第三章 リューデンハイム生
1話 ユングフラウへ
皇太子の危篤の噂が国内中に広がった時、多くの国民と同じくモガーナは回復を祈った。だが、王妃や皇太子妃の必死の看護も虚しく、皇太子の訃報がイルバニア王国を駆け巡った。
モガーナは皇太子の訃報にユーリとの別離を覚悟したが、喪章を付けたマキシウスの来訪にやはり衝撃を受けた。
「王命で、ユーリ・フォン・フォレスト嬢をユングフラウにお連れします。皇太子殿下の葬儀に列席するようにとのことです」
マキシウスはアルフォンス国王の正式な使者として、ユーリの保護者のモガーナ・フォン・フォレストに王からの手紙を渡す。モガーナは自筆で書かれた王の手紙を読み、拒否できない事を悟った。
「国王陛下はユーリの後見人にテレーズ王妃を指名された。王妃様はユーリの祖母様のキャサリン王女と義理の姉妹で、とても親密であられた。それにロザリモンド姫の名付け親でもあり、可愛がっていらした。ユーリの後ろ盾として、申し分のないお方です」
確かにイルバニア王国の最高位の貴婦人であり、身体の弱いアリエナ王女と皇太子殿下を献身的に看護したテレーズ王妃は、国民の尊敬を集めている。次々と我が子を亡くされた王妃の悲しみは、モガーナにも身に染みてわかる。幼い女の子の後見人になる事は、王妃にとっても好ましいと、国王はお考えになったのだろうと推測した。
「いつかは、こんな事になるとは覚悟してましたわ。でも、皇太子殿下の葬儀に参列するようにとは、あまりではございませんか。ユーリが継承権を持つ事を公に発表するようなものですわ」
モガーナの言い分は、ユーリを心配する祖母としては尤もだった。しかし、最早そのような配慮をしている余裕はイルバニア王国にはない。アルフォンス国王の従兄弟として、ローラン王国の竜騎士でもあるゲオルク王は継承権を主張しているからだ。ゲオルク王の継承権を阻止する竜騎士の継承者は、皇太孫殿下とユーリしかいない。他の竜騎士で継承権を持つ者もいるが、残念ながらゲオルク王より遠い継承権しか持たなかった。
「モガーナ、私も心は痛いが、ユーリは継承権2位として、ゲオルク王の野心からイルバニア王国を守る盾の一枚なのだよ。皇太子殿下の葬儀で、国の内外に知らしめる必要があるのだ」
マキシウスの言葉に打ちのめされたモガーナだが、ユーリの出立の準備に嘆いている暇はなかった。
「せめてユーリの相談相手として、家庭教師のエミリア先生や、身の回りの世話をする気心の知れた侍女ぐらいは同伴できるのでしょうね」
リューデンハイムに侍女や、家庭教師が同伴できるかマキシウスはわからなかったが、葬儀の間はフォン・アリストの屋敷に滞在予定だから、2人の同伴者ぐらい問題ない。
「リューデンハイムに同伴できるかどうかは、校長に尋ねてみます。昔の王女方の中には、侍女や、付き添いのご婦人を連れてきた方もいらしたかも知れない」
慌ただしい別れの間、ユーリは少しの時間をお祖母様に貰って、シルバーとも別れの挨拶をした。
『シルバー、ユングフラウに行かなきゃいけないの! ユングフラウに行ったら、当分会えないわね』
シルバーはユーリが行きたがっていないのを知って『行かなければいい!』と言ってくれたが、ユーリはその言葉で初めて学校に行った日の事を思い出した。あの日もシルバーは、学校へ行くのを渋っているユーリに『行きたくなければ、行かなきゃいい!』と言ってくれた。そして、ユーリの返事は今回も同じだった。
『そうも、いかないのよ』
シルバーとの別れの挨拶は悲しいものの、さっぱりとしたものだった。
しかし、お祖母様との別れは愁嘆場になった。業を煮やしたマキシウスに引き離されて、ユーリはラモスに乗せられた。
イリスは『ユーリを乗せて飛べる』と主張したが、急ぎの旅だった。いきなり長距離を新米竜騎士のユーリが飛ぶのは無理だと、マキシウスにキッパリ拒否された。
フォン・フォレストに滞在していたハインリッヒに、エミリアと侍女のメアリーをキリエに乗せてユングフラウに連れて来て貰うことにして、イリスには荷物を運ばせた。
「私は急ぎユーリをユングフラウに連れて行かなくてはいけない。ハインリッヒ卿は無理させず、私の屋敷にご婦人方をお連れして下さい」
皇太子殿下の葬儀は明後日だが、できれば今夜のうちにユングフラウに着いて、ユーリに心の準備をさせたかったのだ。王族の葬儀の手順を教えておきたかったので、マキシウスは急いで帰路に着いた。
ハインリッヒは初めて竜に乗る二人のご婦人の負担にならないように、途中で休憩を取りながら、次の日の朝に到着する予定にする。勿論、イリスはユーリを乗せて飛ぶラモスの横にピッタリと引っ付いて、ユングフラウまで飛んだ。
夕闇がせまるユングフラウは、皇太子殿下の訃報に暗く静まり返っていた。
途中で休憩を取ることもなく、一気にユングフラウまで飛んだので、ユーリはラモスから降りると足がガクガクした。マキシウスはユーリを抱き上げて屋敷に運んだ。ユーリを抱き上げた軽さに、自分が幼い女の子の扱い方を全く知らないという、モガーナの非難は当たっていると反省する。
屋敷の使用人にユーリの世話を頼んだが、いつも世話をしている侍女を後に置いてきたのを悔やんだ。初めての屋敷で、見知らぬ召使いに世話をされるユーリは心細く思うだろう。そんなことを考えもしなかった自分の心遣いの無さを恥じた。
せめてイリスの世話はちゃんとしたいと、マキシウスは竜舎に行く。モガーナが知ったら「竜馬鹿!」と怒っただろう。
竜舎にはぶつぶつ文句を言っているイリスと、それを宥めているラモスが、急ぎの旅の疲れを癒していた。
『イリス、 君がユーリの騎竜であることは皆が認めている。そして、君がユーリを落としたりしない事も承知している。しかし、ユーリはまだ竜に乗るのに慣れていない。イリス、君が幼いユーリを守り、導かなければならないんだよ。君がユーリに無理をさせてはいけないんだ、わかるかい』
マキシウスの真摯な言葉はイリスの心に響いた。イリスはユーリの魔力が強く、竜騎士の能力が成熟しているので、肉体的にまだ子供なのをを失念していた。
『私はユーリを守る』
イリスの誓いに満足するマキシウスとラモスだった。特にラモスはユーリを乗せて飛んだことを、嫉妬して愚痴られていたのでホッとする。
竜達が竜舎で快適な眠りについていた頃、ユーリは通された部屋で顔や手を洗い、召使いが運んできたお茶と茶菓子をつまんで休憩していた。部屋はここがあの厳めしいお祖父様の屋敷かしら? と疑う程、可愛らしい部屋で、ユーリは不思議に思う。
壁紙は白を基調にしてあるが可愛らしい小花柄で、腰辺りにはブルーのリボン柄が部屋中を取り巻いている。ベッドもレースの天蓋付で、お姫様のベッドみたいとユーリは呆れて眺める。
ユーリは人心地つくと、机の中にあったレターセットで、お祖母様にとりあえず無事に到着した報告の手紙を書いた。その手紙の中で、お祖父様は意外と少女趣味なのかしら? と部屋の様子も簡単に絵に描いて送った。
モガーナはその手紙を後日読んで、笑いながらマキシウスの妹のシャルロット様の趣味に違いないと察したが、孫娘の誤解を解いてやるほど元夫に優しくはなかった。
孫娘に趣味を疑われているとは考えもしないマキシウスは、夕食をユーリと取った後、王族の葬儀の式次第を説明した。
「葬儀はかなり長時間になるが、途中で休憩も取れない場合もある。前日は、早めに寝て体力を温存しなさい」
そして、マキシウスは幼いとはいえ女の子に言い難そうに「当日は水分は控え目に取るように」と素早く忠告した。ユーリは説明を聞くだけで、長くて堅苦しそうな葬儀に参列するのは大変そうだと感じた。しかし、竜騎士になれなかった身体の弱い皇太子殿下には同情していたし、ママの従兄弟になるのだから、我慢しようと溜め息をつく。
次の朝、早朝に着いたメアリーに起こされて、ユーリは一瞬フォン・フォレストに居るのかと錯覚したが、天蓋のレースを見てお祖父様の屋敷だと思い出した。
「さぁ、急いで着替えて下さい」
いつ着いたの? とメアリーに話しかけていたユーリは、寝巻きを強引に剥ぎ取られ、昨日の夜に入ったと抗議したが風呂に入らされた。
「葬儀は明日のはずでしょ? それに昨日、ちゃんとお風呂に入ったわよ」
ユーリの言葉に返事する余裕もないメアリーは「髪もちゃんと洗って下さいね」と言い捨てると、すすぎのお湯を取りに走った。
切羽詰まった様子に急いでお風呂から出たユーリは、メアリーと屋敷の召使いに囲まれた。メアリー達はユーリの髪を乾かしたり、熱した篭手でカールしたりと大忙しで、その合間にユーリにはお茶と小さなサンドイッチが運ばれ「急いでおたべ下さい」と急かされた。
皇太子殿下の葬儀に参列するための黒のドレスに着替えさせられ、綺麗にカールされた髪は黒いリボンでハーフアップに整えられた。
メアリー達はユーリの出来映えに満足げな溜め息をついた。ユーリの実態を知っているメアリーですら、黒いドレスを着ているユーリはお淑やかで、おとなしい貴族のお姫様にみえた。
「何なの?」
ユーリの質問に、ハッと我にかえった召使い達に急かされて一階に降りると、喪服を着たマキシウスがイライラと待っていた。
「遅い! 王妃様をお待たせするわけにいかないのだぞ」
女性の身仕度の長さに慣れていない、今は独身のマキシウスに急かされて、ユーリは馬車に乗り込んだ。王宮までの馬車の中で、ユーリに王妃様から呼び出しの手紙が来たと知らされた。エミリア先生も馬車に同伴していて、王宮での付き添いをしてくれると知って、ユーリは少し安心する。
道中、マキシウスの注意が続いていたが、ユーリの耳は素通りだ。ユーリは初めて見るユングフラウに興味深々で、馬車の窓からの眺めに気を取られていた。
マキシウスの屋敷は名門貴族だけに王宮に近かった。王宮に着くと馬車の紋章も知られており、門を守る兵士達も竜騎士隊長のマキシウスを止めることはなく、すんなりと王宮の門をくぐった。
馬車泊りで馬車から降りると、長身のマキシウスの後を小走りでユーリとエミリアはついていった。途中で、マキシウスは孫娘が小走りでついて来ているのに気づき、騎士道に反する自分の行いを反省した。
ユーリをエスコートして、孫娘が小走りにならないように王妃様の部屋に急ぐ。マキシウスは皇太子殿下を亡くされた王妃様に心からの同情を感じていたので、呼び出しに少しでも早くお応えしなくてはと焦っていたのだ。
「この度は、皇太子殿下の御逝去、心よりお悔やみ申し上げます」
王妃付きの女官に「お待ちですわ」と部屋に通されたマキシウスは、礼儀正しく膝を折って王妃にお悔やみを述べた。
ユーリも礼儀作法の時間に習った通り、膝を曲げて頭を下げて、王妃様からの声が掛かるまで頭をあげなかった。
「アリスト卿、貴方のお孫様を紹介して下さいませんでしょうか。私の被後見人を知りたくて、早朝なのに呼び出してしまいましたの。もうすぐ弔問の客が来ますから、長い時間はとれませんが、ロザリモンド姫の忘れ形見に会っておきたかったのです」
悲しみをおさえて、冷静に振る舞う王妃に尊敬を感じながら、マキシウスはユーリを紹介した。
「こちらが孫娘のユーリ・フォン・フォレストです。ユーリ、こちらが貴女の後見人を引き受けて下さったテレーズ王妃様です。挨拶なさい」
ユーリは後見人に王妃様がなるとは知らなかったので驚いた。
「この度は、皇太子殿下がお亡くなりになり、心からお悔やみ申し上げます。また、このような時に私の後見人をお引き受け下さり、ありがとうございます」
ユーリの挨拶に年よりしっかりしていると王妃は感じた。
「お悔やみありがとう。ちゃんと挨拶できましたね。ユーリ、お顔をあげて下さる」
王妃様の言葉で、ユーリは頭をあげた。
「まぁ、ロザリモンド姫にそっくりだわ。お祖母様のキャサリン王女には余り似てないようだけど、しっかりしてるのは同じね。私は義理の妹のキャサリン王女とはとても仲良しでしたのよ、そしてロザリモンド姫の名付け親でもありましたの。だから、陛下から貴女の後見人を頼まれた時に、二つ返事で引き受けましたのよ。まさか、こんなに悲しい日にお会いするとは思ってもみませんでしたが」
冷静に振る舞っていても、やはり皇太子の死の悲しみが王妃の胸に巣くっており、折にふれて悲しみの海に沈没しそうになる。
しかし、まだ幼い皇太孫を、皇太子妃と共に育てあげるという使命が残っている王妃には、悲しみにばかり浸ってはいられない。
「こんなにロザリモンド姫に似てるなんて、思いもよりませんでしたわ。ユーリが竜騎士でなければ、私の側から離さないのに……でも、私が後見人なのですから、一日に一回は顔を見せにいらしてね。リューデンハイムは王宮の隣ですし、皇太孫殿下にもお顔を見せに来ていただくつもりですから、忘れずに来て下さいね」
ユーリは王妃様をお訪ねすると約束して王宮を辞した。
ユーリが帰った後、王妃は風にも耐えないような風情のロザリモンド姫が、竜騎士見習いのウィリアム・フォン・フォレストと駆け落ちしたと聞いた時の衝撃を思い出す。
激怒したマウリッツ公爵の顔や、様々な聞くにたえない噂、馬鹿げたロマンチック小説すら出たと苦笑する。でも、ロザリモンド姫の生んだユーリが、あのゲオルク王から王座を遠ざける盾になるとは皮肉だと王妃は考えた。
あの当日、ゲオルク皇太子とロザリモンド姫の縁談は密かに進展していた。ロザリモンド姫はゲオルク皇太子を嫌い、竜騎士見習いと駆け落ちし、その娘のユーリがゲオルク王の野望を防ぐ盾の一枚に加わった安心感は、国王と王妃と一部の者にしか理解できないだろう。
王妃が竜騎士でなければ王位を継承できないという不文律をどれほど怨み、涙を流したかを知っているのは、それに苦しめられた王家の人々だけだ。グレゴリウスが竜騎士の素質があると判明した時の喜びと、アラミスと絆を結び竜騎士になった時の安堵感は、余人には計り知れない。
王妃は王宮内の教会に安置してある、フィリップ皇太子の棺を愛しそうに撫でる。
『フィリップ、貴方がどれほど竜騎士になれない自分を責めていたか……ローラン王国のゲオルクの王位継承権を盾にとっての侵攻で、どれほど辛い思いをしたか……戦没者の遺族にお悔やみを告げ、傷病者を見舞い、貴方は自分の命をすり減らしていった。安らかに眠りなさい……貴方の息子のグレゴリウスを立派に育てあげるわ。それにゲオルク王の野心の前にはグレゴリウスだけでなく、ユーリもいるわ』
ユーリ・フォン・フォレストがイリスと絆を結び竜騎士になったと知った時の安心感を王妃は思い出す。
それにしてもユーリの華奢な身体で、竜騎士修行に耐えれるのだろうか? と後見人らしく心配しながら、棺の側を離れ、弔問に押しかけて来た貴族達に会わなくてはいけないと、背筋を伸ばす。
『私が悲しみに沈む訳にはいかないわ! 未亡人になったマリー・ルイーズ皇太子妃を支えないといけないのだから』
イルバニア王国の王妃として、威厳ある態度で貴族達が待つ謁見の間に向かった。
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