第五章 カザリア王国へ

1話 特使随行員

 立太子式が終わると、カザリア王国への特使派遣の最終打ち合わせが行われるようになった。


 グレゴリウス、ユーリ、フランツも講義を終えて、各々、指導の竜騎士の使い走りさせられたりして忙しい日々を過ごす。


 ユージーンは人使いが荒いとユーリとフランツはこぼしたが、お陰で外務省の色々な部署を知った。


 グレゴリウスはジークフリートにこき使われはしなかった。


「皇太子殿下、ユーリ嬢を常に目で追っていらっしゃいますよ。

 外交の場で、そのように心の内を相手に知らせるのは不利になります。

 ユーリ嬢を眺める癖をお止め下さい」


 ビシッと指導の竜騎士にいわれて、ユーリとエドアルド皇太子との縁談が進んでいるのだと、グレゴリウスは落ち込んだ。


 実はユーリの緑の魔力を知った上層部は、外国に嫁がす気持ちは無かった。


 しかし、腹芸の出来ないグレゴリウスに知らせるのは時期が早いと判断したのだ。


「皇太子殿下は、カザリア王国と同盟を結ぶ特使だということを自覚して下さい。

 カザリア王国はエドアルド皇太子殿下の妃にユーリ嬢を望んでいるのに、交渉の席で殿下が心の内をさらけ出しては、同盟どころか決闘騒ぎになる可能性もありますよ」


 グレゴリウスもカザリア王国との同盟がどれほど大切かぐらい承知していたが、ユーリを政略結婚の犠牲にするのは嫌だった。


 ジークフリートは外務相から帰国するまで、ユーリをカザリア王国の皇太子妃にする計画がない事をグレゴリウスには秘密にしておくように厳命を受けていたが、本心では気の毒に思っている。


「皇太子殿下、ユーリ嬢のあの性格では、カザリア王国のエドアルド皇太子殿下が口説かれても、気づかないと思いますよ。

 それに、ニューパルマに滞在中は駐在大使夫人がユーリの後見人として、殿方と二人きりにはしないように見張るよう王妃様から厳命を受けています。

 ですから、ユングフラウにいる時よりも、よほど深窓の令嬢のように護られています。

 皇太子殿下は安心して会議に集中して下さい」


 貴族の令嬢は、普通は侍女や他のご婦人と一緒でないと外出しないのが常識とされているのに、ユーリはリューデンハイムで男の子と一緒に生活しているので、日頃から独りで行動する事に慣れている。


 しかも、見習い竜騎士としてユージーンに言いつけられた用事で忙しくしてる可憐な姿に、王宮で働いている独身貴族は注目していて、隙があれば話しかけようとしていた。


 男性社会の官僚の中に見習い竜騎士としてであろうが可愛い女の子がいて、注目を集めない訳が無かったので、グレゴリウスはやきもきしていたのだ。


 確かにジークフリートが言う通り、駐カザリア大使夫人が後見人としてつき、年頃の令嬢として扱われる方が、独身男性との接触は少なくなるだろうと少し安心する。




 そんなグレゴリウスの気持ちを全く知らないユーリは、心配していたドレスもマダム・ルシアンとマダム・フォンテーヌのお陰で仕上がり、ほっとしていた。


 昼のドレスもリフォームした物に加えて、少し大人らしいスッキリした新作のドレスも出来上がった。


 新作の昼のドレスは薄いブルーのと、白地に緑の小花柄のドレスで、夏らしい爽やかなものだった。


「お祖母様からの見習い竜騎士の制服と礼服が間に合って良かったわ。

 それに下着も凄くいっぱい。

 コルセットなんか付けないのに」


 カザリア王国へ特使随行で派遣されると手紙で知らされたモガーナは頼まれた制服類のみでなく、新しい下着やコルセット類も送ってきた。


 キャシーはマダム・ルシアンの手伝いを終えて、ひと息ついていた。


 ヒースヒルにいったん帰ってハンナのウェディングドレスを縫い終わったら、正式にマダム・ルシアンの店でお針子修行する予定になっている。


「ユーリ、前から思っていたけど、大人の女の人はコルセットを付けるものなのよ。

 貴女ったら、舞踏会のドレスの時すら嫌がって、渋々つけたでしょ」


 身体を締め付けるコルセットをユーリは嫌い、普段は付けないのをキャシーは叱りつけた。


「でもコルセットつけると、息が出来ないので嫌なのよ」


 それにグラマーじゃないから必要ないと呟くのを、キャシーは聞き咎める。


「全くわかってないわ、そうだわ!

 あの胸の開いたレースのドレスよ。

 ユーリ、貴女はこのドレスはもっとグラマーな人が似合うって言ってたでしょ。

 コルセットを付けて着直してみて」


 ドレス作りに一生を捧げるつもりのキャシーの熱意に負けて、しぶしぶユーリはコルセットを付けてレースのドレスを着る。


「えー? 私、こんなに胸が無いわよ。

 でも、少しセクシー過ぎない?」


 コルセットを付ける時にキャシーはまだ成長過程のあまりボリュームのない胸を寄せて上げるように着せていたので、開いたドレスから胸の谷間がチラリと見えた。


「ほら、コルセットを付ければ、このドレスも綺麗に着こなせるわ。

 この位の胸の開いたドレス、他の令嬢達も着ていたでしょ。

 セクシー過ぎないわよ、魅力的に見えるわ!

 次は見習い竜騎士の制服を着てみて」


 ユーリはドレスはコルセットも仕方ないかなと納得したが、日常着の制服までコルセットを付けなくてもと、ぶつぶつ言いながら着替える。


 新しく作った夏物の見習い竜騎士の制服は色は紺で金モールは同じだが、詰め襟ではなく短めのジャケットとロングスカートにレースが付いているブラウスを着るようになっている。


 こんなのは身体のラインがよくわかるドレスと違ってコルセットなんか必要無いだろうとユーリは思っていた。


 でも着てみると、全く印象が変わって女らしく見えるのに驚く。


「ほら、全然違うでしょ。

 貴女は細いからウエストは締め付ける必要無いのだから、そんなにしんどく無いはずよ。

 大人の女性の身嗜みなんだから、コルセットを付けなきゃ駄目よ」


 鏡の見習い竜騎士の制服を着た自分が、とても華やいで見えるのにユーリは驚いて、やはり女性は胸なのねとグラマーじゃないのを残念に思う。


 でも、制服のデザインと仕立てとコルセットで少しは胸があるように見えるのが、恥ずかしいような嬉しいような感じだった。


「ほらね、コルセットで胸を作ると、ウエストを引き絞ったデザインが生きてくるの。

 それに、ブラウスのレースが胸元を華やかに見せて、少し女らしさを強調してるでしょ」


 ユーリは前世のブラを思い出して、中学生になって付け始めた時は、必要性も感じなかったし窮屈に思ったけど、いつの間にか付けないと外に出れなくなっていたのと一緒かしらと諦めた。


 キャシーはユーリがコルセットの着用を納得したのに満足して、ブライズメイド用の生地を持ってヒースヒルに帰っていった。


 用意できたドレスをメアリーは丁寧に衣装櫃に納めて、カザリア王国への特使随行の支度は整った。


 今回、ユーリは自分の非常識さのせいで、マダム・ルシアンとマダム・フォンテーヌに多大な迷惑をかけたのを反省した。


 前世の街にあふれるショップと洋服のイメージが拭いきれず、作業服ぐらいしか既製服は無い事実を見落としていたのだ。


「全て手縫いのオーダーメイドなのね。

 手間も時間もかかるわ」


 レースや真珠の縫い付けにどれほど手間がかかっているのか考えると眩暈がする。


 ふと、ユーリは部屋を見回して、シーツやカーテンなども手縫いなのに改めて気づく。


「そうか! ミシンが無いから、全て手縫いなのよね」


 贅沢なドレスならいざ知らず、シーツやカーテンなど直線縫いの長い大きな物は、ミシンがあれば助かるだろうし、普通の服も早く安価に出来るはずだと考える。


 せっかく前世の記憶が残っているのだから、使えそうな物は利用したいとユーリは考えていたが、生憎なことに理系ではなかった。


 発電の仕組みや、モーターの作り方などは無理だと、機械系の事は諦めていた。


 しかし、有里の祖母は足踏みミシンを愛用しており、子供の頃から側でよく見ていたので大体の構造は理解している。


「足踏みミシンなら、電気が無くても良いんだわ。

 機能を説明すれば、この世界にも機械いじりが得意な人はいるだろうから、形にしてくれるかも」


 古い足踏みミシンはちょくちょく油をさしたり、糸くずを掃除しないと調子が悪くなるので、祖母はマメに手入れをしていて、子供の有里はそれを眺めるのが好きだった。


 善は急げで、ミシンの外観、足踏みと回し車の連動、針の上下運動、ボビン、上糸と下糸の絡みと、思いつくままにスケッチを描く。


「後はミシンの動きを理解して、このおおざっぱな説明で作り上げてくれる機械オタクを探さなきゃね」


 カザリア王国への特使随行は既に決まった事だし、皇太子妃にとの縁談もあるから仕方ないが、自分は外務省に向かないと溜め息つく。


「カザリア王国の皇太子との縁談だなんて……」


 同盟を結びたいイルバニア王国の事情は、ユーリにもわかっている。


 でも、だからといって政略結婚は無理だと思っていたので、やはりカザリア王国への特使随行は気が重かった。


「どんどん、田舎でのスローライフから遠ざかっているような気がするわ……

 国王陛下から特使随行を命じられた時、グレゴリウスが私を外してくれと抗議したのは、庇ってくたのね」


 子供の頃は大嫌いだったグレゴリウスが立派な皇太子になったのだと感慨に耽る。


「皇太子としての初仕事が特使なのね!」


 ユーリはカザリア王国への特使随行として、足を引っ張るような真似だけはしないでおこうと決意する。



 今回の特使にはジークフリート、ユージーン、皇太子殿下、ユーリ、フランツと5人の竜騎士と見習い竜騎士がいるので、何人かは竜に同乗するとして、他の人や荷物が船で先発すると、いよいよカザリア王国への特使派遣となった。


「結局、すごい荷物になってしまったわ」


 ユーリが衣装櫃が何個にもなったのをこぼしていると、ユージーンとフランツがご婦人なのだから当然だと言い切ってくれたので少し安心する。


「今回は、皇太子殿下の初外交だから、公式なパーティーも多いだろう。

 ユーリは皇太子殿下のパートナーとして出席するのだから、毎回同じドレスなんて許されない。

 荷物がかさばるのは仕方ない」


 ユーリは皇太子殿下のパートナーとして出席したら、注目されちゃうなと溜め息をついた。


「それじゃあ、途中で抜けて帰れないわね」


 ユーリの愚痴はユージーンの耳に届き、くどくどと社交界の常識を説教される羽目になった。


「言っておくが、社交界にデビューした令嬢は後見人のご婦人の許可なしに出歩いたりしないものだ。

 カザリア滞在中は大使夫人が君の後見人なのだから、許可を得るのを忘れないようにしなさい。

 イルバニア王国の代表だという自覚を持って、恥ずかしくない行動を取るように」


 ユーリは、ユージーンのお説教癖がなければ大好きになれるのにと心の中でぼやく。


 しかし、それをユージーンが知ったら、好きで説教してるのではないと切れただろう。


 ユーリは両親を亡くし、祖母のモガーナが後見人だが離れて暮らしているので、王妃様がユングフラウでの後見人になっていた。


 でも、何かと忙しい御公務もあるので、細かい所までは目がゆきとどいてない。


 本来なら老公爵がユーリを認めた時点で、マウリッツ公爵夫人が後見人になるべきだったが、王妃様を後見人から外すなどは筆頭公爵家でも言い出せない。


 祖父のマウリウスは竜騎士隊長として仕事が忙しいし、そもそも年頃の少女の監督にはむかない。


 ユージーンは指導の竜騎士として、身内として、ユーリに必要なお説教を一手に引き受けさせられて、少しは母親にして欲しいと虚しい願いを持っていた。


 そのユージーンのイライラは弟のフランツが、全くユーリに常識を教えないのに向けられる。


「お前は同級生としてユーリの側にいるのに、なんで常識を教えないのだ」


 フランツは、ユージーンがお説教が好きなんだと思っていたから驚いた。


「僕が言ってもユーリは聞きませんよ。

 やはり、年上の兄上にお任せします。

 それに僕はユーリの変わっている考え方が好きだから、あまり真剣に注意できないので効き目ないと思うな~」


 ユージーンがその言い種に腹を立てて説教を始めたのを「やはり、説教が好きじゃないか」とフランツは内心で毒づく。


 ユーリは夏物の見習い竜騎士の制服が詰め襟でないのが、もしかしたら駄目かしらとちょっと不安に思ってた。


 特使派遣の式典に礼服を着て出席した時に、ユージーンに似合っていると誉められて、良かったと嬉しく思う。


 実際、新しい制服を着たユーリはとても女らしく見えて、グレゴリウスとフランツは急に同級生が大人の女性になったようで戸惑った。


「あんなに綺麗だと、カザリア王国の皇太子殿下もユーリ嬢に本気になられるかもしれませんね」


 ジークフリートは外務相からユーリをカザリア王国の皇太子と絶対親密にさせないように、密命を受けている同士のユージーンに難問だと愚痴る。


「見た目は大人だけど中身はお子様だから、恋愛関係は大丈夫でしょう。

 ただ、ユーリは警戒心が無いから、しっかり見張らないと何をしでかすかわからないですよ。

 大使夫人の後見がつくと言われてますが、本人が年頃の令嬢の嗜みに欠けてますから、ふらっと一人でニューパルマの街の見学などしかねないですからね」


 ジークフリートもユーリなら初めての外国の街をそぞろ歩きしかねないと感じて、ユングフラウで自由にし過ぎなのに改めて気づかされる。


「私は基本的に皇太子殿下の側を離れられないのです。

 貴方とフランツに、ユーリ嬢の監視をお願いします。

 ユージーン卿も会議に出席される時には、フランツに責任を持って欲しいのです。

 公式な同盟締結などの式典には、あちらの皇太子殿下も出席されるでしょうが、普段の会議には出て来られないでしょう。

 その間、ユーリ嬢を誘われるかも知れません。

 大使夫人も二人きりにはさせないように厳命は受けていますが、理由は知らされていません。

 普通の未婚の令嬢を、殿方と二人きりにさせない程度に考えておられるかも。

 フランツにユーリの緑の魔力までは知らせなくとも、カザリア王国の皇太子殿下との縁談を望んで無いのを知らせて、ユーリ嬢の見張りを手伝わせて下さい」


 ユージーンはフランツの気楽な性格で、ユーリの監視が出来るだろうかと不安に思った。


 しかし、特使として皇太子殿下が会議に出席される時にジークフリートや自分も同席するので、フランツにしか託せないと腹をくくる。


「フランツ、カザリア王国に滞在中の密命をお前に与える」


 特使派遣の前夜、ユージーンに話があると書斎に呼びつけられたフランツは、密命という言葉に緊張する。


「ユーリを絶対、カザリア王国の皇太子殿下と親密にさせてはいけない。

 常にユーリを監視して、くれぐれも一人で出歩いたり、エルアルド皇太子殿下と会ったりしないようにするんだ」


 密命の内容がユーリの監視と聞いて、がっくりきているフランツにユージーンは苛々する。


 何故ユーリをカザリア王国に皇太子殿下に嫁がせたくないのか話せないので、別の理由に焦点を当てた。


「国王陛下や王妃様は、ユーリを皇太子殿下妃にと望んでおられる。

 皇太子殿下もユーリを妃に望んでおられるのは、お前も知っているだろう。

 他国の皇太子に、自国の美姫を手折られてはイルバニアの恥だからな。

 しっかり、監視するように」


 ユージーンの言葉はフランツも知っている事実なので、ユーリを皇太子妃にしたい国王陛下の密命だと信じた。


「わかりました。

 でも、ユーリは皇太子妃に向かないと思うのですが……」


 フランツの言葉はユージーンも同感だったが、それは別の問題だとスルーした。


 こうして、ユーリをエドアルド皇太子殿下との間に防波堤を作ってカザリア王国への特使派遣が始まった。


 だが、ジークフリートやユージーンは、ホームグランドの有利さを考えに入れてなかった。

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