまたせしました」


女性「これは……ジャムですか?」


探偵「そうです」


女性「これを紅茶に入れればいいんですか?」


探偵「いいえ、まずジャムをなめて、そのまま紅茶を召し上がってください。古き良きロシアスタイルです」


女性「……あ、すごくおいしい。今度うちでもやってみます。でも知りませんでしたよ、紅茶とジャムがこんなにあうなんて、ちょっと感激です」


探偵「そうなんですか。不思議ですね、この飲み方を私に教えてくれたのは、あなただというのに」


女性「────え?」


探偵「いやいや、驚きましたよ。まさかここまで効果があるとは。最初は本当に試されているのかと思っていたのですが、どうやらあなたは本当に記憶を消去されているらしい」


女性「……探偵、さん?」


探偵「昨年、日本のとあるメーカーが発売している一般的な殺虫剤が世界中で大人気となった。世界中の害虫の息の根をとめるのに便利なのかと思いきやそうではなかった。話はそこからさらに一年遡る──」


女性「なにを、いってるんです?」


探偵「二年前、フィンランドのとある小学校で集団記憶喪失事件が起こったんです。捜査の結果、ランチの時間にふるまわれたジャムに異物が混入していたことが発覚しました。その異物とジャムの成分が混ざることで即効性の高い健忘効果のある物質へと変化することがわかったんです」


女性「…………」


探偵「その異物は極めて入手困難なものなのですが、物好きな方はどこにでもいます。世界の隅々まで調べた結果、なんと日本の殺虫剤にも含まれていることがわかったんです──さすがにこれ以上の説明はいりませんよね?」


女性「さっきから、あなたは何を言ってるんですか?」


探偵「真実ですよ。そして真実をお話したのは、まもなくあなたはこれまでの記憶を失う確信を持てたからです」


女性「──警察を呼びますよ?」


探偵「ほらやっぱり忘れてる。自分がその警察であることさえ!」


女性「……え? そんな……」


探偵「なんだかあなたがあわれに思えてきました。少しくらい思い出してもよろしいのでは? お金の意味は? なぜ私の写真を持っていたのか、なぜ写真なのか──」


女性「まって……そんなのわかるわけ……冗談なんでしょ? これもさっきみたいにジョークなんですよね?」


探偵「はいそうです」


女性「…………」


探偵「…………」


女性「……冗談なんですか?」


探偵「はい。異物混入の余地などない、混じりっけなしの作り話です」


女性「……どうして、そんなことを?」


探偵「刺激的な会話を交わせば脳が活性化して記憶が戻るかな、と」


女性「……た、探偵さん……人がわるいですよ……」


探偵「申し訳ございません。もう今後は嘘は口にしないと誓います」


女性「信じていいんですか?」


探偵「もちろん。信用第一の業種ですから」


女性「まったく──でも、私もあなたにご迷惑をかけてますし、この紅茶のおいしさに免じて許してあげます」


探偵「恐縮です」


女性「でもこの紅茶は本当においしい。それにティーカップも上品だし」


探偵「そうなんですか?」


女性「すごく貴重なものですよ、このカップ。模造品かと思ったら本物みたいですし、いいんですか? 使っちゃっても」


探偵「そういうのには疎いものでして──」


女性「あの探偵さん、質問してもいいですか?」


探偵「はい。もちろんです」


女性「このカップってもしかして、有名な役者さんからもらいませんでした?」


探偵「守秘義務を持ち出したいところですが──イエスとだけいっておきます」


女性「……私、わかりましたよ探偵さん!」


探偵「なにがです?」


女性「ぜんぶです! ここにきた意味、バッグの中身の意味、そしてあなたの意味」


探偵「私の意味? なんだかまるであなたが探偵みたいだ。では真相をうかがっても?」


女性「もちろんです。でもその前に一つだけやることがあります」


探偵「──? なんですか?」


女性「ちょっと失礼します」


探偵「はい」


女性「──あの、すみません。隣の部屋の探偵さん。さっきから私が喋るたびに変な相槌いれるの、いい加減やめてもらってもいいですか?」


探偵「……はい、すみません」




 おしまい

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