ソイラテになりたい
ta-rŭ-da
第1話
裏庭の草を踏みしめ、ひとつため息をつく。
(もう舞踏会場には戻れない……)
(……ああ、この屋敷のどこかにジュリエットがいるんだ……。せめてもう一度だけでも姿が見られたら……!)
バルコニー下の庭をうろついていると。
バルコニーの扉が開いた。
慌てて近くの茂みに隠れる。
(あの声は……!)
なんとも愛しい声と共に、影がバルコニーの扉の近くに姿を現した。
奥にいる誰かと話をしているようだ。
「お嬢様、お嬢様。舞踏会の途中で抜け出したりして、お母様に叱られますよ」
「いいの、私少し具合が悪いの。……もう眠るわ」
「そうでしたか……。疲れが出てしまったのでしょうね。お休みなさいお嬢様。暖かくしてくださいね」
「ええ、お休み」
ドアの締まる音がわずかに響く。
どくん、と心臓が脈を打つ。
(ジュリエット……!)
見目麗しい、ジュリエットがバルコニーへ出てきた。
片手に何やら飲み物が入っているらしいグラスを持っている。
(ああ、なんて愛しい……)
風に吹かれ、じっと飲み物を見つめ、こっそり笑っている。
(か、可愛い……)
キュン死に寸前だ。
また、ひとつため息をつく。
ジュリエットは飲み物に向かって話しかけ始めた。
「ロミオ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの」
その言葉を聞き、またしても僕の心臓は大きく脈を打った。
どうして僕はロミオなのだろう。
それは、今夜最も自分自信で問いていることだった。
思わず掴んだ木の枝が揺れ、ガサガサと音を立てる。
「誰……?そこに居るのは」
ジュリエットがこちらの方を向いた。
ここで安易に姿を現してはいけなかったと思い出し、身を固める。
そうだ、僕はロミオなのだから。
しばらく沈黙が続き、ジュリエットがふふっと笑った。
「……風のいたずらね」
暗くて何も見えなかったようだ。
少し残念な気持ちで、今度は月を見る彼女の横顔を見つめる。
月に照らされた彼女は、ただただ美しい。
「今夜は月があんなに綺麗。きっとソイラテの魔神様と魔女様が月に綺麗なソイ化粧を施したのね。」
そう言いながら、また手元の飲み物に視線を戻し、微笑む。
(ソイラテ……?)
どうやら、彼女の持っている飲み物は、ソイラテのようだ。
コップを少し揺らし、ゆっくり、ゆっくり、飲んでいる。
(ソイラテ……)
エスプレッソにソイを入れた、何とも味わい深いあのドリンク。
1度だけ飲んだことがあるが、飲んだ瞬間の衝撃はジュリエットに出会ったあの瞬間の次に続くくらいには感動的だった。
ソイラテとジュリエットなんて、なんて素晴らしい組み合わせなのだろうか。
あまりにも素晴らしい光景に、目が離せないでいる間に、ジュリエットはソイラテをほとんど飲み終えてしまったようだ。
「ソイラテの魔神様、魔女様お休みなさい。私の願いを気まぐれに聞いてくれるなら、どうかロミオをここに連れてきて」
ジュリエットはそう言って、バルコニーから部屋に戻ろうと歩き出した。
(ジュリエットが部屋に入ってしまう……)
そうしたらもう、彼女に会うどころか、もうこの目に彼女を映すことすらもできなくなってしまうかもしれない。
(今、今飛び出さなければ……)
足が震える。
本当にもう、きっと、ラストチャンスなのだ。
かつての恩師の声がふと頭に鳴り響く。
(今でしょう……!)
頭の中の恩師がポーズをキメた時、僕は茂みから飛び出していた。
「ジュリエット、待ってくれ」
裏庭に声が響く。
ジュリエットは驚いて振り返った。
「誰……?」
「話がある。部屋には戻らないで」
「……もしかして……?」
「ジュリエット、大好きなきみが名前を呼んでくれた」
「ロミオ……ロミオなのね!」
「きみへの思いが溢れて、気が付いたらここへ来ていたんだ……!」
「ソイラテの魔神様と魔女様が願いを聞いてくださったんだわ。でもどうしよう、見つかったら大変……」
「きみに会えたから、もう死んだって悔いはないよ」
「そんなのは絶対に嫌」
ジュリエットがソイラテの入ったコップを持っていない方の手ををこちらへ伸ばす。
「ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?」
さきほどと同じ問いである。
その手に少しでも近づこうと、僕も手を伸ばす。
「今日からはもう、ロミオではなくなります」
思わず、そんな事を口走る。
ジュリエットは目をキラキラさせた。
「何になるの?」
「僕は……」
そこまで言い、ジュリエットの持つソイラテに目を移す。
そうだ、ソイラテになれば自由だ。
家紋になど縛られない。
ジュリエットと共に生きていける。
「僕は……ソイラテになりたい」
月の光を受けたのか、彼女の持ったグラスが少しだけ光った。
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