第2話告白





 その瞬間、心臓が跳ね上がった。




 ──『この親殺しがっ!』




 自身の奥に眠るなにかが囁く。



「急に顔を蒼褪めさせてどうかしたんですか?」


「どうして……そんなこと」




 知ってるの。


 そう言葉を口にする前に、憎しみを宿らせながらも淡々とした様子だったジョナの口調が変わる。

 それは急激な変化だった。

 


「あなたが…………あなたがあいつを殺したせいで、僕の復讐は遂げることが出来なかった…………僕がっ…………あいつを殺してやる予定だったのに!」



 オデットは憤りを隠さない男の様子に目を見開く。


「くそっ」


 ジョナは舌打ちをした。

 そして雨に濡れた漆黒の髪をかきあげ、荒々しくバルコニーの手すりを蹴った。

 騒音は雨と雷の音でそう響かない。


 怒りをぶつけたジョナの激情は急激に鎮火したようで、また先程までのように冷酷な瞳でオデットを見つめるだけだった。



 彼はそのあと語り始めた。



 目的の人物を自らの手で殺すことが出来ないのであれば、その愛娘であるオデットを手にかけることで復讐を完遂しようと思っていると。


 元々はクレイモア伯爵家をめちゃくちゃにするため、この家で息を殺し続けていたのだと。




 ──害虫は駆除しなければならない。




 そう言ったジョナの瞳の中にオデットは憎しみ以外の感情を見つけ出していた。

 それはあまりにも深い絶望だった。


 なにせすべてを賭けて殺そうと考えていた相手を、横から掠め取られたのだから。


 ジョナは長きにわたる憎しみと心の痛みをぶつける場所を無くしたのだ。

 そのやりきれなさは計り知れないだろう。


「なんとか言ったらどうなんですか、お嬢様」


 オデットはほんの少し口角を上げ、見下ろすジョナを見つめる。

 その表情はまったくもって場に沿わない。

 オデットの心は冷たく凍っていた。





「どうか私を────許さないで」





 それは彼の復讐相手を奪ったことなのか、それとも人を一人殺めた罪についてなのか。  

 それとも両方か。

 曖昧に笑う。


 オデットは死んでもよかった。

 死を希っていた。


 相手にそれを望まれるのであれば、いくらでも死んでやろうと思っていたのだ。


 そのとき、また遠くで雷が光った。

 雨もさらに強く地面を叩きつけている。


 ジョナは眉間に皺を寄せ、激情的に彼女の胸倉を掴んだ。

 そして手すりに女の腰を押し付けた。


 少し押せば、オデットは真っ逆さまに転落するだろう。


 ここは3階だ。

 落ちればはほぼ確実に命を落とすであろう。

 それはは互いに分かることだった。



「ええ、あなたを許す日など来るはずありませんよ。なにせお嬢様は、僕の憎くて憎くて仕方ない男の愛娘なのですから」



 こんな状況なのに、オデットの心は不思議と凪いでいた。

 父が未だ亡くなっていなければ彼は迷わず手を汚していたのかもしれない。

 その事実が何故かオデットの心に痛みを感じさせるのだ。




 私が殺しておいて────よかった。


 


 オデットは不謹慎ながらもそう思った。


 自分だけが汚れを引き受けていれば、周りは綺麗なままでいられるのだ。

 オデットは周囲の者には穢れを知ってほしくなかった。


 オデットは彼に殺されるわけではない。

 自殺を手伝ってもらうだけなのだ。

 だから彼の手は綺麗なままであり続けることができるだろう。


 きっと神様も許してくださるはずだ。


 ジョナの根っこは心優しい青年であるはずだ。

 オデットは庭に植えた花が咲いたと報告するジョナの顔を思い出す。

  

 恐らく普段の姿が彼本来の姿なのだろう。

 そんなジョナにはなるばく手を汚して欲しくない。



 オデットは優しく微笑みながら、顔前に佇む青年を見据えた。


 ジョナは、冷えたオデットの右頬を手で包む。

 雨に打たれてひんやりしていたが、何故かそれがやけに温かく感じられた。




「お嬢様…………さようなら」




 そう告げたジョナの表情は周囲も暗いせいではっきりと見えない。

  


 そして彼はその瞬間オデットの頭を引き寄せ、ゆっくり────その冷え切った唇を重ねた。



 なぜ唇同士が繋がっているのか。

 オデットにはさっぱりと分からなかった。


 ジョナはオデットの両肩を軽く押し、突き飛ばす。

 彼女の軽い体はいとも簡単にふわりと宙へと投げ出された。



 重力で──落ちていく。



 オデットの脳内に走馬灯が駆け抜けた。

 残してしまう唯一の家族である弟、温かなクレイモア家の使用人たち。そしてジョナ。

 彼らとの思い出が脳裏によぎる。


 周りが急に遅くなったように感じるのは、死の直前だからだろうか。

 そしてオデットはふと先程のキスを思い出す。




 初めてのキスだった。




 また雷鳴が轟き、周囲を一瞬明るい光が照らす。

 そのとき、ちょうどジョナの顔が照らされた。


 バルコニーから見下ろすジョナの口が動いているのが分かる。





『愛していました』





 普段ならば分かるはずないのに、そのときだけははっきりと伝わった。



 彼の瞳に宿る憎悪と絶望、そしてそれ以外の感情も。



 分からなかった。

 なぜ彼が今更そんなことを伝えてくるのか。

 次の瞬間にはオデットの命の灯火は消え逝くのに。

 


 分からなかった。

 なぜ彼は、仇の娘であるはずのオデットに好意を寄せているのか。

 憎しみさえ覚えているはずの人間を好きになる心理なんて。


 オデットは己の人生に一切の後悔はないと思っていた。

 だが、最期の瞬間。


 ジョナの告白。

 それが小さくとも胸中に残るしこりとなった。


 オデットの身体はなんの抗いも出来ず、地面に強く打ちつけられる。


 そしてその瞬間、視界が真っ暗となった。


 

 オデット・クレイモアは、齢18でその生涯を閉じた。


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