第六章 ふたりの魔法 ~失われた手足~
☆
「!?」
不意にバランスが崩れたのは、右の足首が砕けたからだった。
「さんざん苛つかせてくれたな――」
クリッタの肩に乗っていたフィレンツが、右手の指先から細い煙を立ち昇らせていた。
「……意外に器用ですね」
フィレンツがこれだけ巨大な召喚獣を使役しながら、同時にまったく別の魔法を使えるとは、正直いって想定外だった。いずれにしろ、フィレンツの魔法で右の足首を撃ち抜かれたことで、ユーリックはもう走れない。
「だが、それもここまでだ。――ほかにも始末しなければならない連中が増えてしまったようだからね」
「――――」
レティツィアがやってきたことならユーリックも気づいている。しかし、彼女ひとりが増えただけではクリッタを倒すのは難しいだろう。駆けつけてくれたのがせめて法兵科の連中ならと、ユーリックが力なく笑った瞬間、毛むくじゃらの腕が飛んできた。
「!」
左足一本で飛んでかわそうとした時には、ユーリックの視界がぐるんと何回転もしていた。左足を掴まれ、振り回され、無造作に投げ捨てられた――状況を察すると同時に、ユーリックは両腕でかかえ込むようにして頭をかばっていた。
「づっ――」
かろうじて受け身を取ったものの、一瞬遅れてやってきた衝撃に全身が激しくきしむ。地面に叩きつけられたユーリックは、すぐに身体を起こして身構えようとしたが、クリッタに掴まれた膝下から先の
「膝下だけですんで運がよかったな……」
「何だ? 何をいっている?」
ふたたびクリッタの腕が伸びてくる。ユーリックは咄嗟に右手をかかげ、巨獣の目を狙って小さな炎の矢を射ようとしたが、その前にクリッタに捕らえられてしまった。
「くっ……」
右腕を掴まれ、ぶらんと吊るされたユーリックに気づき、誰かが悲鳴をあげるのが聞こえた。おそらくミリアムだろう。ゼクソールの在校生とはいえ、あれはどう考えても戦場には不向きな少女だった。
「――何を笑っている? もう殺されると決まったこの時に」
フィレンツがいぶかしげに尋ねる。
「そう見えましたか? なら、私も精神修養が足りないようですね。戦いの場では感情を顔に出さないことが肝要ですから」
「……気にする必要はない。その澄まし顔もすぐに潰してやる。――クリッタ!」
巨獣がもう一方の手でユーリックを掴もうとしたその時だった。
「――何!?」
何かが巨獣の顎をかち上げ、その巨体をかしがせていた。
と同時にユーリックの右腕が砕けてちぎれ、壊れたおもちゃのように転がった。
☆
それは突然、そこにそそり立った。何もなかったはずの地面から、ひとかかえもありそうな太い石柱が伸び、巨獣の顎を直撃したのである。
レティツィアははっとしてクリオを見やった。
「もう一発――」
クリオが軽く手を打ち鳴らすと、地面から生えてきた石柱がざらざらと瞬時に崩れて土塊に変わる。直後、さらにクリオが下から上に向けて右手をひらめかせると、またあらたな石柱がそそり立った。
「……ちぇっ、よけられちゃったか」
二本目の石柱が巨獣にかわされるのを見たクリオが悔しそうに舌打ちする。貴族の娘にあるまじき仕種だが、それよりもレティツィアは、あの石柱を作り出したのがクリオなのだと知って目を丸くした。
「ば、バラウールさん、今のは――」
「危ないからレッチーはミリアムといっしょに下がってて!」
「しかしドゼーくんが――!」
レティツィアが見るかぎり、ユーリックは両足と右腕に重傷を負っている。すぐにでも学校に連れ帰って治療しなければ――それでも手足を失うことはまぬがれないだろう――出血によって命を落とすことになる。
「大丈夫だから! ユーくんならピンピンしてるから!」
「そっ……何を根拠にそんなことを――」
右足を魔法の矢で撃ち抜かれ、左足と右腕は握り潰され、それでいったい何が大丈夫だというのか――。しかしクリオはどこか楽しげに笑いながら、両手を立てて前に押し出した。
すると、今度は巨獣の眼前に厚みのある二枚の石の壁がそそり立ち、それが前方に移動して巨獣を力任せに押しやった。
「あ――あれは何なの? バラウールさんの魔法だよね?」
「ゴーレムだよ」
「あ、あれが!?」
レティツィアの知る召喚獣としてのゴーレムは、あの巨獣のような巨体で、鈍重さの代償として得たすさまじいパワーで敵の前線を打ち崩す“兵器”である。決してあのような、いきなり地面から生えてくる石柱や壁ではない。
「あー、もちろんそういうオーソドックスなのも使えるけど、ああいう動きがもっさりしたのってイヤなんだ、わたし。ってゆ~か、それじゃあのでっかい怪物のスピードについていけそうにないじゃん、明らかに?」
「バラウールさん!?」
レティツィアにひとくさり講釈をぶったクリオは、厚い壁を使って強引に巨獣を押しのけると、その隙にユーリックのほうへ走っていった。レティツィアもミリアムを連れてそれを追いかける。混沌とした戦場に彼女をひとりで放置しておくほうが危険だと考えたのである。
「ユーくん! いつまで寝っ転がってるの!? もう立てるでしょ!」
「無茶だよ、バラウールさん!」
今のユーリックが立てるはずがなかった。現にユーリックはさっきから地面に転がったまま、ぴくりとも動かない。意識があるかどうかすら疑わしかった。
――そう思った次の瞬間、ユーリックがむくりと立ち上がった。
「え!?」
「――どうにか間に合いましたね」
「予想外の援軍が来てくれたからね」
「おかげで死なずにすみました」
そういって苦笑したユーリックは、全身ぼろぼろで口もとに血をにじませていたが、失われたはずの少年の両足は健在で、まるで卸し立てのような黒光りするグリーブに包まれていた。
「え――? ど、どうして……」
「時間もないし、もうバレても仕方ないから右手はずして。すぐに作り直すから」
「はい」
息を呑むレティツィアの前で、ユーリックは肘からだらんとぶら下がっている右腕を左手で掴み、無造作に引きむしった。
「きゃっ!」
レティツィアの背後でミリアムが悲鳴をあげた。
「ミリアムさま、最初から私の腕は肘までしかないのですよ。潰れたのはガントレットだけです」
「――え?」
ユーリックが手にしていた彼の右手――をおおっていたガントレットが乾いた土に変わり、さらさらと崩れて風に流れていく。それはついさっき目にした、地面から生えた石柱が土塊に戻るさまによく似ていた。
「! もしかして、その足も――きみの手足はバラウールさんが作り出した“ゴーレム”だってこと?」
「はい。私は生まれてすぐに腐れの病で両手両足を失いました。そんな私に作り物の手足をあたえてくださったのが旦那さまです」
「今はわたしが作ってあげてるんだけどね!」
どこか誇らしげに鼻を鳴らしたクリオは、レティツィアたちの目の前で複雑に両手を動かし始めた。細く綺麗な指先をいろどる爪にあざやかな色彩の五芒星が輝き、その動きが少女の足元の地面に魔法陣を描き出す。
「なら、これが駆龍侯の――?」
「違う違う、とうさんの魔法はもっとすごいから」
レティツィアの感嘆の呟きを否定しつつ、クリオは魔法陣の中から失われたはずの少年の“右手”を出現させた。
「――たとえ生身の腕でなくとも、やはりあるべきものがないというのは居心地が悪い気がいたします」
できたばかりの右手を自身の右肘の先に取りつけ、ユーリックはてのひらをゆっくりと握り締めた。
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