ひま狭間 1

 暖かい陽だまりで寝ているかのような心地良さを感じる。


「あなたは死にました」


頭の中で女性の声が聞こえる。


四十代位だろうか、お淑やかで、優しい声。


橘は、まるで美しい月を観ているかのように恍惚感に満たされていた。


痛みも苦痛も不安も無い。


ただ、橘の心音が耳の奥で聞こえる。


その心音は走っている時のように早い。


見渡す限り、黒で塗ったような深い暗闇。


暗闇の中では、どのような格好でどのような表情でどこを見ているのかわからない。


鏡も無ければ、水溜りも無い。


人や動物が居れば、表情や感情に対して反応してくれるが、誰も居ない。


誰かが居ないと自分自身がここに居るという認識すら出来なかった。


これが死んだと言う事か。


死ぬ時は皆、孤独だと、誰か著名人が言っていたのを覚えている。


「あなたは死にました」


再び、女性の声が聞こえる。


橘の心音も穏やかになり、暗闇は静寂に支配された。


しーんと耳の中で静かな音が聴こえる。


そのしーんとした音は、心をほっとさせて、まどろみに誘う。


人々は言っていた。


死は苦痛で怖いものだと。


こんなに心地良いなんて、誰も教えてくれなかった。


でも、思えばそう。


死んだら何も語れない。


つまりはそう言う事。


誰も死を経験していなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る