16話 風の魔力
「多分、バサールの中の建物だったわ」
港町のメーリングに着いて、さてアスランの宿泊場所はと上空を三回ぐらい回ったが、同じような建物が多くてユーリは困ってしまう。一旦、港に着地して他のメンバーは、あやふやなユーリの記憶力に呆れる。
「もう、返さなくても良いんじゃない」
フランツは、ユーリが酔っ払い達に絡まれていたのを助けてくれたアスランとやらに会いたくない気分120%だ。高価な竜湶香などを付けている男を、ユーリの側に近づけたくなかった。
『イリス、どの建物だったか覚えてない?』
おいおい、竜だのみなのとフランツは方向音痴に呆れる。
『夜だったし、パニックになりかけていたから。ユーリの側に行きたいという思いだけだったから、覚えてないよ』
騎竜のイリスがパニックになるほど心配させるなんてと、グレゴリウスとフランツに睨まれて、首をすくめるユーリだったが、アスランに100クローネ金貨を返すまでは諦めそうにない。
「東南諸島王国の衣装だったのだろ。確かメーリングには領事館があったはずだよ」
「さすが、フランツは外務省で見習い実習しているだけあるわね。領事館に行って聞いてみましょう。かなり裕福そうな身なりだったから、知っていると思うわ」
ユーリの裕福そうな身なりと聞くまでもなく、竜湶香や、100クローネ金貨を見ず知らずの女の子の為に、酔っ払い達にくれてやる態度から、嫌な予感満載のメンバーだ。
「ところでアスランとかは、偶然通りかかったのか」
グレゴリウスは途中で簡単な説明をイリスからアラミス経由で聞いただけなので、色々と疑問があった。
「あっ、アスラン様の竜のメリルがイリスが騒いでて眠れないと苦情を言ったから、助けに来てくださったの。イリスが心配して上空で大騒ぎしていたから迷惑かけたのよ」
「アスランは竜騎士なのか!」
エドアルドも、初耳で全員から怒鳴られる。
「ええ、そう言わなかったかしら。あっ、イリスにメリルの居場所を聞けば良いのかも……睨まないでよ~」
領事館に行って事を公にしたくなかったので、イリスに先ずは聞いてみることにする。
『イリス、メリルの居場所はわかる?』
『ユーリ、無理だよ。メリルとは会ったこと無いもの。でも、騒いだら出てくるかな』
昨夜に引き続きメリルを煩わせたく無かったので、ユーリは騒がないでねと止める。
「やはり領事館に行くしかないな。グレゴリウス皇太子殿下や、エドアルド皇太子殿下は、身分が身分ですから、ここで待っていて下さい。ユーリと僕とで行ってきます」
なるべく大袈裟にしたくないと、フランツとユーリが東南諸島連合王国の領事館に入るのを心配そうに両皇太子は眺める。領事館の前には厳つそうな護衛が半月刀を腰にさして、二人で石像のようにピクリとも動かず立っている。
「瞬きもしてないわ、本当の人間かしら?」
ユーリはフランツが領事館に尋ねたい事があると護衛に声をかけている間、ピクリとも動かない二人を興味深く眺める。
「お通り下さい」
すんなりと通されたのにフランツは怪訝な気持ちになったが、受付を通り越して応接室に通されたので警戒心を発動する。
『なんか様子が変だと、グレゴリウス皇太子殿下に伝えてくれ』
普通に応接室に座っているフランツが、ルースに警告を発するのをユーリは驚いてしまう。
「私は東南諸島連合王国のメーリング領事館のシーザリオ一等書記です。何か尋ねたいことがあると聞きましたが、どういうご用件でしょう」
「私はフランツ・フォン・マウリッツです。夜間にご迷惑かけてすみません。昨夜、従姉妹がメーリングで道に迷い困っているのを助けて下さったアスラン様を探しているのです。迷って狼狽えていたので、お礼もろくろく言ってないみたいです。ただ、従姉妹は逗留先も覚えていなくて、困っているのです」
嘘ではないが、はしょった説明にシーザリオ一等書記は、あっさりとアスランの宿泊場所を教えてくれた。
「アスラン様は、大商人シェリフ様の御子息です。バサールの中の商館に滞在されてますよ。わかり難いでしょうから、護衛に案内させましょう。可愛い令嬢が夜のバサールを歩かれるのは、付き添いがいらしても危険ですから」
なんだか親切過ぎないか? とフランツは不審に感じたが、とにかくサッサと100クローネ金貨を返して、ユングフラウに帰りたかった。外で待っていたグレゴリウスとエドアルドは、ルースからの警告を受けて心配していたが、程なくユーリがフランツと護衛を連れて出てきたのでホッと胸をなで下ろす。
「エドアルド様、グレゴリウス様、護衛がアスラン様の逗留場所まで案内してくれるそうです」
フランツが皇太子の身分を、なるべく知らせまいとしているのに全員が気づく。グレゴリウスはこんな時以外でも、名前で呼んでくれたら良いのにと、内心で愚痴る。
バサールの中は屋台から空腹を刺激するスパイシーな香りが漂っていて、フランツはサッサと100クローネ金貨を返して、何か食べたいなと呑気なことを考える。
護衛が商館の前まで案内してくれたので、フランツは呼び鐘の紐を引く。商館の中で鐘の音がするや否や、ドアが開けられて執事らしき男が何か御用ですかと尋ねた。
「私はフランツ・フォン・マウリッツと申すものです。こちらにアスラン様がいらっしゃると、領事館で聞いて伺いました。昨夜、従姉妹が親切に助けて頂いた、お礼を申し上げにまいりました」
執事は「こちらへ」と、言葉少なく二階へと案内する。一階は商館の事務所になっていたが、二階はここがイルバニア王国とは思えない東南諸島連合王国の、エキゾチックな家具で設えてある。
「そちらに座ってお待ち下さい」
低めのソファーが絨毯を囲んで部屋の周りを囲んでいる。ソファーには色とりどりのクッションが、あちらこちらに置いてあった。
ユーリがソファーに座ってあれこれ眺めているのを、フランツは行儀悪いよと小声で注意する。
「これは大勢でお越しですね。ユーリ、わざわざ返しに来て下さらなくても良かったのに」
浅黒い肌に白いゆったりとした長衣を着て寛いだ様子のアスランが、邪魔者が多すぎるなと露骨な態度で挨拶する。
「私はフランツ・フォン・マウリッツです。昨日は従姉妹が助けていただき、ありがとうございました。その上、100クローネ金貨をお借りしたとか、お返しに参りました」
東南諸島連合王国では女性は家にいて外に出ないと聞いていたので、身内のフランツがユーリの代わりに話を進める。差し出された100クローネ金貨を、興味なさそうにアスランは受け取る。
「昨夜はお礼もろくろく言えませんでしたが、ありがとうございました」
ユーリは一言でもキチンとお礼を言いたかった。アスランは昨夜の酔っ払いと喧嘩していたユーリと違うお淑やかな態度に、つまらないなと感じる。
シーザリオにユーリという名前の女性竜騎士はいるかと聞くと、大きな溜め息と共に貴方様の結婚相手として申し込んでいる令嬢ではありませんかと教えられた。
その時に、イルバニア王国のグレゴリウス皇太子と、カザリア王国のエドアルド皇太子が夢中ですから、こちらには勝ち目がないと告げられてカチンときたのだ。アスランとしては竜騎士の能力が重視される両国の皇太子が取り合うのは勝手だと思ったが、はなから相手にされてないのは業腹だ。
今夜も身内のフランツは仕方ないが、名乗らないものの身のこなしから皇太子と思われる二人が、ユーリの為にやってきたのだと思うと何故か苛っとする。
それに旧帝国から別れた三国が、東南諸島連合王国の社会制度を誤解しているのにも前から苛立っていた。女性が家にいるのと、一夫多妻制度を、この三国が特に蔑視しているのがあからさまなので、若いアスランは許せなかったのだ。
海洋国家の男達は長旅に出ることも多いので、家の事は第一夫人が取り仕切り、第二夫人が実質的な妻だという制度は誤解されやすいのだ。
アスランはその誤解を逆手に取って、お淑やかを装っているユーリの化けの皮を剥がしてやろうと思った。そして、名乗りもしない皇太子達にも、意地悪をしてやろうとほくそ笑む。
自分も王子だと名乗ってないのは、気まぐれなアスランにとって全く別の問題だ。
「フランツ、君はユーリの身内として失格だな。我が国では、一人で女を夜の街を彷徨かせるとは、考えられない。それとも、実はユーリの持参金を出すのが惜しくて、そこらの娼婦にでも売り飛ばされていたら良いと思ってたのかな。まぁ、あのうるさい竜がついているから、その作戦はかなり無理が有るだろうが」
アスランの侮辱する言葉に全員が怒ったが、特にユーリは自分の落ち度をフランツの陰謀みたいに言われてキレた。
「馬鹿なこと言わないで下さい。私が夜の街を一人で歩いていたのは、私一人の不注意でフランツのせいじゃないわ。それに持参金と、フランツは関係ないわ。助けて頂いたのはお礼を言いますけど、貴方って最低だわ!」
キャンキャンと可愛い愛玩犬が吠えるのを見るように、アスランはユーリの抗議を無視する。その女性蔑視な態度に、グレゴリウスも、エドアルドも、プチンとキレた。
「ユーリ、こんな奴に礼など必要ない。サッサと帰ろう」
「そうだ、お金も返したのだから、帰りましょう」
アスランはユーリのお淑やかな化けの皮を剥がして、少し愉快になってきたので退屈を紛らす玩具を早々に手放すつもりはない。
「おや、そこの二人はユーリの身内かな。名乗りもしないから、召使いかと思っていたが。それでは、お前たちがユーリをメーリングの夜のバザールに行かせたのかな。まあ、名乗ることも出来ないのは後ろめたいからだろう。私には、そんな根性無しには興味もないから別に良いがね」
傲慢な態度に皇太子達がキレて名乗るのを避けようとフランツは、サッサと帰りましょうと席を立とうと促したが、カンカンになった三人はアスランにくってかかる。
「貴方、頭が悪いの? さっきも私が一人で歩いていたのは、私の不注意だと言ったでしょ。なんで、こんな馬鹿とメリルは一緒にいるのかしら」
アスランは、メリルを持ち出されて、カチンときた。
「キャンキャンうるさいぞ! 少し黙っていろ!」
アスランがユーリの方に手を振ると、ユーリの口はパクパク動いてるのに、声は聞こえなくなった。
「ユーリに何をしたんだ!」
三人が同時に怒鳴るのを悠然とした態度で、アスランは無視する。
「躾けのなっていない女だ。男の話に、口を挟むなと教えてないのか。そちらの二人はユーリとどういう関係で、ここへ来たのだ?」
グレゴリウスも、エドアルドも、ユーリが何かの魔法で声を封じられたのだと、アスランを睨みつける。
「私はグレゴリウス。イルバニア王国の皇太子だ。ユーリのハトコとして、ここに来た。ユーリにかけた魔法を解け!」
やっと一人は名乗ったなとアスランは、其方はと傲慢に顎で促す。
「私はエドアルド・フォン・カザリアンだ。ユーリの求婚者として此処にきた。サッサとユーリにかけた魔法を解きなさい」
グレゴリウスはエドアルドが求婚者と名乗ったのに、自分もそう言えば良かったと言い直そうとしたが、ユーリがキャンキャン言いだす。
「何をするのよ! 風の魔力で人の声を封じるなんて、卑怯者!」
アスランは、自分の風の魔力がユーリに打ち破られたのに唖然とする。
「貴女は、風の魔力持ちなのか?」
フランツはユーリが風の魔力持ちとは知らなかったが、東南諸島連合王国では重視されていると知っていたので拙いと思う。
「さぁ、ユーリ! 長居は無用だ、帰りましょう」
フランツがこんな無礼者を相手にする必要ないと、一行に帰ろうと促す。
「すみませんでした。其方の皇太子殿下達が名乗りもされないので、一介の商人風情と馬鹿にされたのだと誤解しまして、感じの悪い態度を取ってしまいました。それに旧帝国の三国では、東南諸島連合王国の風習が誤解されているのにも、前から苛ついていたので、貴方達のイメージに合わせた女性蔑視の振りを演じてみたのです。ご不快に思われたでしょう、お許し下さい。せっかく両国の皇太子殿下をお迎えしたのに、このままお返したら父に叱られてしまいます。どうか一献傾けて下さい」
打って変わって愛想の良い態度になったアスランに、フランツもグレゴリウスもエドアルドも、胡散臭さ200%だと思ったが、パンと手を叩くと次々と召使い達が料理を運んでくる。
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