3話 礼装、早着替え訓練

 カザリア王国への特使派遣は、グレゴリウスの立太子式の後に決定された。皇太子としての初仕事を、華やかな外交で飾ってやりたいと、アルフォンス国王が考えたからだ。


 立太子式の準備で慌ただしい王宮の一角で、三人はカザリア王国の内情や、外交官としての心得をレクチャーされていた。ユーリとフランツの指導の竜騎士はユージーンとなり、グレゴリウスの指導の竜騎士はジークフリートとなった。ユーリへの指導はカザリア特使派遣期間だけと聞いたフランツは一人憤慨した。


「普通、兄弟を指導の竜騎士に選ばないでしょ。外交官志望、取り消そうかな……ユーリと一緒に女性の職業訓練所の成立に当たろうかな……」


 フランツは愚痴をこぼしたが、三人の中でも一番外交官に向いてるとの自覚もあり、カザリア王国への特使に随行出来るのを楽しみにしている。


 カザリア王国の重要人物についての講義は、何回か訪問したユージーンが教えたが、人物評価は辛辣だが細密で的を得ていて、外交官としての能力を疑っていたのを三人は反省した。国王や、外務相、ジークフリートも講義に代わる代わる参加して、各自の意見を付け足した。


 その日も、ユージーンが講義していると、国王陛下、外務相、ジークフリートが三人揃って部屋を訪れた。


「講義は進んでいるみたいですね。それは結構ですが、外交官たるもの瞬時に礼装に着替え国の威信を示さなくてはならない時もあります」


 三人とも何を外務相が言い出したのかと、不思議そうにしていた。


「今から可能な限り早く礼装に着替えて来るように。侍女や侍従の手を借りてはいけませんよ。外国で信頼できる侍女や侍従がいるとは限りませんからね。さぁ、お行きなさい! 一番評価の低かった方には特使期間、竜の世話でもしていただくかも……」


 外務相の言葉の途中から椅子から立ち上がって、号令と共に三人は脱兎のごとく部屋から飛び出す。


「さぁ、これで子供達は厄介払いできました。大人だけで話し合いをしておきましょう」


 国王、外務相、ジークフリート、ユージーンは今朝届いたローラン王国からの書状の件について話し合いを持ちたかった。立太子式で地方からの貴族や、他国の外交官達が蠢いている王宮ではなかなか人目を憚る話はできない。今、三人の特使派遣の訓練中なのは周知の事実で、部屋に来る前に今から特別訓練を行うと吹聴してあった。


 三人が礼装に着替える命令を受けてバタバタしていたら、注目はそちらに向かうのは当然で、こちらで秘密の会合が行われているとは感づかれないだろう。


「ユージーン卿、ジークフリート卿も、今朝届いたローラン王国からの書状の内容は把握してるかね」


 朝一番に、ユージーンもジークフリートも書状の内容は掴んでいたが、あまりな内容に信じ難く思っていた。 


「内容は把握しておりますが、ローラン王国の皇太子殿下は結婚されているのでは?」


 ジークフリートの言葉に、国王陛下と外務相は苦虫を噛み潰したような顔になり、皇太子殿下は離婚されたそうだと伝えた。


「離婚したから、即ユーリに求婚ですか? 道理に反する行いだと思いますが」


 外交官らしい冷静な態度を保ちながらも、ユージーンが怒りを感じているのは明らかだ。


「恥知らずな行いを弾劾するのは簡単だが、あちらの真意が何かを探るの方が大切だ。ルドルフ皇太子の王子達は竜騎士の素質に恵まれてなかったとは聞いているが、それだけがこの申し込みの動機なのだろうか? 表向きは両国の友好関係を築くとか云々書いてあったが、他に目的は無いのだろうか?」


 国王の言葉に全員が押し黙る。確かにローラン王国との和平が成立すれば喜ばしいが、信頼できる相手とは考えられない。かといってむげに断るのもはばかれる相手で、頭が痛くなる難問だ。


「私としては、カザリア王国の皇太子殿下との婚姻の方が望ましいですね。ローラン王国と縁戚関係を結ぶと言っても、ユーリ嬢は王家の血筋としては遠いですし、縁戚でも戦争を仕掛けてくる国ですからね。コンスタンス皇太子妃はカザリア王国の国王陛下の姪でしたのに、平気で戦争していました。あんな相手にユーリ嬢を渡しても意味はありません」


 外務相の言葉に皆が頷く。


「特使派遣期間にユーリ嬢が、カザリア王国の皇太子殿下に好意を抱いてくれれば話は簡単なのですがね。ジークフリート卿、貴方は恋愛方面は得意分野でしょう。二人を取り持って下さい」


 外務相の言葉にグレゴリウスのユーリへの恋心を知っている全員が、うっと詰る。ローラン王国の皇太子より、カザリア王国の皇太子の方が望ましいのは理解してはいた。しかし、グレゴリウスの目の前でユーリとカザリアの皇太子を引っ付けるという残酷な命令に、ジークフリートは困惑する。


「恐れ入りますが、それは皇太孫殿下に余りに酷な仕打ちになるのではないでしょうか? 皇太子としての特使という重責の中におられる殿下に、心理的な攻撃を与えるのは得策ではないと存じますが」


 ジークフリートのやんわりとした拒否の仕方には満足したものの、まだまだ甘い考え方に外交官として鍛え直さなおす必要性を感じた。


「では、皇太孫殿下には気づかれないよう、ユーリ嬢とカザリアの皇太子殿下をくっつければ良いだけでしょう」


 無表情で、どうやってですか? と尋ねるジークフリートに、そんなの色々とあるだろうと例をあげた。


「特使として公の交渉に当たっている間、カザリアの皇太子殿下とユーリ嬢が親密になるような機会を作る事は可能でしょう。幸いユーリ嬢は容姿に恵まれていますから、あちらの皇太子殿下は好意をお持ちになるでしょう。エドアルド皇太子殿下は17才で、容姿も感じが良い方ですから、ユーリ嬢とはお似合いのカップルになるはずです。早速、ユーリ嬢の絵姿を描かせて、カザリア王国に贈らなければ」


 外務相の冷徹な言葉に、一同は押し黙る。ランドルフは他のメンバーが皇太孫殿下とユーリとの婚姻を応援しているのは承知していた。


『別に嫌がるのを無理強いする気持ちもないし、友好的な雰囲気をつくり、同盟を結びたいだけだのに……』


 居心地の悪い雰囲気に辟易として、気分転換に窓を開け放す。ユングフラウの王宮の庭は花盛りで、特にバラは美しい。王宮の外壁にも蔓バラが巻き上がり、バラの城の様相を呈している。


「今年も、バラが見事ですな。いつからバラが城を埋め尽くすようになったのでしょう」


 昔から王宮のバラ園は見事だったが、これほどだったろうか? と、外務相が思案し始めた時、ダダダダダと凄い勢いの足音が2つ王宮の廊下に響いた。


「遅くなりました」


 礼装に着替えたフランツとグレゴリウスが、二人同時に部屋に飛び込んでくる。よほど急いだのか、二人とも顔は紅潮して、息もあがっている。


「二人とも、不合格!」


 ユージーンの言葉に、二人は唖然とする。


「何故ですか? まだ、ユーリは来ていないでしょ」


 部屋を見渡して、ユーリの不在に気づいたフランツは抗議した。ユージーンは二人を下から上まで見て、減点理由をあげていく。


「皇太孫殿下、貴方は王宮にお部屋をお持ちなのに、時間が掛かりすぎです。フランツは、上着の下のシャツは普段のままだ。礼装用のシャツに着替えるのを怠ったな。二人とも帯剣は宜しいが、隠しの武器は? ハンカチ、メモ用紙、ペンは?」


 次々とチェックしては、減点されていって二人はしょげかえった。グレゴリウスは確かに寮以外に、王宮に部屋をもっていたが、礼装の服の管理は侍従に任せきりで、どこに置いてあるかも知らなかった。


 フランツはユーリがイリスでひとっ飛びするのを見ながら、まだパートナーの竜が決まってないので馬を飛ばして屋敷に帰った。一人出遅れている焦りから、上着を着るのだからと、シャツを着替えるのを省略したのだが、ユージーンにしっかりと見咎められた。


 二人がユージーンの厳しいチェックを受けている時、まだユーリは王宮への馬車の中にいた。行きはイリスに飛び乗って、フォン・アリストの屋敷に着いたが、帰りはドレス姿なので騎竜できなかったのだ。ユーリはレースとフリルたっぷりのロマンチックなドレスにうんざりする。


『マウリッツ公爵夫人のドレスの好みは、乙女チック過ぎるわ! でも、立太子式用にフォン・フォレストのお祖母様が送ってくれるドレスが着いて無いから、これしか無いのよ』


 マウリッツ老公爵がユーリを認めて以来、男の子しか持てなかったマウリッツ公爵夫人は、ユーリを着飾らせてはお茶会などを楽しんでいる。問題はそのドレスの趣味が乙女チック過ぎることだ。


「侍女の手伝いなしで、このドレスを着るのは至難の技だったわ……皇太孫殿下と、フランツより、私は絶対に遅れているわね……」


 ドレスを着るのに侍女の手伝いが無いのが、これほど大変だとはユーリは初めて気づいた。この白いレース地のドレスには後ろで真珠のボタンがびっしり並んでいたのだ。手伝おうとするメアリーを制して、悪態をつきながら止めにくい真珠を摘まむ。


 ドレスをやっとの思いで着替え、鏡に映る自分の姿をチェックしたら、見習い竜騎士の制服にはピッタリのかちっとした編み込みが、ロマンチックなドレスには全く似合わない。乱暴に編み込みをほどき、ブラッシングをしたら、編み込みが程よいウェーブになっていたので、サイドを持ち上げて後ろでレースのリボンでくくって格好をつけた。 


 後は、絹のストッキングをとめているガータに短剣を挟み、ドレスとお揃いのレースの手提げにハンカチ、扇、小さいメモとペンを入れて王宮に急ぐ。


 王宮に着く前から、自分がビリだと気づいたユーリは、小さな真珠のボタンに内心で悪態をつく。せめて優雅に登場したいと逸る気持ちを抑えて、早足で部屋へ向かった。  


「遅くなりました」


 優雅にドレスを摘まんでお辞儀するユーリに、一同はハッと息を呑んだ。白いデビュタント用のドレス姿のユーリは、可憐で可愛らしく、風にも耐えられないような風情がある。


 国王や、外務相、ジークフリートも、ユーリの変身ぶりに驚いていたが、フランツとグレゴリウスは余りの変わりように真っ赤になって見とれる。


「ユーリ、遅いぞ! それに、髪はアップにするのが礼装の正式な形のはずだ」


 ユージーンが素晴らしく可愛く装ったユーリにも、冷静なチェックを入れているのに、全員が氷の心を持っているのかと疑問を抱く。


「ユーリ嬢、とても美しいですよ。ユージーン卿、これほど可愛らしい令嬢を目の前にして、貴方は何も感じないのですか?」 


 ジークフリートの言葉に、ユージーンはユーリのロマンチックなドレス姿を改めて眺める。


「確かに、よく似合ってますね。でも、いつもお茶会の時は、こういったドレスを着ていますから」


 ユージーンは冷静にチェックを続けた。


「持ち物は合格、ドレス姿に帯剣はできないとして、隠し剣は?」と質問した。


 ユーリが質問に応えスカートをたくしあげて短剣を見せようとするのを、流石にユージーンも赤くなって止める。


「ユーリ、年頃のレディが人前でスカートをたくしあげてはいけません。第一、そんな場所に隠していても、とっさの時に取り出し難いでしょう」


 ユージーンの叱責に、もっともだわと呟いているユーリを、全員が紳士なので見ない振りをした。


「ユーリ、このドレスにそのペンダントは不似合いですよ。老公爵から、ロザリモンド姫の形見の宝石類を貰ったはずです。確か、前によく似たドレスの時に真珠のネックレスを付けていたはずですが、どうしたのですか」


 ユーリが宝石類は金庫にしまってあるからと言い訳をしている間、外務相はハタと自分の失態に気がつく。


「ユージーン卿、ユーリ嬢は見事に合格ですよ」


 外務相はユーリを椅子へとエスコートして、自身の胸にさしていた固いバラの蕾をユーリに差し出す。


「ユーリ嬢、貴女が美しいとは思っていましたが、これほどドレスがお似合いだとは知りませんでした」


 いつも厳しい外務相の甘い言葉を、ユーリは驚きながらも嬉しく思う。ユーリの感情の高まりに呼応するように、手に持ったバラの蕾がほころび、満開に咲ききるのを外務相は注目し、他のメンバーからユーリを隠すように立つ。


 そして、皇太孫とフランツに不合格の罰として、扉の外に立っているように命じた。二人が不満そうにしていると、外務相から厳しい叱責が飛んできた。


「二人とも、王宮の廊下をドタバタと走るなんて、外交官にあるまじき振る舞いです。急いでいる時にこそ、優雅に素早く移動しなくてはいけません。当分、廊下に立って反省しなさい」


 外務相は二人の耳をつかんで廊下に放り出したので、礼装に着替える訓練の決着を見ようと集まっていたギャラリーは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

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