8話 困惑するシュミット卿

「カカオの価格が異常に値上がりしているな?」




 国務省の冷血の金庫番と異名を持つシュミット卿は、ユングフラウの市場価格調査表の変動に目を止めた。ユーリの指導の竜騎士として苦労したシュミット卿だが、無事に見習い期間を終えてくれホッとした途端、長年居就いていた財務部から移動させられ、国務次官に任命されそうなのだ。




 イルバニア王国は農業王国だが、カカオは南国からの輸入品だ。その交易を東南諸島連合王国が牛耳っているのを思い出し、シュミット卿は冷ややかに薄水色の目を光らせた。




「また何か仕掛けてくるのでは無いだろうな? ローラン王国に我国の小麦を密輸するだけでは飽き足らないのか?」




 前年、隣国のローラン王国との戦争中も、東南諸島連合王国は禁止している小麦を敵国に密輸して多大な利益を得たのだ。今回のカカオは、東南諸島や南のドルチェ大陸からの輸入品だ。シュミット卿は、至急に調査しろと部下に命じた。




 高齢のアルフォンス国王の重臣達も、若きグレゴリウス皇太子を支える為に新旧交代の時期になっている。先ずは外務相が引退し、そして長年国務省を率いていたマキャベリ国務相がナイジェル国務次官へと交代する。その忙しい筈のナイジェル国務次官が、わざわざシュミット卿の部屋に顔をだした。




「シュミット卿、グレゴリウス皇太子殿下の姿が見えないが……」




 次期国王になるグレゴリウス皇太子の教育係まで押し付けられたシュミット卿だが、竜騎士として一人前になっているのだから、前のユーリみたいには指導する必要性を感じていない。それでも、国務省の中での出来事は全て把握しているので、心配そうな上司に答える。




「グレゴリウス皇太子殿下は外務省に出向かれました」




 伝統的に外務省と国務省とは仲が良くない。




「外務省での研修は終えているのに、何故なのか?」




「さぁ、見習い竜騎士の時の指導者であるジークフリード卿の所へ行かれたのでは?」




 次期国務相のナイジェル卿は、次期国務次官のシュミット卿が財務には詳しいが、この様な王族との付き合いに疎いのに眉を顰める。




「グレゴリウス皇太子殿下の外務省での指導は終わり、今は国務省での研修の筈だ。何故、外務省のジークフリード卿に会いに行かれているのか? 貴卿は食堂でのグレゴリウス皇太子殿下とユーリ嬢の喧嘩をご存知ですか?」




 恋人同士の痴話喧嘩など国務省に勤める官吏が関わるべきではないと、シュミット卿は怒りを抑えてぐっと拳を握り締める。




「ユーリ嬢はいつも皇太子殿下と喧嘩しては、すぐに仲直りされます。だから、放置しておいても問題はありません」




 ナイジェル卿もいつもなら若い婚約者同士の喧嘩など放置しただろう。しかし、マキャベリ国務相から引き継ぐ時期で、神経質になっていた。ライバルの外務省にグレゴリウス皇太子が相談しに行ったのが、彼方を信用している風に感じたのだ。




 それに目の前の凄く優秀だがな冷ややかなシュミット卿と、外務省の柔らかな物腰なのに優秀なジークフリード卿をもくらべて溜息をついてしまう。




「ともかく、グレゴリウス皇太子殿下ともう少し信頼関係を築くように」




 シュミット卿は、何もかも投げ出して田舎の役場にでも務めたくなった。




「だから国務次官なんか御免なのだ!」




 いつも残業するシュミット卿だが、今日は愛妻のジョージィナと一緒に夕食を食べる事にして、早々に国務省を後にした。




「まぁ、サーシャ! お帰りなさい」




 優しいジョージィナをシュミット卿はこの世で最も大切にしている。厳しく指導されたユーリが見たら『嘘でしょ!』と叫びそうなほどの優しい態度で、奥方にキスをする。




 和やかにジョージィナの手料理を食べていたシュミット卿だが『子づくりのチョコレート』と聞いて、フォークを置いた。




「ジョージィナ? 子どもは天からの授り物だよ」




 結婚して十数年たっても相思相愛の二人だが、子どもには恵まれていない。シュミット卿は田舎の郷士なのだから、別に跡取りなどいらないと割り切っていたが、ジョージィナは違う。




 幼い頃に親が決めた許婚が竜騎士の素質があるとわかり、リューデンハイムに入学を許された時、もっと良い縁談が何件も舞い込んだ。それなのにサーシャはジョージィナに忠実だった。そんな夫に赤ちゃんを抱かせてあげたいと悩んでいたのだ。




「でも、ユーリ嬢のキャベツで、何組もの夫婦が子宝に恵まれ恵まれたわ。今度はチョコレートを配っておられるの。だから、お願いします! ユーリ嬢から『子づくりのチョコレート』を貰って下さい」




「馬鹿馬鹿しい。チョコレートで子づくりなど……ジョージィナ! ユーリがそんなことを言って、チョコレートを配っているのか?」




「いいえ、違うの。確か『セント・ウルヌスデーのお祝いのチョコレート』だとか……相思相愛のおまじないだそうだとか、玉の輿だとか……だって子作りの呪いのキャベツを作ったユーリ嬢ですもの。何だってありだわ」




 噂に惑わされてごめんなさいと謝る妻を宥めながら、どうしてユーリが関わると問題が大きくなるのだろうとシュミット卿は溜息をついた。




『カカオが高騰している理由はわかったな……それにしても、ユーリはもっと落ち着いて行動しないといけないぞ!』




 ユーリの指導の竜騎士だったシュミット卿は、皇太子妃になるには問題が多すぎるだろうと困惑するのだった。


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