第3話邂逅



 沈む。

 身体が落ちていく。

 寒い。凍えるほど冷えている。



「──目を、覚ましなさい」



 何処からか、声が聞こえる。

 それは慈悲深いような、けれどもどこか突き放すような。


 ゆっくりとまぶたを開く。

 周囲は闇なのか、はたまた光に包まれているのか。

 ぼんやりとした頭では判断できない。



「…………っ……」



 ここはどこ?


 そう言おうと口を開くが、漏れるのは吐息だけ。上手く声を出すことが出来なかった。


 周囲を見渡し、ようやく周囲に何かがいることに気がつく。


「ようやく目が覚めたようでなによりだ。さて、まず一つ質問といこう。……お前は、一体何者だ」


 問いかけてくるのはぼんやりとした影だった。

 姿形がはっきりと分からない。

 だが、不思議と嫌な気配はしなかった。


 自分が何者なのか。

 ゆっくりと思い出そうとする。



 私の名前は────。



 声に出そうとするが、己の喉が本調子でないことに気づき、目の前の影に視線を向ける。


「──ああ、そうだった。お前、いま声が上手く出ないだろう。それならば……」


 影はなにか小さく呟くと「これで声が出せる」と言った。

 にわかには信じがたいと思ったが、この目の前の影の主ならば出来るだろう。

 それだけの説得力を言葉の節々から感じた。


「わ……私は……」


 試してみると本当に声が出る。

 目の前の影は小さく頷き、質問の答えを促した。


「わたしの……わたしの名前は──オデット・クレイモア……です」


 オデットはここに来るまでの細かい過程を思い出さなかった。

 ただ、己がすでにこの世のものではないことははっきりと分かる。


 死んだ時の記憶を持っているのだから。


「そうか。覚えていてくれて安心した」


「えっと……あなたは?」


 安堵したような気持ちを滲ませる影の主に思わず問いかける。

 周囲の状況が全く分からない。混乱するほかなく、救いを求めるようにして影をじっと見つめた。


「……混乱するのも当然だ。わたしは……」


 まるでオデットの心の奥を見透かしたかのように混乱を言い当てる影。

 一歩前に踏み出したかと思うと、突如指を鳴らす。



 その途端。影は周囲へと飛散し、瞬く間にその正体が露わになった。





「あなたは…………あなた様は女神、シーボルト様」




 丸みを帯びた体つき。

 絹糸のような銀髪。

 そしてなにをおいても引きつけられる、その虹の瞳。



 それはオデットの国で信仰されていた女神、そのものだった。


「いかにも、私はシーボルト。私はあなたに選択を迫るため、ここに呼んだのだ」


 女神の神々しい気配に当てられ、思わずオデットは一心に見つめてしまう。


 オデットの心には驚愕と混乱が渦巻いていた。

 オデットはたしかに死んだはずだ。  

 あの夜、屋敷の雑用人である青年ジョナにバルコニーから突き飛ばされたのだ。


 かと言って、いきなり女神が目の前に現れるという事態は想定を遥かに超える出来事だった。


「選択、ですか?」


 女神の問いを無視するわけにもいかず、冷静に言い聞かせながら答える。


 一体何の選択なのだろう。オデットは考える。

 ふと、一つ答えが浮上した。



 ──罰の選択。



 オデットは生前、人を一人殺めた。

 己のために、そして家族のために。

 それはけして許されることではないだろう。


「なにか勘違いしているようだな」


「……? と、いうと」


「まあいい。私は遠回しに言葉を並べるのはいささか不得意なのだ。単刀直入に言わせてもらう」


 女神は未だ呆然と座り込むオデットを見下ろしながら、言葉を発した。





 

「お前は贖罪を果たすか、否か?」


  




「しょく、ざい?」


 オデットは言葉を繰り返す。

 シーボルトは頷き、再度口を開く。


「お前は人を殺めた。だが、それには数多の理由があったはずだ。かと言って人殺しは人殺し、罪は罪だ。簡単に許すことは出来ない」


 オデットは頷く。


「だからこそ、その罪を贖う機会を与えようと考えた。オデット。お前にはもう一度時を遡り、一年前よりやり直す機会を与えようと思う」


 シーボルトのその言葉に、オデットは思わず目を見開く。

 やり直す機会を与えるなど、いくらなんでも荒唐無稽としか思えない。

 だが、女神の言うことだ。

 信心深いオデットが神の言葉を否定するなど、もっと有り得ない。


「なぜ、一年前なのですか?」


 オデットは恐る恐る疑問を口にする。

 人を殺めたことを無かったことにするのであれば、三年前が妥当だ。

 なぜならオデットが父を殺めたのはその頃だったのだから。


 一年前といえば弟が家督を継ぎ、徐々に安定の兆しが見え始めた頃だった。 



 そして──ジョナを救った頃も。



「それは的を得た質問だな。だが、私はなにもお前の人殺しを無かったことにすることを贖罪にしようとは考えていない。……私は救えるはずのものを救うべきだと思ったから、これを贖罪と化したのだ」


「救うべきもの。それは…………ジョナのことでございますか」


 シーボルトは「ああ」と頷く。

 女神が伝えたいことはなんとなくわかる気がした。


 オデットの脳裏にはジョナの憎しみに満ちた表情が蘇る。そして、最後のあの悲しみと絶望に満ちた──。



「……ジョナは私を殺して…………救われたのではございませんか?」



「……お前は本当にそう思うのか?」


 オデットは言葉を詰まらせた。


 分からない。


 オデットにはなにも分からなかった。

 なぜ、彼は最後の瞬間、場に似合わぬ言葉を口にしたのか。そして。




 なぜ────涙を零していたのか。





 雨に濡れていた。

 涙を零しているかなど、はっきりと分からないと皆言うかもしれない。


 だけれど──何故だか分からないけれどオデットにはわかったのだ。

 


「彼は…………ジョナはあのあと……どうなったのですか」




「ああ─────






死んだよ。自害したんだ、お前の後を追うようにして。騎士どもが駆けつける前にね」


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