お嬢さま、それはおやめください! 第一部

嬉野秋彦

序章 わたしの魔法 ~その意味は?~




 ユーリックは腰の後ろで手を組み、無言でクリオのそばに控えていた。

「……やれやれです」

 人知れずうんざり顔で呟き、ユーリックは伊達眼鏡を押し上げた。

 クリオドゥーナ・バラウールの右手やや後方、そこが彼女の従者であるユーリック・ドゼーの定位置だった。ここならもし彼女に何者かが襲いかかってきたとしても、すぐに守ることができる。

「かの大英雄、“駆龍侯ドラキス”バラウールの娘が入学してきたと聞いたから、わざわざ様子を見にきてみたが……まさかこんな小娘だとはな」

 傲慢さを隠そうともせずにいい放った若者は――学年章からすると二年生らしい――傲然と腕組みして鼻を鳴らした。クリオは人の好き嫌いが激しい少女だが、目の前のこの若者は、間違いなく彼女が嫌いな人間の典型例のひとつだった。

 王立陸軍学校ゼクソールの昼休み、東西の学生寮と本校舎に囲まれた中庭の噴水広場には、昼食をすませた生徒たちが数多くいる。ポーズや言動からして、どうやらこの若者は、彼らの視線を意識した上で、あえて挑発的な態度を取っているようだった。

 クリオはじっと若者を見据えたまま、ささやくような小さな声でユーリックに尋ねた。

「……ねえ、誰、こいつ?」

「確かディラド伯爵のところの次男坊です。名門といえば名門ですが、近年では宮廷での影響力もさほどではないらしく――」

「要するに、家が落ち目だから息子が軍人として名を上げようってパターン?」

「……間違っているとは申しませんが、決して大声ではおっしゃらないでください。その手の直言はいたずらに敵を増やしますので」

 このゼクソールで学ぶ生徒の多くは、立身出世の糸口として軍人を目指す若者たちである。その中には下層階級出身の平民や周辺諸国からの移民、さらには没落貴族の子弟も少なくない。つまり、クリオが今のような発言をすれば、それを不快に思って反感を持つ者も一定数いる。何よりそれは、クリオ自身にも突き刺さるひと言だった。

 伊達眼鏡を押し上げ、ユーリックは念を押した。

「こういうゴミどもの処し方はご存じですね、お嬢さま?」

「知らないわけないじゃん」

「知識は実践してこそ意味があるのですよ? どうかここは隠忍自重を――」

「いちいちうるさいなあ」

 クリオとユーリックがここに入学してから半月がたつが、亡父の名声のおかげで、クリオは入学前からかなりの有名人だった。顔は見たことがなくとも、クリオドゥーナ・バラウールの名前だけは知っているという生徒はかなりの数いるだろう。

「お父上の跡目を継ぐのであれば、きみもいずれは法兵科を目指すのだろうが……どうかな? ここでひとつ、きみの魔法を見せてはくれないか?」

 聞こえよがしに声を張り上げ、若者――ディラドは切り出した。そのおかげで、さらに多くの生徒たちが噴水の近くへと集まってくる。

「何ということはない、ほんの少しその魔法の腕前を見せてくれればいいだけだ。――まさか逃げはすまいね?」

 これまで一面識もなかった上級生のディラドが挑発的にクリオに絡んできたのは、自分のほうがクリオよりもすぐれていることを万座の中で証明し、名をあげようと目論んでいるからだろう。あまりに見え透いているが、この学校に入学した以上、クリオがそうした“標的”とされることもユーリックには想定内だった。

「ディラドさま」

 ユーリックは胸に手を添えて静かに一礼し、淡々といった。

「お嬢さまはこのゼクソールに入学なさってまだ半月です。いかにバラウール侯のご息女とはいえ、さすがにまだ諸先輩がたのお相手が務まるほどではございません。どうかここは――」

 売名目的の挑発をやんわりとかわそうとしたユーリックの発言は、しかし、あっさりとさえぎられた。それも、ユーリックが守ろうとしていた少女によって、である。

「いいじゃん、別に」

 ユーリックの目の前でさっと手を振り、クリオは笑った。

「――要するにセンパイはさ、わたしの魔法が見たいんでしょ? このわたしに! 魔法で! 勝負を挑んでるんだよね?」

「お嬢さま、先ほどもどうか隠忍自重をと――」

「ユーくんは黙ってて! ……で、どうなの、センパイ?」

「そう……だな」

 自分が挑むという表現が引っかかったのか、ディラドは一瞬だけ不愉快そうに眉間にしわを刻んだが、すぐに大仰にうなずき、組んでいた両腕をほどいた。

「ぼくも来年には法兵科に進もうと考えている。うぬぼれるわけではないが、それなりに才能はあると自負してもいる。もしここできみの力を見せてもらえるなら――」

「なっがい!」

 クリオは今度はディラドの口上を無遠慮にさえぎり、カラフルな髪を揺すってかぶりを振った。

「ぐだぐだいってる間にお昼休みが終わっちゃうじゃん。だったらさっさとすませたほうがおたがいのためによくない? ねえ?」

 先輩に対するぞんざいな言葉遣いと不遜な態度に、野次馬たちの中からかすかな驚きの声があがった。と同時に、一年生と二年生の魔法対決に巻き込まれることを警戒してか、両者を取り囲む輪がじりじりと大きくなっていく。

「……つまりそれは、了承した、ということでいいな?」

 ディラドの目つきが鋭くなった。じっとクリオを凝視しながら、両手は身体の脇にだらりと垂らしている。

 が、その指先が細かく動いているのをユーリックは見逃さなかった。指先の精妙な動きによって小さな魔法陣を描くことで魔法は発現する。つまり、ディラドはすでに魔法を使おうとしている。

「お嬢さま」

 ユーリックはクリオを見下ろし、小声で注意をうながした。

「……あの世間知らずのおぼっちゃまが口ほどにもないのは事実ですが、かといってまるで使えないわけでもなさそうです。どうかご油断召されぬよう」

「みたいね」

 大見得を切ったはずのクリオは、そのくせディラドのことなど一顧だにせず、先ほどから綺麗に塗られた自分の爪を眺めている。まるでディラドなど眼中にないといいたげな態度だった。

「あの冴えない指の動きを見た瞬間に判っちゃった。……ってゆ~か、あんなのいちいちわたしが相手をするまでもなくない?」

「は? いまさら何をおっしゃっているのです?」

「だってさ、わたしの“魔法”を見たいんでしょ、あのセンパイは?」

 上目遣いにユーリックを見やり、クリオは淡いピンクの唇を吊り上げた。贔屓目抜きに、今年の新入生の中では五指に入る美少女だろう。そこに生意気という属性をつけ加えるなら間違いなく一番の美少女だった。

 星の輝きを思わせるきらきらしい瞳が、上目遣いにユーリックを捉えた。

「――わたしの一番頼りになる魔法って何だと思う? ねえねえ?」

「何がおっしゃりたいのか判りかねます。ご自分でお買い上げになったケンカでは?」

「またまた~、とぼけちゃって。わたしの一番の魔法だよ? わたしの! 一番!」

「まったく……今になって人に押しつけるくらいなら、最初からテキトーにスルーしておけばよろしかったのですよ」

「いや~、それはそれで逃げてるみたいで癪じゃん?」

「…………」

 ユーリックは眉をひそめ、黒光りする籠手ガントレットに包まれた右手を撫でながら前に進み出た。

「……何のつもりだ、貴様?」

「この勝負、お嬢さまの代わりに私がお受けいたします」

「何?」

「私の敗北はすなわちクリオドゥーナ・バラウールの敗北――そうお考えくださってけっこうでございます。いかように吹聴なさってくださってもかまいません」

「ふん……? 本当にいいのか? 後悔するぞ?」

「後悔なさるのはディラドさまのほうかと」

「……生意気な!」

 ディラドが両手を振り上げる。その手と手の間を激しい火花をともなう青白い稲妻がつないでいた。

「きゃあ!?」

「こっ、校内でやりすぎだろ!」

「よ、よけろ!」

 固唾を吞んで見守っていた生徒たちが、とばっちりを避けるために慌てて逃げ出した。しかし、ユーリック自身はその場を一歩も動かず、クリオもまた平然とハンカチで自分の爪を磨き続けている。

「っ!?」

 みずから生み出した雷の矢を投げつけようとしていたディラドは、次の瞬間、唐突に目の前に移動してきたユーリックによって両腕を掴まれ、動きを封じられていた。

「はっ――!?」

「速すぎましたか? これはご無礼を」

 慇懃無礼に微笑みかけ、ユーリックはディラドの身体を無造作に噴水へ投げ込んだ。

「あばっ、ぶ――」

 短い悲鳴に水音がかさなり、派手に飛沫が飛び散る。ユーリックは眼鏡についた水滴をぬぐい、噴水の中で尻餅をついているディラドにいった。

「――いかがです、ディラドさま?」

「な、何……?」

「クリオドゥーナ・バラウールの“魔法”をご覧になりたかったのでしょう? ですからご覧に入れたのです」

「要するにね、センパイ」

 結局、自分はただ相手を煽ることしかしなかったクリオが、ユーリックの尻をぱんとはたいて誇らしげにいった。

「――このユーくんこそが! わたしが一番得意な! 一番の“魔法”ってこと! 理解した?」

「な、何をわけの判らないことを……!」

 しばし目を丸くしてユーリックたちを見つめていたディラドは、ずぶ濡れのまま立ち上がると、ふたたび両手に雷光をともしてクリオに殴りかかってきた。その雷は先ほどよりも明らかに強く輝いている。

「あ、あいつ、完全にアタマに血が昇ってるぞ!?」

「あんなの洒落じゃすまないって!」

 ふたたび野次馬たちが悲鳴をあげて逃げ散っていく。しかしユーリックは背後にクリオをかばい、ディラドの拳を右手で平然と受け止めた。

「――う!?」

「どうやら冷静さを欠いておられるようですね。――ディラドさまにはもう一度頭を冷やしていただきましょうか」

 ユーリックの右手の中で、ディラドの拳がばちばちと異様な音を立てている。だが、ユーリックは眉ひとつ動かすことなく、左の掌底をディラドの胸板に打ち込んだ。

「っ……!」

 ほとんど密着状態から振りかぶらずに繰り出した掌底一発で、ディラドはふたたび噴水まで吹っ飛び、そして気を失った。

「…………」

 ガントレットについたわずかな煤をハンカチでぬぐい、ユーリックは振り返った。

「それではお嬢さま、身のほど知らずのボンボンが目を覚ます前に退散いたしましょう」

「てゆ~か、たとえ目を覚ましたって、もう二度とわたしに挑戦しようとは思わないんじゃない?」

「ご自分のお手柄のようにおっしゃらないでください。ゴミ掃除をしたのは私です」

「そだね、わたしの従者のユーくんがね♪」

 クリオはすこぶる誇らしげにそういうと、集まった野次馬たちに愛想よく手を振りながら、ユーリックをしたがえて歩いていった。

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