Side:Shimaenaga San 厄災の禽獣、少女を拾う

 指男がミズカドレカで剣闘士を解放し、順調に名声を獲得している頃から、時間を遡ること12日ほど。

 エンダーオ炎竜皇国の辺境にて、いにしえの大魔術師が次元ごと斬り捨てられ、滅びの火の運命が動き出し、最強の武力集団が黄金の光に処され、その一報が本国にて魔導教団の指導者を驚かせている頃のこと。

 彼女もまた活動を始めていた。


「ち、ちー……(訳:頭がクラクラするちー……)」


 厄災の禽獣はグテーっと地面に伸びていた。

 靄がかかったような思考力で、直近の記憶の連続性をたどり「ちー!」と、自分が危機的な状況にあったことを思い出した。

 

 魔導のアルコンダンジョンに足を踏み入れたら、突然襲われたのだ。

 空間を歪ませ襲い掛かる黒い収束に。

 厄災の禽獣はそれが恐ろしい攻撃であり、南極遠征隊を待ち伏せした攻撃だとすぐに気がついた。


「ちー(訳:敵は待っていたちー、魔導のアルコンダンジョンの先で、すでに待ち構えていたちー)」


 そっと視線を上げる。

 クリッとした素朴な黒瞳が、油断なく周囲を見渡す。

 視界いっぱいに広がるのは鬱蒼と生い茂った森である。

 厄災の禽獣は「ちー(訳:場所が変わっているちー)」と訝しむ。

 右を見ても、左を見ても森だ。緑が深く、草葉の影に何かが潜んでいそうな不気味さがある。


 空を見上げる。

 青くない。雲もない。

 遥か天は露出した岩石質によって覆われている。

 けれど暗くはない。真昼のように明るい。


「ちーちーちー(訳:天井があるちー。まるでジオフロントみたいちー)」


 厄災の禽獣は似たような光景を見たことがあった。

 だから、自分がもしかしたら広大な地下世界にいるのかもしれないと発想できた。そこで気が付く。自分が先ほどまでいた切り開かれた森にいないことを。あの森には蒼空があり、自分が今いる森とはおよそ違い場所であったのだと。


(ここは違うちー。さっきまでいた森ではないちー。そもそも、こんなに生い茂っていなかったちー、もっと広々していたちー。どうしてちーはこんなところにいるちー? 英雄はどこにいるちー? 他のみんなはどこちー?)


 厄災の禽獣は途端に心細さを感じ、パタパタと飛び始めた。

 必死に「ちーちーちー!」と鳴いては、パタパタパタパタ。

 けれども誰も見つからない。

 飛行する高度を上げてみて、ちーちーちーと鳴いてみる。

 やはり誰も見つからない。


(やっぱりあの待ち伏せ攻撃のせいちー。間違いないちー。あの時の感覚、空間の歪みに飲まれるような抗えない力を感じたちー。きっとどこか違い座標に転移させられてしまったに違いないちー)


 厄災の禽獣は明晰であった。

 自分の身に起こった摩訶不思議な現象の正体をいち早く理解し、一刻も早く散り散りになった南極遠征隊を見つけなければならないと目的を定めた。


(敵は強大ちー。ちーのような強くてミステリアスなヒロインが守ってやらないと、みんなやっつけられてしまうちー。それは可哀想ちー! 待ってるちー! すぐに見つけてあげるちー!)


 厄災の禽獣は頑張った。飛びまわった。

 しかし、南極遠征隊の者たちは発見できなかった。

 ただ、一方で近郊の地理に関して3つほど発見はあった。


 一つ目は天井が確かに存在していることだ。

 地上の森から見た通り、岩肌であった。

 厄災の禽獣の見通しは正しく、彼女は奇妙な地下世界にいるらしいと判明した。


 二つ目は昼間のような明るさの理由だ。

 地下世界には光る球体が浮いていた。複数個だ。

 その球体はとてつもなく大きくて、眩しくて、近づくだけで焼き鳥にされてしまいそうだと厄災の禽獣に思わせた。実際近づいたらちょっと焦げた。

 この強力な光源のおかげで地下世界は昼間のように明るいのだろうと、厄災の禽獣は推測した。


 三つ目は遠くに見える人工の建築物である。

 背の高い木にとまって、光の球体に近づきすぎて焦げた白羽をフーフーして休ませていたところ、霧がかかって霞んで見える遠方に城を捉えたのだ。

 厄災の禽獣はつぶらな黒目を凝らし、それが見間違いなどではないと確認した。

 

(ダンジョンに異文明の人工物はつきものちー。フィールド型ダンジョン……城まであるとは驚きちー。城ならきっとダンジョンボスがいるちー。城にボスは定番ちー。サクッと倒して行きがけの経験値にしてやるちー)


 厄災の禽獣は臨時経験値に鳥胸をふっくらさせながら城の方角へ飛び始めた。厄災の禽獣は高い高度で飛んだ。天より伸びている巨大な鍾乳石の森林のすぐ下あたりだ。


 厄災の禽獣が目覚めた近辺は森地形が大部分を占めていたが、城方面へ近づくにつれて、平地の割合が増えていった。


 なだらかな丘陵地帯が見えてくる。そこををさらに越えると、湖が出現した。城はすぐそこにあり、湖の真ん中に聳えていた。天より降りてくる巨大な鍾乳石と人工物である城塞が融合したような半自然的な景観をしている。

 

 城へ繋がる橋は、陸地から数本あり、それらは分厚い門扉に守られている。

 城の周辺、湖には霧が出ており、地形的特徴と相まって、厄災の禽獣は城に来るものを拒んでいるような威圧感を覚えた。

 

 湖の城へ伸びる橋を辿って陸地の方へ視線を向けると、沿岸部にたくさんの人工的な建築を確認することができた。沿岸部を中心に扇状に街のようなものが広がっている。


 厄災の禽獣は首を傾げ「ちーちー(訳:おかしいちー、ダンジョン内に街なんてあるわけがないちー)」


 そうは思ったが、目に映る景色について無視するわけにはいかなかった。

 ダンジョンの中に街があるなど常識で考えてあり得ない。

 そう思い、目的地を沿岸部へ切り替え飛んだ。


 その先で、厄災の禽獣は驚愕の光景を見ることになった。

 人間である。人間がいたのだ。人間たちがダンジョン内で営みを持っていたのだ。

 

 通りには人の往来があり、市場では貨幣らしきもので生き生きとした取引が行われ、子供が走り、少女が踊り、老人がゆっくりと散歩する。

 時代錯誤甚だしい一連の風景に厄災の禽獣は唖然としてしまった。

 

(こ、こんなことありえるちー? こいつら何者ちー? モンスター……にはとても見えないちー)


 ある赤茶けた屋根の上にとまって頭を悩ませた。

 側から見れば可愛い小鳥が気まぐれに餌をもらいきた光景にしか見えない。

 視界に入ってくる情報に厄災の禽獣が圧倒されていると、ふと眼下で粗野な男の声が聞こえた。「ぶっ殺してやる!」と恐ろしい発言が響いてくる。


「ちー?」

 

 視線を下方へ下ろすと、そこは狭くて暗い路地裏であった。

 鳥である彼女にとっては通る必要もなく、普段なら視線を向けることすらない場所だ。

 鳥であるからこそ、ひょいっと屋根上から覗き込むことで、そこで起きていることを知ることができる。


 路地裏には人影があった。

 少年数名と少女だ。指男とは違った異国風の顔立ちをしている。

 皆、黒いローブを身に纏っており、お揃いの格好をしている。


 ただ一人だけ、少女はボロボロの制服を着ていた。

 灰色の髪に恐ろしい目つきをした薄い少女だった。

 少年たちはいやらしい笑みを浮かべ、、嬉々として少女のくたびれたローブを脱がそうとしている。


「貧民風情が、親と同じく体を売ってればいいものを、身の程を弁えないからこうなる」


 少年のひとり、紫髪の猫っ毛な男子は袖から木の枝のような物を取り出し、その鋭利な先端を少女へ向けた。


 その時だ。

 一筋の突風が路地裏の不穏な空気を切り裂いた。

 嵐のような風に巻かれ、少年たちは踏ん張ることすらできず、衝撃波によって路地裏の汚水の上を転がった。


「なにこれ!」

「いでっ、な、なんだ!?」

「最悪だ、汚ねえッ」


 狼狽する少年たち。

 猫っ毛の少年は慌てて、付近を見渡す。

 その頃には風は遥か向こうへと吹き抜けていた。

 

「ヴァーモンド、今のなんだよ」

「俺が知るか。それよりあいつは、ボロ女はどこいった?」

 

 少年たちは不可解な現象に恐怖を顔に表した。

 皆が顔を見合わせる中、紫髪の少年━━ヴァーモンドは眉根を顰め、膝を折り、湿った路地の石畳の上に残された白い羽を摘みあげた。


 その頃、ヴァーモンド少年たちを見下ろせる屋根の上で、厄災の禽獣は黒い瞳をくりくりさせて、ひとりの少女と向かい合っていた。

 くたびれたローブを着た灰色の髪の痩せた子供だ。

 今しがた眼下の路地裏で拾ってきた哀れな境遇の少女である。


「ちーちー(訳:もう大丈夫ちー。ひどい事されずに済むちー)」

「と、鳥……?」


 少女は唖然として、目の前の白くて小さな鳥を凝視した。

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