24話 アラミスの子竜 ルシア

『アラミス、いつ頃、卵を産むんだい?』




 ストレーゼンの竜舎で、グレゴリウスは今後の予定を組み直さないといけないかなと心配して尋ねる。




『2週間ぐらい先だから、ユングフラウに帰ってからかな。心配しなくても大丈夫だよ』




 ユーリとグレゴリウスは卵がお腹にあるのにと心配したが、アラミスは大丈夫だと言い切る。




「王宮の竜舎の親方に聞いてみよう」




 グレゴリウスはそう言われても心配なので、新婚旅行に護衛として付いてきている竜騎士に、親方を連れてきて貰うことにした。




「おお、よしよし……アラミスが卵を産むなんて……」




 親方は着くやいなや、アラミスを撫で回して喜ぶ。親方にビリーも付いて来ていた。




「ユーリ、いえ、妃殿下。イリスが産むんじゃないけど、孵角は俺にくれるよね」




 親方に睨まれて、妃殿下と言い直したビリーをクスクス笑いながら、ユーリはグレゴリウスにお願いする。




「イリスの子竜の孵角をあげる約束をしていたのよ。エリスの孵角はマックが拾ってしまったの」




 親方はそんな図々しい願いを言っていたのかと怒ったが、グレゴリウスは笑いながら承知する。




「やったぁ! これでマックに自慢されずにすむよ」




 飛び上がって喜ぶビリーを見ているだけで、ユーリ達も嬉しくなってくる。




「すいませんねぇ、子竜の孵角を貰ってやっと一人前の竜舎人みたいな風潮があるもんでねぇ。アラミスは健康そうですし、あと1週間ぐらいなら旅行を続いても大丈夫です。竜は卵を産んで孵すまでの間は神経質になりますが、腹の中にいる時は平気でしょう」




 グレゴリウスは竜舎の親方が言うなら安心だと思う。




「エリスに続いて子竜が産まれるなんて、目出度いや! ユーリも早く……痛い……」




 親方に余計なことを言うなと殴られて、ビリーは大人しくなる。




「アラミスに先を越されちゃったわ……」




 ユーリが愚痴るのを、グレゴリウスは未だハネムーンじゃないかと慰める。








 親方達がユングフラウに帰ると、グレゴリウスはユーリが世継ぎのプレッシャーを感じているのを心配して、少し息抜きが必要だと考える。




「今夜はユーリの手料理が食べたいな」




 ご馳走続きで胃が重たく感じていたユーリは、グレゴリウスが自分が愚痴ったのを受け止めたのだと悟り、気遣ってくれたのが嬉しくて喜んで料理をはじめる。ストレーゼンの離宮にも料理人が勤めていたが、グレゴリウスの要請で新婚の妃殿下が料理をするのを承諾する。




「プロの料理人の前で恥ずかしいけど、ご馳走続きだったから、あっさりした物が食べたいの。コンソメスープと、サラダと、鶏のソテーにパンでいいわ」




 ユーリは久しぶりに料理してリラックスしたし、グレゴリウスも新妻の手料理を楽しんだ。




「やっぱり、ユーリの手料理は美味しいし、ホッとする味だね。それに、こうして二人っきりで食べれるのも嬉しいな」




 女官達を下がらして、二人でゆっくりと話しながら夕食を食べるのは初めてだと笑いあう。下がらせて




「あと、一週間で新婚旅行もお終いだね。ユングフラウに帰ったら、ユーリは仕事を再開するの?」




 食後もゆったりと暖炉の前で焼きリンゴを作りながら、グレゴリウスは仕事を始めたら、疲れて相手をしてくれないのではという不安を隠して質問する。




「ええ、1ヶ月以上も休んでしまったもの。孤児院の改築工事の予算案は提出済みだけど、通るか心配だし。今回は見送ったけど、女性の職業訓練所の予算も諦めてないわよ」




 グレゴリウスはせっかくのリラックスムードだったのに、しまったなぁと後悔する。焼きリンゴを回しながら、ユーリは仕事モードになっていき、明後日、行く予定のプリウス半島の件を思い出す。




「ねぇ、グレゴリウス様、私は皇太子妃になって福祉課の仕事だけに制限されているけど……前からのプランを、グレゴリウス様に託したいの」




 グレゴリウスは新婚旅行中なんだけどと、仕事モードのユーリに呆れてしまったが、話を聞くにつれて興味が湧いてきた。




「確かにプリウス半島を迂回しないで、大東洋とアルジエ海をつなぐ運河があれば、貿易とかも東南諸島に独占されなくて済むかもしれないな。大東洋に面しているメーリングに一旦荷を下ろしてから、陸路でアルジエ海のラグナール港かルービック港に運ぶか、プリウス半島と東南諸島を迂回するしか無いからなぁ。カザリア王国や、ゴルチェ大陸からの輸入はラグナール港から陸路だし……」




 二人で地図を眺めて、プリウス半島の付け根にある二つの湖を結んで大東洋と内海を繋ぐ運河があれば便利だと話し合う。




「でも、この運河を造る予算は莫大になるな。ローラン王国との国境を護るバロア城の改築工事中で、国庫にはこんな大事業をする余力は無いよ」




 グレゴリウスは力を付けてきている東南諸島やゴルチェ大陸の国々に対抗するには、良いプランだとは考えたが、如何せん先立つ物が無い。




「そうね、今直ぐは無理かもしれないわ。でも、国が中心となってプリウス運河を造る会社を興して、株券で資金を集めるのはどうかしら? 運河の通行料が株主には支払われるの。きっと、興味を持つ貴族や豪商もいるはずよ。私は国家的プロジェクトには口を出せないから、グレゴリウス様にお任せするわ」




 グレゴリウスはユーリが国務省で色々としたい事があるとずっと言い続けていたのは、女性の職業訓練所とか託児所とかだけだと思っていたが、他にもいっぱいプランを持っていたのだと気づいた。




「ユーリ、他にもプランがあるんだろ? 私と結婚して、総て諦めるのか?」




 ユーリは皇太子妃が政治や経済や軍事に口を出すのは御法度だと知っていた。




「前世の朧気な記憶で、役に立ちそうなのは色々あるけど……ミシンを製作した時に感じたの。私が言い出さなくても、技術者達はいずれミシンを発明しただろうなって。プリウス運河は国家的プロジェクトだから、グレゴリウス様にしか出来ないから話したけど、他のはほっといてもいずれは誰かが発明してくれる筈だわ。ああ、でもメーリングの荷揚げは非効率的だわ……船が横付けに出来る堤防工事をして、巨大なクレーンを設置したら……」




 グレゴリウスは、ユーリが国家に有益なプランを埋もれさせようとしているのを残念に思う。自分と結婚しなければ、もっと自由に発言したり、アイデアを実現できたのではと思った。




「ユーリに、プランを諦めて欲しくないな。皇太子妃ではあるけど、竜騎士でもあるのだから。竜騎士は国に尽くすと、誓約を立てただろ」




 ユーリはグレゴリウスの気持ちが嬉しかった。




「ありがとう、仕事を続けるのを認めてくれて。でも、福祉課の仕事だけで手一杯だから、プランはグレゴリウス様にお任せするわ。実は、マウリッツ公爵にプランを山ほど預けているの。ユングフラウに帰ったら、叔父様と話し合ってね。私は女性の社会進出のプランだけで充分だわ」




「山ほどのプラン……全部、私に押し付けるつもりなのか?」




 グレゴリウスは焼きリンゴを回しているユーリを笑いながら、押し倒してキスをする。この夜、二人は焼きリンゴを食べることは無かった。








 プリウス半島を視察して、グレゴリウスとユーリは湖を利用すれば運河も実現可能だと真剣に考え出す。




「大東洋と内海の高さを調整する水門を何カ所か作らなくてはいけないし、運河に橋を掛けなくてはいけないわ」




「ユングフラウに帰ったら、学者達に相談しなくてはいけないな。橋も建設しなくてはいけないし、また予算がかかるなぁ」




 グレゴリウスは湖の深度調査も必要だし、実現までには時間が掛かりそうだと思ったが、運河が出来れば国家に有益だと考える。お付きの女官達は、新婚旅行中らしくない皇太子夫妻の会話を呆れて聞いていた。








 新婚旅行というより地方巡幸が終わり、ユングフラウの離宮に落ち着いた二人は、暖炉の前でルナとソリスの頭を撫でながら寛いぐ。




「離宮に帰ると、ホッとするね。接待地獄から解放されたし」




 ユーリはグレゴリウスにもたれかかって、足元のルナとソリスが一段と大きくなったようだと眺める。




『ルナも、ソリスも、大きくなったわね。そろそろ狩りを教えなければいけないわね』




 ルナとソリスは、ピクンと耳を立てて座り直す。




『狩りに連れて行ってくれるの?』




『兎が食べたい』




 グレゴリウスとユーリは、狼が肉食獣だと思い出す。




『いつ、狩りに行くんだ』




 待ちきれない様子で足踏みしだした二匹に、ユーリは言い聞かせる。




『解禁日まで待たなくてはいけないわ。それまでは、離宮の鶏で練習しても良いけど、狩っても良いのは私が放した鶏だけよ。卵を産む雌鶏を狩ったら怒るわよ』




 ユーリは何匹かの雄鶏を狼達の狩りの練習用に諦めた。グレゴリウスはアラミスが毎週餌を食べるのに慣れているが、ユーリが自分が育てた鶏を狼達に与えるのには何故かショックを受けた。




「雄鶏はどうせ食べるのよ。ハーブをやって美味しくなるように育てたけど、ルナやソリスに狩りを教えるとシルバーに約束したから仕方ないわ。農家では家畜を食べるのは生活の一部だったから……野蛮だと思ったの?」




 グレゴリウスはユーリが鶏達にハーブを与えている牧歌的な姿を美化しすぎていたと気づき、肉食獣の狼達が狩りを覚える方が重大だと納得して、悄げている妃を抱き締める。




「君が鶏達に餌をやっている可愛い様子に、誤解していたんだ。解禁日までに、ルナやソリスが狩りの練習をしなくてはいけないのは当然だよ。でも、ハーブ鶏は私の好物だから、狩りの練習用に生きた鶏を用意させるよ」




 ルナとソリスは、ハーブ鶏でなくてもOKだと了承する。ユーリとグレゴリウスは何羽かの雄鶏を王宮の奥深くに放して、ルナとソリスは狩りの練習に取りかかった。




『なるべく人目につかないところで食べてね。優雅な貴婦人達が、気絶したら大変だから』




『わかった』




 グレゴリウスは勇んで走り去る狼達を笑いながら見送る。




「鶏は飛べないから、簡単に捕まるでしょうね。本当は兎を放したいけど、庭師に怒られそうだわ。兎は増えるから、穴を掘って庭を荒らしてしまうもの」




「私が王家の狩猟場に、ルナとソリスを定期的に連れて行くよ」




 趣味としての狩りが好きになれないユーリは、グレゴリウスの提案に喜んだ。


 


「そうして下さると嬉しいわ。でも、猟場の番人は嫌な顔をするかもしれないわね」


 


「狼達は自分が食べる分しか狩らないから、大丈夫だよ。貴族達に猟場を貸すよりは獲物は減らないさ」  




 皇太子として貴族達と狩りをするのも仕事の一つだと、グレゴリウスは割り切っていた。 




「解禁日には、ユーリも狩りに来なくてはいけないよ」




 額に血を付けられてから、ユーリは狩りの誘いを断り続けていたのだが、釘を刺されて渋々承諾する。 




「明日から仕事に復帰するつもりなの。良いかしら……」




 グレゴリウスは結婚しても仕事を続けても良いと言ったし、ユーリの才能を埋もれさせるのは惜しいと頭ではわかっていたが、疲れたり、自分との時間が取れなくなるのではと、少し気掛かりに感じる。




「あまり疲れないように、気をつけるんだよ」




 皇太子妃になったユーリが竜騎士の制服姿で福祉課に復帰したのを、用も無いのに王宮にたむろしている暇な貴族達は陰口を言ったが、面と向かって言う勇気のある者は皆無だ。




「茨姫の騎竜に、火を噴きかけられては困りますからな」




「ゲオルク王の竜を射殺した皇太子妃ですから、怖ろしくて言えませんがねぇ。皇太子妃には、もっと重要な役目が有るでしょうに……」




「皇太子殿下の騎竜はおめでたみたいなのに、世継ぎはまだでしょうか。国王陛下は、もうお年ですし……」




 国王夫妻もグレゴリウスも、全員まとめて王宮から追放したい無能な貴族に限って、陰口に夢中になるのだ。ユーリも何となく気づいていたが、馬鹿な相手と喧嘩しても仕方ないと無視する。




 そのくせ、皇太子妃の側近として、離宮に自由に出入りできるクレスト夫人や、ビクトリアを羨んで、自分達の妻や娘が側近になれないのは何故なのかと国王に直談判したりする愚か者達も出る始末だ。温厚な国王も余りの愚かさに立腹して、先祖の功績だけで貴族の地位を確保しているに過ぎないからだと、怒鳴りつけそうになる。








 ユーリに対する陰口を聞いたマウリッツ公爵は、無能な貴族達が王宮に居られないように、元々借金漬けの愚か者達を排除する。




「おう、マウリッツ公爵の逆鱗に触れたみたいだな。


王宮にたむろしていた愚か者達が、夜逃げして領地に逃げ帰ったぞ。国務相、リュミエールを手放したのは惜しいな」




 公爵を継ぐ際に国務省を辞したリュミエールの手際の鮮やかさに、引退間際のマキャベリ国務相は同意する。




「確かに惜しいことを致しました。しかし、野にあるからこそ大胆不敵に動けるのです。国務省の官僚が、貴族達の借金を陰で取り立てさせたと知れたら、大問題ですからな。まあ、あの能無し達は、マウリッツ公爵にたどり着けないでしょう。何重にも迂回させていますから。それにしても、ユージーン卿とフランツ卿、二人の優秀な子息が外務省に取られるとは痛いですなぁ。ユージーン卿を、国務省に貰えないでしょうか?」




 国王陛下は同時に重臣が二人とも辞めるのは良くないだろうと、予算が編成出来るまで国務相を引き留めたのを後悔する。




「これこれ、マキャベリ国務相。新任のマッカートニー外務相を、苛めるのは止めなさい。外務省はジークフリート卿を、竜騎士隊に出すのだ。そんな意地悪を画策したら許さないぞ」




 メッと叱られて国務相は頭を下げたが、マウリッツ公爵は国務省勤務だったのにとブツブツ文句は言う。








 覚悟していたものの、皇太子妃としての公務と福祉課の仕事の両立に悩んでいたユーリにとって、アラミスの子竜ルシアが産まれたのは純粋に喜びを与えてくれる出来事だった。




『この子はルシア』




 アラミスは卵を献身的に温めて、食事も碌に取らずに側から離れなかった。グレゴリウスもなるべくアラミスの側に付き添うようにしていたので、卵にヒビが入り濡れた子竜が転がり出た時はユーリと抱き合って喜んだ。




『ルシア、可愛いなぁ』




 感慨に耽っているグレゴリウスとユーリだったが、竜舎の親方やビリーとマックは空腹を訴えるルシアに餌を与えるのに忙しい。




『次は私の番だからね』




 イリスは可愛い子竜を見て、羨ましくてたまらないと宣言する。 

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