36話 よく結婚したな……

 救護室のベッドで爆睡から、空腹感で目覚めたユーリは、何処だろうと見渡す。




「お目覚めですか?」




 看護婦にクスクス笑いながら、よく寝ていましたねと話しかけられて、ユーリは騎竜訓練中に寝てしまったのだと気づいた。




「寝不足で、騎竜訓練を受けてはいけませんよ! 凄く危険ですからね」




 竜騎士隊の所属医師に注意されて、病気や怪我でもないのに、救護室のベッドで寝てしまった恥ずかしさに、真っ赤になって謝る。


 


 丁度、昼食の時間で、食堂からは空腹を刺激する良い香りが漂っていた。ユーリはこの香りで目覚めたのだわと、ぐぅ~と鳴るお腹を手で押さえる。




 食堂でお祖父様を見つけたユーリは、側に行って謝る。




「すみませんでした」




 竜騎士隊長として長年にわたって騎竜訓練を指導してきたが、訓練中に寝た見習い竜騎士は初めてで、どこから叱れば良いのかもわからないマキシウスだ。




「体調管理に気をつけなさい。こんなことを繰り返すなら、モガーナのやり方に従うしか無いかもな」




「ひぇ~、それだけは勘弁して! 昨夜も、ちゃんと11時にはベッドに入ったのよ。でも、眠れなかったの。今日は騎竜訓練だから、寝なきゃと思うと余計眠れなくなって…… ごめんなさい! 二度とこんな事はしないから、お祖母様には言わないで」




 イリスに子守されるのは勘弁して欲しいと、ユーリは真剣に反省する。 




「お前が、シュミット卿と喧嘩したと聞いたぞ。そのせいで眠れなかったのだろうが、指導の竜騎士と喧嘩するなど有ってはならない事なのだよ。シュミット卿は、国務省で財務室の責任者として、激務をこなしている。指導の竜騎士を引き受けても、彼に何のメリットも無いのだ。後輩の見習い竜騎士を指導するのは、伝統と好意からだということを理解して行動しなさい」


    


 お祖父様の言葉で、ユーリは反省する。




「そうですね、指導の竜騎士に逆らってはいけなかったのね。以後、気をつけます」




 ユーリが素直に反省している様子に、マキシウスはユージーンの忠告に感謝する。折角の良いシーンなのに、ユーリのお腹がぐぅ~と鳴ってしまった。




「失礼」真っ赤になってお腹を押さえるユーリに、マキシウスは令嬢らしくないと頭を抱える。




「あちらで、フランツが気にしているぞ。あれは、お前のミスなのだから、ちゃんと謝りなさい。そして、さっさと食べなさい! 年頃の令嬢が腹を鳴らすなど、格好が悪すぎるぞ」




 日頃の調子で叱りだしたお祖父様の元から、慌てて逃げ出すと、フランツに謝りに駆けつける。




「ごめんなさいね、私が寝不足で騎竜訓練を受けたせいで、危うく接触しそうになって、フランツには迷惑かけたわ」




 フランツが、ユーリに謝られているのを見ていたミューゼル卿は、笑い飛ばした。




「ユーリ、寝不足で騎竜訓練とはなってないな。だが、一々接触しそうになったぐらいで、大袈裟に謝る必要はないぞ! 一度や二度、宙づりにならなければ、一人前の竜騎士にはなれないからな。さぁ、さっさと昼食を食べなさい。救護室で、ぐうすか寝たのなら、昼からは特訓だな」




「ひぇ~宙づり」




「特訓」




 フランツとユーリは、宙づりは避けたいなと、二人でを見合って笑う。




「お腹ペコペコなの!」




 ユーリは騎竜訓練の指導者から許可を貰ったので、フランツと一緒にグレゴリウスや、エドアルド達が心配そうに眺めている席へトレイを持って向かう。




 山盛りの昼食を持ってきたユーリに全員が呆れたが、ぱくぱくと元気そうに食べている姿を見て安心する。フランツも、ユーリの食べっぷりに、元気を取り戻した。




「ユーリ、そんなに食べて大丈夫なの? 昼から特訓だと、ミューゼル卿は言ってたじゃないか」




 フランツは騎竜訓練中だから、昼食を少し食べただけでフォークを置いていたし、他の見習い竜騎士達も昼食はチョコッとつついただけだ。熟練の竜騎士達は普通に食べているが、見習い竜騎士の先輩達も控え目にしていたので、大盛を食べているユーリを皆が心配する。




「だって、お腹がすいてるのよ。夜も慌ただしかったし、朝はパン一個しか食べてないの」




 ペロリと、武官の成人男性分の昼食をたいらげたユーリに、全員が呆れかえる。エドアルド達カザリア王国側は、令嬢らしくない大食いにコメントはさし控えた。




 パーシー卿は、ラッセル卿に、ユーリのどこにあの昼食は入ったのでしょうと、華奢な身体を不思議そうに眺めながら小声で尋ねた。ラッセル卿は外交官なので、そんな失礼な会話をするつもりは無かったのでスルーする。






 


 昼からは、ユーリは指導を交代したミューゼル卿に、言葉通りにしごかれた。


    


「少し休憩にしよう! 休憩が終わったら、ジークフリート卿や、ユージーン卿を外して、このメンバーで5頭飛行の訓練をするぞ! それができるまで、今日は帰さないからな」


  


 厳しいミューゼル卿の言葉に、エドアルド、グレゴリウス、ユーリ、フランツは芝生にへたり込む。 




「やはり、竜騎士達は違うな」




 エドアルドは、ジークフリートとユージーンが一緒の飛行だと安心して騎竜訓練に集中できた。




「そうね、でも練習するしかないのよね。もう二度と寝不足で、騎竜訓練に出ないわ」




 ユーリが反省しているのを、グレゴリウスは心配していたので安堵して聞いていた。




「ユーリ、イリスに子守されちゃうよ! お祖母様にバレたら、拙いんじゃない?」




 普段通りに戻ったフランツの軽口に、ユーリもふざけて返答する。




「大丈夫よ、お祖父様と取り引きするもの! モガーナに殺される! なんて叫んだ事は、内緒にしてあげるつもりですもの」




 二人の会話を聞いていたジークフリートとユージーンは、可愛い顔をした小悪魔と笑いながら毒づく。




「なかなか、ユーリ嬢のお祖父様は、大変ですね~」




 パーシー卿の言葉に、ラッセル卿は同意する。




「それより、モガーナ様とよく結婚されたものだな! やはり、アリスト卿は勇気をお持ちだ」




 モガーナが聞いたら怒りそうな失礼な言葉を、外交官らしくなく発したラッセル卿だ。


 






 その夜、大使館の舞踏会の準備で騎竜訓練の見学に来なったマゼラン卿は、事の顛末を報告されて、ラッセル卿の失礼な意見に同感した。見学に来なかった




「いくら美貌の貴婦人でも、私なら恐ろしくて近づけないぞ。大使館の舞踏会には、ユーリ嬢の後見人として付き添って来られるそうだ。粗相のないようにしなくては! マウリッツ公爵夫人の付き添いの方がありがたいのだが………」


   


 ユージーンから、タレーラン伯爵家の舞踏会との連日の公爵夫人の付き添いは難しいので、モガーナ様に頼みましたと聞かされた時のショックを思い出す。




「タレーラン伯爵夫人と母は友達ですので、あちらの舞踏会は断り切れなかったのです」




 それにアウェイであるカザリア王国の大使館での後見人は、母では頼りないとはユージーンは口に出さなかったが、お互いにわかっていた。


 


 レーデルル大使夫人も、モガーナ様が大使館の舞踏会に来ると聞いて緊張を隠せない。




「私は、モガーナ様が恐ろしいのです。何故だかわかりませんが、怖くて仕方がないのです」




 いつもは曲者の銀狐の連れ合いらしい気丈なレーデルル大使夫人の本能的な怯えに、マゼラン卿も同感する。




 アリスト卿がモガーナ様との結婚の許可を国王に求めた時に、反対した貴族達の心情が少し理解できたマゼラン卿だった。




 あの美貌に、あの性格! その上、フォン・フォレストの魔女と呼ばれる、古代返りの魔力!




 代々竜騎士隊長を輩出している名門貴族のアリスト家と、恐ろしい魔力の結合を、当時の貴族達も本能的に拒否したのだろうと感じる。




「だが、二人は国王陛下の承認なしに結婚し、ウィリアム卿が生まれたのだ。そして、ウィリアム卿は、王家の血を引くロザリモンド姫との間にユーリ嬢をもうけた」




 マゼラン卿は、何かが引っかかっているような気がしてならなかった。ふと、カザリア王国の大使館に掲げられている、カザリア王国の紋章を眺める。




 伝説とされていたターシュの羽根と、パロマ大学を象徴するペンとの交差する上に、帝国から独立した三国共通の竜がデザインされているカザリア王国の紋章が、大使館のホールには飾られている。




「確か……イルバニア王国の紋章は……竜は同じだったな。そう! 農業王国らしい麦が、斜めに交差していた筈だ。羽根のターシュが、伝説で無いのなら……イルバニア王国の創始者は、アルフレッド大王! 彼は緑の魔力持ちだったとの伝説があったな。まさか!」




 マゼラン卿は、10月なのにバラが満開の大使館の庭を眺めて、自分の大失態に気づいた。




「ローラン王国がコンスタンス皇太子妃を離婚してでも、ユーリ嬢に結婚を申し込んだのは、緑の魔力をお持ちだからか? ユーリ嬢の母上のロザリモンド姫に縁談を持ち掛けたのも、緑の魔力をお持ちだったからなのか?」




 マゼラン卿は、いつからユングフラウのバラは秋にも見事に咲くようになったのか、大使館の庭師に聞くように命じた。大使館員は、マゼラン卿の変な質問を訝しく思ったが、鉄仮面殿の命令に従う。




「一番古くからいる庭師に聞きましたが、昔からユングフラウはバラが見事だと自慢してました。ユングフラウの南の街より、秋や冬にもバラが咲くのは花の都だからと自慢して止まりませんでした。でも、7年ぐらい前から、バラが冬にも咲くようになったと言ってました。他の庭師は、バラの品種改良が進んだのだろうと、花の都だからではないと否定してましたよ」




 いつからマゼラン卿は園芸が趣味になったのだろうと、大使館員は不思議に思う。




「7年前……ユーリ嬢がリューデンハイムに入学した年からか? 今年は、ニューパロマ一帯はこの数十年無かった大豊作だったな。夏のバラも例年になく見事だった! ユーリ嬢は緑の魔力持ちなのか?」




 マゼラン卿は、熟練の工作員を呼び出した。




「ヒースヒル、フォン・フォレスト、ユングフラウ近郊の16年間の農家からの納税額の推移を調査してくれ。それと、ストレーゼンの今年の納税額に変化が無いかもな。出来れば極秘が望ましいが、早さを重視してくれ」




 工作員は鉄仮面殿の命令を受けて、国務省への調査に向かう。


 


「イルバニア王国は、ユーリ嬢が緑の魔力持ちなのを秘密にしていたのか。その能力がニューパロマ一帯を大豊作にしたのだとしたら……ユーリ嬢はストレーゼンに行くのは初めてだと言われていた。今年、ストレーゼンが大豊作だったら……」




 マゼラン卿は、書斎の中を歩き回りながら、ブツブツ呟く。


 


「偶々、ニューパロマ一帯が、大豊作ということは有り得る。それにストレーゼンの一帯が豊作だったとしても、もともと農業王国なのだからおかしくないさ」




 マゼラン卿はユーリ嬢が緑の魔力持ちではと感じながらも、信じがたい気持ちもあった。




「工作員の調査結果が出るまでは、国王陛下には何も報告できないな。もし、ユーリ嬢がニューパロマ一帯の大豊作をもたらす程の緑の魔力持ちなら……イルバニア王国が、外国に嫁がせるわけがないのでは。それに不毛な大地に悩むローラン王国が、ユーリ嬢を諦めるわけもない。だが、我がカザリア王国も、緑の魔力が必要なのだ!」




 マゼラン卿は、収穫期のイルバニア王国を飛行した時の、眼下に広がる黄金に輝く麦畑を思い出す。農業王国の名に恥じない、黄金の穀倉地帯の上を飛びながら、カザリア王国の北部の荒涼たる景色と比べて苦い思いをしたのだ。




「全ては、調査結果を待ってからだ」








 マゼラン卿が大使館の見事なバラを眺めながら深刻な思案をしている頃、リューデンハイムの寮では賑やかな夕食の真っ最中だった。




 カザリア王国の見習い竜騎士達も騎竜訓練に少しずつ慣れてきたし、上達している高揚感を持っていた。




 若い見習い竜騎士達は、まだ騎竜訓練の持つ意味を深くは考えていなかった。戦争で竜騎士がどれほどの戦闘力を持つのか理論上は知っていたが、竜騎士同士の戦闘の悲惨さにまで考えていなかったのだ。

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