35話 騎竜訓練のアクシデント

 国務省でのユーリとシュミット卿の喧嘩は、その日のうちに国王の耳にも届いた。




「国務相、シュミット卿は何をやっているのだ? まだ見習い竜騎士のユーリと喧嘩だなんて、冷血の金庫番らしくないではないか」  


                 


 国王にまで喧嘩が知られたのを、マキャベリ国務相は恥ずかしく思う。




「いえ、少しシュミット卿にユーリ嬢の指導を強化するように言ったら、何故か喧嘩に発展してしまったみたいです」




 意味がわからず、国王は国務相を問い質す。




「どう、指導を強化するように言ったのだ? シュミット卿は、ユーリに外務省へ帰れと怒鳴っているとか。外務省では、こんな問題はおこさなかったぞ!


 なんなら、ユーリを外務省に帰そうか? 外務相は、ユーリの能力を高く評価していたからな。部下の能力を活かせないのは、上司に問題があるのではないかな?」




 外務省と比べられた悔しさに、国務相は歯軋しながら、国王の言葉を聞く。




「シュミット卿に、ユーリ嬢とアンリ卿が一緒に昼食をとらないように指導しろと注意しました。彼は、昼食を誰と食べるのまで指導したくないと拒否したのですが……何故か、ユーリ嬢と喧嘩になったみたいで……予算編成の繁忙期なので、ストレスが溜まっていたのでしょう」




 ハンカチで額の汗を拭きながら、しどろもどろの弁解を終えた国務相は、国王の執務室を出た途端に、ニヤニヤ笑っている外務相に出会う。




「国務省は、ユーリ嬢の扱いに困っているようですな。何でも、外務省へ帰れ! とシュミット卿は怒鳴られたとか。いつでも、ユーリ嬢を引き取りますぞ」




 エドアルドの社交相手の件でボロクソに言われた外務相は、国務相をからかうと、ケタケタ笑いながら歩き去る。




 怒りのあまりブルブルと身体を震わした国務相は、シュミット卿を叱り飛ばしに向かう。




 国務相に叱られたシュミット卿が、ユーリを叱り飛ばすという八つ当たりの法則で、下っ端の見習い竜騎士の立場を思い知らされたユーリはクサクサしていた。




 陳情の相手には「こんな小娘に話しても仕方がない」と詰られるし、シュミット卿からは「見習い実習を続けたいなら、態度を改めろ」と叱られて、腐りきっていたのだ。




 お祖母様との約束があるから、寮に一旦帰り夕食を手早く食べると、陳情のせいで手付かずの予算案のチェックの残業を夜遅くまでした。




「11時までにベッドに入らないと、いけないのよね~お風呂は無理ね」




 時間節約の為にイリスを呼び寄せて、ギリギリでベッドに飛び込んだ。




「なんとかして、シュミット卿をギャフンと言わせたいわ! どうすれば、良いのかしら?」




 ベッドに入ったものの、怒りがおさまらない。ユーリは、明日の騎竜訓練の為に寝ようとした。しかし、寝なきゃと思うと、余計に寝付けない。




「ユーリ? おはよう………珍しいね、パンだけだなんて」




「フランツ、おはよう。フランツだって、パンだけでしょ」




 寝不足のユーリは、朝食を食べる気分では無かったので、そそくさと席を立つ。




「あれ? ユーリは?」




 グレゴリウスは、フランツの横に座りながら、何かあったのかと尋ねる。




「何だか、機嫌が悪かったなぁ。ユーリにしては、パンだけだったし。シュミット卿に叱られたのかな?」




 騎竜訓練の日なのにと、グレゴリウスは心配する。




 ユーリは日課になっているお祖母様への挨拶もサボって、イリスに愚痴っていた。




『腹がたつわ! 少しは私を認めてくれても良いじゃない。イリス、竜騎士になるのは無理かもしれないわ』




『ユーリ? 何があったの?』




 竜のイリスに指導の竜騎士の悪口を言うのは、怒っていてもはばかられたので、ユーリのストレスは溜まるばかりだ。




『官僚なんて、大嫌い!』




 こんな調子では見習い実習が永遠に終わりそうにないと、ユーリは溜め息をつく。




「ユーリ嬢、おはよう」 




「早いのですね」




 竜達との関係が改善されたハロルド達は、騎竜訓練も苦にならない。ハロルド達の陽気さが、少しだけユーリを浮上させる。




「ユーリ嬢? 少し顔色が良くないですね。昨夜は、夕食後も国務省で残業されたのですか?」




 エドアルドは、心配して声をかける。大丈夫だと笑ったユーリの顔色は、白すぎると案じた。




「ユーリ? 顔色が良くないぞ。今日の騎竜訓練は、休んだ方が良いのではないか?」




 ユージーンは、昨日のユーリとシュミット卿の喧嘩を知っていたので、精神的に不安定なまま騎竜訓練を受けるのを止めさせようとした。




「大丈夫よ、グレゴリウス皇太子殿下や、フランツは私の倍も騎竜訓練を受けているのですもの。ユージーンは、心配し過ぎよ」




 ユージーンにも口喧しく叱られたけど、シュミット卿とは全然違うと考えると、泣いてしまいそうになったユーリだ。




 ユーリが命綱をイリスに付けるのを、少し離れた場所で眺めながら、ユージーンはジークフリートと話し合う。




「ユーリ嬢は、騎竜訓練をするべきではありませんね。アリスト卿に言ってきます」




 ジークフリートも今朝のユーリの体調の悪さに気づいて、アリスト卿に見学にさせた方が良いと言いに行った。




 だが、ジークフリートが言いに行っている間に、イージス卿は騎竜訓練を開始してしまった。




 今日も、ミューゼル卿と、イージス卿は交代したままだったのだ。




 ユージーンはイージス卿にユーリを外すように言ったが、本人は大丈夫だと言い切った。




「今飛んでいるのは、グレゴリウス皇太子殿下、エドアルド皇太子殿下、フランツと、ユーリか? イージス卿が、指導しているのか? 大丈夫だとは思うが……指導の竜騎士以外は、見習い竜騎士ばかりなんだな」




 せめてユージーンを加えて、フランツを外してくれていたら、安心して見てられるのだがと、マキシウスは飛行訓練を眺める。




 イージス卿の指示で右旋回を終えて、左旋回に入った瞬間、ユーリのイリスと、フランツのルースが接触しそうになった。




「危ない!」




 イリスはとっさに接触を避けたが、ルースの羽がユーリに当たったように下から見えた。




 ジークフリートと、ユージーンは、竜に飛び乗ると、接触しかけた二人の救援に向かう。




「ユーリ嬢、大丈夫ですか?」




 ジークフリートに声をかけられて、ユーリは大丈夫だと答えたので、降りるように指示する。




 フランツはイリスが避けたので接触を免れたが、ルースの羽がユーリに当たったのではと心配のあまり、動揺してしまっていた。




「フランツ! ユーリは大丈夫だ。降りなさい」




 動揺しているフランツをユージーンは宥めて、ジークフリートと降りているユーリを指差して安心させる。




「ルースの羽が、ユーリに当たったような気がしたんだ!」




 ユーリがイリスと地上に降りたったのを見て、やっとフランツもルースに指示が出せるようになった。




「ユーリ! 体調不良なのに、騎竜訓練を受けるなんて」




 心配のあまり怒鳴りつけたマキシウスは、ユーリが頭を押さえているのに気づいて走り寄る。




「どこか、怪我をしたのか」




 ルースの羽がユーリに当たったように見えたのを思い出して、マキシウスは心配する。




「大丈夫よ、イリスが上手くよけてくれたから」




 イリスから降りながらも、ユーリは頭に手を当てたままだ。マキシウスが心配してユーリの手をどかせると、金色の髪の毛が腰のあたりまで流れ落ちた。




「髪留めが、壊れたみたいなの。羽は避けれたのだけど……」




 本当にギリギリだったのだと、マキシウスは今更ながら動悸が激しくなる。イージス卿も、グレゴリウスも、エドアルドも、間一髪で大事故になるところだったと、ヘナヘナと芝生の上に座り込んだ。




「ユーリ、御免」


 


 ルースから飛び降りたフランツは、ユーリのもとに走ってきて謝る。




「違うわ! 私のタイミングが遅かったの。フランツのせいじゃないわ」




 ユーリはおさまりの悪い金髪をどうにかしようと苦労しながら、フランツに謝る。


 


 グレゴリウスとエドアルドは、芝生に座ったまま様子を見ていたが、怪我がないと安心した途端に、ユーリから目が離せなくなってしまう。腰までの金髪が、竜達の羽ばたきに巻き上げられて、ユーリを包む黄金の繭のように見え、魅了されて呆然と眺める。


 


 ユーリは苦心して髪の毛を纏めようとしていたが、前の日からの苛つきが嵩じて、ナイフで短く切ろうとした。髪の毛を束ねて、首のあたりでナイフで切ろうとしたのに、マキシウスは瞬時に反応する。




「何をするんだ!」




 マキシウスは、ユーリの手を掴んで、ナイフを取り上げる。




「お祖父様、痛いわ! 髪の毛を短く切るの。前から、長すぎると思っていたのよ。騎竜訓練の邪魔だし、髪留めもないから、短くしようと思ったのよ」




 全員から「駄目だ!」と、怒鳴られた。




 特に、マキシウスは、一番大きな声で怒鳴りつけた。




「絶対に駄目だ! お前が騎竜訓練の為に髪を切ったりしたら、モガーナに殺される!」




 マキシウスにとって不幸なことに、竜騎士隊長として命令を大声で発声するのになれていたので、よく通って騎竜訓練場の全員に届いた。 




「お祖父様……」




 ユーリも、驚いて固まってしまう。




「駄目ですよ、こんなに綺麗な金髪を切っては」




 ジークフリートはユーリに近づくと、優雅な手慣れた様子で髪を編み込むと、胸ポケットから髪留めを取り出して留める。




「ジークフリート卿? この髪留めは?」




 全員が同じ疑問を持ったが、ジークフリートはスルーして、髪は女の命ですよと優しくユーリを諭す。




「どうして、ジークフリート卿が髪留めを持っていたのか?」




「何故、ああも優雅に髪の毛を編み込めるのか?」




 その場に居合わせた全員が疑問を持ち、各自が色っぽい想像を巡らして頬を染める。




「イルバニア王国一の色男には、かなわないな~」




 騎竜訓練場に相応しくない、ピンク色の溜め息が、あちこちでもれた。




 勿論、ユーリはお祖父様から、カンカンに叱られた。聞いていた竜騎士達も震え上がる程の剣幕だったが、どうもユーリ嬢には応えて無いみたいだと、笑いを押し殺す。




 先程の『モガーナに殺される!』という叫びを思い出しすと、笑いの発作が起きそうなのを、武人として鍛え上げた腹筋を全力で使って堪える竜騎士達だ。




「見学しておきなさい!」 




 騎竜訓練中にいつまでも孫娘を叱っていられないので、見学を命じると、マキシウスはイージス卿に訓練を再開するように指示する。




 ユーリが抜けたのをジークフリートが埋めて飛行しているのを眺めながら、ユージーンは芝生に座って説教をしていた。




「シュミット卿との喧嘩の原因は何であれ、指導の竜騎士に楯突くのは良くないぞ。それに騎竜訓練なのに、寝不足で臨むなど、体調管理がなっていない。イリスが避けなければ、フランツと接触していたんだぞ」




 反応の無さに、隣に座っていたユーリを見たユージーンは、自分に寄りかかってスヤスヤ寝ているのに気づいた。竜達の羽ばたく音や、指導者の怒鳴り声がうるさい中で、寝ているユーリに呆れてしまう。




 ユージーンは寝てしまったユーリを抱き上げると、救護室のベッドに運んだ。 




「怪我ですか?」




 慌てる医師と看護婦に、寝不足で寝ているだけだからと言うと、アリスト卿に報告に行く。




「ユーリは寝てしまったので、救護室で休ませています。昨日、シュミット卿と激しい喧嘩をしたみたいですね。国王陛下の耳にも入ったらしく、国務相は叱られたみたいですよ」




 外務省では、国務相がユーリ嬢とシュミット卿の喧嘩の件で国王から叱られたのは、一大トピックスになっていた。




「何故、喧嘩になったのか? ユーリは国務省での見習い実習を、張り切ってやっていたのだが……兎に角、指導の竜騎士に逆らうなど、有ってはならない事だ! ユーリを、甘やかしたのかも知れない」




 ユージーンは大伯父にアドバイスする。




「マキシウス大伯父様、ユーリを頭ごなしに叱りつけても、無意味ですよ。あの子は強く出ると、強く反発しますから。優しく説得して、ユーリ自身が反省する方向に持っていった方が、上手く行くと思います」




 竜騎士隊長にアドバイスは出来ないので、身内としての言葉をかけたユージーンに、マキシウスは感謝する。




「ユージーンにはユーリの指導の竜騎士として苦労をかけたな。それにしても、ユーリの扱い方をよく知っているな」




 竜騎士隊長としてではなく、問題児のユーリの祖父としての言葉を、ユージーンは受け入れる。




「ジークフリート卿のユーリに対する接し方で学んだのですよ。ユーリには、優しく説得した方が有効だとね。それがわかるまで苦労しましたし、つい叱ってしまいますがね。多分、シュミット卿も頭ごなしに叱りつけて、ユーリが反発したのでしょう」




 マキシウスは冷静なシュミット卿が何を頭ごなしに叱ったのかと疑問を持ったが、ユーリが起きたらユージーンの忠告通りに説得しようと頷いた。

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