Side:Shimaenaga San 実技試験

 ━━ステラ・トーチライトの視点


 ステラは白い鳥を制服の胸ポケットに秘し、そっと寮に帰還した。

 寮はひとり部屋であり、ステラ以外がこの部屋にやってくることはまずない。

 

「ここまで来れば大丈夫。鳥さん、お水飲む?」


 ステラは机脇に置いてある瓶を持ち上げる。

 

「ちーちー(訳:大丈夫ちー、それよりどうして隠されて連行されたかの説明を求めるちー)」

「だって鳥さんはモンスターなんでしょう? 私が痩せてるからって人間をもちあげて屋根まで引っ張り上げちゃうくらい力持ちなんだし。使役されていないモンスターが見つかったら大変だよ」

「ちーちーちー(訳:使役されているモンスターがいるような口調ちー)」

「ここがヴォールゲート魔導魔術学校って知らないの? 使役モンスターがいるなんて当たり前なのに」


 ステラは厄災の禽獣へさまざまなことを教えてあげた。

 

 ヴォールゲートという土地のこと。

 学校のこと。魔術のこと。ルーンのこと。

 世界のこと。人間のこと。文明のこと。


「ちーちーちー……っ!(訳:異世界ちー、ここは、異世界ちー……!)」

「鳥さんってなにも知らないんだね」


(この恐ろしい目つきの女学生に会えたことはラッキーだったちー。義侠は見返りを求めないと言ったけれど、ここは言葉に甘えて色々とお世話してもらうちー)


 鳥は見返りを求めた。

 結果として、今後の活動方針を定めることができた。


(点と点がつながったちー。アルコンダンジョンは巨大な世界そのものちー。ここでむやみに飛び回って人間を探すのは難しいかもしれないちー。何か手がかりが掴めるまで、ここを活動拠点にするのも悪くないかもしれないちー)


 厄災の禽獣はこうして、ヴォールゲートでの情報収集を始めた。

 主人である赤木英雄との再会のためだ。


「探し人か。鳥さんは大事な人と逸れちゃったんだね」

「ちーちーちー(訳:相思相愛の想い人と言っても過言ではないちー)」

「鳥と人間って恋愛できるの?」


 ステラはドキドキして尋ねる。


「ちー(訳:可能ちー。ちーはヒロインとしての地位を盤石にしてるちー)」


 厄災の禽獣は自信満々に、世界規模での常識を語るように断言した。

 ステラは感心したような顔をして「鳥なのに……」と素直な感想を漏らす。


「だとしたら、私の部屋を活動拠点にしていいよ。あと1年くらいはこの部屋は使えるからさ」

「ちーちー(訳:ステラは学生と聞いたちー。どうして1年ちー? もう卒業するちー?)」

「卒業……そうだね、卒業だね」


 ステラは気丈に笑みを浮かべた。

 厄災の禽獣はその笑みの裏側を見逃さなかった。

 不安を押し隠す笑顔を。


 その日、ステラは厄災の禽獣をあるところへ連れて言った。

 学校を出て、城門街へ来て、大きな門構えの建物へ足を伸ばす。


「ちー?(訳:ここは何ちー?)」

「ヴォールゲート錬金術商会だよ。冒険者組合の業務を代行してるんだって。お金さえ払えば、身なりが汚くても、仕事をしてくれるんだ。人を探すのならここを使うといいよ」

「ちーちー(訳:ありがたいちー。こういう場所を探していたちー。早速、情報収集してみるちー)」


 厄災の禽獣は受付で「ちーちーちー(訳:人探しの手伝いをしてほしいちー)」とお願いをしてみた。


「ちーちーちー」

「鳥? あの、先輩、鳥がいるんですけど。カウンターに居座ってて列が並んでいるのに」

「そんなの追い払っちゃいなさいよ」

「ちーちーちー!」

「抵抗してます。抵抗鳥です」

「ならこう!」


 結局、厄災の禽獣はにぎっと掴まれて、窓から放り出されてしまった。


「ちーちーちー!(訳:おかしいちー! お客に対してあの態度はひどすぎるちー!)」

「そっか、普通の人には鳥さんの言葉はわからないんだ」

「ちー!(訳:衝撃の事実ちー……!)」

「割と常識かも」


 ステラは疲れたような笑みを浮かべる。


「私が通訳してあげるよ。人探しの依頼とか出してみよう」

「ちーちー……!(訳:助かるちー……!)」


 こうして厄災の禽獣とステラの日々が始まった。


 数日が経過した。

 厄災の禽獣は毎日のように錬金術商会にパタパタ飛んで、何か新しい情報はないかを確認した。その度にステラは厄災の禽獣に付き合ってあげて、鳥の代わりに文字を読んだり、通訳をしてあげたりした。

 

「ちーちーちー(訳:どうしてステラはそんなに良くしてくるちー)」

「恩返しだよ。私は鳥さんに救われたんだから」

「ちーちーちー(訳:あの嫌な同級生とは大丈夫ちー?)」


 ステラはビクッとする。

 ヴァーモンドとのことを言われているのだ。

 

 あの日以来、ヴァーモンドはステラへ直接的な嫌がらせをしていなかった。

 ただニタニタと毒で弱る獲物を眺めるような視線を向けてくるだけだ。

 ステラにはその理由がわかっていた。

 

(テイムモンスターのいない私は実技試験を受けられない……単位を落とせば、単位取得は来年に持ち越し。普通の学生ならそう。でも、私に来年は来ない)


 ヴァーモンドはリスク━━喧嘩強いステラへの嫌がらせ━━を犯さず、ただ待つつもりなのだ。詰んでいるステラが終わるのを。


「ちーちー(訳:ちーを甘くみているちー)」

「え?」

「ちーちー(訳:鳥は古来より賢者の象徴として扱われてきたちー。ちーも当然の如く賢いちー。この数日、学校内をパタパタしてみて、世の中の状況やらに詳しくなったちー)」

「いつの間に抜け出して……」

「ちーちー(訳:大丈夫ちー。誰にも見つかっていないちー)」

「本当にそうかなぁ」

「ちーちー(訳:どうやらステラにはすごいテイムモンスターがいたと、噂されているちー)」


 ステラは白状することにした。

 

「実は私にはヴォルルって相棒がいたんだよ」

「ちー?(訳:ヴォルルちー?)」

「ヴォールゲートオオカミっていう高貴な霊獣なの。いつも濁ったような声で『ゔぉるる』って鳴くからヴォルルなんだ」

「ちーちー(訳:ぎぃって鳴くとぎぃって名付ける人間もいるちー。馬鹿にはしないちー)」

「私だって安直だったかなって今では思ってるよ」


 ステラは少し恥ずかしそうに頬を染める。


「ヴォルルは銀色の毛並みをした、ふわふわ様なの。すごく位の高いモンスターで、雷の伝説に伝えられるくらい。どうして私なんかが使役できていたのか不思議なくらいの珍しいモンスター。すごく強くて……でも、どこかへ行っちゃったんだ」

「ちーちー(訳:ヴォルル、銀色の毛並み……)」


 厄災の禽獣は特徴を覚えるように反復する。


「きっとヴァーモンドがどこかへ逃しちゃったんだよ……ヴォルルはすごく優しくて、私が命令しないと絶対に人間には危害を加えないから」

「ちーちー(訳:そんなに忠実なテイムモンスターならは主人の元に戻ってくるはずちー。ちーだったら片時も主人の元を離れようとは思わないちー。まあ、たまにバカンスを楽しんで、地球一周の旅をしたくなる時もないことはないちー)」

「私の元に戻ってこないってことは、きっとそれまでだったんだよ。ヴァーモンドはキッカケだったかもしれないけど、確かに正しい部分はあったんだ。本当はヴォルルだって、私みたいな主人嫌だったんじゃないかなって」


 ステラは弱気になっていた。

 ヴォールゲート魔導魔術学校という孤立無援のなか、勇気を振り絞って、懸命に歯をくい縛ってきたが、母がいなくなり、相棒もいなくなり、そうして全ての心の拠り所を失い、学校のも残された時間も確定し、卒業は絶望的━━さしものステラ・トーチライトも目の奥に熱いものが込み上げ、堪えきれない辛さに感情を爆発させたかった。


(どうしてこんなに理不尽なんだろう。みんな私を置いて行ってしまうんだろう。なんで私はこんな目に遭わないといけないの。お母さん、まだ頑張らないといけないの……?)


 ステラはグッと堪え、感情を飲み込む。

 恩人である鳥に迷惑をかけたくなかった。


(鳥さんは本当に優しい。とっても賢くて、とっても感情豊かで、この数日一緒にいたからわかる。本当に魅力的な鳥さんだ。でも、この鳥さんは羽ばたくんだ。この鳥さんも主人を探してるんだ。世界のどこかにこの鳥さんにふさわしい偉大な使役者がいる。その人の元に戻りたがってる、だから、私が縛り付けるわけにはいかない)


 ステラは自分の境遇を呪っている。

 だが、その呪いのために、優しい鳥に助けを求め、恩鳥の邪魔をするわけにはいかないのだ。


(鳥さんは助けてほしいと言えば、きっと助けてくれる。なぜなら優しいから。でも、それではいけない)


「テイムモンスターを探すよ。森へ足を運べば、すぐに見つかるだろうしね」

「ちーちーちー(訳:ここ数日、ステラは学校が終わったらずっと森へ行ってるちー)」


 厄災の禽獣はクリッとした眼差しで見つめる。

 ステラは言葉に詰まる。ヴォルル以外のモンスターを使役したことのないテイム行為に関しては素人同然のステラが、森へ足を運んだからと行って、そう簡単にテイムモンスターが見つけられるわけがなかった。


「ちーちーちー(訳:まあいいちー。頑張ってほしいちー)」

「う、うん、頑張るよ。ヴォルルには見限られちゃったから、新しい相棒とはうまくやらないとね」


 ステラはぎこちない笑みを浮かべた。


 また数日が経ち、いよいよその日はやってきた。

 使役科における重要な実技試験。

 テイムモンスターをどれだけの練度でコントロールできるか、またモンスターをどれだけトレーニングできているかを先生たちに見られる試験だ。


「ヴァーモンド・ホランド、どうぞ」

「失礼します」


 ヴァーモンドは試験部屋に入るなり、ビクッとする。

 試験官が座っているはずの席に、ヴォールゲート魔導魔術学校の校長が座っていたからである。


「え、え……?」

「どうしたのだね。今回は私が試験者だよ」

「そ、そうだったのですか……てっきりマーリン教授かと……」

「イレギュラーはどんな時にもある。テイムモンスターはドリルヘビ。では、そこでトグロを巻かせくれるかい」

「は、はい。……ヴァイパ、トグロを巻け」


 ヴァーモンドは命令を出す。

 動きがやや重たい。


(どうして練習通りにやらない! この僕に恥をかかせる気か!)


 ヴァーモンドはイラつきからルーンの力を行使する。

 使役魔術師の理想はルーンの力を行使せず、そのモンスターを操ることにある。

 熟達の領域になると、モンスターと心を通わせるファーストセッションでしか使役のルーンの出番がないといわれ、全ての使役魔術師はそこを目指す。


 とはいえ、それは理想にすぎない。

 完璧な調教を行えなければ、ルーンの力で無理やりに動かすしかない。

 実際に学校を卒業するレベルでも、世の中の使役魔術師のほとんど100%は、ルーンの力無くして、危険なモンスターを御することはできないのだから。


 ヴァーモンドは校長に提示された命令をこなし、十分な評価を得た。

 

 額には薄く汗が滲み、疲れが見える。

 

「流石はホランド家の子息だ」

「ありがとうございます!」

「では、そのドリルヘビを自分の首に巻いてくれるかね」

「……え?」


 使役のルーンを脳裏に刻み、その力を行使することでモンスターとの共存を可能にし、日々研鑽を積む若きエリートたちにとって、難しいとは言えない課題だが、だからこそ試験者はひとつの難題を突きつける。

 

 クリアしなくても良い課題だ。

 ゆえに難しい。


(できるのか? いや、無理だ。ルーンで強制的に動かした後だから気が立ってる。ルーンも消耗してる。もしもの場合に抑え込めない。今は触れることも避けたほうがいいのに、首に巻けなんて……)


「ルーンの力に頼りきりなうちは、モンスターを完全に御したわけではない。逆の発想もあるが、それは暴力的なものだ。ゆめ忘れないように」

「は、はい……」

「お疲れ様。どうぞ退出して」


 ヴァーモンドは試験部屋を退出するなり、ホッと安堵する。


「大丈夫だ。あれは噂の合格する必要のない課題なんだ」


 一方試験部屋では、落胆の表情を見せる校長がいた。

 今回の試験者であるライディン・ゴールドウェイク校長は、理想派の使役魔術師であった。使役魔術において、最上の実力者であるこの校長には、理想の使役術への熱い憧憬があった。ゆえに使役のルーンを全開で使用し、服従させるような現代主流の使役術を暴力的であると評論していた。


 彼は服従の使役術ではない、調和の使役術を行える才能を期待しているのだ。


「やはり、理想は所詮、理想に過ぎなかったということかな」


 ゴールドウェイクは小さなため息をつく。

 試験部屋へ次の生徒が入ってくる。

 灰色の髪をした凶悪な目つきの少女だ。

 見たところテイムモンスターは伴っていないようだった。

 ゴールドウェイクは小首を傾げる。

 

「ステラ・トーチライト、こんにちは。テイムモンスターはどうしたのかね。事前調査では確か君は……ヴォールゲートオオカミの訓練をしているはずだが」

「ヴォルルはいなくなってしまって……」

「なるほど」


 度々あることだった。

 魔術師がテイムモンスターに見限られ、脱走されてしまうこと。

 特にヴォールゲートオオカミのような高潔なモンスターは、主人を選ぶ傾向が強かった。ゴールドウェイクの経験上、未熟な学生の元を去っても疑いはない種であった。


 しかし、ゴールドウェイクはまた経験で知っていた。

 ステラの瞳は諦めてなどおらず、むしろ挑戦の色を持っていたことを。


「テイムモンスターがいるのだね」

「……はい」

「では、見せてみて」


 優しい声でゴールドウェイクは言う。

 ステラは恐る恐る胸ポケットからそれを取り出した。

 ゴールドウェイクは目を丸くする。


「なんだね、その豆大福は」

「ちー!(訳:年頃のレディになんて失礼ちー!)」

「おっと失礼、元気な鳥さんだったようだ」

「この子で試験を受けさせてくれますか?」

「ふむ。試験規約では事前のエントリーが必須だが……」


 ゴールドウェイクは資料を机の端へ寄せて、手を壁へ向ける。

 壁が淡い光に包まれていく。いかなる魔術なのか、ステラには想像もできなかったが、壁に防音の細工を施したということだけはわかった。


「壁に耳がある訳でもあるまい」

「校長先生……」

「君の受験を許可しよう。さあどうぞ」

「よろしくお願いします」

「ちーちーちー!」


 ステラの実技試験が始まった。


 ━━しばらく後


 ステラは『極めて優秀』と言う評定が下された試験用紙を右手に、白い球を左手にむぎゅっと握りしめ、ベッドでぴょんぴょんと跳ねていた。

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