花園入りの娘たち~王太子殿下は長年の片想いを諦めるつもりはありません~
ななな
開かれた花園と知られざる片想い
第1話 そして花園は開かれる
――花園入りの勅が届けられたとき、アデリアナはああ本当にやってくるんだわと思った。
ふわりと吹き込んだひと筋の風が頬を撫でて、アデリアナは物思いから醒めた。次いで、眩しさに目を細める。
アーデンフロシアの春は、眩い光のただ中にある。
ちょうど、アデリアナの乗った馬車は王城の門を抜けたところだった。
薄く開けられた窓の向こうでは、慣れ親しんだ景色が後ろへと流れていく。穏やかにくり返される轍の音、座面越しに伝わってくる微かな振動。誰にも見つめられていないのに貴族の娘らしくすんなりと伸びた背、膝に抱いた一冊の本。それらは皆確かにうつつのものであるはずなのに、どこか遠くに感じられる。
こうして携えた本を開きもしないだなんて、いつぶりのことだろう。家族が同乗していたならば、きっとアデリアナをからかっただろう。お前は何より本が好きなのに、と。
アデリアナは、やんわりと長い睫毛を瞬かせる。
フィリミティナの屋敷を出たとき、家族や使用人には挨拶を済ませた。
名残惜しく馬車の前で佇んでいたアデリアナに誰もが不思議そうな顔をして、それから微笑ましそうにして唇を緩めた。アデリアナは夜更かしばかりしていた娘であったから、寝不足だと思ったのかもしれない。
管理を任されている領地の街と村には、手紙と焼き菓子を詰めた小包を送った。早々と御礼の手紙が届いている。そこには、こまごまとした報告とともに頑張って下さいねということばが添えられていた。
そのほかには、何もしなかった。ずっと、何もしないと決めていたからだ。
ゆっくりと速度を落としていく馬車の中で、アデリアナは小さく息をつく。
物語において、しばしば轍の音は運命を連れてくると表現される。
もしこれが物語の一場面であったなら、からり、からりと連なるこの音は、確かにアデリアナを運命のもとへと運んでいくものなのかもしれなかった。
だって……と呟くように思ったそのとき、馬車が止まった。
扉が柔らかに叩かれて、外から開けられる。
白いお仕着せを纏った近衛騎士に差し出された手を取って馬車を降りたアデリアナの頬を、穏やかな春風が一撫でする。花の香りを含んだやわらかいその感触に、アデリアナは小さく微笑んだ。
真面目そうな騎士の説明を、アデリアナは淡く微笑んだまま聞いた。
まずは、これから一月の間滞在する居室に案内されるという。先に運び入れられているという長持を開ける際、立ち会いをしてほしいということだった。姫様には恐縮ですが、ということばにアデリアナは首を振る。そのことについては事前に聞いていたし、迎えの馬車にはアデリアナ本人と荷物しか乗ることを許されなかった。侍女もいないのだ、当然のことだろう。
近衛騎士の先導で歩き出したアデリアナは、懐かしい春の日のことを思い出しはじめた。
……そう、あのときもこんなふうに明るい光が射していた。
まだ夢の中で歩いているような時間が多かったあの頃、幼いアデリアナの爪先は本を読んでいるときだけうつつに触れられた。だから、花の影に隠れて本を読んでいたのだ。
よくわからないままに連れてこられた王城の庭園には息が詰まってしまいそうなほどに花が咲き乱れていて、休憩できるようにと小さな椅子が置かれていた。小さなアデリアナにとっては随分大きなそこに腰かけて、兄やほかのこどもたちから離れて膝の上で本を開いてどれくらい時間が経っただろう。
ふと文字の上に影が射して、アデリアナは目の前に、自分よりも少しだけ大きな少年がいるのに気づいた。四つ上の兄と自分の間くらいの年嵩に見えた少年は、アデリアナをじっと見つめている。それだけだったなら、アデリアナはすぐ本に目を落としただろう。
でも、違った。なぜなら、少年の周りにぱちぱちと弾けては消える光の彩りが、絶えず踊るように瞬いていたからだ。
(きれい)
しばしその光の軌跡を追って満足したアデリアナが再び文字の上に目を落とすと、開いていたページの上に一際大きな光がぱぁっと弾けた。瞬いたアデリアナが顔を上げた先、思いのほか近いところに、可愛らしい顔があった。柔らかそうな金の髪がふわふわと風に揺れていて、そこではじめてよく見たちいさな身体は、窮屈そうなくらいきっちりとした服で包まれている。
アデリアナの目は、少年の身体の中で一際光を纏わせているところ――輝石をそのまま嵌め込んだかのような瞳に吸い寄せられた。それは、うつくしいもので溢れたアデリアナの世界にもない輝きだった。
一緒に遊ぼうとか、こっちへおいでよとか。そんなことを言われたのだと思う。
心惹かれなかったといえば嘘になる。少なくとも、その瞳には気を惹かれたけれど。
幼いアデリアナは少し考えて、首を振った。
「ごめんなさい。いまは、本を読みたいの」
そのときアデリアナが読んでいたのは、この国の成り立ちから続く神世と呼ばれる時代の逸話を纏めたものだった。子供向けの本では描写が省略されていると知って、腹立たしくなってもう少し詳細なものがほしいとねだって手に入れた一冊だった。だから、どうしても屋敷に置いてくることができなかったのだ。
そうして本を読みはじめたアデリアナは、文字で綴られた世界に没入してゆく快さに包まれて、まばゆい瞳を持つ少年のことを忘れていった。
だから、子供向けとはいえ年齢不相応に文字の多い本を横から覗き込まれていることに気づいたのは、切りのよいところまで読み終えてからのことだった。
傍に何かあたたかいものがあることを不思議に思ったアデリアナは、いつの間にか隣に椅子がもう一つ据えられて、そこに先程の少年がちょこんと行儀よく座っているのを見て瞬いた。
「……あなた、ずっとそこにいたの?」
「うん。向こうにお菓子があるよ。料理長のジャンは、本当は一番力を入れたいと言ってるくらいお菓子作りに熱心で、とてもおいしいんだ。僕と一緒に食べない?」
「ありがとう。でも、いまはお腹が空いていないから大丈夫」
ほんとうに、あの時はお腹が空いていなかった。幼いアデリアナは正直に答えたに過ぎない。なのに、少年はじわじわとまろい曲線を描く頬を紅潮させてゆく。
(まるで果物みたいなほっぺたね)
でも、泣かれるのはちょっと困るわと思っていたアデリアナは、びっくりした。
少年が、あまりにも幸せそうに微笑んだからだ。
「見つけた! きみだ」
喜びに満ちた声が弾けた瞬間、目が痛いほどに光を増したきらめきが少年を包んだ。
幼いアデリアナは息を呑み、極彩色ということばがふさわしい様々な色が織りなして鮮やかに揺らめくきらめきに、ただ見とれた。
その日から、アデリアナはいつもふと本から顔をあげたときや何気ない日々の隙間に、この光のことを思い出すようになった。
楽しみにしていた本の、新しい紙とインクのにおい。咲き初めの花のやわらかい花びら、頬を撫でるやさしい風。あたたかい紅茶の香りに、時々眠る前に摘まんでしまう甘いお菓子の誘惑。
心地よいもの、素敵なもの。好きなものはいくつもある。
でも、何気ない瞬間に脳裡にひらめくのは、いつもちいさな光だ。ほかの何にも代えられない、綾をなすきらめき。アデリアナにとって一等眩しい、きらきらして素敵な何か。
……始末がわるいことに、それから十年以上が経ったいまも、あのきらめきに囚われている。
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