2話 最悪な出会い

 フィリップ皇太子の葬儀はしめやかに粛々と行われた。


 若くして亡くなったフィリップ皇太子に人々は涙にくれながらも、国王陛下、王妃、皇太子妃、皇太孫、第一王女と夫のサザーランド公爵、その次に参列しているユーリを不思議そうに眺める。


 何人かの貴族達はユーリ・フォン・フォレストの存在を知っていたが、実際に目にするのは初めてで、ロザリモンド姫に生き写しなのに驚きを隠せない。式が進むにつれ、ユーリの名前までは知らない貴族達の間で、ロザリモンド姫の娘であろうという推測が広がっていった。


 ユーリは葬儀の間は皇太子の死によって両親の死を思い出してしまい、涙を抑えるのに苦労していた。なので式の間、ユーリは周りが自分の詮索をしているのに気づかなかった。


 葬儀が終わり、王家の墓所に埋葬も終わった。参列していた人々も、三々五々と家に帰っていった。


 ユーリもマキシウスの屋敷に帰ろうとしたが、王妃に引き止められてしまった。

  

「身内だけで皇太子殿下を忍ぶ会をいたしますの、ユーリも参加して下さいね」


 皇太子殿下を亡くされた王妃の言葉に逆らうわけにもいかないのでユーリは残った。


 身内だけのと言う言葉が、王族や公爵などの最高貴族だけの集まりと同意語だとユーリはすぐに気づき「しまった」と後悔した。


 その上、ユーリは皆の注目の的で、居心地の悪さにげんなりした。ユーリが子どもと侮ってか、聞こえよがしにウィリアムとロザリモンド姫の駆け落ちの醜聞や、フォン・フォレストの魔女の噂などが囁かれた。




 ユーリはこっそりと部屋を抜け出して、王宮の庭で時間つぶしをする事にした。


『貴族って感じが悪いわ……』


 興味本位の視線に曝された気持ち悪さを吹っ切ろうと、知らない庭をうろついているうちにユーリは迷子になり、少し不安になってきた。


『ええっ? この先に建物があった筈なのに……ちょっと高い所に行けば、元いた王宮の建物がわかるかも?』


 ユーリは小高い丘に向かいかけた時、竜に抱きついて泣いている皇太孫を見つけてしまった。


「あっちへ行け!」


 人の気配を感じ、王族に育った皇太孫グレゴリウスは他所へ行くよう命じると、実行されるものと信じて葬儀の間我慢していた涙を流し続けた。ユーリは皇太孫が泣いているのを見られたく無いのだろうと思い、そっとその場を立ち去ろうとした。


『行かないで! 私はグレゴリウスの騎竜アラミスだ。君はイリスの竜騎士ユーリだね。お願いだから、グレゴリウスを慰めてやってくれ』


 グレゴリウスの騎竜アラミスは、慰めても泣き続ける絆の竜騎士に困り果てていた。そこにユーリが通りかかったのだ。


『でも、お父上が亡くなられたのですもの、泣かれるのも当然ですわ。私も、去年パパとママを亡くした時は涙が枯れるまで泣き続けました』


 ユーリは泣きたい時は泣けばいいと思い、アラミスの言葉を無視して立ち去ろうとした。


『ユーリ、違うんだ! グレゴリウスの嘆きが深すぎて、私の言葉が届かない。こんなに泣いてはいけないと伝えたいのに、伝わらない。お願いだから、私の言葉をグレゴリウスに伝えてくれ』


 アラミスの悲痛な思いに負けて、ユーリは気乗りはしないけど、皇太孫に近づいた。


「皇太孫殿下、お気持ちはわかりますが、あまり泣いてはいけませんよ。あなたの騎竜のアラミスが心配してます」


 これでアラミスの伝言は伝えたからと、その場を立ち去ろうとしたユーリにグレゴリウスは怒鳴りつけた。


「お気持ちはわかる! 何もわからないくせに、いい加減な事言うな! あっちへ行け!」


 心配しているアラミスに同情して言葉を伝えたのに、感謝されるどころか怒鳴りつけられた。ユーリは先ほどの会での不快感も上乗せされた怒りに後押しされて、立ち去れば良かったのに反論する。


「私も去年父と母をいっぺんに亡くしたから、悲しいのはわかるわ! 涙が枯れるほど泣いたもの! 私は泣きたければ、泣けば良いと思うけど、貴方のアラミスが心配しているから伝えただけよ」


 言う事は言ったから、立ち去ろうとしたユーリをグレゴリウスは引き止めた。


「君はユーリだね、イリスの竜騎士のユーリ・フォン・フォレストだね。君の父上と母上も亡くなったの?」


 父上の葬儀に参列していたユーリを見ていたが、悲しさの中涙を堪えるだけで精一杯だったグレゴリウスは、あまり覚えていなかった。


 泣きながら話かけてきたグレゴリウスを無視して立ち去ろるわけにもいかず、ユーリは隣に腰をかけた。自分も子どもだが、グレゴリウスも数ヶ月年下で、この年頃は男の子の成長の方が遅いので華奢なユーリよりも背が低く、保護者意識が働いた。


「ええ、父と母は去年亡くなったの、凄く悲しかったわ。私は泣き続けて、お祖母様に慰めていただいたわ」


「お祖母様に? お祖母様はアリエナ王女と父上を亡くされたのだから、私が慰める立場なんだよ」


 グレゴリウスが泣くのを止めて話だしたので、ユーリはハンカチで顔の涙を拭いてやり、鼻を噛んで良いわよとハンカチを渡した。グレゴリウスは差し出されたハンカチで鼻をかむと、少しすっきりした気分になった。


『グレゴリウス! 良かった、泣き止んでくれた。あまりに嘆きが深くて、私の言葉が届かなかったから心配したよ』


 アラミスの言葉に『ごめん』と返事を帰すグレゴリウスの様子に、ユーリは安心した。


「そろそろ、行くわね。王宮に戻らなくては、どちらへ行けば良いか教えて下さる?」


 立ち上がろうとしたユーリの手を掴んで座らせると、グレゴリウスは抱きしめて、ユーリにキスをした。


 パシッとユーリの手がグレゴリウスの頬に小さな手形をつけた。


「何するのよ! ファーストキスなのに!」


 一瞬何がおこったか理解できなかったグレゴリウスは、頬の痛さに平手打ちされたのだと気づき、驚き、怒った。


「そちらこそ、何をする! 私を殴るだなんて!」


 グレゴリウスの怒りは、ユーリの怒りに油を注いだ。 


「謝りなさいよ! 失礼でしょ! 私のファーストキスを返してよ!」


 先ほどまでの友好関係は崩れ落ち、二人は取っ組み合いの喧嘩をはじめた。


 驚いたアラミスは喧嘩をやめるように二人を止めたが、声は興奮しているので届かないし、巨大な力を持つ自分が子どもの喧嘩の仲裁などしたら傷つけてしまうと戸惑う。


 一方、マキシウスの竜舎でユーリが葬儀から帰るのをのんびり待っていたイリスは、ユーリの突然の激情を感じて王宮へと飛びたった。絆を頼りにユーリを見つけ出したイリスは、すぐさまその場に着地した。


『ユーリ、やめなさい』


 喧嘩の相手が幼いグレゴリウスとわかり、ユーリの身の安全に心配がないと知ったイリスは安心して声をかけた。でも、ユーリに自分の声が届かないと、イリスはパニックになった。


『ユーリ、私の言葉が聞こえないのか? 喧嘩をやめなさい』


 アラミスとイリスが困惑していると、異変に気づいたマキシウスが駆けつけた。


 竜が二頭騒いでいて、気づかない竜騎士はいない。


「何をしているんだ! ユーリ、皇太孫殿下」


 マキシウスは、即座に喧嘩している二人を引き離した。間が悪く、そこに国王陛下と王妃様と皇太子妃が駆けつけてしまった。


 皇太孫の頬には小さな手形がハッキリ残っており、一方ユーリは髪はぐじゃぐじゃで黒のドレスの片袖が千切れかけていた。


 マキシウスに引き離された二人は荒い息のまま、ふてくされる。


「ユーリ、皇太孫殿下に謝りなさい」


 マキシウスの言葉にユーリはキレた。


「イヤよ、絶対にイヤ! 彼は私に断りもなく、キスしたのよ。ファーストキスだったのに、一生、許さないわ!」 


 ユーリの言葉に、グレゴリウスも怒り返した。


「私をぶったんだ!  ちょっとキスしただけなのに……暴力女!」


 孫娘の失態に困惑するマキシウスだったが、ほほほと王妃と皇太子妃は笑う。アルフォンス国王も内心笑いながらも、グレゴリウスを窘めた。


「グレゴリウス、女の子に断りもなく、キスしてはいけないよ。平手打ちされて、当然だ。それに女の子と殴り合いの喧嘩などもってのほかだ。ユーリ嬢に謝りなさい」


 グレゴリウスは皇太孫として、国王陛下の命令に逆らえないので、不服そうではあるがユーリに謝罪した。


「申し訳ありませんでした」


 全く反省の意が籠もってないグレゴリウスの謝罪に、ユーリが許すはずもなかった。だが、こちらも祖父のマキシウスに謝罪を強要された。


「こちらこそ、皇太孫殿下のご尊顔を傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。お騒がせして申し訳ありません。少し疲れましたので、下がらせて頂きます」


 ユーリは優雅にスカートを摘まんで挨拶すると、ひらりとイリスに飛び乗って王宮を去った。言葉だけは丁寧だが、このような幼い女の子が慇懃無礼に振る舞うのに、残された全員が呆気にとられた。


 我にかえったマキシウスは孫娘の重ね重ねの無礼を詫びた。詫びるマキシウスを王妃は止めた。


「宜しいのですよ、ユーリが悪いのではありません。グレゴリウスが悪いのです。皇太子妃も、そうお思いでしょう?」


 夫である皇太子に先立たれ、二度と笑う事などないのではと思っていた皇太子妃は、我が子とユーリの子どもらしい喧嘩に心から笑いがこみ上げてきた自分に驚いた。


「ええ、女の子に断りもなく、キスしてはいけませんよ」


 グレゴリウスに真面目な顔で注意しながらも、笑わないよう腹筋に力をこめる。


 大人達が立ち去った後に残されたグレゴリウスはアラミスに愚痴った。


『皆、酷いよ……打たれたのは僕なのに。ちょっと見た目が可愛いからって、暴力女のユーリの肩をもつんだ。お祖父様も、お祖母様も、母上までも、僕が悪いだなんて』


 アラミスは絆の竜騎士の全面的な味方ではあるが、この場合に限ってはグレゴリウスも非があるのでは? と控え目に意見を述べた。


『アラミス、君までそんな事言うなんて』


 グレゴリウスは怒って庭を立ち去ろうとした時、ユーリが落としていった黒のリボンを見つけた。泣いてる時に振り返って見たユーリは、黒い喪服に金色の髪が映えて凄く可愛いかったのにと、グレゴリウスは黒いリボンを拾いながら思い出していた。


 アラミスはグレゴリウスの心と繋がっているので、ユーリと喧嘩していた時は怒っていたが、今は怒っている振りをしているだけで、後悔しているのに気づいていた。


 竜だけでなく、幼い皇太孫殿下の恋心に国王や王妃や皇太子妃も気づいていた。思わず笑ってしまう可愛い恋の芽生えに明るい未来を想像して、フィリップ皇太子の葬儀の悲しい日を乗り越えた。




 一方、ユーリは前世でも未経験のファーストキスを、こんな形で奪われた怒りに燃えていた。イリスも絆の竜騎士の怒りの深さにオロオロする。


 マキシウスの屋敷に着くと、ユーリは自分の部屋へ駆け上がった。召使い達は朝の可愛らしい貴族のお嬢様が、ズタボロのドレスに髪を振り乱して階段を駆け上がるのに驚き、何があったのだろうと、ピシャンと乱暴に閉められた扉を興味深そうに眺めていた。


 エミリアは恐る恐る扉をノックして、ユーリの様子を心配して声をかけたが「お願い! 一人にしといて」と入室を拒否された。


 皆でユーリ様に何があったのだろうと小声で囁き合っていた時、マキシウスが馬車で帰宅した。 


「ユーリは? ユーリはどこにいる!」


 マキシウスの珍しい怒鳴り声に執事は「お部屋にいらっしゃいます」と小声で答えた。


「ユーリをここに呼んでこい!」


 厳しいが普段声を荒げる事のない主人の、珍しく感情を露わにした様子に驚き、執事はユーリの部屋に飛んでいった。


 しかし、ユーリに拒否されて、主人の待つ書斎に連れて行く事は叶わなかった。マキシウスは孫娘の反抗的な態度に怒り、ユーリの部屋の扉を荒々しくノックした。


「ユーリ! 話があるから書斎に来なさい」


 マキシウスはこれが男の子なら部屋から引きずり出して、ムチで叩いてやるのにと怒り心頭だったが、男の子なら皇太孫にキスされたりしなかったし、喧嘩にもならなかっただろう。


 自分の言葉に逆らわれるのに慣れていないマキシウスは、ユーリが一向に部屋から出てくる様子が無いのに困惑する。


 もしや打ち所でも悪く、倒れているのではと心配になり、ラモス経由で、イリスにユーリの様子をたずねさせた。


『ユーリは泣いているとイリスは言っている。凄く傷ついて、怒って泣いているとイリスも困惑している』


 ユーリが身体的には大丈夫だとはわかって安心したが、傷ついて泣いてると言われて困り果てた。


「皇太孫殿下への暴力なんてとんでもない!」と叱りけるつもりだったが、ユーリがキスされて傷ついて泣いていると聞くと、どう扱っていいのかわからなくなった。


「ユーリ様が落ち着かれましたら、書斎にお連れします。それまでは、ユーリ様をお一人にしてあげて下さい」


 エミリアは一年近く家庭教師としてユーリの側にいたので、大人しそうな外見とは違い、内面はけっこう激しいと知っていた。


 何があったか知らないが、今ユーリに無理強いしても良い結果が得られないだろうと推察し、激情が収まるのを待った方が良いとマキシウスに提案したのだ。


 マキシウスも、孫娘の部屋の前で出てくるのを苛々して待つよりは、書斎にいる方を選びエミリアに一任した。


 エミリアは少しユーリに時間をあげて、メアリーにお風呂の準備と軽食を用意させた。


「ユーリ様、エミリアです、入りますよ」


 ユーリは泣き疲れて、ベットにうつ伏せになっていた。


 黒いドレスは片袖が破れて取れかかっており、髪の毛もぐじゃぐじゃだし、顔も涙と埃と血で汚れていた。


「まぁ、お怪我されてるではないですか。メアリー! 消毒液を持って来て」


 血をぬぐい取ると擦り傷だけで、チョチョツと消毒するだけで治療は終わった。エミリアは泣き疲れて反抗する気力も無くなっているユーリを、お風呂に入らせるようにメアリーに指示した。


 お風呂から出たユーリはサッパリとして、エミリアに勧められるまま、軽食を食べた。


 エミリアはユーリが落ち着いたのを見計らって「お祖父様が、書斎でお待ちです」と告げ、メアリーに着替えさせて案内するようにと命じた。


 ユーリはしぶしぶお祖父様に叱られに書斎に向かった。マキシウスは悄げたユーリの姿に、言いたい事の半分も言えなかった。しかし、ユーリには充分過ぎる程だった。


 その夜、身体が疲れているのにもかかわらず、なかなか寝付かれなかったユーリは、これから此処で暮らすのかとうんざりした。


「ユングフラウなんか大嫌い!」 


 ユーリはとっととリューデンハイムを卒業して、竜騎士として地方に行かして貰おうと決意した。


「なるべく早く引退させてもらって、イリスとまったりと田舎でスローライフをしよう」


 ユーリはイリスと別れるつもりは微塵も無いが、大食いの竜を田舎のスローライフで養うのは無理だと考え、働いてる間にどのくらい貯めれば良いのかしらと計算しているうちに眠りについた。




 夢の中でユーリはヒースヒルの懐かしい家にイリスと住んでいた。


 夢の中なので、巨大な竜のイリスも暖炉の前で寝そべっていて、ユーリはイリスに寄りかかって本を読みながら、どうやってイリスはあの扉から入れたのかしらと不思議に思った所で、メアリーに起こされた。


「凄く幸せな夢を見てたのに」


 夢の文句を言われてもと、メアリーはこぼしながら、お嬢様の機嫌がなおっているのにほっとした。


「さぁ、早く着替えて下さいな。リューデンハイムに入学するのですから、今日は忙しいですよ」


 メアリーの言葉で、グレゴリウス皇太孫殿下もリューデンハイムに入学する事を思い出し、眉をしかめたユーリだ。

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