9話 傷ついた心

「ごめんなさい、こんな夜中に」




 いきなり夜中というか明け方にユーリに叩き起こされたハンナとダンは驚いたが、暖かい家の中へ招き入れる。




「何か着替えを貸して欲しいの。それとユージーンには、お風呂と着替えが必要ね」




 北の砦から援軍が来たので、事情を説明するジークフリート以外がハンナの家に押しかけていたが、ユージーンは上着やズボンに付いた悪臭に閉口していた。ダンは黙ってお湯を沸かすと、自分の着替えをカーテンの向こうに差しいれる。




 ユーリはハンナと着替えに寝室に行き、ユージーンはお風呂に入っているので、グレゴリウスは暖炉の前でダンが淹れてくれたハーブティーに蜂蜜をたっぷり入れたのを飲んでうとうとする。




「ユーリ、こんなのしか無いけど」毛織物のワンピースはユーリにはぶかぶかだったが、ありがたく着替える。




「ハンナ、ありがとう」




 ぞっとする思い出の夜着とガウンを脱いで、健全な農家の主婦のワンピースを着ると、ユーリはホッとして、ハンナに抱きつくと泣き出した。




「怖かったの……死んだほうがマシだと思ったの……」




 ユーリの上等な夜着や指に光る大きなルビーの指輪に、何か大変な目にあったのだとハンナは感じる。




「さぁ、もう泣かないで。こうして無事だったんだから」




 ハンナに慰めて貰って、ユーリは少し落ち着いた。




「私は結婚できそうにないわ、男の人が怖いの。イリスが火を噴いたのは、私の恐怖心を感じたからだわ」




「何があったかは知らないけど、好きな人との結婚は別だよ。ユーリはいままで無防備過ぎたんだよ。男は狼だけど、好きな人となら大丈夫よ」




 そんな話をしているうちにマシュー坊やが起きて、ハンナはお襁褓を代えたり、おっぱいをやったりと忙しそうなのでユーリは居間に出る。




 丁度、ユージーンがお風呂から出てサッパリしたところだったが、力仕事の多いダンの服は一回り大きい。ユーリはプッと吹き出してしまう。




「似合ってないわね~」




 ユージーンは失礼だなとこぼしたが、ユーリがぶかぶかな農家の主婦の服を着ても可愛いのに気づく。


 


「ハンナが昨日のシチューがあると言ってたわ」




 勝手知ったる台所で、シチューを温めたり、パンやバターを食料庫から出すと、疲れ切っているグレゴリウスとユージーンと、夜中に起こされてお湯まで沸かしてくれたダンに凄く早めの朝食を食べさせる。




 グレゴリウスも、ユージーンも、昨日はほとんど食べ物を口にしていなかったので、シチューをお代わりして食べる。




「美味しかったです」




 ハンナがご機嫌のマシューを抱いて寝室から出てくると、ダンが赤ん坊を受け取り、ユーリと二人で朝食を山ほど食べる。グレゴリウスもユージーンも、ユーリがどれほど怖い目に会ったのか知っていたので、ハンナと食べているのを見て安心する。




 二人で食器を片付けていると、暖炉にユージーンが汚れた上着とズボンを投げ込んだ。ユーリも夜着とガウンを投げ込んで、燃えてしまうとホッとした。




「少し休憩できて良かったです」




 グレゴリウスは、初めての実戦で命の取り合いを体験して、精神的にも、肉体的にも疲労困憊していたのが、ハンナの家庭的なもてなしで癒されたのを感じる。




『ラモスとパリスが来たよ』




 イリスとアラミスは疲れてきって休憩していたので、アトスがジークフリートとマキシウスの到着を知らせる。 




「皇太子殿下、ユーリ、無事で良かった」




 マキシウスはユーリを抱きしめる。ユーリは改めて無事に帰れた安堵感が込み上げて来て、涙が溢れてしまう。




 グレゴリウスは自分を帰国させる為に身を盾にしてくれた竜騎士達がどうなったのか、気になって仕方がない。




「シャルル大尉、ヘンダーソン大尉達が、どうなったのかご存知でしょうか?」




 マキシウスはグレゴリウスが心配しているのは当然だが、今はわからないとしか答えられない。




 暗い表情になったグレゴリウスを心配して、ユーリは竜心石を使えばシャルル大尉のサイラスと話せるかもと考える。失敗してガッカリさせたく無かったので、テラスにそっと出て真名の『魂』を頭に浮かべる。




 竜心石が輝き出したのを手に握り込むと、サイラスに竜騎士達の安否を聞く。




『サイラス! シャルル大尉や他の竜騎士の人達は無事なの? 教えて!』




 やはり無理だったのねと思いかけた時に、微かな返事が聞こえた。




『シャルルは怪我をしたけど大丈夫だよ。ヘンダーソンも大丈夫。


 サリンジャーはかなり重傷だけど、命に別状はない。他の二人はかすり傷だけだ』




『シャルル大尉や他の方に、お大事にと伝えてね』




 ユーリは竜心石を使うとドッと疲れてしまったが、知らせを早く伝えてグレゴリウスを安心させたかった。ユーリは居間に入ると、サイラスの言葉をグレゴリウスに伝える。




 サリンジャーが重傷と聞いて、顔を暗くしたが命に別状がないと知り、ホッとしたグレゴリウスだ。他のメンバーも、竜騎士達が命に別状がないと聞いて安堵する。




「ユーリ、ケイロンにいるサイラスと話したのか?」




 マキシウスは孫娘の魔力の強さに驚き、モガーナの血だと感じる。 




「国王陛下には無事帰国したとのみギャランス経由で報告したが、早くユングフラウで顔を見せて安心させてあげなくては」




 ユングフラウまで飛べますかとグレゴリウスに尋ねると、疲れているけど大丈夫だと返事があったので、慌ただしくハンナにお礼を言うと全員で飛び立つ。








 懐かしい王宮に着くと、昨夜から心配で眠れなかった国王に謁見した。




「グレゴリウス、ユーリ、無事で良かった。ジークフリート卿、ユージーン卿もご苦労だった」




 ケイロンからの脱出がどれほど困難だったのか、国王は皇太子を守り通してくれたジークフリートに感謝した。




「完全に罠に引っかかってしまいました。皇太子殿下や、ユーリ嬢の身を危うくさせて申し訳ありません」




 外務相は無事帰国出来て安堵したが、万が一のことがあれば自分の命を捨てても責任はとれなかったと自責の念に捕らわれる。




「無事に帰国できたのですから、自分をあまり責めないで下さい。シャルル大尉、ヘンダーソン大尉は怪我をしましたし、サリンジャー大尉は重傷だそうですが、皆命に別状ないそうです」




 国王も外務相も、皇太子を脱出させようと身を呈した竜騎士達が怪我をしたものの命が助かったと聞き安堵したが、どうして知っているのかと疑問を持つ。




「ユーリが、シャルル大尉のサイラスに聞いてくれたのです」




 国王は農民の服を着ている、ユーリとユージーンがどんな目に会ったのかと心配した。




「国王陛下、この指輪が抜けないのです。一瞬たりとも、填めときたく無いのです」




 ユーリがヒースヒルで石鹸で何度も抜こうとしたのに、指輪は指から抜けなかったのだ。ユーリが指ごと切り落とそうとするのを、何らかの契約の魔法がかかっているのだろうと皆に止められたのだ。




 グレゴリウスも結婚指輪を憎らしげに睨む。




「ユーリはルドルフと結婚式をあげたのか……」




 国王は結婚指輪を見て、驚き困惑する。




「あんなの結婚式と認められません! ユーリは絶対に嫌だと司祭に叫んでましたし、ルドルフ皇太子も嫌がってましたから。


 ゲオルク王はコンスタンス妃を人質にして、ルドルフ皇太子に婚姻を強制したのです。


 司祭もこれでは式を取り上げられないと、何度もゲオルク王に抗議してましたし、誓いの言葉も言ってません。


 指輪もルドルフ皇太子ではなく、ゲオルク王がユーリに嵌めたのです」




 ユージーンの言葉で、どんなに恐怖感をユーリが持っただろうと全員が心を痛めたが、一国の皇太子妃の問題なのでハッキリしなくてはいけない点があった。




「ユーリ、聞きにくいのだか……結婚は成立したのか」




 グレゴリウスは怒りの声をあげたが、ユーリは、まさか! と否定する。




『ユーリには指一本触らせない!』イリスの大声に、竜騎士達は耳を押さえる。




 ユーリが無事だったと確認できて、全員が心から安堵する。




「ルドルフ皇太子は、私との結婚を望んでいませんでした。ただゲオルク王に結婚を成立させないと、コンスタンス妃を不義密通の罪で処刑されると脅されていたのです。ヘーゲルが見張りとしてバロア城に残っていましたが、ゲオルク王が竜心石を置いて城を離れてくれたので、結界を破ることができたのです。ゲオルク王は2つ竜心石を持ってましたが、1つは砕けたと思います」




 ユーリの説明を聞いていた国王は、顎から頬にかけて痣が薄くあるのに気づき心を痛めた。




「ユーリ、顔に痣がある、ルドルフに殴られたのか?」




 ユーリはハッと痣のある場所に手をあてると、違いますわと応える。




「これはゲオルク王に振り払われた時のだわ。結婚式で私が嫌だと騒ぎ立てるから、司祭が式をあげるのを渋っていたので、ゲオルク王が私の口を塞いだの。思いっきり噛みついてやったら、振りほどこうとして床に叩きつけられたのよ。助け起こそうとしてくれたルドルフ皇太子を投げ飛ばして、剣を奪ってユージーンの縄を切ろうとした所で、兵士に取り押さえられたの。やはり武術を、もっと真面目にしとけば良かったわ」




 ゲオルク王に噛みついたり、ルドルフ皇太子を投げ飛ばしたり、これは結婚式とは認められないだろうと全員が思う。




「イルバニア王国の国王として、ユーリ・フォン・フォレストと、ローラン王国ルドルフ皇太子との婚姻は無効だと宣言する!」




 不思議なことに国王の宣言のあとで、指輪はユーリの指からスルリと抜け落ちた。腹立たしいと、指輪を投げ捨てようとするユーリの手を握ると、ユージーンはこれは正式に送り返すと指輪を受け取る。




 話し合いの間、あまり口を開かなかったジークフリートは、ユーリの結婚が無効だとの宣言を聞いてホッとして、その場に崩れ落ちた。




「ジークフリート卿!」




 グレゴリウスが驚いて、ジークフリートを支えると手に血がべっとりとついた。




「怪我をしている! 医師を呼んでくれ」




 医師が来るまでの応急処置をユーリが施し、意識を取り戻す。




「何故、怪我をしてると言ってくれなかったの!」




 心配しているユーリに叱りつけられて困った顔をしたジークフリートだったが、駆けつけた医師に救護室に運ばれていった。




「あの時に、気づくべきだったんだ! ユーリが寒さに震えている時に、私に上着を貸すように指示したんだ。あのジークフリート卿が、女の子が寒がっているのに自分の上着を貸さないなど……」




 自分を護る為に身体を盾にしてくれたジークフリートが心配で、居ても立ってもいられないグレゴリウスをユーリが慰める。




「ジークフリート卿なら大丈夫よ。パリスもついているもの」


 


 グレゴリウスはユーリを抱きしめて、お互いの無事を確認しあう。その間も、ユージーンはバロア城脱出の様子を国王に報告していた。




「イリスが火を噴いたのか! ユーリを無理やり結婚させようとするから、怒ったのだな。バロア城は半壊の上に火災かぁ、いい気味だ」




 ユージーンは茨が伸びていたようなのは、夜目だったのではっきりしないと報告した。茨が逃げ惑う人々を棘で刺したと聞き、全員がユーリを怒らせないでおこうと決意する。




 医師からジークフリートは出血が多かったから当分は安静が必要だけど、怪我は全て浅いから大丈夫だとの報告を受けて、グレゴリウスもユーリも安心する。




「良かった!……ユーリ!……大丈夫か」




 結婚が無効と宣言されて、憎々しい指輪も抜け、ジークフリートが大丈夫と聞いた、ユーリの張り詰めていた神経は限界を超えてプチンと切れた。




 意識を失ったユーリを抱きかかえて、グレゴリウスは竜心石と真名を使い過ぎたのだと思った。額に手をあてると、熱が出ているのに気づいた。




 報告に来ていた医師は、魔力の使いすぎの発熱だろうと言ったので、治療は熱を冷まして安静に寝さすだけならとマキシウスは屋敷にユーリを連れて帰る。




 グレゴリウスもユージーンも、体力の限界だったので、それぞれベッドに倒れ込んだ。




 散々な結果になったコンスタンス姫の救出作戦の責任を取ると、外務相は辞表を国王に提出した。しかし、ローラン王国からは皇太子妃の帰国を求める書簡が連日届き、こちらからも同盟を結ぶ特使として派遣した皇太子に対する攻撃に抗議したり、結婚の無効を宣言したりと忙しい時期に寝ぼけた事を言うなと却下される。




「春には、ローラン王国との戦争だ。もう我慢にも限度がある。あちらも皇太子に攻撃をかけたのだから、元々そのつもりだろう。ケイロンの大使館に攻撃を掛けなかったのは、カザリア王国や他の国の大使館も警備に協力してくれたからだと聞いている。ゲオルク王と騎竜カサンドラは、非常に老いていると聞いた。魔力の使い過ぎなのだろが、破れかぶれになっているのかもしれないな」




 国王は北の大国ローラン王国の荒涼とした大地を統治するのに飽いたのかもしれないと、ゲオルク王の焦りを感じる。

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