17話 まさか貴女が……

 竜が二頭も舞い降りて、竜騎士が舞台に上がり、姫君役の女の子と抱き合うのを唖然として見ていた観客の中には、ユングフラウに行ったことがあるものもいた。




「なぁ、あれはグレゴリウス皇太子殿下じゃないのか?」




 そして、イルバニア王国一のモテ男であるジークフリード卿にも気づく。ハリエットの夫は、領地のワインをユングフラウに販売に行くことも多い。




「ジークフリード卿は、確か皇太子殿下の側近だったはずだ。という事は、やっぱり! あの三頭目の竜は、婚約者である茨姫の……大変だ、火を噴く竜だぞ!」




「まさか貴女が! 皇太子殿下の婚約者なの? 嘘でしょう」




 ハリエットは、ど田舎の農民の娘だったユーリが竜騎士だとか、よりによって皇太子の婚約者だなんて信じられなかった。




「お前の幼馴染が皇太子殿下の婚約者なのか! これは挨拶しなきゃいけないな」




「冗談でしょう! 何かの間違いよ。貧乏な農家の娘が何故?」




 日頃から妻の高慢な態度に嫌気がさしていたマッケンジーは、嫌がるハリエットの手を掴んで荷馬車の舞台に近づく。




「やめてよ!」




「幼馴染に挨拶ぐらいしなきゃ悪いだろ」




 グレゴリウスの胸で両親の死を思い出して泣いていたユーリも、ハリエットの甲高い声で涙をハンカチで拭く。




「ユーリの知り合いかい?」




 普通なら皇太子の婚約者の幼馴染がこんな旅芝居の観客にいる事は無いが、ユーリは両親が駆け落ちしたので農家の娘として育った。グレゴリウスは下で騒いでいる夫婦が気になった。




「まあね、知り合いと言えば、知り合いだわ」




 二人の視線がこちらを向いたので、マッケンジーは礼儀正しく帽子を取って頭を下げる。勿論、逃げ出そうとするハリエットの手は放さない。




「そなた達は、ユーリの知り合いなのか?」




「皇太子殿下、私はこの地方で農場を営んでいるマッケンジーと申します。こちらにいます私の妻は、婚約者の幼馴染なのです。このような偶然の出会いに感激して、言葉も出ないようです」




 真っ赤になり夫の手から逃れようとしていたハリエットは、グレゴリウスの金褐色の瞳と目が合うと、真っ青になって俯いた。ユーリは、少し前まではハリエットに対して腹を立てていたが、お祖母様の言葉を思い出して許すことにする。




「グレゴリウス様、ヒースヒルの小学校の同級生のハリエットです。久しぶりで再会して驚きましたの」




「そうか、ヒールヒルの友だちなのか」




 何だか他のユーリの幼馴染とは雰囲気が違うとグレゴリウスは変に思ったが、ハリエットに会釈し、夫のマッケンジーと握手して、その場を立ち去る。




 荷馬車の舞台から降りると、観客達は突然の皇太子のお出ましに驚き、道を開ける。劇が中断したままだが、それより田舎で皇太子に会う機会など滅多にないので、頭を下げつつも、興味深々で眺める。




「あのう、本当にユーリは皇太子殿下の婚約者なのかい?」




 観客達の話を聞いて、アマンダは驚きを隠せない。竜騎士なのは知っていたが、まさかあの茨姫だとは思いもしなかったのだ。ユーリは劇を無茶苦茶にしてしまったので謝る。




「ごめんなさい。助けて頂いたのに、劇の邪魔にしかなりませんでした。グレゴリウス様、こちらは私を助けてくれたローズ座長とアマンダさんです」




「ユーリを助けてくれてありがとう」




 ローズ団長は真っ赤になって差し出された手を握る。




「こんな事、一生に一度もない事だよ!」




 ジークフリードは観客達も皇太子と挨拶したいと騒ぎ出したので、早くこの場を立ち去ろうと促す。




「あっ、このドレスを着替えないといけないわ。グレゴリウス様、待っていて下さる?」




「それは良いけど……」なんだか変だとグレゴリウスは訝しむ。




「グレゴリウス様、後で説明するわ」と、ユーリに微笑まれると、グレゴリウスはキスぐらいはできるかもしれない期待で、友人の事など何処かへ飛んでいってしまった。




 竜に乗って空へと舞い上がったユーリを、複雑な思いでハリエットは睨んでいたが、夫には強気を通す。




「竜に乗るだなんて、レディらしくないわね」




 マッケンジーは、妻の不認識に呆れる。




「グレゴリウス皇太子殿下の婚約者であるユーリ・フォン・フォレスト嬢はローラン王国のゲオルク王の竜を倒した英雄なんだよ。その上、確か母上は王族の血を引いていると聞いたぞ」




「嘘でしょ! ヒースヒルでも貧しい農家の娘だったのに……」




「ああ、姫君と竜騎士の駆け落ちを知らないんだな、ユングフラウを揺るがした大スキャンダルだったのに。お前が馬鹿にしていた貧しい農家の娘は、立派なお姫様だったっていうわけだ」




 ハリエットは、何故、ユーリが自分が意地悪をしたのを皇太子に告げ口しなかったのか理解できなかった。そして、それが余計に負けた感じに思えて、夫にツンと顎を上げて命じた。




「疲れたわ、早く家に帰りましょう」




 マッケンジーは、見た目の美しさに騙された自分の愚かさを噛み締めながら、馬車に妻を乗せて家路を辿った。




 その頃、ユーリは孤児院に着き、上司のイージス卿に怒られていた。




「貴女ももう竜騎士なのだから、もう少し考えて行動しなくてはいけません。今回の件で、どれほど心配をかけたか反省して下さい」




 ユーリは、平謝りしていたが「あのう、ハンナは……」と気になった。




「私は竜騎士ではありませんから、行方不明になった貴女を探索もできません。なので、ハンナの件を調査しておきました」




「どうなったのですか?」




「それが芳しい結果にはならなかったのです。母親はハンナと暮らしたい気持ちはあるのですが、タレーラン伯爵家のお屋敷では子持ちの奉公は認めていないみたいで。普通は親戚に預けるのが一般的なのですが、それも見込めないから孤児院である程度大きくなるまで過ごすしかないようです」




「そんなぁ……」




 気落ちするユーリに、世間はそんな物ですと諭す卿だ。




「領民の世話は、本来はタレーラン伯爵家でするべきなんですよね!」




「それは、そうですが、そう理想通りにはいきません」




「そうね、メアリーも娘さんを親に預けて奉公していたし……」




 幼い時から侍女として仕えているメアリーを思い出し、領民に手厚い保護を与えるお祖母様でも子持ちの奉公は受け入れていないのかもとガッカリする。




 ユングフラウに帰ってからも、孤児院に戻されたハンナの泣き顔が、ユーリの心を重くする。




「ユーリ? どうしたの?」




 訳ありそうな友だちについて後で話すと言われたグレゴリウスは、フォン・アリスト家の応接間で浮かない顔のユーリを抱きしめて尋ねる。




「私が出来る事って本当に少ないのね。ハンナと母親を一緒に暮らさせてあげたいと思うけど、タレーラン伯爵家では子持ちの奉公は認めてないし……世間は厳しいのね」




「戦争で孤児も多く出たし、私も協力するよ。本来は領民の世話は領主がするべきなのだ。これは頭が痛い問題だね。ところで、あの友だちは?」




 グレゴリウスが少しでも孤児に興味を持ってくれたので、ユーリは喜ぶ。




「グレゴリウス様! ありがとう! ハリエットの事は良いのよ。ヒースヒルの小学校で一緒だっただけ」




「ヒースヒルの友だち? そんな感じがしない婦人だったけど……」




「まあね、仲は良かったとは言えないわ。でも、お祖母様が言われていた事を思い出したのよ。夫や婚約者が高い地位にいるから自分も偉いと勘違いしている馬鹿な貴婦人がいると。そんな馬鹿な女になって欲しくないと諌められたの」




 夫という言葉に、グレゴリウスの妄想は暴走する。




「私の地位でユーリは竜騎士になった訳じゃないし、勘違いしている馬鹿な貴婦人とは全然違うよ。それにしても、早く結婚したいね」




 二人でいちゃいちゃしていたが、マキシウスは結婚まで孫娘に不謹慎な真似はさせない。メアリーにお茶を運ばせて邪魔をした。


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