2日目 目的と住処④

注文オーダー、ホットコーヒー」



 クロノスが手を翳すと、テーブルの上に無数の小さな半透明のキューブ達が現れた。

 突如としてキューブ達は、マグカップのようなものを素早く形作った瞬間に弾け飛び、テーブルの上に現れたのは、仄かに湯気が漂う白いマグカップだった。



「クロノス、これって……」

「さっき、律が飲んでたホットコーヒーさ。噓だと思うなら、自分で確かめてみなよ」

「あぁ、分かった」



 クロノスに促され、小さなキューブ達が作成したマグカップの取っ手を持ってみると、さっき飲んだホットコーヒーのマグカップと同じような耐熱性のある陶器特有のツルツルとした感触が手から伝わってきた。

 恐る恐る中を覗いてみると、真っ黒な液体が入っていて、そこから立ち込める湯気からは、仄かに香る香ばしい匂いが漂ってきた。



 見た目や匂いからして、俺がさっき飲んでいたホットコーヒーとほとんど同じだ。

 しかし、味が……


 一瞬だけクロノスの方に視線を向けると、マグカップの中に入っている黒い液体を一口だけ含んだ。



「……美味しい」



 間違いない。これは、クロノスがお礼にと俺に出してくれたホットコーヒーだ。

 そうだとしたら……



「ここの住人達は、こんな風にホットコーヒーを飲んでいるのか?」



 マグカップを持ったまま、横にいるクロノスに顔を向けた。



「そうだね。でもまぁ、ホットコーヒーだけじゃなくて、料理全般……というよりは生活全般だけどね」

「生活全般!? どういうことだ!?」



 驚きのあまり、危うくマグカップの中身を零しそうになった。



「そうだよ。ライフウォッチに『注文オーダー』と頼めば、人間に代わって家事全般を全てしてくれるのさ。さっき一緒に食べた朝食も『注文オーダー、朝食』って頼んだら、用意してくれたし」

「はぁ!? たった二言で、あんな豪勢な朝食を用意出来たのか!?」

「うん。それに『注文オーダー、洗濯』って言えば、洗濯物の回収から洗濯した衣服を装着者の好みに合わせて綺麗に畳んで衣服用の収納スペースに完璧に収納してくれる。『注文オーダー』で行きたい場所を言えば、自宅家から一瞬で行きたい場所に連れて行ってくれる上に、着いた瞬間には外出用の服に着替えさせてくれる。本当、この世界のAIって賢いよね~」



 ライフウォッチの液晶画面を撫でながら満足げな笑みを浮かべるクロノスを他所に、俺は言葉を失っていた。


 短い言葉だけで、人間の思考や要望を読み取って具現化させたり、装着者が要望するサービスを完璧に施したりするなんて……この世界の科学技術は、俺がいた世界とは比べものにならないくらい進歩している。



「確認なんだが、この世界の住人って、全員ライフウォッチを付けているんだよな?」

「そうじゃないと生きていけないからね」



 だろうな。付けていないと社会的に追い出されるのはもちろんだが、自分の願望を忠実に叶えてくれるものを、そう易々やすやすと手放せないだろうしな。


 その後、俺はクロノスの提案で、ライフウォッチを使って2人分の昼飯を用意した。





「おかえり~。この世界の住居はどうだった?」



 部屋の探索を終えてリビングに戻ってきた俺を、ゲーム画面から目線を離さないショタ神様が気だるげに出迎えてくれた。

 昼飯をすませて俺が部屋の探索に勤しんでいる間、時の神様はライフウォッチで家庭用ゲーム機を呼び出し、二人掛けのソファーでゆったりくつろぎながら、俺のいた世界で超有名のRPGゲームをプレイしていた。



「あぁ。俺のいた世界とさほど変わらない1LDKだが……風呂場は驚いたな」

「へぇ~、どうして?」

「だって、風呂場に入るのにライフウォッチをかざさないといけないなんて……当然のことだが、俺の世界にはそんな面倒な習慣は無かったからな。でも、どんなに高性能なAIでも、水には弱いってことが分かってだけで良い収穫だった」


 科学技術が発展した世界でも、【機械は水に弱い】ということわりくつがえすことは出来なかったってことが分かったんだからな。



「あぁ、『機械は水に弱い』っていう、律の世界の【定説】って呼ばれるものだね。それだったら、既に克服したいみたいだよ。でも、人間の方が『ライフウォッチを、水につけたくない!』とか『ライフウォッチを付けたまま、お風呂入りたくない!』とか、僕には到底理解出来ない理由で、今の形になったらしいよ。あと、律は見落としてたみたいだけど、寝室の前に同じものがあるから、寝る前に確認してみて」

「…………」



 多分、あれだ。寝室にも設置してあるのは『ライフウォッチを付けたまま寝たら、壊れるかもしれない』とか『付けたまま寝たら、起きた時に跡が残りそうで嫌だ』とかだよな。あっ、でも『寝る時くらいは、ライフウォッチを外したい』っていうのもありそうだな。

 はぁ、この世界の人間って、自分の中にある願望や欲望を有能すぎるAIが忠実に叶えてくれるから、ストレスとは無縁の生活を送っているのだろうなぁ……少しだけ、羨ましい。





「ところでさ、どうしてカメラなんて持ってるの?」



 脳内でこの世界の人間のことを羨ましがっていると、時の神様が相棒の一眼レフカメラの存在に気づいた。



「あっ、これか? そりゃあ、旅行だからな。旅行の楽しみのひとつとして、現地だからこそ見られない珍しい景色や、ご当地でしか味わえない美味しい食べ物なんかを、こうしてカメラで収めるんだよ。旅行から帰って来たら撮った写真を現像して思い出に浸れてるしな」



 それに、クロノスから『この世界について、元の世界に伝えて欲しい』ってお願いされてるからには、少しでもこの世界のことについて知らないといけない。

 俺自身、昨日や今日のことを通して、俺自身もこの世界のことについて知りたくなったしな。


 部屋の探索もその一環だ。探索前、ライフウォッチからこの世界の住宅について聞いたところ、この世界の人間達は、基本的に俺たちが住処すみかにしている1LDKのマンションに住んでいるらしい。だから、この世界には超高層マンションが当たり前のように乱立しているのだと。何とまぁ、羨ましい限りだ。

 だけども、こんな感じでこの世界にあらゆるものを自分の目で見て、自分の目で見て、自分の心で感じて、この世界のことを知っていこうと思う。

 時の神様には、とてもじゃないが恥ずかしくて言えないが。



「ふ~ん。人間って、そういうことを楽しみにしてるんだね。人間は【感受性】ってものがあって羨ましいよ。僕には、さっぱり分からないけど」

「まぁ、そういう人間もいるはいるが……俺の場合、こういうテンプレには喜んで乗っかっていくタイプの人間だから、それなりに楽しいけどな」

「へぇ~。でも、ここを出る前、『もしかすると、この世界の部屋の間取りは、俺のいた世界と変わらないかもな』って、言ったよね? それだったら、撮る意味が無いんじゃないの?」

「まぁ、見て回ってみたが、間取りは俺のいた世界と変わらなかったし、目新しいものと言えば、ライフウォッチを翳すところぐらいだったな。でも、『俺のいた世界と変わらないところがある』って事実だけでも、俺にとっては十分に撮る価値があるんだ」



 今いるこの世界が『剣と魔法のファンタジー世界』ではなく『俺のいた世界にもあった科学技術が更に発展を遂げた未来の世界』なんだという事実の証拠になるのだから。

 ちなみに、俺が撮った写真は元の世界に持ち帰っても良いとのこと。俺の眼前で、退屈そうな顔でゲームをしているショタ神様の計らいに感謝だ。



「本当、人間ってよく分からない。それよりさ、部屋の探索が終わったんだったら、こっちに来て手伝ってよ。このモンスター、全然倒せないんだけど」

「どれどれ……って、クロノス! そのレベルで、そのモンスター相手にするには無謀すぎる!」

「えっ、そうなの?」

「そうなの! あのなぁ、このモンスターは……」



 その後、ゲーム初心者のクロノスと一緒にゲームをプレイした俺は、晩飯と風呂を済ませると、テレビを観てるクロノスに声をかけて寝室へ向かった。

 寝室の前には、クロノスが言った通り風呂場と同じものが備え付けられていた。

 小さく溜息をついて写真を撮ると、ライフウォッチを翳した。

 すると、手首からライフウォッチが光の粒子となって消え、寝室のドアが開いた。

 少しだけ面食らった俺だったが、気を取り直して寝室に入ると、そのままベッドにダイブせず、近くに備え付けられていた机の椅子に座った。





注文オーダー、ノートパソコン」



 机に向かって手を翳すと、目の前に黒いノートパソコンが現れた。



「へぇ~、『ライフウォッチを所定の位置に翳せば、部屋全体がライフウォッチと同じようになる』というクロノスの話は本当だったんだな」



 感心しながら寝室を一通り見回すと、机に向き直り一呼吸置いた。




 旅行2日目。

 今日は、昨日の一件があって、今日1日を部屋で過ごすことになった。最初は暇な時間を過ごすのではないかと懸念していたが、【ライフウォッチ】というこの世界の生活必需品について、クロノスから教えてもらった。

 人間の思考を読み取って実現させるAIを搭載した腕時計型携帯端末は、この世界の人間にとっては人権で、その利便性は人間を堕落させるには、十分すぎるくらいの有能なものだった。

 この世界の人間は、一体何を思い、何を考えて過ごしているのだろう。

 少なくとも、昨日のような過激な人達が大半を占めるような偏った世界でないことを願うばかりだ。

 ちなみに、この世界の部屋は俺がいた世界とほとんど変わらなかった。



「ふぅ、とりあえずは、こんなものかな。何だか黒歴史にもなりそうな気がするが……あくまでクロノスとの約束を果たすために必要なことであって、決して、自ら黒歴史を作りに行こうとしているわけではない! さてと、クロノスに見つかる前に戻さないとな。注文オーダー、戻して」



 誰に聞かせるわけでもなく言い訳を並べると、手を翳して机の上の物を戻させた。

 これは【日記】のようなものだ。その日、何を見て、何を感じ、何を思ったのかを1日の終わりに書いている。

 とは言っても、始めたのは今日だから、昨日の分は書いてない。

 それでも、この世界のことを俺なりの方法で残そうと思う。



「明日は、外に出られるといいな」



 明日に対して淡い期待を胸に抱きつつ、旅の日記を書き終えた俺は、ベッドに横たわって静かに眠りについた。

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