第21話 硬い意志
「あぁ忌々しいライめ、
親指の爪をぎりぎりと噛み潰しながら、厚く白化粧をした男が部屋の中をせわしなく歩き回る。しかしその男の風貌より一段と奇妙な部屋の装飾は、耐性のない者にとっては生き地獄のようなものだろう。
犬や猫のような一般的な動物から、見たこともないような生き物の標本が、空間一面を覆いつくすように、足元から天井まで敷き詰められている。
「ねぇダルト様ー。それ本当なの?ライって人がうちらのこと狙ってるって」
「お黙りプリコ!だとしたらネミコはどうして独断でライの奴を襲撃したっていうの。それにディオッゾだって一緒にいたのだぞ」
ダルトは他人の部屋のソファで横になっているだらしのない女、プリコに向かって唾をまき散らした。
「ちょっ、唾飛ばすなしーー。まぁそれもそうなんだけどさー。なんか怪しいっつーか、女の勘っていうの?でもディオッゾもそこにいたならやっぱり問題ないか!」
ソファのひじ掛けに頭を預けたプリコは、ドリルのように巻かれたピンク髪のツインテールを地面へと垂らしながら、妄想の中にディオッゾを登場させてはだらしのない顔を晒している。
「そういえばキャミ―はなにをしているの。今回の作戦には彼女入っていないんでしょう?」
ダルトは永遠に動かしていた足をピタッと止めて、今回ライを殺すにあたって作戦に参加しなかったキャミ―が何をしているのかが気になり、プリコの方へ体を向けた。
「あー、あのクソババアなら着せ替え人形で遊んでたよ」
「まったく、まぁライを殺すだけならそこまで大がかりにする必要はないのだけど。しかし貴重な実験体なのだからあまり刺激しないように言っておきなさい」
「はーい」
ダルトからの命令を受け、気だるげな返事と共に重たい体をなんとか起こしたプリコは、部屋中に埋め尽くされた標本など一切眼中にないように部屋の外へと出て行った。その姿がいかにこの光景が組織にとって当たり前のものなのかをを教えてくれた。
「ライめ、もう十数年が経つか。ふんっ、ネミコたちがしっかり始末しておけばこんな怒りに駆られることもないのだが。いや、あの時ジーナと共に確実に殺しておくべきだったのか・・・」
「
ルウラは普段聞きなれない単語に、疑問を添えて反復する。
「あぁ、決して表には出てこない謎に包まれた組織だ」
「
ククの発言に反応するように、今度はライからククへ質問が飛んできた。
「そうだクク、お前はどうして『
「フードの人から聞いたの。『あなたが探している奴らは肩に黒い丸の印を刻み、各地で孤児を攫っている悪い人たち。』ってね」
「フードの人?いったい誰なんだそれは」
フレールは眉を顰め、少しずつ語気に熱がこもってきた。その証拠に少しずつテーブルの上に身を乗り出し始めているが、本人にその自覚はないだろう。
「私もよく分からないの。聞いたことのない中性的な声だったし、何より私がそいつらを追っていることすら話していないのに」
「じゃあお前は見ず知らずの怪しげな人物から聞いた言葉をそのまま信じて、行動をしていたってことか?」
あまりに無根拠すぎる。自分がもしククと同じ立場だったら、そんな怪しい人物からの助言など真に受けるだろうか。それを確認するためにメルクはククへと質問をした。
「えぇ、確かに不思議よね。でもなぜかその声色には説得力があったのよ。言葉ではうまく説明できないのだけど」
ククもこの感情を表現する言葉が見つからないらしい。たどたどしい説明で何とか伝えようとするが、実際にそのフードの人物を見たことのない二人と一羽にとっては、ククが操られているんじゃないかと疑うほどだ。
しかしククが言うには、へラブから西の方にある村を中心に、組織の人間が人攫いをしているから確かめてみたら?と言われたらしい。
「確かにそれは本当だったな」
「えぇ。フードの人の言う通り、あいつらがへラブから西にいった村で人攫いをしようとしていたから、弱い探索者を装って捕まっていたの」
ルウラとククが初めて出会った時のことだろう。確かにその後案内されたアジトにいた人間の全員の肩に黒丸が刻まれていたのを思い出す。
「そ、そんな危険なことまでしていたのかお前は!もしそのまま捕まってあんなことやこんなことをされていたら、、、」
「髪の毛むしり取るわよエロ親父」
「髪の毛をむしり取られるくらいなら何度でも言うぞ私は!」
心からククを心配しているだけのライであったが、その気持ちが届くにはまだまだ時間がかかるらしい。
「しかしフードの人か、聞けば聞くほど謎が深まるな」
「でも今は『
メルクの言う通り、いつ襲ってくるか分からない敵の対策を早急に練るべきだ。ライもそれは十分に分かっているのだろう、メルクの発言にゆっくりと大きく首を縦に振った。
「その通りだメルク君、だがこちらはサンタが捕まっている限り後手に回らざるを得ない」
爆ォォオオォオォオッォオォオン!!
「なに!?」
もちろん警戒は常にしていた。視覚、聴覚、知覚、あらゆる神経を休む間もなく尖らせていたが、相手は自分たちの予想を軽く超えていたらしい。何の前触れもなく、アンセット宅の壁は激しい轟音と共に突如破壊され、その隙間を埋めるように黒いローブを着た集団が、濁流のように押し寄せてきた。
「────ッ!!リーナ!!!」
壁が突き破られると同時に、ライは手慣れた動作でポケットに入っていた小型の通信機を取り出した。
それを口元にあてると、『白の霹靂』の1人、リーナの名前を突然叫んだ。
「ルウラ君!!」
次にフレールはルウラの方へ振り向き、そして叫んだ。
「わりぃ、クク」
「えっ?」
ククは反応する間もなかった。突然、家の壁が破壊されたと思ったら、今はルウラに抱えられて視界が上下逆転していたのだから。
「ちょっと、何してるのルウラ!!今すぐ放して!!」
ルウラはライに呼びかけられた瞬間、あらかじめ約束をしていたかのようにククを抱えて、人を一人抱えているとは思えないほどの速度でアンセット宅から離れていった。
肩に担がれたククの叫び声と拳を背中に感じながら、校長室でのライからの頼み事、それに対する自分の選択は本当に正しかったのか、ルウラはそれだけを考えていた。
「ルウラ君、近いうちに組織からの襲撃が確実にある。その時にククの傍に君がいたら遠くへ連れて離れてほしい」
正直に言って頼みごとの内容自体はそこまで驚くものでもなかった。ただ、だからこそ引き受けるかどうかの判断が己の内にある天秤を大きく揺らした。
それとこの目だ。ライが自分に向けるこの目が、どうも頭の中で浮遊している記憶と重なるような気がしてならない。その正体が何なのかはまだ分からないが。
「それでまたククを遠ざけるのか?」
だからこそルウラは問う。自分の中の濁った気持ちをすすぐために、それにククとはそこまで長い時間を一緒に過ごしているわけではないが、彼女の性格はなんとなく把握している。
「それが本当にククにとっていいことなのか?」
更に質問を畳みかける。ルウラは自分でもどうしてこんなに必死になっているのかよく分からない。普段だったらもっと軽く受け流しているはずだが、やはりライの視線からは逃れられない縛りのようなものを感じてしまう。
「それは分からない。ククにとっていいことなのかどうなのか。長い間あいつとはまともにコミュニケーションが取れていないからな」
フレールは、そんな自分を嘲るように鼻で笑う。
「だったらなんで────」
「親だからだよ」
「えっ?」
フレールの一言で、ルウラはどうして自分がこんなに必死になっているのか少し分かった気がした。
どうやらククと自分を知らない間に重ね合わせていたらしい。ルウラは自分をかばって片腕を落とした父であるラースが、その時言った言葉を思い出した。
『親ってのはな、単純で馬鹿な生き物なんだよ。どれだけ子供に嫌われようが、どれだけ疎遠になろうが、命がある限り全力で守りたいもんなんだよ』
「親だから、ただそれだけの理由で、ククの気持ちも考えずに遠くにやれって言っうのか?」
「そうだ、私はこういう風にしかできないらしい」
ルウラは自分の胸の内がスッと溶けていくのを感じた。こんなことを言われてしまったら首を横には振れない。命を懸けて子を守ろうとする親の気持ちを、身をもって経験したルウラが否定できるはずがない。
「・・・はぁ、分かったよ、ククのことは俺に任せて」
「すまん、恩に着る」
こんなどこの馬とも知らない子供に頭を下げるライを見て、ルウラはいつかこの気持ちが分かるときが来るのだろうかと、深く思った。
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