第二章 ばあちゃんのクッキー ~身分違いの恋~
「だ、大丈夫?」
戻ってきたユーリックたちを見て、クリオが押し殺した声で尋ねる。
「ええ、大丈夫です」
「ユーくんじゃなくて、そっちの人のこと!」
「こちらのかたも問題ないかと」
「ホントに~?」
「はい。せいぜい単純な打撲くらいでしょう」
懐疑的なクリオを適当にあしらい、背後を振り返る。ユーリックに痛い目に遭わされて懲りたのか、男たちは仲間を連れて逃げていくところだった。
「す、すまない……助かったよ」
ユーリックの肩を借りていた若者は、かすれ気味の声でそういうと、民家の壁に寄りかかって大きく息を吸い込んだ。
「まさかこんなところできみたちに出会うとは思わなかったよ……恥ずかしいところを見せてしまったな」
「えっ?」
若者の自嘲的なセリフに、クリオはユーリックを顔を見合わせた。
「ごめんなさい、誰だっけ……? え? 同じクラスじゃないよね?」
「はは……いや、ほら、きみたちは有名人だから……」
血のにじむ口もとをぬぐい、若者は苦笑した。
「――ぼくはフィレンツ・バンクロフト、一年二組の生徒だよ。よろしく」
そういってバンクロフト青年が右手を差し出す。クリオが反射的にその手を握り返そうとするのを察したユーリックは、先手を取ってみずからフィレンツの手を握った。
「こちらこそよろしくお願いします」
「あの……ちょっと立ち入ったことを聞いてもいい?」
さっさと話を切り上げてこの場から立ち去ろうと考えているユーリックをよそに、クリオはフィレンツに尋ねた。
「あなた、どうしてあんな目に遭ってたの? 相手だって物盗りとかって感じじゃなさそうだったけど……」
「ああ……まあ、いまさらきみたちに見栄を張っても仕方ないから話すけど、できれば他言無用に願えるかな?」
「う、うん」
「さっきの連中は、たぶん、ドートリッシュ家の使用人だと思う」
「ドートリッシュ家?」
「バーロウ辺境伯っていったほうが通りがいいかな」
フルミノール王国の南東の端に位置しているバーロウ州は、アフルワーズをはじめとした複数の国に接しているため、古くから戦略上の要衝とされてきた。両国の間で取った取られたを繰り返してきたような土地だが、ここ三〇〇年ほどはフルミノール王国の一部となっている。
そして現在、複雑な歴史的背景を持つそのバーロウを治めているのが、バーロウ辺境伯に任ぜられたドートリッシュ家である。
――ということを手短かつ小声でクリオに説明したユーリックは、ふとあることを思い出して眉をひそめた。
「そのドートリッシュ家の人間がなぜあなたを襲うのかが今ひとつ判りませんが……そういえば、確か我が校には、ドートリッシュ家のご令嬢が在学中だったのではありませんか?」
「ああ。ミリアム・ドートリッシュ・ドン・バーロウ……二年生だよ」
「今回の件、そのミリアムさまと何か関係があるのでは?」
「……実をいうと、ぼくとミリアムはつき合っているんだ」
「え!?」
つき合っていると聞いたとたん、クリオの瞳が輝き始める。どうして女という生き物は、この手の話題が大好物なのか――呆れ顔で思わず溜息をついてしまいそうになるのをこらえ、ユーリックはフィレンツに先をうながした。
「……ぼくの実家は田舎でワインの醸造業をしていてね。ただ、多少の財産はあるけど、とても富豪と呼べるほどじゃない。それに、跡取りの兄がいるから、どうせぼくは家業を継ぐことはできないからね。だったらいっそ軍人として身を立てたいって、親に頼み込んで入学したんだ。はたちで一念発起したわけだから、きみたちとくらべるとかなりスタートは遅いけどね」
ゼクソールに入学が許されるのは一六歳以上の少年少女と決められているが、はたちで入学というのは確かに遅い部類に入るだろう。
「――でも、ぼくはそこでミリアムと出会ってしまったんだよ」
「…………」
クリオと違って、ユーリックは他人の馴れ初めに興味などない。恋に浮かれている若者の告白を適度に聞き流し、頃合いを見て口をはさんだ。
「……ということは、先ほどの男たちは、あなたとミリアムさまの関係に気づいたドートリッシュ家の人間が、あなたへの警告のために襲ってきたということですか?」
「たぶんそうだと思う」
腫れの引かない口もとを押さえ、フィレンツはうなずいた。
「ミリアムとの関係といっても、手を握ったことがあるくらいなんだけど……あちらとしては、ぼくたちが深い仲になる前に身を引かせたかったんだろう。これ以上ミリアムにつきまとうようなら、次は殴られる程度じゃすまないよ、たぶん」
バーロウ州は王国にとっての要地であるだけに、そこを治めるドートリッシュ家に対する王家の待遇はとても手厚いものだと聞いている。特にアフルワーズとの睨み合いが続く現在、バーロウ州の守りは決しておろそかにはできない。
そうした状況もかんがみれば、ドートリッシュ家のひとり娘ミリアムと、一介の商人の次男坊が結ばれるなど、どう考えても許されるはずがなかった。このままドートリッシュ家の当主に息子が生まれなければ、いずれミリアムは婿を迎えて家を存続させなければならない。つまり、これは単に一貴族の跡継ぎ問題であるだけでなく、フルミノール王国の国防にも関係する重大案件なのである。
「それじゃそのミリアムさん、もしかすると、いずれは好きでもない人と結婚しなきゃならないの……?」
クリオは痛ましそうに眉をひそめ、ユーリックを一瞥した。その視線を受けて、ユーリックの脳裏を嫌な予感がよぎる。確実にクリオは、まだ会ったことすらないミリアム・ドートリッシュの境遇に共感し始めているようだった。
乱れた服装を整え、フィレンツは深呼吸した。
「田舎のワイン屋の次男坊じゃ、どう逆立ちしたってミリアムの相手にはふさわしくない。それは判ってるんだ。――でも、軍に入って出世コースに乗ることができれば、もしかしたら認めてもらえるかもしれないだろう? もともと軍人として生きていくつもりでいたけど、こうなった以上は、本気で上を目指してみるよ」
「そう……そうだよね! 簡単にあきらめちゃだめだよね!」
クリオは拳を握り締め、瞳を潤ませて大きくうなずいた。
「わたしも応援する! あなたたちの恋!」
「いや、お嬢さま――」
懸念していた方向へと事態が転がりつつあるのを感じ、ユーリックはクリオを止めようとした。だが、少女の耳にはもはや従者の声は届いていない。ユーリックが諦念を噛み締めつつ溜息をついているのをよそに、クリオはフィレンツとミリアムの橋渡し役を勝手に引き受けていた。
「……私がいったことをもうお忘れになったのですか?」
手当のため、城下に住む兄の家にいったん戻るというフィレンツと別れ、辻馬車を拾って乗り込んだユーリックは、不機嫌さを隠そうともせずクリオを睨みつけた。
「ふぁ?」
窓の外をぼんやり眺めていたクリオが、ようやく現実に戻ったかのような気の抜けた声をあげた。
「え~と……何?」
「私がいったことをもうお忘れになったのですかとお聞きしたのです」
「ユーくんがいったこと……って?」
「お嬢さまは何のためにゼクソールに入学したのです? 少なくとも、他人の恋路に首を突っ込むためではないはずです。何度も申しますが、そのような暇があるのならもっと学業に専念してください」
「そ、それはそうだけど……だって可哀相じゃない?」
「こんなことにかかわって成績が下がったりしたら本末転倒、お嬢さまご自身が可哀相と哀れまれる立場になりかねないのですが、それはご理解いただけていますか?」
「う……」
クリオは頬をふくらませ、上目遣いにユーリックを見返した。これはこれで愛らしい表情だが、だからといってこの件をお目こぼしにする、というわけにはいかない。
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