黒き疾風 執務室 2
「ノエルか。このタイミングで来ると言う事はあまりいい話じゃないな?」
「申し訳ない。私がチーフの元に予約なしで伺うときはそのような話題しかありませんな」
言葉とは裏腹に少々心外だという表情を浮かべながらも穏やかな表情のまま入室してくる。
ケイジの横でアイリスが着席を促す所作をする。その所作のままお茶の準備をするべく動き出す。
「お茶は結構です。少し気になる事を報告したら戻りますので」
アイリスの動作を手で制してノエルは着席する。予定外の訪問時のノエルの報告は通常長くなる。本日は連続して相談や陳情の応対をしていたので一息つこうとしていた二人だった。
ノエルの長い話は面倒事しかない。短い話は最近の記憶には無い。別の意味で違和感を覚えながらアイリスは着席する。
「こちらに来たのは懸念を伝えるためです。もしかしたらご存じないかもしれませんので」
「ノエルは何を心配されているのかしら?リッキー隊の件ではないのですわよね?」
「ええ。我らがクラン内が無風で無い事は共有認識だと思っています。用向きは別ですな。ここの所、他クランからの勧誘が増えた気配があります。既に何名か傾いているようですな」
ゆったりとしたノエルの言葉遣いと言っている内容のギャップが激しい。他人事のように話すのがノエルの特徴である。知っている二人は目線で続きを促す。
「現状、引き抜きと断言できる証拠は掴んでおりません。我らのような事務方でバックアップをしている者は勿論。いくつかの探索隊のリーダーには声を掛けているようです。他にも渉外部門で誘いを向けている者もいるようで」
「どこのクランかは分かるか?いや・・・アッシュベリーの星か?」
「ご指摘通りです。何者かまでは分かりませんが、ここ数日接触をしているようです」
「そのような兆候をよく見つけられましたわね。流石ノエルですわ」
面白くない表情をするケイジを他所にアイリスはノエルの情報力を褒めている。ノエルは平然とした表情でいる。自身が報告する内容は密告に近いものばかりだ。本来は褒められるものではない。
このようなノエルの密命とも表現できる行動を知っているのはごく一部の者達だけだ。このクランを裏で支えているのはノエルなのだ。
「報告感謝する。基本的には移籍するのは本人の自由意志だ。まずは放置でいい。報酬面で思いとどまりそうな者がいたらリストアップしてくれ。誰が一番危ういと思った?」
「危ういかはさておき、一番接触が多いのは意外な事に聖女様ですな。ご友人のアナベル嬢以外の人物との接触が増えております。聖女様ですから大丈夫かとは思いますが少々気にしております」
「まあ、デイジーちゃんが・・・。あらあら、それは交際を申し込まれているのではありませんの?」
ケイジが渋い顔をしているのを横目にアイリスが騒ぎ立てるように反応する。ノエルは表情を変えず返答する。
「女性同士で交際が成立するのであればそうかもしれませんな。その辺りの機微は私には分かりかねます」
「あら~そうですの。それならば単純に友人としての交流が広がっただけではないかしら?移籍はデイジーちゃんに限っては無いと思いますわよ。ねぇ、ケイ様~」
甘えるような声質で隣のケイジに声を掛けるアイリス。苦い顔をしながらケイジは呟く。
「知らん。俺はお守役では無い。あれがそうしたければ自由にすればいい」
「あら~、そんな事言っちゃいます?それ、ご本人の前でも言えちゃいます?」
「う・・・。言うさ。クランとしての都合は優先させるかもしれないが。本人の意思を尊重すべきだ。少なくてもこのクランではそうあるべきだ」
「確かにご本人の意思は尊重すべきですな。他にも事務方ですが報酬に関するものが流れております。あくまでも噂レベルではありますな」
「なんでだ?事務方には十分な報酬を毎月支払っているはずだよな。寧ろ他のクランより上乗せしているはずだぞ?」
「それよりも多い報酬と少ない勤務時間という名目で誘いがあるような噂が事務方には流れております。最近はクラン内の雰囲気が宜しくないので移籍を考える者もいるかと」
「それもアッシュベリーの星が動いているのか?」
「そのようですな。気になるのであれば何らかの対処をされた方が良いかと」
素直に肯定するノエル。増々面白くない顔になるケイジ。先程から良くない報告ばかりで苛々が溜まっているような状態だ。
ケイジを労わるような表情でアイリスが報告を引き取る。
「ご苦労様です、ノエル。処置にしては目に見えて来たら検討してみますわ。貴重な情報ありがとう。助かりましたわ。話は以上と考えて宜しいですか?今後も気になったらいつでも知らせてくださいな」
「はい、それは勿論。そのための報酬も頂戴しております。任された任務は継続するのでご安心を。ではこれで失礼します」
平静のままノエルが椅子からたちあがる。去り際にアイリスが声を掛ける。
「ああ、そうでしたわ。実は現在在庫を空にされてしまったので資材部門から発注が増えますの。数日内に納品書等増えますので通常業務の事務処理をお願いしますわね」
「はい、あの隊の後始末ですね。承知しました。そういえばその隊についてのご報告もあったのです。しかし探索に出ている時に報告するのはと思い未報告ですが如何いたしますか?」
ノエルの言葉に露骨に嫌そうな表情をしたままケイジが返答する。
「多分俺達が知っている以上の内容だとは思っている。リッキーへの懲罰は考えている。だが今は少し冷静に聞けそうもない。冷静になれたら報告してくれ。本当すまんな」
「いいえ、色々問題が山積なのは想像がつきます。そちらはそれ程緊急ではないので大丈夫です。ああ、念のためですが、どんな状況になっても私はチーフの元で仕事をするのみです。ご自分一人で解決しようとなさいませんように。そう思っている者は沢山おりますよ」
珍しく口元に笑みを浮かべたノエルは自身の雇い主であるケイジを労わる発言をして去っていく。扉が閉じたのを確認した後に大きくため息をつくケイジ。
この数十分の間で聞き取りをした問題点のなんと多い事か。
人の面。金銭の面。組織面。対外的な面。
頭を抱えたくなる問題ばかりだ。
心配そうなアイリスをちらりと見たケイジはボソリと呟く。
「裏で手を引いているのは誰だと思う?」
「あら?そこにお考えが及んでいましたか?」
「リッキーがらみの件は違うと思うが・・・いや、もしかしたらアレも影響を受けているかもしれん。最近の探索でも地味に妨害を受けているのは報告にあがっている。ノエルの話にあった人の引き抜き。これだけあれば誰か噛んでいる可能性は考えるだろう?」
アイリスは口元を綻ばせる。頭の痛くなる問題が山積しているがケイジの思考は曇っていないようだ。同じ事をアイリスも思考していたからだ。その自分の考えを伝える。
「はっきりと申し上げられませんがパトロン同士でなんらかの揉め事があったのではないかと思いますわ」
「やっぱりか。あのおっさん何かやらかしたんだ?」
「もう、一応私の叔父ですわよ。私の前でそのような下品な呼び方は控えて頂きたいですわ」
「アイリスだって”一応”と言っているじゃないか。似たようなもんだろ。ま、それで我らがパトロンである公爵閣下はアッシュベリーの星のパトロンと何をやらかしたか分かるのか?」
「どうでしょう?私はあの下品なお屋敷は苦手ですので。おそらくですが悪所通いが原因ではないかと。貴族内での抗争は表でも裏でも今は平静な状態なのですわ。ですから私が思いつくのはその程度です。叔母からも愚痴を聞いておりますもの」
瞬間ぽかーんとした表情になるケイジ。深刻な理由があると考えていたのにあまりにも下世話な理由をアイリスから言われたのだ。
女の取り合いでクランのメンバーの引き抜きが発生する事に思考が追い付かない。
「は?遊郭だと?そんな理由で俺はこんなに悩まなきゃならんのか?」
「アッシュベリーの星のパトロンはあの辺境伯です。あの方は好色家で有名で、屋敷よりも悪所にいる日が多いと噂されております。お恥ずかしい事ですが叔父もとある娼妓に熱をあげているようですわ」
「は~~?なんだそれ。しょうもない。女の取り合いかよ。それで最近探索に宝飾品の素材を持ち還るような指示書が多かったのかよ~。妙に儲からない意味のない指示ばかりしてくるから何かと思えば」
「おほほほほ・・・。ですが、あくまでも推測ですわよ。真実は叔父に聞かないとわかりませんわよ」
「全く・・・、次から次へと。今度の定期報告の時に何気に確認するか」
「そうですわね。ですが、先ほどの引き抜きの件は放置するのですか?」
「何度も言うが自由意志だ。向こうからこっちにきた者もいるんだし。あからさまになったら対処を考える方向で良いとは思う。待遇面の問題なら可能な範囲で対応したい」
「仕方ありませんわね。事務方の方達は気になる者がおりますので時間を見て聞いてみますわ。待遇面だけで翻意するのであれば安いと思いませんと」
「だがな~。これ以上報酬を上げるとダンジョン探索の回数を増やすか、持ち還る素材を増やさないとならない。且つ、損耗を極力抑えた方向でだ」
「やはり隊の編成見直しが急務ですわ。あの隊だけで月の利益を全て失う事になりかねませんから。これは冗談ではありませんわよ。先月の収支はまだお見せしておりませんが大変な事になってますわよ」
「う~、そうだよな~。これ以上隊を増やすのは難しいか。もう少し慎重になるべきだったかな」
資金不足が最近の大問題なのである。この所の探索で利益が出ていないのだ。理由をケイジは考えたくもない。誰もが理解できている事ではあるが。
現在もパトロンの指示や探索者ギルドの依頼以外でも資金を増やすために地味に活動しているのだ。
人的面でも休暇を取れる事が難しくなっている。輪をかけてクラン内の雰囲気も悪化している。
今後の方針を考え直さないといけない局面でもあるのであった。
ケイジは頭の中で唸るしかなかった。
さしあたって急ぎ行わねばならない事を優先するしかないのであった。
こんな板挟みになる立場を望んでいたわけでは無いのにと心の中で唸るばかりであった。
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