第三章 乙女の秘密 ~鎧袖一触~

「――ねえ、どういうこと、ユーくん?」

 ユーリックとルロイを遠巻きにしていたほかの生徒たちには、いったい何が起ころうとしているのかさっぱり判らなかっただろう。その中に交じっていたクリオを見つけると、ユーリックは足早に歩み寄り、そっとささやいた。

「世間知らずのルロイさまが、私に勝負を吹っかけてきやがったのです」

「しょ、勝負って?」

「よく判りませんが、観兵式当日に開催されるトーナメントにどうしても出場なさりたいそうです。……ですが、よりによってあの女たらしの教官どのが、私のほうが実力が上だからルロイぼっちゃまを出場させるわけにはいかないとおっしゃったらしく」

「え~? それでこの場で白黒つけようってこと?」

「だそうです」

 黒光りするガントレットを撫でながら、ユーリックは肩越しにルロイを見やった。

「――本気で相手をしてルロイさまの恨みを買うのもいかがなものかと思いますが、すべてはお嬢さま次第です。お嬢さまが勝てとおおせなら勝ちますし、うまく負けろとおおせならうまく負けてまいります。――どういたしましょう?」

「は!? そんなの勝つ以外になくない!? たとえわざとだとしても、わたしはユーくんがあんなやつに負けるところ見たくないんだけど? ってゆ~か、あんなやつに勝たせたら、それこそ卒業するまでああだこうだいわれるじゃん!」

「確かに私も負けるよりは勝つほうが性に合っておりますが……ただ、勝ち方にもいろいろございますので」

 ルロイのメンツを潰しすぎないよう、ぎりぎりのところで勝つというような芸当も、やってやれないことはない。逆に、もう二度とユーリックに絡みたくなくなるような、圧倒的な差を見せつけて勝つこともできる。

「そもそもさぁ、あんなやつに手心なんか加えてやる必要ある?」

「お尋ねした私が馬鹿でした。……ではひとつ、あのおぼっちゃまに思い知らせてまいりましょう」

「あ、ちょっと待って」

 兜をかぶろうとするユーリックを制し、クリオはユーリックの前髪をかき上げた。

「――そこまで“力”が必要になるとは思わないけど……ほら、一応ね?」

「ありがとうございます」

 少女の指先が額の六芒星に押し当てられ、そこからあたたかいものが流れ込んでくるのが判る。静かに呼吸を整えたユーリックは、あらためて兜をかぶり直した。

「……?」

 ふと見ると、クリオが険しい表情でユーリックを見上げている。なぜ彼女がそんな顔をするのか理解できなかったが、ユーリックはルロイの催促に急かされ、その意味を問いただすことはできなかった。

「どうやらお許しが出たようだな、平民くん!」

 木剣を腰に下げ、槍を右手に持ち、ルロイは準備万端でユーリックを待ち受けていた。その頃には、ふたりが何をしようとしているのかほかの生徒たちにも伝わったらしく、誰もが興味津々といった様子で成り行きを見守っていた。

「お待たせしまして……」

 ユーリックもまた、木剣と槍を用意してルロイの前に馬を進めた。

 トーナメントの作法は非常にシンプルである。まず双方が距離を取ってから馬を走らせ、すれ違いざまに槍で一撃する。ここでどちらかが落馬すればそこで勝負は決するが、双方が落馬を免れた場合は槍を捨て、剣に持ち替えて馬上で打ち合うことになる。とにかく、馬から落ちたほうが敗者という見ていて判りやすい競技だった。

「準備はいいか?」

「はい。ルロイさまのお好きなタイミングでどうぞ」

「……後悔させてやるぞ、平民」

 兜のバイザーを下げ、ルロイは馬の胴を蹴った。

「申し訳ないが、最初から公平な勝負じゃないんだ」

 ぼそっとひとりごちたユーリックは、ルロイから遅れること数秒、おもむろに馬をスタートさせた。

「うっかり死なれても面倒だ、うまく落ちてもらいたいな!」

 ほんの数秒で馬をトップスピードに乗せたルロイは、鐙にかけた足を踏ん張り、槍を繰り出してきた。

「それはおれのセリフなんだが」

 ユーリックは両足で馬の胴をはさんで身体をささえると、手綱から左手を放し、正確に胸もとへと伸びてくるルロイの槍の穂先を平然と掴んだ。その直後、ユーリックの槍がルロイの胸を直撃する。

「ぐっ――」

 両者の槍が同時に砕け、しかし、吹っ飛んだのはルロイだけだった。ユーリックの槍はルロイの胸を突いた衝撃で砕けたが、ルロイの槍は、ユーリックが左手で掴んでへし折ったのである。

「危ないですよ」

 馬に置いていかれるように宙に浮いたルロイを、すばやく追いついたユーリックがこれもまた左腕一本で掴み止めた。

「――――」

 後ろ襟をユーリックに掴まれ、ぶらんと吊り下げられた恰好のルロイは、さっきの衝撃で気が遠くなっているのか、無言のままぼんやりとしている。この状態で後頭部から地面に落ちていたら、それこそ大怪我をしていたかもしれない。

 ユーリックはゆっくりとその場にルロイを下ろすと、馬首を転じてコルッチョのほうへ戻っていった。

「ゆ、ユーリックくん! すごいね! 今のがトーナメントってやつなんだね!?」

「ああ」

「ありがとう! ぼく絶対に出ないよ! 今年だけじゃなく来年以降も!」

「そうだな。おまえが出ると対戦相手のほうが気を遣う」

 ユーリックは馬を下りて兜を脱ぐと、クリオの姿を捜した。

「……?」

 少女が望む通り、誰の目から見ても圧勝だと判るくらいの差をつけて勝ったつもりだが、なぜかクリオは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうにユーリックを睨んでいる。いったい何が不満なのかと問いただそうとした時、ちょうどレオノール教官が出てきたために、ユーリックは何も聞けなかった。

「? どうした、ハッケボルンくん? そんなところに座り込んじまって……」

「あ……あ、いえ、別に――」

 ルロイは膝に手を当て、軽く咳き込みながらゆっくりと立ち上がった。胸を激しく突かれたとはいえ、少しばかり息が詰まっただけで、実際には落馬もしていないわけだから、どこも怪我はしていない。

 ただ、肉体的には無傷でも、おそらくプライドのほうはズタズタだろう。平民だと見下していたユーリックに負けただけでもショックだろうに、それを万座の前で――何より、彼がもっともライバル視しているレティツィアの前で無様な敗北を喫したことは、ルロイにとっては耐えがたいことだったかもしれない。

「ルロイくん、ちょっとっていうか、かなり人を見下すたちがあるからねぇ」

 がっくりと肩を落としたルロイが整列する生徒たちの群れに加わったのを見て、コルッチョは溜息交じりにいった。

「僕のことも何かというとフトッチョ・ルペルマイエルとかヘンなあだ名で呼ぶし、これで少しは懲りてくれるといいんだけど――」

「おまえが太っているのは事実だし、それを直すために親にここに放り込まれたってことを忘れるな。それに、そのあだ名はなかなか響きがいい」

「そういう事実と他人を見下すのとは、ぜんぜん別の問題だよう?」

「……ところどころに正論が入るのが腹立たしいな」

 ともあれ、ルロイに人並みの羞恥心があるのなら、当分ユーリックに絡んでくることはなくなるだろう。間接的にクリオにも絡んでこなくなれば御の字だったが、逆に厄介なのは、このままだと教官推薦で、ユーリックがトーナメントに出場させられかねないということだった。

「クラスの連中の前で派手にやらかした以上、いまさら手を抜いても手遅れだろうし、手を抜くなら最初の授業の時からそうすべきだったか……」

 圧倒的な勝利のあとだというのに、鬱々としてすっきりしない気分のまま、ユーリックは講義を終えた。

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