第23話 消失

「ねぇ、さっきから何かおかしくない?」


「うん、何も聞こえてこないな」


ルウラがククを連れて遠くへ離れるというライからの依頼は既に破綻し、互いの心をむき出しにした二人は、お互いに後悔しない選択を取るために全速力で家へ戻っている最中だった。


しかし、その道中聞こえてくるはずの戦闘音がまるで聞こえてこない。


「もしかしてもう終わってるとか?」


「なんだか嫌な予感がしてならないわ」


二人は不安な気持ちに突き動かされるように、更にスピードを上げた。




「はぁはぁ、どうなってるのこれ」


「・・・誰もいなくなってるのか?」


玄関を開けると、中は先ほどまでと何も変わらず、誰かが侵入した形跡が何一つない。さっきまで人がいたとは思えないほどの静寂が、この空間には漂っていた。


「ここにもいない。けれどひどい有様ね」


最初に襲撃があったダイニングに入ると、謎の集団が入ってきた壁からは肌をなでつけるような乾いた空気が流れ込んできている。そしてテーブルの上に置いてあった料理は床へと散乱し、さきほどまで食卓を囲っていたことが信じられないような光景がそこには広がっていた。


「どうしようルウラ、誰もいなくなってるわ」


ククは父親がいなくなった不安からか、今までの気高い態度が少し崩れたかのようにルウラに助けを求める。


「・・・学院に行こう。そこにボーレちゃんがいるはずだから」


「どうしてわかるの?」


「お前のお父さんが言ってたんだ。恐らくこの家と学院の二つが狙われるだろうって。だから向こうはボーレちゃんと『白の霹靂』の二人に任せておいたってね」


「だったら急いでいきましょう。もしかしたらお父さんもいるかもしれないし…」


「あぁ、メルクもいるから多分大丈夫だとは思うけど」









時は少し遡り、ルウラがククを連れて家から飛び出した直後に戻る。


「とりあえずククを遠ざけることには成功したか、彼にはあとで感謝をしなければ」


フレールは、ククがルウラに抱えられてこの場から離れていく様子を見て、ほっと胸をなでおろす。

娘であるククの扱いについて、ルウラやリーナにも諭すように文句を言われ、今のククを一人の人間として、色眼鏡を付けずに心の目で覗いてみた。


そして気が付いた。こんな立派に成長していたのかと。もう親として色々と心配するのはただのお節介かもしれない。ククが子ども扱いをしないでほしいという気持ちも痛いほどわかった。

それでもやはり子は子であった。産まれた時から傍で見守り続けてきた娘。忙しくて構ってやれないことも多かったが、それでも娘に対する愛情を損なったことなどただの一度もない。


だからこそ突き放すしかなかった。たとえ娘に嫌われたとしても、その程度で娘の安全が確保されるのならば喜んで嫌われてやる。それにククはが残した最後の宝。世界中を敵に回しても失うことなどあり得なかった。


「ライ、そんな一息ついてる余裕なんてないんじゃねぇか?」


「君はネミコだな?そのフードをとったらどうだ」


破壊された壁から入ってきた集団の中の1人が、ライを小ばかにするようにフードの下から意地の悪い笑みを覗かせる。


「ふっ、そうだな。ここまでくればこのローブも必要ない」


そう言って、ネミコはフードを外す。猫のように鋭い目つきは、初対面の相手に恐怖を与えるには十分だった。


その証拠に、騒ぎを聞きつけてダイニングにやってきたメイドたちは、何かに耐えるように身体をわなわなと震えさせる。


その威圧感は空間を支配しているのか、後ろに控える同じローブを身に纏った集団も、使用人たちと同じように身体を震わせた。


「おいおい、なんだよこいつらの格好。男も女も揃ってメイド服って。そんな趣味があったのかお前?それに可哀そうに、俺にビビッて体が震えちまってるじゃねぇか」


ネミコは震える使用人たちに目をやり、自分に慄くその姿を目にして優越感に浸る。


「いや、違う気がするが・・・」


ライはネミコに聞こえないように、音量を絞ってぼそっと呟く。どうやら周囲の人間が震えているのは他に理由があるからなのかもしれない。


「まぁいい、それよりもディオッゾはどこにいる。」


ネミコを含め、黒ローブの集団は辺りを見渡すが、ディオッゾの姿はどこにもない。


「ん?何か大きな音が聞こえるな。」


ルウラと別れ、こちらの防衛に回ったメルクは家の外から近づいてくる大きな音に反応した。



ズドォォオン



しかしその大きな音が一瞬消え、辺りは不気味なまでの静寂で包まれた。


すると今度は、その静寂を切り裂くように爆発的な音を立てた黒い塊が弾丸のように家の中へと飛んできた。


その塊は勢いのまま壁に激突をすると、土煙を上げてようやく止まった。


「いったいなぁもう!何なんだよあの女!」


「おいディオッゾ、お前何してんだ」


「あっ、ネミコさんだ!」


家の中に吹き飛んできた塊の正体は、黒いローブを身に纏ったディオッゾだった。

ネミコの姿が見えて安堵したのか、苦痛にゆがめていた顔がだんだんと穏やかになっていった。


「ていうか相変わらずその猫耳似合ってないですね!」



「「ブフォッッ!!!」」


とうとう我慢できなくなっていたメイドとネミコの配下たちは、ディオッゾの止めの一撃がクリーンヒットし、口の中で堰き止めていた空気が思わず吹き出してしまった。



「は、ははっ、そういうことかお前ら。俺のキュートな猫耳を見て笑っていやがったのか」



熟れたトマトのように赤く広がったネミコの肌には、薄紫色の静脈がひくひくと浮き上がる。そして頭部には髪の毛の束でつくられた猫耳のようなものが申し訳程度についていた。


そう、彼らが震えていたのはネミコに慄いていたわけではなく、このふざけた猫耳を耐えるのに必死なだけだったのだ。



「そんなことよりネミコさん、なんかやばい女がいたんだけど!」


「ん?こいつのことか」


何とか自分を律することで怒りを収めたネミコは、後ろを振り向くとそこには一人の女がこちらを見据えていた。


「ごめんなさい学院長。連絡もらうまで彼らの気配に全く気付けなかったわ。学院のほうにはリキとマッシュが向かったから大丈夫だと思う」


「気にするなリーナ、悔しいが私も全く気付かなかったからな」


「それとこの男が来る途中に草むらで用を足してたから吹っ飛ばしちゃったんだけど、こいつも敵で大丈夫?」


「あぁ、この部屋に残尿をまき散らかさないなら問題ない。それにこの男が私に呪いをかけた張本人だからな」


初対面の謎の女とライが自分を挟んで会話をしている状況に、ネミコはそれぞれ首を振りながら状況を把握しようとする。


「リーナ、その名前どこかで聞いたことあるな・・・あぁ、確か『雷姫』とか呼ばれてる探索者だったっけか?」


ネミコは記憶の底から『白の霹靂』というパーティに雷系統の魔法が得意な強者の探索者がいたことを思い出す。


「ちょっ、恥ずかしいからやめてよ」


「いやなんで照れてんだよ!!」


「その二つ名で呼ばれるの慣れてないの!」


雷姫と呼ばれたリーナは、湯気が出るほど顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうに振る舞う。ただしこの場でそんな余裕があるというのは、それだけ経験が多いという裏返しに他ならない。


「そ、そうか。それよりライ、てめーこんなの雇ってたのか」


「あぁ、君たちを逃がすつもりはない」


フレールはこの状況に勝機を見た。大陸でもかなりの実力を誇るリーナ、それに確かな戦力は明らかではないが、リーナが一目を置いたカラスのメルク。

ライ自身も身体能力の強化くらいしかできないが、この程度の奴らに後れを取るつもりはない。


「そいつの存在がばれてたらサンタってガキの命はなかったんだぜ?お前も中々に薄情だねぇ~」


「黙れ駄猫。それよりもサンタはどうした。」


フレールはこの場にサンタの姿がないことに気付き、それを確かめるためにネミコに尋ねた。駄猫と呼ばれたネミコはハハッと乾いた笑いを口から吐くが、このまま感情に任せることは相手の思うつぼだということを冷静に把握する。


「あー、すっかり忘れてたぜ。研究所でぐっすり寝てるんじゃねぇか?もしかしたらキャミーちゃんに遊ばれてるかもなぁ?」


「キャミーちゃん?・・・しかし貴様のような奴が素直に連れてくるわけがないか。」


飄々とした態度で何も考えていないような軽い口調のネミコに対して、ライは噛みつくように睨みつける。


「だが私たちのやることは変わらん。貴様らを倒した後に魔力の逆探知をすればいいだけの話」


「くくっ、それが出来れば簡単だろうなぁ!」



ネミコが興奮したように口端を吊り上げると同時に、リーナによって吹き飛ばされたはずのディオッゾが両掌を合わせて詠唱を始めていた。


「広域魔法陣展開:行軍こうぐん絨毯じゅうたん。」


「────ッ!!なんだこれは!」


足元に突如現れたのは薄紫色の光を発する魔力の絨毯。


この大きな絨毯はライやメルクはもちろん、少し離れていたリーナやメイドたちの足元にも広がり、その輝きは更に増していく。


「さぁ、場所を変えようぜ。ここじゃあ何かと不便だろ?」


とうとうその輝きは視界を潰すほどの光を放ち、そしてネミコの言葉と共にこの場にいるすべての人間の影が消滅する光と共にどこかへ消えてしまった。







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