第十五話

「ヴァルと話がしたい」


 真剣な面持ちでそう切り出すアレクを、俺は部屋へと迎え入れてやった。

 アレクは、中を見て驚く。


「あれ、これって……」

「ん、あぁ」


 そう、調度品の種類や配置が家と同じなのだ。寝台に小さなサイドチェスト、木製の一人用の机と椅子。それから少しだけ服がかけられて、少しだけ服のしまえる衣装棚。

 一人で生活する最低限程の調度品。


「昔からこれくらいの生活なんだ」


 そう説明しながらアレクに椅子を勧め、俺は寝台に腰を下ろした。

 ところがアレクは椅子には座らず、俺の横に来て寝台へと座った。


「どうした、何かあったのか」


 努めて穏やかな口調で尋ねた。


「エドワルドと長いって聞いた」


 アレクが最初に口にしたのは、エドワルドのことだった。


「あぁ、そうだな」


 十年前に知り合って辺境に移るまで、だいたい四年か、それくらいの付き合いだ。

 勇者教育やその類に関わらない、完全に俺個人の――、と考えるとエドワルドとラドウェルは一番長い間柄なんだろうな。

 ラオーシュたちは別として、王都にも、例えば騎士団の連中や他の友人知人といった長い付き合いもいはするが、それは勇者という立場だから知り合えたと理解している。どうあろうが、俺は平民だしな。


「十年前に知り合って、パーティを組んでいたのは……、四年くらいだな」

「ここのギルドの職員とも仲がいい」

「もうそろそろ二十年がくるんじゃないかな」

「街へ入ったところで会ったスタンレイとは?」

「十年かな」


 アレクの意図が掴めず、俺は心の中で首を傾げる。皆との関係性が知りたいのか?


「ヴァルは……」

「ん?」

「これからずっと、エドワルドとパーティを組むのか?」


 随分と憂いのこもった声で驚いた。どうしたんだと思わず尋ね返す。


「俺は、エルやこれからパーティメンバーができるから、必要ない?」


 俯いたアレクは表情は覗い知れないが、声から察するに随分と暗い心持ちだろう。

 まさか俺がお前を蔑ろにでもすると思っているのか? 例えば叔父夫婦のように? いやまさか。


「どうした、アレク」

「今日のヴァルはとても楽しそうだった。たくさん笑ってたし、珍しく酒も飲んでた。俺と二人でいる時とは全然違う」


 俺の問いかけを遮るようにそう語るアレクは、とても不安を感じさせる表情と声色で俺に訴えかける。


 確か酒盛り中に飲み物を取りに来てたな。俺たちの様子をちらりと見た後、程々にしろよと言って戻っていった。

 つまり、俺が『我が燈火イルミナ』への復帰を喜んで受け入れている、皆と仲良くしているから、そっちを優先すると思っているのか。

 いや確かに喜んでるし良かったと思っている。それに助かりはしてるんだが、その気持ちからアレクを蔑ろにするというようなことはないんだけれどもな。


「皆、俺よりも、……付き合いが、長い」


 ぼそっと吐き捨てたアレクは、小さく俯いた。


 それは、それはそうだが。

 俺がアレクよりも皆を重視していると、そう受け取ってしまったのか。


 少し首を傾げるようにして、アレクを覗き込む。

 当のアレクは少し視線を彷徨わせた後、紫青の瞳でじっと見つめてきた。


 そうだ。


 アレクにとって知らない土地、知らない人、グリュンフェルトはそういうところだ。

 王都へ出た時はラオーシュがいた。エルもメディアナも来てくれた。

 ここには、俺とエルしか知っている人間がいない。


 不安だろう、当たり前だ。

 俺は皆が懐かしくて、アレクを疎かにしてしまったんだな。

 申し訳なさが募った。


 そっと片手を伸ばして、アレクの手を握る。


「俺には、お前が必要だよ。大事な家族だ」


 そう伝えながら空いている手で頭を撫でてやると、眉間にしわを寄せながらアレクはちょっと不服そうな顔をした。

 それから、何かを言おうとするも言葉が出ないのか口を数回ぱくぱくとした後、心を決めたかのように俺の手を握り返し、言葉を紡いだ。


「俺は、お前とパーティが組みたい」


 真っすぐな瞳でそう言った。



 俺と、パーティが組みたい。



 アレクの言葉の意味を心の中で反芻する。



 俺は想定していない要望に瞠目した。


 そうだったのか。


 俺はアレクが冒険者になりたいということしか知らなかった。いや、理解してなかった。エルとも仲良く相談していたし、二人がパーティを組むということしか考えていなかった。

 そうか……、俺と組むということもなくはないのか……。


 これは俺の思慮の足りなさが露呈したということだろう。


「すまない、そこまで考えていなかった」


 申し訳なく思い、眉尻が下がる。

 そんな俺を見て、アレクは眉根を寄せ口を横へと引き結んだ。

 それはどういう表情なんだ。


 俺がそう疑問を抱いた途端。


「あぁ、分かってたよ、それくらい! くそっ」


 そう小さくだが叫んで、ベッドへと倒れ込んだ。毛布に顔を埋めたまま、ううぅと小さく唸っている。


「アレク……?」


 俺がどうしていいか分からずまごまごしていると、ゆっくりと顔を上げたアレクはごろり俺の方へと体を向けた。

 顔をしかめて、目を細め、小さくぼそりとつぶやく。


「お前は、何かと見通しが甘い。そういうとこ、……嫌いだ」




 嫌いだ。




 アレクの言葉が俺に刺さった。



「そ、そうか……」


 俺は急なことに理解が追いつかず、気の利いたことも言えず、だたぽつりとそう呟いた。


 アレクがうちに来てからかれこれ六年。

 初めて面と向かって、嫌い……、嫌いだって……?


 俺だって、これまでにそう言われたことがないわけではない。


 だが……。


 だがそうか……、よりによってアレクに。

 近年、随分と当たりが強いとは思っていた。

 でも面と向かってそう言わないのは、アレクの優しさだと思っていたのだ。


 とうとう言わせてしまうとは……。



「アレクは、俺に愛想が尽きたのか、な」


 そう言って力なく、ははは……と小さな笑いが溢れた。



「――何でそうなるんだよ!」



 言葉とともにアレクは俺へと伸し掛かった。

 二人でもつれてベッドへと倒れ込む。俺よりも細いアレクの体が、俺の上で少し跳ねた。

 それから、もそもそと体を起こしたアレクは俺の腹の上に跨ると、俺の両頬をむにぃと摘んで端へと引っ張った。


「俺が言いたいのは、そういう事じゃなくて! ……お前はすぐ悪く取るところがある。俺が言ったのは、そこが、だから……、お前が嫌いって、わけじゃ……、ない」


 俯きながら、ぎゅうぅっと頬を抓られる。しっかりと痛かった。


「お前は……、強い勇者だから、何か起きた時に対応することばかり考えている。だから、見通しが甘いんだよ」

「ガキの頃に、師匠に言われた」

「そうだろ、そうだと思った」


 ――俺も常々思っている。


 アレクはぼそりと溢した。

 そうして、ぽてっと俺の胸に倒れ込む。


「俺、お前と冒険できるの、楽しみにしてたのに……。パーティ組まないなんて考えてなかった」

「パーティ申請の時、何も言ってなかったじゃないか」

「あれは何か事情があって、冒険者カードを出せるようになったら申請するんだと思ってたんだよ……」


 不貞腐れるようにぼやくアレク。

 そう言えば事前説明で、ギルドに確認してからじゃないと冒険者証は出せないんだと話していた記憶がある。


「そんなに楽しみにしてくれていたのか」

「そりゃそうだろ……。今までだって――」


 アレクは、一度唇を噛んで言葉を続けた。



「……ずっと一緒だったじゃないか」



 そう言って、ぎゅうっと抱きついてくる。

 むすっとした顔を俺の胸にくっつけて、ぶつぶつと俺に文句を言ってくる。



「アレク……」



 あぁ、どうしたらいいのだろう。


 アレクからこんなに話してくれる、触れてくれるなんて久しぶりで、嬉しいという感情以外湧かなかった。

 文句を言いながらも、俺と共にいようとしてくれている。

 どのことも、俺にとっては嬉しいことだった。


 この気持ちを伝えたら、また怒るだろうか。


 嫌がられてしまうだろうか。



 ただそうなったとしても、俺は嬉しいんだろうなと思う。




 アレクの様子を見つめて、つい笑みが浮かんでしまう。


 そんな俺を認めたアレクが、体を起こし詰め寄るように顔を近づけて嗜める。


「何笑ってるんだ。お前の良くないところの話をしているんだぞ」


 そう言って、小さく口を尖らせた。



 その様子があまりにも可愛らしかったものだから、俺は額へ、鼻を数回擦り付け唇を落としてやった。


「ヴァル……! 昔から思っていたけど、そういうのは……!」

「ん?」


 慌てる様を不思議に思っていると、なんかヴァルって人との距離が近いんだよとアレクは小さく溢した。


 あぁ、なるほど、そうなのか。

 言われてみれば、そうかもしれない。


 これはなんというか、俺の魔法の師であるユーディット師の影響だ。

 年齢不詳の魔法使いであるあの人は、すぐに抱き締めようとするし、頬にも額にも瞼にも鼻にも頭にも唇を落としてくる。口以外はあらかただ。親愛の表現がちょっと強めなんだよな。

 俺も子供の頃から、それに慣れているものでつい無意識にそうしてしまうのだ。

 昔は他の人にもしていたが、ちょっと色々あって凝りてしまったので控えているつもりではある。しかし親しい間柄だとつい出てしまっているのだろうな。


 理由を説明すると、あの人か……とアレクは何とも言えない表情をした。

 アレクの魔法の師はラオーシュではあるが、ユーディット師にも紹介はしており、その際に散々と洗礼を受けた身としては思うところがあるのだろう。


 ユーディット師は、俺を実の子のように思ってくれていて、アレクの事は孫のように思ってくれている。大事にしてくれていることが横で見ていても分かるのだ。

 ありがたい話ではあるが、あの美貌の人はどうも人の尺度では測れない部分があり、慣れない内は解釈に困るところだろうな。

 まあ、アレクも嫌ってはいないようなので、俺としても親しくしてくれる分は良いと思っている。


「原因は理解できるが、人前でするのはなしだ」


 アレクは苦い顔で首を振った。


 あぁ、今日、ファルティを抱き締めたことについて言っているのか。

 そんなの昔から、いつものことなのでそれほど珍しくもない。

 確か俺が十四の頃で、ファルティは見た目がもう少し若かったかな。それくらいの頃からの戯れ合いなので、俺たちからすると親愛の情の表れであり、あいさつの一環なのだ。

 実際の年齢は彼女の方が上で、端的に言うと姉と弟の愛情表現のようなものだ。


 そんな風に語ると、ほとほと呆れたという顔をされた。


「しばらくここにいなかったんだから、それが分かる人は少ないだろ」

「確かにな」

「ヴァルは、そういうところが抜けてるんだよ……」

「アレクがいれば安心だ」


 そう言って笑うと、はぁとこれ見よがしに溜息をつかれてしまった。

 それから視線を逸し少しの間の後、ぽそっと付け加える。


「じゃあ……、他の奴にはするな、俺にだけしろ……」

「そうか、ありがとうな、アレク」


 嬉しく思った俺は、そっとアレクを抱き締める。気恥ずかしさか少し強張った背中を撫でてやった。


「なぁ、ヴァル」


 アレクが腕の中から俺を呼ぶ。


「ん、なんだ、アレク」

「俺のランクが上がったら、もう一度考えてくれ」

「もう一度?」


 俺の疑問の声に、アレクはこくりとうなずく。


「そうだ。俺とパーティ組むかどうか」

「その話か」

「あぁ。今はランクが違い過ぎて、そもそもパーティは組めないだろ。ダミーのランクじゃ意味がない」


 紫がかった青の瞳は、強い意志を宿らせて俺を見つめる。


「できるだけ早くS級になってやる。そうしたら、俺とパーティを組めるかどうか考えて欲しい」


 心からの宣言なのだろう。

 一つも揺れない真っ直ぐな瞳は、キラキラとしてとても美しかった。

 俺はこの眼差しに答えなくてはならない。


「あぁ、わかった、約束しよう。その時、またきちんと話し合おう」

「あぁ、約束だぞ」


 そう言い少しの逡巡をしたアレクは、ちゅっと俺の顎に口付けた。

 そうして、そっぽを向いてしまう。


 驚いた俺が見つめていると、じわじわと頬が赤く染まっていった。


 嬉しさのあまり抱き締める俺を突き放し、アレクはもそもそとシーツを被った。

 それから、謝り宥めすかし出てきたアレクを捕まえて、シュヴァルツの様子を見に行き、寝こけるエルのシーツを直し、俺の部屋に戻って明日の予定を確認して、眠くなり始めたアレクをベッドに寝かせ俺もその横へと入り込んだ。


 久々に寄り添って寝る夜は大層暖かいもので、うとうとしながらも綻ぶアレクにお休みのキスをして、肩までシーツと毛布を被せてやった。


「おやすみ、アレク。よい夢を」

「おやすみ、ヴァルもよい夢を」


 そう言い合って、俺たちは瞳を閉じた。

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