第三章 乙女の秘密 ~設営作業~
「……あのおふたりの仲をバーロウ辺境伯に認めていただくためには、最低限、フィレンツ・バンクロフト氏がエリートコースのド本流に乗って軍で出世するしかありません」
「う、うん。そうすれば、たとえ今は平民でも、もしかしたら爵位がもらえるかもしれないじゃん? それは判ってるよ?」
「ではお聞きしますが、彼が最短でエリートコースに乗るにはどうすればいいとお考えですか?」
「それは……まあ、とりあえずはこの学校を首席で卒業して――あ」
ユーリックがいわんとすることにようやく気づいたのか、クリオは口もとを押さえて固まった。
「お判りですか? お嬢さまの成功とバンクロフト氏の成功は両立しないのです。もしお嬢さまとバンクロフト氏が首席の座を争うような事態になれば、私は彼を闇討ちしてでも蹴落とすつもりでおりますよ?」
ユーリックにはフィレンツたちに対する思い入れは特にない。もしフィレンツがクリオの首席卒業の障害になるなら、それを排除するのがユーリックの役目だった。
「…………」
クリオは口もとを押さえたまま、じっと下を向いて何ごとか考え込んでいる。何かほかに道はないか――今になってそんなことを考えているのだろう。この少女の性格や思考パターンはよく判っている。
そして、何よりも厄介なのは、この少女がとてもあきらめが悪くて前向きな頑固者だということだった。
「あ……」
「何です?」
「あ、あと五年あるじゃん?」
次に顔を上げた時、クリオはまた根拠のない自信に満ちあふれた笑みを浮かべていた。
「大丈夫、何とかなるって! 五年あればさ、きっとほかにいい考えが思いつくよ!」
もし五年かけても何ひとつ妙案が浮かばなかったら、当事者ではないはずのクリオが一番苦悩することになるかもしれない。それがどうにも腹立たしくて、ユーリックは思わず吐き捨ててしまった。
「……五年でお嬢さまのお考えが変わることを祈るほうがまだましです」
「ちょっ……」
何かいいかけたクリオをそこに残し、ユーリックは教室に入った。
☆
ジュジュ・ドルジェフは、ゼクソールで一、二年生に法兵戦術を教える女性教官のひとりである。もともとゼクソールの卒業生だが、本人曰く、規律の厳しさに耐えかねて早々に軍を辞め、三年前からここで教鞭を執っているという。
校舎裏手の練兵場をともに歩きながら、ジュジュはあっけらかんと笑った。
「――なのでわたし、実戦の経験はないんですよね。子供たちに戦術を教える立場なのにそれってどうなのって気もするんですけど」
「いや、今の軍には実戦を知らん兵も増えましたからね。それだけこの国が平和になったんだと考えれば、かならずしも悪いことじゃありませんよ」
うっすらと顎に生えた髭を撫でつけ、ミルチャ・レオノールは同僚を見下ろした。
「しかし、それにしても――」
「何です?」
「いやいや」
丸眼鏡越しにレオノールを見上げるジュジュは、どちらかといえば童顔な美女で、もう二五だというのにどこかあどけなささえ感じさせた。おそらく背の低さとその子供っぽいしゃべり方のせいだろう。だが、小柄な彼女のボディラインは完全に成熟した女性のそれで、そのアンバランスさがいわくいいがたい魅力にもなっている。
「童顔で小柄な巨乳ちゃん……今までに面識のなかったタイプだな」
意味もなく襟の乱れを直し、レオノールは小さくほくそ笑んだ。
王都近郊に出没する賊討伐の任を帯びたレオノールの軍人としての日々は、乱戦の中で右膝に矢を受けた瞬間、あっけなく終わりを告げた。当たりどころがよくなかったせいか、傷が癒えても膝がまっすぐに伸びなくなったのである。鐙の上に立って踏ん張ることの多い騎兵としては、それは致命的ともいえる後遺症だった。
それがきっかけでレオノールは軍を辞めた。軍を辞めて困ったことといえば、レオノールの軍服姿に惚れ込んだ貴族の未亡人に愛想を尽かされたことと、ほかに何か金を稼ぐ手段を考えなければならなくなったことくらいである。
だからレオノールにとって、ゼクソールで教官をやってみないかというガイエン・モーズからの誘いは渡りに船といえた。危険手当がないぶん、軍人時代より稼ぎは減るものの、見方を変えれば命の危険はまったくない上に、こうして男心をそそられる可愛い同僚もいる。着任半月にして、ミルチャ・レオノールは、ここでの教官役が自分の天職なのではないかと思うようになった。
「……レオノール先生?」
ふと気づくと、ジュジュがレオノールの顔を怪訝そうに見上げている。レオノールは慌ててかぶりを振り、いつもの癖で髭を撫でつけた。
「いやいや、これは失礼。それで、オレに話ってのは何でしょう? 色っぽいお誘いとかなら嬉しいんですがね?」
「何をおっしゃってるんですか? ですから来月の観兵式の準備ですよ」
「観兵式……ああ、あれですか。二〇年前にはなかった気がするんですがねえ」
「観兵式が定期的に開催されるようになったのは、ここ一〇年くらいのことなんです。わたしがここの生徒だった頃に始まったので」
「へえ」
「ご存じですか? 大きな声じゃいえないですけど」
どこか芝居がかった仕種で拳を握り締め、ジュジュは声をひそめた。
「――観兵式をやると、新一年生の保護者たちからけっこう寄付金が集まるんです!」
「なるほど……」
例年、観兵式でもっとも盛り上がるのは、派手な
「大貴族たちの虚栄心を逆手に取った見事な集金システムか……誰が考案したのか知らんが、うまくやったもんですな」
「考え出したのは今の陛下だってウワサもありますけど」
「おっと……」
レオノールは肩をすくめ、芝生の緑がまぶしいなだらかな丘を見回した。
「で、当日はここに観客席を用意するわけですか」
「そういうことになります。というわけでレオノール先生には、その差配をお願いしたいんです」
「生徒たちを使ってよいと?」
「はい。ただし、最終的なチェックは先生が責任を持ってやってください。観覧に来るのは生徒たちの保護者、ということは、いずれもそれなりに名のあるお貴族さまたちですから」
ジュジュははっきりとはいわなかったが、当日もし何かしらの問題が発生すれば、場合によっては大きな問題に発展しかねない。そういうことがないように目を光らせておいてほしいというのが、要するにジュジュの要求のようだった。
「オレがそこまで信用されているというのは嬉しいかぎりですな。責任は重大だが」
「わたしはレオノール先生のことをよく知りませんけど、学長が先生に任せておけば問題ないとおっしゃるので、それでお頼みすることにしたんです」
「モーズ卿のご推薦でしたか。それではドルジェフ先生、おたがいの理解をもっと深めるために、今夜、ごいっしょにお食事でも――」
さりげなくジュジュの肩に手を回し、レオノールは同僚の耳もとでそっとささやいた。が、ジュジュはにっこりとした笑顔はそのままに、
「学長のおっしゃる通りですね」
「……は?」
「レオノール先生は仕事は確かだけど、女性問題に難ありだから気をつけるようにって、ここではたらく女性教官や職員たちに通達してたんです」
「あっ……あの親父――!」
「ですので」
袖口をつまんでレオノールの腕を自分の肩からどかすと、ジュジュはひらひらと手を振った。
「あとはよろしくお願いしますね、レオノール先生。わたしにごちそうするくらいなら、観客席作りに駆り出された子たちに差し入れでもあげてください」
「あ、ああ、はい……」
ふわふわしていそうで意外にしっかりしているジュジュを見送り、レオノールは落胆の溜息をもらした。
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