ロードスター

ひらめ

第1話

神奈川県川崎市。


ほぼノーメイクで、おかっぱ頭。小柄で野暮ったい田舎の女の子は、父親の車の助手席から外を眺めている。実家のある茨城で暮らす高校三年生の娘は、大学受験のため、川崎にある伯父の家にしばらく、泊まらせてもらうことになっていた。娘の名前は彩葉いろは


閑静かんせいな住宅街で父親が荷物を降ろすため車を停める。二階建ての住宅から、タバコをくわえ、伯父が出迎えに出てくる。


「彩葉、ひさしぶり」

「お世話になります」

「うん」


ひさしぶりに会った伯父は、以前のような天真爛漫てんしんらんまんの明るさが消えていた。彩葉の思い出の中にある伯父は、コロコロと笑う伯母と、いつも楽しそうにしていた。子宝に恵まれず、ずっと二人で恋人同士のような関係を続けていた夫婦は、彩葉にとって、見ていて恥ずかしい存在であり、憧れでもあった。


一年前に最愛の妻を亡くし、生き甲斐がいを失った伯父は、一気に老けたように見える。元々は、実弟にあたる彩葉の父親より、若く見られていたのに、今では初老を迎えた男性独特の哀愁あいしゅうをまとっている。


伯父の家のガレージには、黄色のクロスカブと懐かしい車が止まっていた。


物心がついた頃から、見慣れているクラシックレッドのユーノスロードスター。伯父夫婦は、毎年、年末年始にオープンにしたロードスターで祖母の家を訪れ、寒い中、この車に話しかけながら、楽しそうに洗っていた。そのロードスターがほこりをかぶって、ひっそりと置かれている。


彩葉にとって車は、ただの工業製品であって別段、愛情などを持っていない。


今日も乗ってきた実家のワンボックスカーも便としか思えなかった。伯父夫婦が、この古い車に愛情を持って接しているのが不思議でならなかった。


「じゃ兄貴。彩葉をよろしくな」

「うん」


伯父は軽く手をあげ合図をする。


「彩葉、頑張れよ」

「うん」


父親が母親の待つ茨城の実家に帰る。しばらくの間、伯父と二人での生活になる。伯父と二人で荷物を運びこむ前に、彩葉は疑問に思っていたことを聞いてみる。


「車、汚れてる・・・。乗ってない?」

「うん、なんとなく・・・。一人だからバイクばっかりだね。どうして?」


伯父は、ほこりをかぶったロードスターを目を細めて見つめている。彩葉は伯父夫婦が大切にしていた車が、埃まみれで置かれている現状が気になった。おそらく、伯母が亡くなってから、伯父はロードスターには乗っていない。


工業製品であるロードスターなのに不憫ふびんに思えた。


「そのロードスターを私にください」


伯父は、彩葉に怪訝けげんの目を向けた。彩葉と目が合うとすぐに視線を落とし、ロードスターの方へ歩いていく。


「うん。彩葉が欲しいならあげるよ。俺には、もう必要なくなったから・・・」


伯父は寂しそうに、埃を被ったロードスターを撫でながらつぶやく。


「大学に受かったら取りに、おいで」

「うん」


伯父と二人で家に荷物を運び込み、来週から始まる受験に向けて準備をする。


ーーー


受験から二ヶ月後。小田急線柿生駅からバスに乗り、彩葉はこれから住むことになる戸建の住宅に向かっている。多くはない荷物は、先に宅配便で送ってある。本当はもう少し早く、引っ越しを済ませ、東京観光や買い物などに行きたかったが、自動車の免許を取るのに時間がかかってしまった。


彩葉は受験のときにお世話になった伯父の家から大学に通うことになった。実家を離れ、生活をすることになったときに両親は伯父に相談し、彩葉のために部屋を用意してもらうことにした。彩葉は一人暮らしを希望していたが、経済的理由で、伯父との二人暮らしをすることに決めた。伯父の家から大学までは電車で約一時間ほどかかるが、仕送りをしてもらう身としては、贅沢は言ってられない。


バスを降り新しい住処すみかに着くと、家の前で伯父がタバコをくわえながら、ロードスターを洗車していた。彩葉に気づいた伯父が手をあげ挨拶あいさつをしてくる。


春の日差しの中、伯父は車を楽しそうに洗っている。彩葉も玄関に荷物を置き、伯父と一緒に洗車をする。二人は、ほとんど会話らしい会話をせずに黙々と車を洗っていた。彩葉は他人に興味がなく、あまり両親とも会話をすることがない。彩葉は両親のことが嫌いなのではなく、余計な会話をしなくても苦にはならない性格だった。


「終わり。キレイになったし、ちょっとドライブに行くか」


伯父が悪戯いたずらっ子のような笑顔で彩葉に声をかけてきた。伯父は家の鍵を閉め、ロードスターのキーを彩葉に投げてきた。彩葉は、投げられた鍵を受け取った。


「行こう。初ドライブ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る