第2話 急逝

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 平松――平松高志、わたしの恋人が死に瀕していた。

 けたたましいサイレンが悪趣味なクリスマスキャロルのように近づき、救急車はかれをストレッチャーに乗せる。酒はなにをどれくらい飲んだかとか、何分ほど意識がなかったのか、蘇生術を行なったかなどを訊いて(そのほとんどを吉川が答えてくれた)、「だれかこの方のご家族か、親しい方は」と付き添いを乞うた。わたしはうなずき、病院まで走った。「ショウちゃん、あと頼むわ。あたし、しんどい」と、吐瀉物にまみれたまま吉川はタクシーに無理やり乗り、帰っていった。


 救急車内でかれはストレッチャーに乗せられ、体が見えるよう着衣を鋏で裁断された(北欧風の腕時計もベルトを切断された)。AEDのパットが貼られ、たびたびかれの体ががくがくと暴れる。かれの横で救命士は胸骨圧迫を施し、AEDが心電図を読み取るという旨のアナウンスのたびに、わたしに「下がってくださいね――下がって! 早く!」といい、肩で呼吸をつく。わたしはかれをじっと見る。機材という機材がビープ音を叫んだ。かれはいたって平静な面持ちで「なに騒いでんのさ」と今にもいい出しそうだったというのに。


 それにしても足が冷える。居酒屋のサンダルで出てきてしまった。ブーツもなければ、コートもない。ねえ、コートなくて寒くない? ふたりとも居酒屋に忘れてきちゃったね。真冬だもんね、寒いよね、車の中。

 見れば毛布のようなものは、車の端に積んであった。しかしそれを寒いからと自分へ頼むのも気が引けた。わたしはかれの顔をじっと見ていたが、寒さは変わらず自分の足の先が冷え切っているのを感じた(この時かれの体温がどれほどだったかまでは判断できなかった)。


 救急病院へはすぐに着いた。

 救命医、救急当直の内科研修医、そして看護師がかれに様々な器機を取り付けて、救命士からクリップボードの用紙を受け取る。ストレッチャーをがらがらと押して薄緑のカーテンの奥に消える。

 わたしは飲みすぎていたうえに、市街地を猛スピードで走る緊急車両に乗っていたのだ。気持ちが悪い。今にも戻しそうだったし、看護師から問診票を書けとか、保険証を見せろなどと強いられるし、眠くて仕方がなかったし、そもそもわたしはゲロまみれなのだ。かれの死は長椅子でまどろんでいるときに告げられた。遺体の身柄引受人(というのが正式な名称なのか、詳しくは覚えていない)としての書類のことや、かれのお母さんに電話したら電話口で半狂乱になるなど、面倒なことばかりだった。こんな忙しい時にかれはなにをしているのだ。かれが困ったような面目なさそうな顔をして起きてこないか、どこかで期待しながらタクシーでメーターも見ないでアパートへ戻った(靴は居酒屋のサンダルのままだった)。


 涙も嘆きも呪詛も出ず、ただただ寒かった。そうしている間にかれが戻ってこないかとぼんやり考えながら、さきほど蘇生術をしていた吉川からのLINEをスマホで見ていた。

「聖子! 高志、どうなったの?」

「既読か。もうこの時間ならそういうことなのか」

「あたしが悪いんだ。もっと早くに気づけばよかった。あたしのせいだ」

「ちょっと聖子、あんたこそ大丈夫なの?」

「いま家? ちょっと行っていい?」

 わたしはスマホを壁に投げつけた。ややあって隣人が壁を正確なリズムで五回叩く。


 その後、忘新年会は仲間内の飲み会を含め、プライベートにいたるまで全学的に禁止し、その他「当学生として」社会的にふさわしくない振る舞いを厳に戒める文書がそこかしこに貼りだされた。いずれにせよわたしは学校に足を運ばない生活となったので、関係のないことであった。

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