心が無くなった世界〜サラリーマンと時の神様は、未来世界を旅行する〜

温故知新

0日目 写真と招待

「ここは、一体……?」



 まさか、学生時代に読んでいた小説のお決まりゼリフを現実で言うことになるとは。


 そんな下らないことを考えるほどに、俺【渡邊 律・30歳・独身】は、目の前に広がるコンクリートジャングルに、ただただ言葉を失っていた。





「あ~、暑い」



 全国的に梅雨明けが発表されて、いよいよ夏本番になろうかとしている頃、7連勤明けで休日の平和な昼下がり、俺は1人暮らしをしているアパート近くにある河川敷に自転車で来ていた。


 まぁ、心穏やかな時間を過ごせるのは今日だけで、明日からは田舎の営業マンとして多忙な日々に逆戻りなんだけどな。



「はぁ~、昨日は定時直前に『今日は、俺の誕生日だから飲みに行くぞ!』って、突然言い出しやがって! しかも、飲みの場所を部下に抑えさせたくせに『やっぱ、いつもところでいいや!』とか悪びれてることも無く、あっさりと場所を変更させて!」



 よりにもよって、俺が場所を抑えたタイミングで言い出すとか、本当に何なんだよ! 嫌がらせ? 俺への嫌がらせなのか!?



 平日の昼間で周りに人がいないことを良いことに、俺は昨夜の出来事を吐露し始めた。


 休日前日に珍しく定時帰宅が出来ると人知れず浮足立っていた俺の昨夜は、帰宅がデフォルトの上司が身勝手な理由で始めた飲み会(という名のサービス残業)で見事に潰され、結果的に同僚や先輩と共に上司主催の宴会に朝方まで付き合わされていたのだ。



「結局、いつもの居酒屋でいつも通りの上司の自慢独演会! しかも、場所を変えての合計3公演! お陰で、俺の休日の半分は寝て過ごしたじゃねぇか! いつもは部下に『おい! 営業ノルマ、分かってんだろうな! 達成出来なかったら、今月の給料は無しだからな!』とか『クレーム処理は俺の仕事じゃねぇから、お前が何とかしろ!』とか散々いびり倒すくせに!」



 この前なんか、部下が全員残業しているにもかかわらず『大変そうだね。でも、これは君たちが自主的にやってることだから、それを尊重することも上司の仕事だよね。じゃあ、頑張って。お疲れ!』って、ちゃっかり定時帰宅しやがって!

 部下の残業の大半が、お前の仕事のせいだって分かってんのか!?



「しかも、定時で上がろうとする部下に対して『もしかして君、上司である俺と同じ定時で帰ろうとしてる? 仕事が残ってるのが分かってるのか!?』って、自分の仕事を無理やり押し付けてやがって! 上司として恥ずかしいと思わないのかよ!?」



 それで、ノルマクリアしたらしたで『じゃあ、来月のノルマ上げるね。今月のノルマが達成出来る優秀な君だったら、もっと出来るよな? 期待しているぞ!』とサラッと言ってプレッシャーかけてきやがって!

 こんな田舎でノルマをクリアさせるのが、どれだけ大変なのか分かってんのか!



「いっそのこと、内部告発でもして上の人に……いや、アイツが上の人に覚えがめでたいのを忘れてた。この前、たまたまうちの部署に来た社長に対して、これでもかとへつらってたからな。社長も上司のあからさまな媚に満更でもない感じで『君の手腕のお陰で、会社も安泰だよ!』って、上機嫌で褒めてたしな」



 そうなると、逆に俺が退職に追い込まれるな。

 だとしたら、三十路で転職活動をしないといけなくなるのか……うん、ちょっと厳しいな。


 自転車をこぎながら日頃抱えているクソ上司に対しての不平不満をぶちまけていると、本日の目的に相応しい場所を見つけた。





「おぉ! ここなら、良いものが撮れそうだな」



 あたりを付けた場所の近くに自転車を止めて河川敷の下まで降りると、早速ベストショットが撮れそうなところを探し始めた。


 俺が貴重な休日の昼下がりを使って、わざわざ自転車をこいで河川敷まで来たのは、決して上司の愚痴を言いに来た訳ではない。

 河川敷に来た最大の目的、それは……俺の癒しであり唯一の趣味である【写真】を撮る為だ。

 きっかけは、大学を卒業して今のところに勤め始めてしばらく経ったある休日、部屋の隅に飾っていた貰った一眼レフが不意に目に留まってしまったところからだった。

 祖父から社会人祝いに貰ったそれを手に取った俺は、部屋の窓辺から見えた夕焼けに向かって何の気なしにシャッターを押した。

 人生初の一眼レフで撮った写真は、ピントもろくに定まっていない、とてもぼやけたものだった。

 でも、その中に収められた夕焼けの美しさが、新卒で右も左も分からず当時の上司や先輩に怒られて落ち込んでいた俺を励ましているようで、出来の悪い写真を見て涙が溢れてきたんだ。

 そんなことがあって、俺は休日が来る度に、近所にある自転車屋で買った折り畳み式の自転車をこいで様々な場所に行き、四季折々の風景をカメラに収めていった。

 それがいつしか、俺の趣味になり休日の唯一の楽しみになったんだ。





「よし! ここからなら、良い写真が撮れそうだ」



 ベストアングルが決まったところで、早速カメラを構える。


 写真を撮り続けて10年近くになり、ぼやけた写真を撮ることは無くなったが、写真のクオリティとしては未だに素人レベルだが、自己満足でやっているので特に気にしていない。



「さて、撮りますか!」



 相棒である一眼レフを構えてピントを合わせた瞬間、シャッターを切った。




 カシャ!




「どれどれ……おぉ!! 川の流れに合わせて水面に反射している太陽の光が、絶妙な感じで写ってて、最初にしては良い写真が撮れたな! これは、家に帰ってノートパソコンに取り込んだ時が楽しみだ!」



 撮り終えた写真の出来に満足すると、次なる撮影ポイントを探す為、自転車を置いてきた場所へと足早に戻って行った。





「いや〜、撮った撮った! 今日は大収穫だな!」



 河川敷下で撮影を終えた後、河川敷の上から撮ったり、河川に架かっている橋の上から撮ったりするなど、河川敷周辺の風景を思う存分カメラに収めた。

 そうしているうちに、楽しく充実した時間は、燦燦さんさんと照りつけていた太陽が店じまいをしようと空を茜色に染め、下校中の子ども達の賑やかな声が河川敷に響いてきたことで終わりを告げた。



「あっ、もうこんな時間か。仕方ない、今日はここまでにするか」



 空の変化と子ども達の声に気づいた俺は、背負って来たリュックの中に一眼レフを入れると、自転車に跨って家路に向かって寄り道をしないまま真っ直ぐ走らせた。





「ん? あれは……蜃気楼か?」



 一人暮らしで借りているアパートの形が見えてきた時、遥か遠くの方に高層ビル群の陽炎のようなものが、ぼんやりと浮かんでいる様子が目に飛び込んできた。

 お世辞にも住居としているアパートのある住宅街には似つかわしいとは思えない異様な光景に目を奪われた。



「へぇ、こんな田舎にも蜃気楼って出るんだな。しかも、こんな田舎では絶対見れない高層ビル群じゃないか」



 確か、昔の人は蜃気楼のことを『不吉の前兆』とか言って恐れていたんだよな。

 まぁ、せっかく近所で珍しい気象現象に遭遇したのだから、記念に1枚だけ撮っておくか。


 奇跡と呼ぶべき自然現象を目の当たりにし、写真に収めたい衝動に駆られた俺は、アパートの前で自転車を止めると、跨ったままリュックから相棒を取り出し、そのまま正面に向かって構えた。



「アングルは、ここからでも大丈夫みたいだ。それにしても、住宅街と蜃気楼が丁度良い具合に画角に収まってるな。これも、家に帰ってからが楽しみだ」



 滅多にお目にかかれない貴重な光景が写真として残せることに、人知れず胸躍らせたままピントを合わせると、無邪気にシャッターを切った。





 ……それが、俺が覚えている最後の光景だった。

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