依頼『帰省』
お盆も過ぎて、涼しくなってもいい頃なのに秋へ移り変わる気配は無く、長い残暑のなか私は電車と新幹線を乗り継ぎ、福島へ向かった。
地元は本当に何も無い田舎で、周りは水田に囲まれている。何年も地元を離れていたが、その風景は何も変わらなかった。
「今最寄り駅着いたんだけど」
『こっちももうすぐ着くから、ちょっと待ってな』
数日前に地元へ帰ると母親に連絡したら、相当驚かれた。音信不通とまではいかないにしても、連絡も年に一度か二度、いい歳して結婚もせずフラフラしてるだけのどうしようもない娘から、いきなり帰ってくると言われたら、当然の反応だろう。
電車は一時間に一本しか走らない田舎の駅舎には、電車を待つ人を労る気がないらしい。屋根とは名ばかりの出っ張りの下にあるベンチで、スマートフォンを片手に蝉の声を聞きながら、親が車で迎えに来るのを蒸し暑さに耐えて待つこの時間が、とても長く感じる。
ふと視線を遠くに向けると、小学生らしき女の子が立っているのが見えた。
私も小学生の頃は、夏休みに少し栄えた隣町へ行くためにこの駅をよく利用した記憶がある。
「懐かしいな…」
再びスマートフォンへ視線を落とす。炎天下に近いこの環境下で、スマートフォンは嫌な熱を帯びている。
時刻は十二時を過ぎたくらい。日付は9月中旬。
再び女の子がいた方へ視線を向けると、既にどこかへ立ち去った後だった。
夏休みは随分前に終わっているはず。あの女の子は何をしていたんだろうか。
疑問が浮かんだが、短めのクラクションが2回聞こえてきたと同時に、どうでも良くなった。
親の迎えがやっと来た。冷房の効いた快適な車内へ身を滑り込ませると、些細な疑問など溶けて消えてしまった。
「暑かったでしょう?はい、これ」
「ありがとう」
母親から手渡されたペットボトルのお茶は、びっしりと水滴に覆われており、よく冷やされているのが見て分かった。一口飲むと身体の隅々に冷たい液体が流れていくような気がする。
「…あー、生き返る」
おじさんみたいな声出して、と笑いながら運転する母親を後部座席から眺めた。
しばらく会ってないうちに、白髪が増えて皺も増えている。
当たり前な事なのに、何とも言えない感情を覚えた。
「町も変わったね、驚いた」
「そう?いつも見てるから分かんないわ」
町より、年老いた母親の姿の方が正直驚いていた。
「そういえばあんた、急に帰ってくるってどうしたの?」
「人に会うっていうか、約束みたいな感じ」
「何それ?」
「うーん、なんだろうね」
まだライターとしての仕事もほとんどしてなかった私は、母親に正直な事は言えなかった。
ただでさえ私が何をしているのか不安だったと思う。そこによく分かんない人から仕事を頼まれて、あっちこっちに行っているなんて話したら、帰ってこいと言われかねない。
久々の我が家は、何とも言えない空気が漂っていた。
仕事から帰宅した寡黙な父親は、リビングにいる私を見ると、「おう」とも「よう」とも取れる奇妙な声を出し、それ以上は話しかけて来ようとはしないが、仕事はどうなのかとか結婚する相手はいるのかとか、口に出すのを躊躇っている雰囲気がひしひしと伝わってくる。
私から切り出すのを待っているのだろうけど、面倒だし私も気付かないふりをする。
変な沈黙が続く中、リビングにはテレビから流れる音だけが響いている。
そんな沈黙を破ったのは母親だった。
「明日、誰かと会うんでしょ?場所は?」
父親の、誰と会うんだという無言の問いかけは無視して、母親に行先を告げると
「あら、昔住んでいた家の近くじゃない?」
と、変な事を言い出した。まるでこの家より前に別の場所で暮らしていたような口ぶりだ。両親の祖父母の家はもっと遠い所にある。
「知ってるの、そこ?」
「知ってるも何も、響子が小学校の頃はその付近に住んでいたじゃない。ねぇ、お父さん」
「…あれ?そうだっけ」
記憶にない。確か通っていた小学校はこの近くにある学校だった気がするのだが、はっきりと思い出せない。よく遊んだ友達の顔も酷い霧がかかったように、誰一人思い出すことが出来なかった。
「何言ってんのよあんた。学校の名前も思い出せないの?」
「…んー、頭痛いわ。もう今日は休む」
「あ、そう。明日に備えてしっかり寝なよ?なんなら、送っていこうか?」
「うん、大丈夫。おやすみ」
頭が嫌な痛みを抱えている。リビングを出ると、出掛けていた弟が帰ってきて「なんでいるの?」と言われた気がするが、まともに答えられず適当に相槌を打って、自室へ戻った。
部屋の中はここを出て行った時のまま残っており、少しホコリっぽいベッドの上に身体を投げ出した。
お風呂に入りたかったが、疲れが出たのかそのまま眠りに落ちた。
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