7話 魔女と呼ばれるお祖母様との暮らし

「ユーリ様、おはようございます」


 侍女のメアリーがカーテンを開け、差し込んだ朝の光の眩しさにユーリは顔を背けた。昨夜はモガーナから衝撃的な話を聞かされて、夜更けまでなかなか寝付けなかった。


 農家の娘として育ったユーリは、普段は朝日と共に起きていたが、重量感あるカーテンと、夜更かしで、珍しく寝坊した。一瞬どこに居るのか分からずぼんやりしていたが、部屋を見渡して、お祖母様の館だと頭が動き出した。


「さぁ、お顔をお洗いになって下さい。お館様をお待ちさせてはいけませんわ」


 メアリーに急かされて、身支度を終えると、一階のモーニングルームに案内される。モーニングルームは、如何にも貴婦人の住まいに相応しく居心地の良い部屋で、モガーナは朝早いのにキチンと身なりを整えて優雅にお茶を飲んでいた。


「おはようございます」


 慌てて部屋に入ってきたユーリの挨拶に頷きながら、昨夜の話で寝付けなかったのだろうとモガーナは思った。


「おはよう、ユーリ。私は都の貴婦人達と違って、早起きですのよ。これから朝食は7時、昼食は12時、3時にお茶、夕食は8時ですから遅刻しないで下さいね」


 ユーリは朝食を食べながら、モガーナの質問に曝された。モガーナは孫娘が賢いとは思っていたが、田舎の学校でどの程度の教育を受けてきたのか知りたかったのだ。


 ユーリは8才にしては読み、書き、計算は、ずば抜けていたが、ウィリアムとロザリモンド姫が、自分達の出自を徹底的にユーリに秘密にしていたので、政治に関しては全く無知であり、教育の片寄りが目についた。


『ウィリアム、貴方という子は、ユーリを農家の娘として育てたのね』


 ヒースヒルの小さな家で、質素ながら愛に満ち足りた生活を送っていた息子に、一言文句を言いたいモガーナだったが、結局ウィリアムも国を守って戦死したのだと思い直した。


 モガーナはこれからユーリをどのように教育していくべきか考えながら、お茶をゆっくりと飲んだ。


『ロザリモンド姫がウィリアムと駆け落ちしたのが見逃されたのは、王家の血を引いていたけど竜騎士の素質が無いので、継承権を持たなかったからだわ。ウィリアムが竜騎士に叙される前に駆け落ちしたのも、所詮は田舎の貴族と問題にされなかった。でも、ユーリは王家の血と竜騎士の素質! ああ、なんて厄介なんでしょう。その上、ユーリはフォン・フォレストの魔女の血まで引いているのだわ』


 モガーナは呑気に朝食を食べているユーリが、マキシウスから竜騎士の素質、そして自分からフォン・フォレストの魔女の魔力を引き継いでいるのを愁いた。


『フォン・フォレストの魔女、なんて嫌な呼び名かしら。この名前のせいでマキシウスとの結婚にユングフラウの貴族達は拒否反応を示したのだわ……』


 モガーナはどうせ竜馬鹿のマキシウスとの結婚は上手くいかなかったと、昔の苦い思い出を振り切る。


 旧帝国時代に『フォン・フォレストの反乱』を起こした祖先の男達は皇帝に処刑された。遺された女子供達は反逆者の一族として、帝国兵に蹂躙される運命だった。『フォン・フォレストの魔女』と呼ばれた領主の娘が、この土地で女に乱暴を働いた男達に怖ろしい呪いをかけた伝説が残っている。モガーナはこの土地に残る呪いの残像は感じていたが、今も発動するのかはわからないと首を振った。


『そんなあやふやな呪いに頼る訳にはいかないわ。ユーリを領地の学校に通わせるのはリスクが高すぎるわね。誰か口の固い、身元のしっかりした家庭教師を探さなくては!』


 早速、知り合いに手紙を書こうと、朝食を終えた。




 朝食後、昼まで自由に過ごしなさいとモガーナから暇を与えられたユーリは、庭を探索して過ごした。ヒースヒルより南の初夏の日差しを楽しみながら、空から見た海はここからどれくらいの距離かしら、シルバーが走り去った森はどれくらいで行けるのかと考えながら、花々が咲き誇る庭園を歩いた。


 昼食後は館の図書室に案内された。


「貴女には、家庭教師が必要ですね。今、探していますけど、決まるまで午後はここで読書して過ごしなさい。館と庭は自由にして良いですから、根を詰めず適宜休憩をおとりなさい」


 モガーナは小さいとはいえ領主なので、孫の相手を充分にできないのを心苦しく感じた。しかし、午前中にも管理を任せている者から、領民が牧草地の件で揉めていると仲裁を頼まれていたので、さっさと片付けて孫との時間を取らなくてはと図書室を後にした。


 図書室に一人残されたユーリは、前は学校より自宅学習が良いなと思ってたにもかかわらず、ハンナやキャシーとの学校生活が懐かしく思え、少し寂しく思った。


 図書室は、窓以外の壁は、床から天井まで書架になっており、ぎっしりと本が詰まっていた。


 ユーリは本の背表紙を眺めながら、本当は歴史とか勉強すべきだとは思いつつ、ふと目に止まった『竜と竜騎士の物語』を手に取ってみる。


 図書室には、真ん中に大きな机と椅子が数脚、あと窓の側にソファとサイドテーブルがあり、ユーリは窓を開け放って本を手にソファで寛ぐ。


 本はどちらかというとお子様向けの竜と竜騎士の冒険物語で、さくさくと読み終わった。本の最後のページに、ウィリアム・フォン・フォレストと子どもらしい字で署名してあるのを見つけたユーリは、パパが子どもの頃に読んだ本だと気づいた。


「パパは、この館で大きくなったのね」


 お祖母様の館なのだから当たり前だけど、改めて実感した。


「パパもママと駆け落ちして失った物があったのね……」


 地方の貴族とはいえ、ヒースヒルの農家の暮らしとは比べ物にならない豊さを、投げ出したのだ。お祖母様から両親の駆け落ちについて聞いてから、ママが王家の血を引くお姫様だったという衝撃的な事実にのみにとらわれていたけれど、パパも地方とはいえ貴族の坊ちゃまだったのだと実感した。


 ユーリは、まだウィリアムが、ロザリモンド姫の為に投げ捨てた一番大事にしていたものが何だったか知らなかった。


 お祖母様が言った『竜騎士に叙される前にロザリモンド姫と駆け落ちしたのです』の意味を理解できていなかったし、ハインリッヒの騎竜のキリエが話した『ウィリアムの騎竜になるはずだったイリス』という意味がどれほど重大な事かもまだ知らなかった。


 ユーリは継承権を遠ざける為に竜騎士にならなければ良いと、簡単に考えていた。 




 お茶の時間に、モガーナに何の本を読みましたかと質問されたユーリは、少し言い難かったけど正直に答えた。


「ウィリアムは、その本が好きでしたわ」


 少し懐かしそうな様子のモガーナに、パパの子どもの頃を聞いた。


「ウィリアムは、いつも機嫌の良い子どもでしたね。特に外で遊ぶのが好きで、海に行ったり、森に行ったりしていましたわ。あのシルバーも、森で拾ってきたのですよ。寒い雨の日に、あの子がびしょ濡れの子狼を上着の中にくるんで連れてきた日の様子は、今でも思い出せますわねぇ」


 ユーリは子牛程の大きさのシルバーしか知らなかったので、抱いて歩ける程のチビシルバーを想像して笑った。


「あの子はシルバーと一緒にベッドで寝たがって困りましたわ。勿論、私はベッドに狼と寝るなんてことは許しませんでした。なので、あの子は床でシルバーと寝るなら良いでしょうと、床で一緒に寝ていましたの。冬の寒い時期でしたからね、それで風邪をひいてしまいましたのよ。結局、シルバーに自分は床でも大丈夫だけど、毛皮を着てないウィリアムはベッドで寝るようにと説得されましたわね」


 ユーリは祖母の子育て方法は、少し変わってるのではと驚いた。しかし、それよりも気がかりなことが浮かび上がる。


「シルバーは帰ってくるでしょうか?」


 夜に狩りに行っても、いつもは朝には帰ってきていたのに、昨日からまだ帰ってこないシルバーをユーリは心配していた。子狼の時から知っている祖母はどう思うのか尋ねた。


「シルバーがユーリに挨拶もしないで、このままいなくなる事はないでしょう。狼ですが、人間より義理がたいですからね。でも、絆を結んでたウィリアムが亡くなったのですから、シルバーがいずれは森に帰る日が来るのを覚悟しなくてはいけませんわよ。シルバーは元々森の生き物なのですからね。伴侶を見つけて家族を作りたいとシルバーが考えたら、ユーリは反対しますか?」


 祖母の言葉でユーリは、ウィリーとシルバーの絆と、自分との違いを考える。ウィリーとシルバーは対等な関係だったが、自分とシルバーは被保護者と保護者で、いつも自分がシルバーに甘えていたのに気づかされた。


 そうとわかっても、赤ん坊の頃から一緒だったシルバーと別れるだなんてユーリには耐えられない気がして、悲しくなった。


「まぁ、ユーリ! まだ決まってもない事をくよくよ考えるのはおよしなさい。シルバーはそのうち帰ってくるでしょう。その時まで彼がどうするのかわからないのですからね」


 モガーナは、ユーリがシルバーと一緒にいたい気持ちは理解していたが、動物と話せる能力を周知のものとさせたく無かったので複雑だった。勿論、ユーリは動物と話せると皆に知らせるつもりは無いだろうが、シルバーと話しているのに気づく目ざとい人もいる。


 今、ユーリが竜騎士の素質があると知っているのは、マキシウスとハインリッヒ。二人とも竜馬鹿で難しいけれど、身内であり、黙っているように説得する事も可能だとモガーナは考えて、朝一番に二人に懇願する手紙を書いたのだ。モガーナは、継承権争いにユーリを巻き込まない為なら、何でもする覚悟を決めている。


 しかし、マキシウスとハインリッヒがモガーナの頼みを受け入れ沈黙したとしても、モガーナは竜騎士ではないから、竜同士が話す事を考慮に入れて無かった。その上、説得が容易いと思っていたハインリッヒの騎竜のキリエが、ウィリアムの騎竜になるはずだったイリスの親だとは思いもよらない事であった。


 ハインリッヒはモガーナの手紙を受け取り、ユーリの竜騎士になれる素質を残念に思いながらも、孫娘を継承権争いに巻き込みたく無い気持ちも理解した。いずれ気づく者が出ると懸念したが、自分からはバラさないと約束する。


 ハインリッヒはモガーナの手紙を焼き、内容が読みとれないよう、言葉少なく約束の返事を書いた。だが、キリエが落ち込んでいるイリスに、ウィリアムの子どものユーリの事を話してしまうとは知るよしも無かった。


 一方、マキシウスはモガーナの気持ちは理解していたが、いくら孫娘を隠しても継承権争いに巻き込まれるのは逃れられないと、名門貴族だけに確信していた。


 権利の匂いに敏感な輩のしつこさを、中央の貴族の彼は怖気が出るほど目にしていたのだ。だからこそ、竜騎士にして、ユーリを守りたいと思っていた。


 竜騎士になれば継承権を持つ事になってしまうが、竜と契りを結んだユーリを傷つけるのは容易ではないと、マキシウスは考えていた。


『モガーナはユーリを継承権から遠ざけて守ろうと必死だが、竜騎士にならなくても素質を持つ者を、あいつらは無視しない。ゲオルク王に組する者達や、皇太孫殿下を廃そうする者達には、ユーリは恰好の操り人形に見えるだろう』


 暗殺、誘拐など権力の魔力に捕らわれた者は躊躇せず実行するだろうと、モガーナの魔力を持ってしても護り切れるとは思わなかった。しかし、ユーリが竜と絆を結び竜騎士になれば、竜がユーリを全力で護るとマキシウスは確信していた。そして、マキシウスは皇太孫殿下のグレゴリウスも竜騎士になる素質を持っているのを知っていたので、まだ年は足りていないが二人を早急に竜騎士にさせて暗躍する者達から護りたいと考えた。




 キリエの件も、中央の貴族の権力争も、モガーナはまだ知る由もなかったが、ユーリを誘拐、暗殺する者がいるかも知れないと、フォン・フォレストに防御の魔法陣をかけた。ユーリを害しようとする者が領地に入ろうとしたら、モガーナには事前にわかるようになっていた。


 家庭教師が決まるまで、ユーリは周りに侍女のメアリーとか、使用人はいるが、お祖母様しか親しく話せるものがいなかった。


 シルバーはお祖母様の言葉通りに、ユーリに会いにきたが『森で暮らしたい』と告げて森に帰っていった。時々は顔を見せに来てくれるが、だんだんと森にいる期間が長くなっているのをユーリは寂しく思った。


 モガーナは忙しい領主の仕事の合間に、ユーリとの時間をつくり、孫娘をよく知ろうとした。孫娘の何かが、モガーナの勘に引っかかっていたからだ。


 フォン・フォレストにきて以来、ユーリは前世でも両親を亡くし祖母に育てられたし、今も両親を亡くしお祖母様に育てられるようになったのが偶然なのか、運命なのか悩んでいた。


 勿論、前世の有里は動物と話したり、植物に働きかける力も無かったし、一般の庶民で継承権などとも無縁だった。しかし、前世も今世の両親も亡くなった年頃も同じなのも気になり、ではお祖母様や自分も後十年しか生きられないのかしらと、暗い気持ちになった。


 ある晩、ユーリが考え込んでいる様子にモガーナは何を悩んでいるのか尋ねた。


「お祖母様は、前世の記憶があると言う人を信じますか?」


 モガーナはユーリが何を言い出したのかと驚いたが、最後まで聞いてやろうと続きを促した。


「私は前世の記憶があるのです。そこでの私の名前は有里でした。私は幼い時に両親を亡くし、祖母に育てられました。そして、祖母は私が18才の時に亡くなり、私も19才で死にました。私は、私が両親に死ぬ運命をもたらしたのではないかと不安なのです。そして、お祖母様や、私も、不運に見舞われるのではないかと心配なの」


 突然の荒唐無稽とも思われるユーリの話だったが、モガーナは嘘をついているのではないと確信した。今までユーリの年齢にそぐわない賢さを得心したのだ。


「前世と同じ事を繰り返すとは、思いませんわ。私も十年やそこらで、あの世に行く予定もありませんしね。ウィリアムとロザリモンド姫が亡くなったのは、ユーリのせいではないことは貴女もわかっているでしょう」


 モガーナはユーリを抱きしめて馬鹿馬鹿しい暗い考えを止めなさいと諭した。


「私は、パパとママに言えなかったの! 前世の記憶があると。あんなに愛してくれてる両親に嘘をついていたの」


 モガーナは胸で泣くユーリの頭を撫でながら、この子がずっと悩んでいたのに気づいやれなかった自分を責めた。


「ユーリはパパとママを愛していたから、嫌われたくなくて言えなかったのでしょう。でも考えてみて、貴女が前世の記憶があると言ったら、ウィリアムとロザリモンド姫は嫌ったと思って? 驚いたでしょうが、あの子達がユーリを嫌うだなんて考えられませんわ。貴女は二人の溺愛する娘なのですよ」


 お祖母様の言葉で、愛情を注いでくれた両親を思い出し、涙が止まらないユーリだった。


「ママとパパに会いたいわ。せめて肖像画でもあれば良かったのに……」


 やっと泣き止んだユーリは、今は鮮明に思い出せる二人の顔が、時間がたつと朧気になるのではと悲しがる。有里は普通の子供だったので、幼い時に亡くなった両親の事はあまり知らなかったが、写真があったので顔は何度も見ることができた。ユーリは幼い時から前世の記憶があったので、両親がいかに自分に愛情を注いでくれたか理解していたが、写真のない世界で肖像画もないのは寂しく思えた。


「ウィリアムの子供の頃の肖像画ならありましてよ。でも、貴女が欲しいのは両親の肖像画ですわよね、良いでしょう。私が肖像画を作って差し上げますわ」


 お祖母様の言葉に、ユーリは肖像画を描いて下さるのだと思った。それはそれで有り難いとは考えたが、お祖母様と両親は何年も会っていないので、二人の実像とは違う物になると失望する。


「では、早速作りましょうね」


 そう言うと、モガーナは侍女に宝石箱からロケットを取ってこさせると、ユーリに両親を思い出すようにと命じた。お祖母様の命令に疑問を感じながら、ユーリはいつも笑顔のウィリーと、やはりいつも微笑みを浮かべていたローラを思い出した。


「あらまあ、農家の旦那さんとおかみさんみたいな格好ね。でも、幸せそうだわ」


 モガーナは少し涙ぐみながらユーリにロケットを手渡した。ユーリが驚いたことに、ロケットからヒースヒルのウィリーとローラが幸せそうにこちらに笑いかけていた。


「お祖母様、ありがとう!」


 モガーナが魔力で作ったのだと思ったが、そのやり方を訊くより、両親の幸せそうな笑顔をまた見られた嬉しさが上回る。


「貴女にも、おいおい力の使い方を教えなくてわね。私の孫なのですもの」


 モガーナはユーリに力の使い方を教えようと思ったが、なかなか機会に恵まれなかった。


 後に、モガーナはユーリにもっとしっかり力の使い方の訓練をしておくべきだったと後悔する事になるが、祖母と孫の生活は平穏に過ぎていった。

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