8話 イリス

 フォン・フォレストでの生活が1ヶ月を過ぎようとした頃、やっとモガーナのお眼鏡にかなう家庭教師が見つかった。


 信頼できる知り合いに孫娘の家庭教師を見つけて下さいと手紙で依頼したので、何人もの教養深く淑やかな家庭教師候補がフォン・フォレストに面接に訪れた。しかし、モガーナはもっとしっかりした気丈な家庭教師を求めていた。エミリア・パターソンは代々軍人の家に育ち、護身術も身についていた。


「貴女は、どうして家庭教師になりたいのですか?」


 普通、家庭教師に応募してくるのは、良い結婚を望むが持参金が無いので自分で働くしかない没落した下級貴族の娘が多く、現役の軍人の娘というエミリアは持参金を貯める為とは思えなかった。


「私は姉達のように、両親の言いなりに結婚したくないと思ったのです。でも、家で親に経済的な面倒を見てもらう立場のままでは、我が儘だとされてしまいます。ですから働いて自立したいと思い、このお館の家庭教師に応募したのです」


 ハキハキと答えるエミリアを気に入って、モガーナは家庭教師に採用した。


「私の孫娘ユーリですが、あの子の母親の出自はご存知かしら?」


 ユングフラウでは有名な醜聞であり、今でも夢見がちな乙女には姫と竜騎士の駆け落ちはロマンチックな話として語り継がれていたので、エミリアも知っていた。


「ユーリを誘拐して利用しようとする輩がいないとは言えません。館の中は自由にしても良いですし、領地の中も馬車に御者を付けますから移動してかまいませんが、絶対に領地から出ないで頂きたいのです。約束していただけますわよね」


 お館様からのキツイ命令に、エミリアはもちろんユーリを領地から連れ出さないと約束した。




 ユーリは、エミリア先生とすぐに親しくなった。エミリア先生も、ユーリの8才とは思えない能力に驚き、飲み込みの早い生徒に満足した。


「モガーナ様、ユーリ様は算数はもう教える事がございませんわ。読み方も、綴りも、お子様としては充分です。文学や、地理、歴史、政治や社会の仕組みは、まだまだ勉強の必要がありますが、これらは冬に後回しにしても良いと思います。夏の間は、外で身体を動かす方がユーリ様には良いと思うのですが、如何でしょう?」


 モガーナは家庭教師が、孫娘のユーリをよく観察して、理解しているのに満足した。


「そうですわね、ユーリは少し身体を鍛えた方がよろしいわね。先生にお任せいたしますわ」


 モガーナはユーリが前世の記憶があるせいもあって、普通の子供より学習面で進んでいると知っていた。しかし、身体能力はこれから身につけさせなくてはならないと考える。地方とはいえ貴族の子女として、音楽、ダンス、乗馬、絵、あと水泳と護身術は何かの時の為に身につけさせておきたかった。


 ロザリモンド姫の容姿を引き継いだユーリは華奢だったし、両親を亡くしたばかりなので、外で身体を動かす方が良いだろうと、エミリアに任せることにする。


 ユーリは外見は華奢だけど、農家育ちなので実は体力はあったので、エミリア先生に乗馬を習ったり、海で泳いだりするのは大歓迎だった。夏の午前中は乗馬や、ダンス、水泳と身体を動かす授業で、暑くなる昼からは音楽、絵、読書。前世で絵の勉強をしていたユーリは、絵を描くのは好きだし、上手かった。


『絵を描くのは楽しいわ……でも、前世と同じね……何か私の絵には足りない物があるの……』


 ダンスと音楽は少し苦労したが、乗馬は馬の気持ちがわかるので怖がる事がなかったので上達が早かったし、水泳は前世で泳いでいたので楽勝だった。


 こうして夏は過ぎ、フォン・フォレストに冬がきた。ここの冬はヒースヒルのように根雪になるようなことはないが、海からの風が強く、天気の良い日以外は家で勉強する日々が続いた。冬至祭も通年ならお客を呼んで賑やかなパーティーをひらくモガーナだったが、喪中なので館でひっそりと過ごし、孫娘との時間を楽しんだ。


 初春、ユーリは9才になった。少し背が伸びたユーリは着ていた服が合わなくなり、モガーナは新調した服に取り替えていった。モガーナも子供がフリルやリボンやレースなどの装飾過剰な服を着るのは好まなかったので、シンプルだけど素材が上等な服を着たユーリは上品な貴族の子女に見えた。


 冬の間に歴史や政治や社会の仕組みを、エミリア先生から習い、夜にはお祖母様と習った事を話し合った。エミリアは軍人の家で育ったせいで、どうしても為政者よりに教える傾向があり、モガーナはユーリに自分自身で考えることを身に付けさせたいと思った。


 モガーナはユーリをウィリアムやロザリモンド姫のように、政治状況を無知のままで保護する気はなかったので、皇太子の病気が悪化している事や、ゲオルク王が懲りずに王位継承権を求めている件を冬の間に話した。


 長い冬の夜、ユーリはモガーナから魔力の使い方を教わったが、あまり上達しなかった。しかし、どうにかユーリは呼び寄せができるようになった。森に住むシルバーに会いたくなった時は呼び寄せたいと、頑張って習ったのだ。


『久しぶりね、シルバー』


 ユーリの呼び寄せで、館の近くまで来たシルバーは少し痩せて野性味が増している。


『ユーリの私を呼ぶ声が聞こえた。モガーナに習ったのか?』


 ユーリは館での暮らしをシルバーに報告した。シルバーはモガーナとユーリがうまくやっているようだと安心する。シルバーが森の方へと駆けて行く時に、何処からか一匹の雌狼が合流したのをユーリは見て、嬉しさと同時に少し寂しく感じた。


 モガーナに魔力の使い方を習ったが、呼び寄せ以外は、蕾をひらかせるとか、従来持つ力の強化ぐらいしかできない。 


「貴女は、動物と植物とに相性が良いみたいだわ。私のはフォン・フォレストの土地に根ざした物なの。貴女にあげた竜心石もフォン・フォレストの土地の記憶から探し出したのです」


 ユーリの魔力の使い方はあまり上達しなかったが、冬の間に祖母と話し合う時間がとれたのは二人にとって良かった。ユーリはフォン・フォレストの冬をお祖母様と一緒に過ごして、少しずつ此処の生活に慣れていった。




 荒々しい海風がおさまり、春の日差しに庭のバラが蕾を綻ばせるようになると、ユーリはエミリア先生とまた馬車で外出をするようになった。乗馬は並足なら安心してできるようになっていたユーリは、エミリア先生と二人なら気楽なのにと不満だった。しかし、モガーナは皇太子の病気が悪化しているとの情報を聞いてからは、馬車に屈強な二人の護衛代わりの御者を連れての外出しか許可しなかった。


 その日は、春の海の動植物を採集と観察という目的で、長い冬の間、館の中で過ごしたので外の空気を吸おうと海岸に来ていた。エミリアはお館様から厳しく命令されていたので、領地からは決して出ないように気をつけていたし、御者達も連れてきていた。


 岩場に残された小魚や、貝、カニ、ヒトデとかを小さいバケツに採集して、海岸に立てたパラソルのしたで図鑑を二人で覗き込んで名前を調べる。


「まだ、風は冷たいですね、お昼は館に帰って食べましょうか?」


 せっかく海に行くのだからと、簡単なお弁当を持ってきていたが、春の海風は思ったより冷たくて、エミリアはユーリに風邪でもひかしては大変と心配した。


「風は冷たいけど、日差しは暖かいわ。先生、ここで食べましょうよ」


 ユーリの言葉に頷いて、二人で馬車にお弁当をとりにいきかけた時、バサッバサッという音とともに冷たい風が叩きつけられた。


 驚いた二人が空を見上げると、低空を一頭の竜が旋回している。竜騎士に守護されている都、ユングフラウ育ちのエミリアは、竜を見慣れていたが、こんな低空を旋回する竜は見たことなかった。


「なんだか、あの竜は様子がおかしいですわ。ユーリ様、馬車に乗って下さい」


 人気のいない海岸で不審な動きを見せる竜に、エミリアは竜騎士が悪事を働くとは思わないが、誘拐とかの危険を考えて館に帰ろうと促す。


 御者達を急がして猛スピードで館へと走る馬車を、追いかけるように竜は付いて来た。


「キュルル~ン! キュルル~ン!」


 ユーリは馬車の中で聞こえる悲しげな竜の鳴き声に、胸が締め付けられるような気がする。


 館の門をくぐり抜け、エミリアがホッと安心した瞬間、馬車が急に止まった。


 急に止まった馬車の中で、座席から投げ出されそうになった二人は、窓から身を乗り出して前方を見た。


 館へのアプローチに竜が着地して、馬車は行く手を遮られている。


「ユーリ様!」


 エミリアが止めるのも聞かず、ユーリは馬車から飛び降りて、竜に向かって近づいていく。


『私はイリス、あなたがウィリアムの娘、ユーリですか?』


 巨大な竜の前に立つユーリはとても小さく見え、エミリアは手をひいて館へと避難させようとする。


「ユーリ様、館に入りましょう!」


 エミリアの手を振りほどいて、ユーリは魅入られたようにイリスと名乗った竜に近づいた。


『私がユーリよ、あなたはパパの騎竜になるはずだったというイリスね。私に何の用なの?』


 ユーリは悲しげな竜の瞳から目が離せなかった。竜が普段どういう生活をしているのか知らないが、わざわざフォン・フォレストまで自分に会いに来るのは普通ではない。


 ユーリは何をしにきたか知りたかったし、心の底から叶えてあげたいという気持ちがこみ上げてきた。


 モガーナが居たら、ユーリが竜に魅了されているのに気づき、あらゆる手を使って引き離そうとしただろうが、生憎なことに留守にしていた。


『私はユーリに会いにきたのだ。ユーリが私の絆の相手かもしれないと思って』


 イリスはユーリをうっとりと見つめた。外見はロザリモンド姫に似て華奢で風にも耐えられそうにない風情だが、魔力はウィリアムよりも強いと一目惚れしたのだ。


『絆? 私とあなたが絆の相手? どういう意味なの』


『私はユーリと絆を結び、生涯を共にしたい。ユーリと共に生き、共に死ぬ。それが騎竜と竜騎士の絆だよ』


 竜騎士という言葉にユーリは『駄目! 竜騎士にはならないわ!』と反射的に拒絶反応を示した。


 イリスはユーリの拒絶にぐったりと落ち込み、巨大な身体も一回り小さく見えた。よく見るとイリスはかなり痩せていた。マキシウスのラモスとは比べようもないし、ハインリッヒの年取った灰色のキリエに比べてすら痩せ衰えて見えた。


 ユーリは前にキリエがウィリアムが亡くなって、騎竜になるはずだったイリスが落ち込んでいると話したのを思い出す。


『イリスはパパの騎竜になるはずだったの? パパが亡くなって落ち込んだから、そんなに痩せているの?』


 イリスのすさまじい落ち込み方にユーリは同情して尋ねた。


『ウィリアムは私と絆を結ぶはずだったが、ロザリモンドと駆け落ちした。私はウィリアムがいつか帰ってくると待っていたが、彼は亡くなってしまった。私は一生絆の相手に巡り会えないのだ、孤独のまま無意味に生きるのだと思っていた。だが、キリエがユーリの事を教えてくれたんだ』


 イリスの孤独感には同情したが、パパの駆け落ちを責められても、ユーリにはどうしようもない。


『あなたには悪いけど、私はパパの代役なんてできないわ。竜騎士にもなるつもりないし』


 イリスはユーリの言葉に誤解があると抗議した。


『私はウィリアムの娘だといっても、絆の相手とは限らないと思ったが、キリエに押し切られてユーリに会いに来た。私はユーリに会って、ユーリこそ私の絆の相手だと確信したのに……ユーリは私がいらないんだ……私は絆の相手に嫌われる運命なんだ……一生、絆の相手も無しに生きるなんて意味がない……』


 今すぐにでも死んでしまいそうな落ち込み方と、孤独感に、ユーリはつい言ってしまった。


『そんなに落ち込まないで! 別にイリスの事、嫌ってないし。イリス、好きだよ、元気出して! イリスには幸せになって欲しいから、私にできる事なら何でもするわ』


 ユーリの何でもは、竜騎士になる以外何でもの意味だった。イリスはユーリのニュアンスを無視して強引に話を進めた。


 ウィリアムと絆を結ぶ前に駆け落ちされて逃がしたトラウマがイリスを急かした。


『ユーリが私を好きだと言ってくれた! 何でもすると言ってくれた! 私は絆の相手を見つけた!』


 イリスの爆発するような高揚感にユーリは巻き込まれた。


『私はユーリと共に生き、ユーリと共に死ぬ』


 ユーリが突然押し付けられたイリスの幸福感に戸惑っている間に、二人の間に絆が結ばれてしまった。


『イリス! 何て事するのよ! 私は竜騎士になんてならないわ!』


 ユーリは自分の非難に落ち込むイリスの感情がダイレクトに感じられ、くらくらする。


『ユーリは私が騎竜なのが嫌なのか? 私はユーリを愛しているのに』


 イリスの自分を愛する気持ちが心の奥にまで響いて、継承権を拒否するために竜騎士にならないという決心を砕いてしまった。


『馬鹿なイリス! 私があなたを愛さないわけないわ!』


『ユーリ! 私の絆の竜騎士!』


 イリスの幸福感がユーリを包み込む。ユーリは二度と孤独を味わうことは無いのだと、巨大な竜に寄り添った。

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