第16話 私は欲深い人間だ(ウェイター視点)

 泣き疲れて眠った貴女の体を、部屋のベッドに体を横たえた。


 涙で濡れた顏に、家族の肖像画の中で幸せそうに微笑む少女の面影が重なり、切なくなった。

 世界の不幸を知らずただ与えられる無償の愛に溢れていた少女が、夫という名の男に尊厳を踏みにじられ、辛く苦しい日々を送り、笑顔を失ってしまったかと思うと、激しい怒りで心が震えた。


 しかしそれも終わりだ。

 ようやく貴女を救い出すことが出来たのだから。


 そして、


「やっと私の元に来てくれましたね……フェリーチェ」


 *


 この絵を手に入れる前の私は、ボロボロだった。


 常に商売は戦い。

 周りは敵。少しでも隙を見せれば蹴り落される。


 常に気が張り、心が休まることなどない。

 ゆっくり眠ることも出来ず、食事を吐くことなど日常茶飯事だった。


 そんな中、気晴らしに入ったオークション会場であの絵を見つけた。


 父親、母親、そして一人の幼い少女。

 幸せそうに微笑む家族が、そこに描かれていた。


 たったそれだけなのに、幸せに満ちる空気感ですら余すことなく表現されていた。


 恐らく描いたアントニオは、彼らをとても愛していたのだろう。

 誰かに頼まれたわけでなく、自らが望んで彼らを描いたのだと伝わってくるような、幸せと愛に溢れた絵だった。


 最高額をつけこの絵を手に入れ、初めて間近で見た時、涙が溢れて止まらなくなった。

 この絵に描かれた無償の愛に、私も包まれるような錯覚を覚えた。


 その日から、ゆっくり眠れるようになった。


 私は救われたのだ、この絵に。


 心も商会の経営も安定したころ、肖像画に描かれた家族が気になり調査をしたのが、全ての始まり。


 絵の少女が、そしてこの絵の持ち主が、最近急成長を遂げたトーマ商会の管理者であることを知った。

 そして彼女の評判、仕事ぶりを聞いた時、商売敵として純粋に興味を持った。


 彼女は、良い物や優秀な人材を選ぶ適切な目を持っている。

 今まで私の予想だったが、あの茶葉の商談の際、断られても仕方ないくらいボロボロだった私の本質を、所作一つで見破ったことで確信した。


 彼女が商会管理者になってから、山ほどいた粗悪な業者と従業員が辞めた。


 あの男は彼女のせいだと言ってたが、あながち間違ってはいない。

 いい物、優秀な人材を取り入れることで、トーマ商会全体の空気が変わり、自然と粗悪な業者や怠惰な従業員がいなくなったのだ。


 そうやって、良いものだけが彼女の周りに残った。


 自らの利益だけでなく、周囲も豊かにしたい。その為に行動したことが、自身の利益に返ってくる。

 商人が目指す理想的な循環を、彼女は無意識で行っていた。


 それはもう、天から贈られた才能だと言ってもいい。


 彼女を調べれば調べるほど深みにはまり、気づけば夢中になっていた。


 しかし相手は伯爵夫人、人妻だ。


 だが結婚して5年、未だ子宝に恵まれていないことが気になり、ローランド伯爵について調べて初めて、彼女が伯爵夫人らしからぬ酷すぎる仕打ちを受けていることを知った。


 怒りが湧いた。

 彼女の価値が分からぬ者に、任せていられないと思った。

 自分を救ってくれた少女の笑顔を奪ったあの男が憎かった。


 私はあの絵に救われた。

 なら今度は私が彼女を救おう。


 しかし同時にこう思ったのも否定しない。


 ――これは彼女を手に入れるチャンスではないかと。


「あなたは……商才はあるのに、男を見る目は少し鈍いようだ。私は、あなたが思うような善き人間ではありませんよ」


 馬車の中で、貴女は表情一つ変えず外を見つめていた。

 今すぐにでも貴女を抱きしめ、この想いを伝えたいとこちらが思っていることにカケラも気づかず、今もこうして無防備な姿を晒している。


 涙の痕が乾いた頰に、そっと指を滑らせる。


「私は、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れたいのです。そして……大切なものは決して誰にも触れさせない。そんな欲深い人間なのです」


 もう全てが動き出している。

 失墜したあの男を、社会的に抹消する計画が。


 今回の一件は、広く伝えられている。

 彼女に味方する者たちは皆、あの男が経営するトーマ商会に決して手を差し伸べない。


 貴族たちには、彼らに影響力を持つ伯父から多少の圧力を加えて頂いている。

 伯父から怒りを買ってまでして、あの男に手を貸す愚かな貴族はいない。


 彼女には伝えなかったが、ローランド伯領の者たちには近々この地が荒れると伝えており、早速民たちが逃げ出していると聞いている。


 アイリーンとか言う愛人は、早速逃げ出したらしい。

 隣国へ渡る際、見通しの悪い森や山を越える必要があるが、くれぐれも闇夜や物陰には気を付けて欲しいものだ。まあ、あんな女が一人、行方不明になっても、誰も気にも留めないだろうと思うが。


 あの男の周りに残るのは、悪質な者たちばかり。


 そんな奴らと手を組んだ先にある結末は――

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