第四章 優等生の真意 ~謎の獣~

 そもそもの話、ユーリックがフィレンツ・バンクロフトについて調べようと思い立ったのは、クリオがあのふたりの恋路に首を突っ込もうとしているからだった。すでにクリオには余計なことをするなと釘を刺したが、あの少女の性格的に、それを素直に聞き入れるとは思えない。だからユーリックは先回りしてバンクロフト家を調べ、フィレンツはミリアムの相手にふさわしくないことを証明しようと考えた。要はフィレンツの粗捜しである。

 フィレンツが人間的に大きな欠陥を持っていたり、バンクロフト家に何か問題があれば、クリオもあのふたりの恋路を応援するのを躊躇するかもしれない。とにかくクリオがふたりから距離を取るようになればそれでいいのである。

 クリオにあらぬ疑いをかけられながらも、ユーリックがこっそり寮を抜け出して夜の街で聞き込みをしていたのもそのためだったが、その過程でユーリックは奇妙なことに気づいた。

 フィレンツとミリアムの出会いは、彼がドートリッシュ家にワインを届けにいったことがきっかけだったといっていた。しかし、バンクロフト商会からワインを買いつけていた酒場や料理屋で聞き込みをしても、入学前まで家業を手伝っていたはずのフィレンツのことを、誰ひとりとして知らないという。フィレンツの粗捜しをしようにも、それ以前にフィレンツという若者の情報が集まってこないのである。

 そこにユーリックはきな臭いものを感じた。そこで今夜は、こうしてバンクロフト邸にお邪魔までしているのだった。

「……本当にワイン蔵か?」

 離れの蔵の扉には人を撲殺できそうなサイズの錠前が取りつけられていた。軒近くの高い位置に採光用の小さな窓はあるが、とても人が出入りできるサイズではない。

 ユーリックは周囲の様子を窺うと、おもむろに錠前に手をかけた。金属の塊を両手で掴み、束の間息を止めて、一気にごりっとひねる。それだけで、錠前は根元の金具ごと扉からはずれた。

「――――」

 ユーリックは扉を細く開けて蔵の中に入り込むと、左手の指先に意識を集中した。籠手の指先に刻み込まれた小さな魔法陣に魔力が流れ込むさまをイメージすると、それとほぼ同時に、てのひらの上にぽつりと赤い炎が浮かび上がる。

「……変わったワイン蔵だな」

 てのひらの上で小さな火球を転がしながら、ユーリックは蔵の中を見回した。

 蔵の中には、ワイン樽の代わりにおびただしい数の木箱が保管されていた。棺より少し小さめなサイズで、金具でしっかりと補強されており、いずれも簡単な錠前で封じられている。

 手近なところにあった木箱の錠前を片手でねじ切り、ふたを開けたユーリックは、その中を覗き込んでまた顔をしかめた。

「……何だ、これは?」

 開ける前からうすうす判ってはいたが、箱の中には一滴のワインもなく、代わりに鈍い輝きを放つ剣が納められていた。それも、一本や二本ではない。

「未使用品だな……さほど上等じゃないが」

 ワインの香りの代わりに、鉄と錆止め油の匂いが色濃く立ち昇る。剣を取ってわずかに鞘から抜き、ユーリックはほかの箱も開けてみた。

「こっちは弓と矢……これは軽装の鎧か。バンクロフト商会はワインの販売だけじゃなく、傭兵の斡旋か武具の卸業でもやってるのか?」

 少なく見積もっても、ここには二、三〇人ぶんほどの武器と防具がある。もちろん、この国に武器を所持してはいけないという法律はないし、ならばここにこうして大量の武器が保管されていたとしても違法ではない。しかし、一介のワイン問屋が何のためにこれほどの武器を用意しているのかは気になる。

「実はワイン問屋のふりをして武器を密売――いや、それもないか」

 一八年前の“七王戦争”でからくも窮地を脱したフルミノール王国では、それ以降、他国への備えとして軍備増強を進めている。バラウール家の所領が取り上げられたのも、その国策に必要な予算を確保するためだった。

 そんな背景があるから、この国では武器の取引もさかんだった。わざわざほかの商売をよそおって密売する必要などないし、そもそもここにある程度の量ではたいした稼ぎにもならない。

 いったいバンクロフト家は何をしているのか――思案顔でうつむいたユーリックは、その時、自分の左手の上に浮いていた火球が、かすかな風を受けて揺れていることに気づいた。

「――――」

 ここへ入ってきた時、扉は閉めたはずだった。が、振り返って確認すると、扉が中途半端に開いている。炎を揺らめかせているのはそこから流れ込んできた夜風だった。

「……時間をかけすぎたか」

 ユーリックがこそこそやっている間に、何者かがここへ入ってきたのだろう。耳を澄ますと、自分以外の何者かの息遣いが聞こえる。

 ただ、それもよく考えてみれば奇妙な話だった。屋敷に不審者が入り込んだことに気づいたのなら官憲を呼ぶのが常道だろう。にもかかわらず、バンクロフト家の人間は官憲を呼ぶこともせず、侵入者に対してひそやかに接近しようとしている。

「官憲を呼ばないのはここに見られてはまずいものがあるから、か……。自分で何か後ろ暗いことがあると白状したようなものだな」

 薄闇の中、足音を殺して少しずつ移動しながらユーリックが呟く。が、その皮肉に応じる声はない。そこでユーリックはさらに気づいた。

 かすかに聞こえる息遣いは、人間のものにしては速すぎる。そして夜風に乗ってただよってくる、このまぎれもない獣臭――。

「!」

 ほとんど反射的に、ユーリックは大きく後方へ飛んだ。

「……何だ?」

 木箱の山に寄りかかって身体をささえたユーリックのマントに、大きな切り込みが入っている。鋭利な刃物で切られたというより、何かに引き裂かれたようだった。

「あまり派手に使うとお嬢さまに気づかれかねないが――出し惜しみをしている場合でもなさそうだな」

 ユーリックは五本の指先にそれぞれ小さな炎をあらたにともすと、左手を一閃させ、あたりにその炎をまき散らした。壁や床にぺとりと張りついた揺らめくオレンジ色の光が、蔵の中から闇を遠ざける。

「――――」

 ユーリックの目の前、ほんの数メートルのところに黒い四足の獣がいた。だが、それが何という獣なのか、ユーリックにも判らない。明らかに後ろ脚よりも前脚が長く、全体的なシルエットは南方の密林に棲む大型の猿を連想させたが、鼻面は犬か狼のように長く、にゅっと牙が伸びている。

 とにかくそれは、犬とも猿ともつかない、黒い体毛におおわれた獣だった。

「ペットなのか番犬なのか知らないが……珍獣には違いないな」

 そう軽口を叩きはしたが、すでにユーリックは、そこにいるのが尋常の相手ではないということを理解していた。直前までユーリックにその接近を悟らせなかっただけでも、驚嘆すべき存在というほかはない。

 唸りもせず、吠えもせず、その獣は木箱の山の上からじっとユーリックを見下ろしている。エメラルド色に輝くその瞳が、ユーリックがわずかに身じろぎするたびに、それを追うように小さく動いていた。

 ユーリックがゆっくりとした動きで二、三歩横に移動すると、獣は音もなく床に降り立ち、ユーリックとの距離を詰めてきた。

「錠前を壊して中をちょっと覗いただけで、盗みをはたらくつもりはないんだが……まあ、おとなしく帰してはくれないだろうな」

 ユーリックは軽く拳を握って身構えた。武器なら周りにいくらでもあったが、それを手に取る暇をこの獣がくれるとはかぎらない。あの前脚に並ぶ爪なら、マントだけでなくユーリックの皮膚も肉もたやすく引き裂くだろう。頸動脈をざっくりやられれば即死もありえる。

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