第4話 十年間の想い

 レイの言っている意味が分からなかった。

 何故そんな発言に至った理由も理解できない。


「ははっ、分かるよ、お前の気持ちが手に取るように。だって今まで俺たちはいがみ合ってた関係だもんな」


 乾いた笑い声が響くと同時に、レイの身体が離れた。代わりに肩を掴まれ、向き合うように体勢を変えられてしまう。彼の青い瞳が、サラサの赤い瞳とぶつかった。幼いころに出会った時と同じ、純粋な輝きが彼女を見つめている。


「初めてサラサと出会った時のこと、今でも思い出せる。周囲に大人しかいなかったから、同じ年ごろの女の子がいて嬉しかったっけな。それにその髪」


「髪?」


「ああ。今は黒いけど、染めてるのか?」


「魔法で色を変えているの。だって……凄く目立つから」


 シーツの上に流れた黒髪を一房手に取ると、レイが残念そうに呟く。


「勿体ない。あれだけ綺麗な赤毛なのに。初めてお前に会った時な、あの綺麗な髪と赤い瞳に魅せられた。俺と変わらない歳なのに凄く落ち着いてて大人びてて、とても綺麗でさ……ははっ、まだ恋のコの字も知らないガキンチョだったくせに、笑っちゃうよな!」


 彼の瞳が懐かしそうに細められる。


「だけどパーティーの後、親父にすっごい怒られてさ。まああの時はガキだったから、素直に親父の言うことを聞いてお前と仲良くできなかった。それに次に会った時、お前が凄く怯えた表情で俺を見てて……凄くショックだったよ。けど……ずっと忘れられなかった。お前と仲良く話したあの日のことを――」


 憎き商売敵の一人娘だと言われ、仲良くするな、あいつは敵だ、ろくでもない女だ、と父親に言われ続けたレイだったが、成長するにつれて疑問へと変わっていった。


 サラサ・ライトブルは、父親が言うような酷い女なのかと。


 だが、どれだけサラサを観察しても、物静かで思慮深い面しか見られない。それどころか、無性に言葉を交わしたい衝動に駆られてしまう。


 父親の言葉と、自分の気持ちに板挟みになったレイは、とうとうこんな屁理屈をこねてサラサに近づくことにした。


「仲が良いように見られなければ、話してもいいんじゃないかってな」


「だから、自慢話とかしてきたの?」


「まあ……な。今思えば、俺のことを凄いって思って欲しいっていう下心もあったんだけど」


 ははっと乾いた笑いを上げるレイ。その表情には、恥ずかしさが滲んでいた。しかし、すぐさま少しトーンを落とした暗い声色で言葉を続ける。


「お前がテネシーに告白されているのを見た時、やっと気づいたんだ。初めて会った時から今までずっと、サラサのことが好きだったんだって……目の前で好きな女がかっさらわれた瞬間に自分の本心に気づくなんて、ほんと馬鹿だよな」


 テネシーに告白されたサラサを見たレイは、結果を見るのに耐えられず、逃げ出した。


 相手は学園一モテる男だ。

 サラサも喜んでOKを出したのだと。


 だから彼女に絡まなくなったのだ。


(そう……だったのね……)


 今まで自分の静かな時間をかき回してきた男が急に大人しくなり、怒りを感じつつも気になっていたことに答えが得られ、サラサは何故かホッとしていた。


 安堵したのは、レイも一緒だった。


「でもさっき、テネシーの告白を断ったと聞いた時、絶対に想いを伝えないと駄目だって思ったんだ。例え……お前が俺のことを拒絶しても」


「……馬鹿ね」


 そう言いながら、彼女の心は言葉とは真逆の反応を見せていた。


(私……嬉しいの? レイから告白されて喜んでるの?)


 疑問形で自分の心に問うが、答えは身体の変化に現れた。


 胸の奥が熱くなったかと思うと、その熱が瞳に集中する。熱を帯びる目頭を押さえると、指先が濡れた。 


 何故、レイと結婚したと言われた時、両親に対して怒りが湧いたのか。


 あの時は、金のために娘を売ったからだと思ったが、多分違う。


 悔しかったのだ。


 今までレイとの交流を禁じ、縛り付けていた父親の態度が突然変わったことが。

 彼と話すことが楽しみだったサラサの気持ちを、踏みにじったことが。


 彼女に向けられたレイの満面の笑顔を奪ったことが。


(私は……レイともっと話したかった……もっと仲良くしたかった! それなのに……それなのにっ‼)


 湧き上がる怒りが、サラサの心の奥にしまい込んでいた気持ちを暴いていく。

 父親に怒鳴られた恐怖によって蓋をした反発心が、十年の月日を経て鮮明に思い出される。


 静かな時間を邪魔されたくないと思いながらも、レイを拒絶できなかった本当の理由に気づく。


 初めて出会った時、レイがサラサに魅せられたように、サラサも――


「私も……」


「え?」


 掠れたサラサの声に、レイが反応する。

 耳を寄せ、彼女が洩らした言葉を一言たりとも逃すまいと近づいた。

 

 枕で作られた仕切りの一部は崩れていた。だが次の瞬間、全て崩れ去ってしまう。


 サラサが自らの意思で仕切りを超え、レイの首に抱き着いたからだ。首筋に顔を埋めながら、消えてしまいそうな声色で囁く。


「私も……ずっとあなたが好き……だったんだと思う。初めて会った時からずっと……」


 彼の瞳が見開かれる。


 青い瞳にサラサの姿を映し出しながらキラキラと輝くと、細い身体を抱きしめた。初めて出会った時と同じ純粋な笑顔が――サラサが好きになった彼の姿が、腕の中にあった。


「私も……馬鹿ね。あなたに言われて初めて、自分の気持ちに気づくなんて……」


「いいんだ。お前だって親父たちの言葉に縛られてたんだろ? 俺も同じだったから分かる。父親同士の仲が悪いからって、子どもまでいがみ合う理由なんてこれっぽっちもないのにな。俺やお前が、一体何したっていうんだよ」


「まあ、私はあなたの取り巻きから嫌がらせされたけど」


「そ、それは悪かったよ! もう二度と、そんなことはさせない。絶対だ‼」


 慌てて謝罪するレイ。

 ちょっとした揶揄いのつもりだったため、本気で頭を下げる彼の反応に、逆にサラサが驚いてしまう。


「あっ、そ、そんなに真剣に謝らないで! 別に恨みがあるわけじゃ……」


「いや、俺自身が許せないんだ! くっそ、テネシーの野郎……どうやって絞めてやろうか……」


 物騒なことを口にするレイを、サラサは慌ててなだめた。

 彼女の必死の言葉により、レイは溜飲を下げ大きく息を吐く。


「でもまあ……アイツがお前に告白したから、俺も気持ちに気づいたようなもんだしな。締めるのは勘弁してやるけど、別の方法で思い知らせてやる! 俺のサラサを傷つけた罰は、絶対に受けて貰うからな!」


 俺のサラサ、という言葉に、当の本人は頬を赤くした。

 改めて、彼と気持ちが通じ合ったと思うと、嬉しさ以上の恥ずかしさが込み上げてくる。そんな彼女の頬に、レイの手がためらいがちに伸ばされた。柔らかさ、滑らかさを楽しむように、何度も頬を優しく撫でる。


「マーガレット婆ちゃんは、全部知ってたんだろうな、俺たちの気持ちを……だからあんな無茶な遺言を残したんだな」


「そう……かもね」


 マーガレットはいつもサラサに、レイのことを聞いていた。そっけなくレイの様子を伝えるといつも、


”まったく……こっちも重症だねぇ……あたしが一肌脱がないとどうにもならないねぇ”


と呆れたように決まってこの言葉を口にしていた。

 実はレイも同じことを言われていたらしい。


 あの時は、何のことを意味しているのか分からなかったが、今なら理解できる。


 二人は顔を見合わせると、小さく笑い合った。

 そしてチラッと閉ざされた扉に視線を向ける。


「サラサ。あの扉、お前の力で何とか開けられるものか?」


「……無理ね。さすがに大魔女であったお婆様の力には勝てないわ」


「そうか。なら仕方ないな」


「……え? ちょ、ちょっとレイ? きゃぁっ‼」


 サラサの悲鳴が響き渡った。

 見上げた視線が、レイとぶつかる。彼がサラサを押し倒し、上に覆いかぶさったからだ。

 彼の口元が意地悪く緩む。


「なら、正攻法で脱出するしかないだろ」


「せ、正攻法って、ちょ、ちょっと待って!」


 慌てて声を張り上げるが、レイはそれには答えず、サラサの黒い髪を一房すくい上げた。


「お前の髪、元に戻してくれないか? 見たいんだ、俺が魅せられた、あの綺麗な赤を……」


 熱のある視線を向けられ、サラサの顔が真っ赤になった。

 今でも、自分の髪色はコンプレックスだ。


 だけどレイが望むなら、

 彼が綺麗だと言ってくれるなら、


 晒してもいいと思った。


 赤い瞳を伏せると、小さく言霊を唱える。


 サラサの髪が輝きを放った瞬間、黒に染まっていた長い髪が、見事なまでの艶のある赤毛へと変わっていた。まるで真っ赤な花弁を開いたかのように、ベッドに広がっている。


 幼いレイが、真っ赤な花が咲いている、と表現したように。


 ああ、と低い感嘆の声が聞こえた。


「綺麗だ、サラサ。やっと見られた、本当のお前を……」


 すっと赤く長い前髪をかきあげると、少し緩んだ赤い瞳で彼を見上げるサラサの顔が現れた。その表情には、戸惑いがある。


「待って、レイ……心の準備がまだ……」


「随分待った、いや、待たされた。なのにまだ待てって言うのか? それに俺は、部屋を出られないとか関係なく、今ここで、お前が欲しい。誰かに奪われる前に、全部俺のものにしたい。だって――」


 言葉が途切れ、彼の唇が耳たぶを這った。ぞくっとする感覚が背中を走り、サラサの肩から首筋にかけてピクンと跳ね上がる。

 薄く開いた唇から思わず洩れた声色は、自分ではないような甘さを含んでいた。


 少し離れた彼の唇が、熱い吐息が、サラサの髪を揺らす。


「まだ俺たちが、法や紙上だけの夫婦だなんて、不安すぎるだろ?」


 次の瞬間、唇に温かいものが乗った。

 サラサは瞳を閉じると、熱に浮かされるがまま、彼の唇を受け入れる。


 抵抗する力は、どこにも残されていなかった。

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