45話 アンリ卿とユーリ
「叔母様、行ってきます!」
ユーリは、アンリとパーラーの改築工事を業者と話し合うために出かけた。
「あれ、ユーリは?」
ユーリ達は夜中前に早々にタレーラン伯爵家を退出したが、フランツ達は早く帰りたいと思いながらも夜中を回ってからの帰宅になってしまったので、朝はゆっくりしていたのだ。
「もう出かけましたよ。今夜はモガーナ様が後見人をされるから、フォン・アリスト家に帰るでしょう。ユーリのドレス姿が見れないのは残念だけど、私も少し疲れたから休みますわ」
フランツとユージーンが侍女を付けずに外出させたのに気づかないうちに、マリアンヌは自室に下がる。
「何か変だな?」フランツはユージーンと二人きりで遅めの朝食を食べながら、母上の様子を怪しんでいた。
「フランツ、さっさと食べろ! パーラーに行くぞ。
母上は、ユーリをアンリと二人きりで外出させたんだ。後ろめたいと思っているから、態度がおかしかったのだ」
だが、ユージーンもフランツも、パーラーには行けなかった。公爵に捕まって、領地管理について家令と話し合うように命じられたからだ。また後日にして下さいと抗議したが、アンリの邪魔をさせたくないと考えている公爵は許してくれなかった。
「此処に暖炉を作りたいの、できるかしら?」
大工の親方は、煙突が元々有るから大丈夫だと引き受ける。
「こちらの内装工事が終わって、間の壁の一部を壊す予定なの。一週間、パーラーを閉めて工事して貰うつもりよ。従業員の女の子達も、休暇が取れるから家に帰れるわ。冬至祭に帰らしてあげたいけど、駅馬車も混むし、冬至祭は忙しいから無理なのよね」
二人は仲良くパーラーでお茶をしながら、新作のクレープの試食を楽しむ。
「クレープになっても、順調そうですね。いつもお客様であふれています」
夏場のアイスクリームより、クレープとお茶の方がカップル率が多いのにアンリは気づいた。可愛らしい内装と、明るい雰囲気なので、令嬢をデートに誘いやすいし、後見人の貴婦人達もレストランでの食事より気楽に許可しやすいのだ。
セントラルガーデンを散策して、ワイルド・ベリーでお茶をするのが、ユングフラウの若い人達の間では人気のデートコースになっていた。
「少しセントラルガーデンを散歩しませんか?」
アンリの誘いに、ユーリは少し戸惑った。
「気持ちの良い日だし散歩したいけど、まだ他に用事がありますの。一旦、フォン・アリスト家に帰って、侍女を連れてこないと駄目なのかしら、面倒くさいわね」
「どこか用事なら、エスコートしますよ。それなら、侍女を迎えに行かなくても済みますよ」
アンリの提案に、ユーリは喜んだ。
「良いんですか? アンリ卿もせっかくのお休みなのに」
「夜の舞踏会まで暇ですから、大丈夫ですよ。それに私はドレスアップする必要ありませんからね。何処へ行かれるのですか?」
男性は楽でいいわねとユーリは羨ましく思った。
「ミシンの改良型が出来たと、伝言がありましたの。見に行く暇が取れなかったから、行きたいの。後は算盤のデモンストレーション用のを見に行きたいの」
アンリはミシンに興味があったし、頭脳明晰なので、ユーリよりも技術者との会話がスムーズに進んだ。
「アンリ卿について来て頂いて、良かったわ! 私はどうも説明が下手で、しょっちゅうケンカになっちゃうの。こういった機械が欲しいと思っても、伝えるのが下手なのよね~機械音痴なのよ! 叔父様も私より説明が上手いから、お任せした方が早く完成しそうね」
アンリは機械音痴だというユーリが、風車や、ミシンを開発するのを不思議に思う。
「機械音痴なのに、ミシンを思いつかれたのですか? 説明の仕方に、慣れてないだけですよ。次は算盤のデモンストレーション用? 何をデモンストレーションされるのですか?」
「この前、国務省の実習生に算盤の使い方を説明する時に困ったから、大きな算盤を作って貰ったの。小学校とかで、先生が教壇で使える大きさの物にしたの。でも、普通の算盤は珠がスムーズに動かなきゃ行けないけど、デモンストレーション用のは止まってくれないと駄目なのよ。で、また親方とケンカしちゃったの、ご機嫌が治っていれば良いけど……」
ユーリの心配通り、親方の機嫌は悪かった。
「今まで、もっとスムーズに動くようにしろと、散々文句付けたくせに! 今度は立てたまま使って、珠が落ちないようにしろだと! 我が儘言うんじゃねぇよ」
職人の口の悪さにアンリは驚いて、割って入ろうとしたが、ユーリは慣れていて平気だ。
「その口振りは出来たのね! 見せて」
喜ぶユーリに、苦虫をかみ殺したような職人の親方は、少し照れくさそうにする。
「嬢ちゃんには、かなわねぇなぁ。おい、持ってきな」
弟子が大きな算盤を持ってくると、ユーリは早速試してみる。
「少し珠が動かしにくいわ。パチンと動いて、止まるのが理想なの。ヨッコイショって感じだわ。珠が落ちないのは良くなったけど、もう少し改良して欲しいわ」
ユーリが文句をつけると、親方の顔が真っ赤になる。
「何だと! 珠が落ちないようにしろと言ったくせに、これ以上滑らかに動けるようにしたら、珠はずれ落ちるぜ」
怒鳴る親方に、ユーリも負けずに怒鳴り返す。
「そのギリギリを作るのが職人技でしょ! ああ、うるさいから怒鳴らないで」
二人の怒鳴り合いには弟子達は慣れているようで、首をすくめて作業を続けていたが、アンリは驚き呆れてしまう。
「ユーリ嬢、落ち着いて話し合った方が良いですよ。
小学校で先生が教壇で生徒に教える為に使いたいから、後ろの席からも見えるように、大きな算盤で珠が落ちないのが必要なのです。でも、これでは珠が動かし難いので、授業がスムーズに進みませんし、先生も手が疲れてしまいますね」
アンリはデモンストレーション用の算盤の珠を、1+1=2と声を出して使って見せたが、珠を両手で動かさなくてはならなかった。
「力を入れれば、片手でも動かせますが、女の先生だと両手でないと無理ですね。小学校の先生は女の先生が多いから、もう少し手に優しい方が楽でしょう」
親方は算盤の使い方すら知らず、わけのわからない道具を作らされていたので不満が溜まっていたが、アンリの説明で合点した。
「お嬢ちゃん、こりゃあ、いい道具だね! 家の倅達も算数が苦手で指で計算してたが、指は10本しかないからね。兄ちゃんみたいに説明してくれりゃあ、わかりやすいんだよ。金もなかなか払いに来ないし、オチオチ作ってられない気分になるのさ」
アンリは『兄ちゃん』と呼ばれて驚いたが、ユーリがカンカンに怒って親方に食って掛かるのにクラァとなる。
「失礼ね! ちゃんと私も説明したわ。親方が聞く耳をもたなかったのでしょ。お金は支払うと言ったのに、屋敷に取りに来るからお祖父様に叱られたわ。きっちり支払ってるのに、何で信用ないの?」
「いや、あん時は……こちらは現金商売なんだよ! 材料を現金で支払ってるのに、製品を受け取ったのに金をくれないお嬢ちゃんが悪いんだ。木材屋に、支払わなきゃいけなかったんだよ! でも、お祖父様に叱られたのかい? あんたのお祖父様は竜騎士隊長なんだろ? そりゃあ、ちょっと悪かったな」
頭を掻いた親方に、ユーリも謝る。
「忙しくてなかなか支払いに来れなかったから、私も悪いの。月が変わるまで、お小遣いが無かったし。でも、お祖父様がこれからは執事に払わせると言ってくれたから、今は代金は貰ってるでしょ? 後から、私が執事に払うのよ。早く算盤が売れないと、お小遣いの何ヶ月分も前借りになっているから気がしんどいわ~」
「小遣いの前借りなんて、お祖父様はあんたに甘いねぇ。竜騎士隊長で恐ろしいって噂だけどなぁ~」
イルバニア王国どころか、ローラン王国、カザリア王国に武名が鳴り響いているアリスト卿が、木工職人の親方に甘いと言われたのに、アンリは笑いが止まらなくなってしまった。
「そんなに笑わなくても」
アンリが木工細工の工房を出ても笑っているのに、ユーリは気を悪くする。
「いえ、すみません! アリスト卿が甘いと言われたのが可笑しくて」
アンリが謝りながら笑いをとめようとする姿に、ユーリも笑い出してしまう。
「お祖父様は甘く無いわよ。今でも武術レッスンを止めさせて下さらないもの。それに算盤が売れたら、お小遣いの前借り分はチャンと返すわ。お小遣いが無いからお昼を抜くと言ったから、前借りさせて下さっているだけなのよ。リューデンハイムの寮に帰ればタダだけど、国務省は反対側なんですもの。走って行って、走って帰らなきゃいけないから無理なのよ」
アンリはユーリが王宮の端から端まで走り回っている姿を想像して、吹き出す。楽しい時間を過ごしていたが、今夜のカザリア王国の大使館で開かれる舞踏会があるのでユーリはフォン・アリスト家に帰らなくてはいけなかった。
「お祖母様は若く見えるから、皆様驚かれるの。それにとても綺麗なのよ! 私も似たら良かったと、少し羨ましいの。ママは大好きだけど、何だか私の容姿は官僚向きじゃないんですもの。というか、私と同じ年頃のママの肖像画を見たけど落ちついて見えるわ。似てるけど内面が違うから、雰囲気も違って見えるのね~」
アンリは、ユーリの舞踏会で会ったモガーナ様の若さと美貌に受けたショックを思い出した。それと共にマウリッツ公爵家の屋敷に飾られている若い日のロザリモンド姫の肖像画を思いうかべた。
「ユーリ嬢はロザリモンド姫に似ておられますよ。歌もお上手ですしね。もう少し大人になられたら、落ち着かれますよ」
ユーリは落ち着いた自分がゆったりと田舎でスローライフをする日が来るのだろうかと溜め息をついた。
「スローライフは遠いわ~」
アンリ卿はユーリ嬢の呟きの意味をたずねようとしたが、フォン・アリスト家の屋敷に着いてしまった。
令嬢をエスコートした紳士は、後見人に挨拶して無事に送り届けたことになる。アンリも、ユーリのお祖母様に挨拶して引き上げようと考えていた。
「まぁ、送って頂いてありがとうございます。アンリ卿のことは、ユーリからよく伺ってますのよ。パーラーの経営を教えて頂いたり、国務省でも親切にして頂いてると聞いて感謝しておりますの。そのお礼と申しては失礼ですが、ご一緒にお昼でも如何でしょう」
アンリはユーリから、お祖母様は若くて綺麗だと聞いていたし、舞踏会でも驚いたが、昼間の明るい場所で見るモガーナ様の美貌に圧倒されてしまう。初めて訪問した屋敷で昼食を頂くなど、普段のアンリなら遠慮しただろうが、モガーナのペースに捉えられてしまった。
「まぁ、アンリ卿はバイオリンがお上手なのですか? 素敵ですわね。ユーリ、貴女も歌だけでなく、何か楽器を練習した方がよろしくてよ。バイオリンは無理でもギターとか弾けたら、弾き語りとか素敵よ」
「ひぇ~、お祖母様! 声楽と、武術レッスンだけで精一杯よ。ギターなんて無理だわ。弾き語りなんて、二つ同時なんて不器用だから無理」
アンリは、モガーナ様は自分にユーリにギターを教えるように指示しているのだと悟った。
「暇な時にギターなら教えてあげますよ。 2、3個コードを覚えると、伴奏ぐらいはすぐ弾けるようになりますよ。ギターを弾けると楽しいですよ」
「鍵盤を押さえるだけのピアノも下手だったのよ。コードとか難しそうだわ」
自信の無さそうなユーリに大丈夫ですよと話しかけているアンリを、モガーナはあと一押し必要ですわねと、微笑みながら眺める。
マキシウスはモガーナがアンリをユーリの結婚相手にどうか吟味しているのに気づいたが、余計な口出しは控えた。ユーリがアンリを尊敬して信頼しているのに気づいていたし、非の打ち所が無かったからだ。
ただ、国王の臣下として、グレゴリウス皇太子を幼い頃から見守ってきたマキシウスは胸がズキンとした。
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