閑話 戦国の母、最上御前と梵天丸達。

天正3(1575)年6月22日 陸奥国米沢城 最上御前



 水無月は、夜の帳とばりが降りるのが遅い季節とは言え、周囲が暗闇で包まれた刻限になって、夫 伊達輝宗が帰城しました。

 よほど急いだと見えて、護衛の足軽を置き去りにして、騎馬隊だけで急ぎ帰城したとのことでした。

 翌朝、夜明けと共に慌ただしく、使者が城を飛び出し、家中全登城の陣太鼓が響き渡りました。

 夫は朝餉もそこそこに、集まった家中の者達と、評定を開いていました。

 そこへ急使が届き、錦の御旗と織田家の永楽通宝の旗印を掲げた軍勢が進軍して来たというのです。


 そして、正午前には評定も解散、皆が散った後に私と梵天丸ぼんてんまる、竺丸じくまるが書院に呼ばれました。


「殿、戦にございますか。幼子達まで呼ばれるとは何事でございましょう。」


「うむ。朝廷から遣わされた鎮守府大将軍様より、新政にあたり、東国全ての領地を朝廷に召し上げることを命じられてな。儂はそれをお断りして来た。

 その後のことは先に退出して来たので、しかとはわからぬが、他の東国諸大名は従うであろう。

 それは、錦の御旗の下に集う軍勢と伊達家が戦うということじゃ。」


「勝てる見込みは、あるのでございますか。」


「わからぬ、初めは東国諸大名が足並みを揃えて、米沢に攻め寄せるには間があるだろうから、その間に関東の蘆名らと同盟を結び、備えればと思うていたが、既に大将軍の軍勢がこの地に迫っておる。

 此度のこと、朝廷を見くびっていたかも知れぬ。

 何の準備もなく、鎮守府大将軍など遣わさぬとは思っていたが、こんなに早く軍勢が攻め寄せるとは思わなんだ。」


「殿、降伏なされてはっ。」


「できぬ。大将軍殿直々に、降伏は許されず滅ぼすぞと申されたが、それで構わぬとお答えして来た。

 我らは既に朝敵、平将門と同じ身じゃ。 たとえ、籠城して蘆名に援軍を頼めたとしても、東国の諸大名達が朝廷に従い軍を出せば伊達家はどうなるかわからぬ。

 義姫、すまぬ。これまでのそなたが儂に尽くしてくれたこと、死しても忘れぬ。 

 だから、子らと共に生きてくれ。」


「殿、何故そんな馬鹿な選択をなされたのですか。賢明な殿らしくないではありませぬか。」


「許せっ、儂は戦国の世で下剋上を成し、伊達家の国を作ることを、諦め切れなかったのじゃ。

 義姫、離縁致す。子らを連れ最上義光殿を頼れ。

 朝敵となった伊達家は再興など許されぬであろうが、子らをそなたが無事に育て上げてくれ。

 そして、子らには朝廷を大将軍殿を恨むでないと教えてくれ。全ては、儂が野望を捨て切れなかった故じゃ。」


「納得はできませぬが、殿のお気持ちは解りました。これまでのご厚情、お礼申し上げますぅ。ううぅ。」


 私は嗚咽を抑えることができませんでした。

 しかし刻が許してくれません。大急ぎで荷を纒め出立の用意をして、わずかな護衛だが城中の全ての侍女や下働きの者達を連れて城を出ました。

 幸い最上領は隣、それにまだ戦のことは領民達に伝わっていません。最上領に入ると、すぐに国人に保護され、兄義光の居城山形城へ案内されました。



 山形城に着くと兄義光は帰城しておらず、前後して知らせが入り、兄はなんと米沢城攻めに参陣なのか、向かったそうです。

 その四日後、再び知らせが入り驚くことに米沢城は落城、夫は戦うこともできずに、城と共に灰燼に帰したとのこと。

 訳がわからず使者に何度も尋ねると、官軍である織田軍は、籠城している伊達家の米沢城を大筒で、一刻足らずで粉々にし、伊達家の将兵は打って出る暇もなく城の倒壊により壊滅したとのことでした。


 夫の最後の言葉『いずれ伊達家は滅ぶ。』との予想は、それさえも全く見当違いであったのです。いずれなどの暇などなかったのです。


 それから数日後、兄義光が米沢から帰りました。

 これからの不安を抱え暗い顔の私と、それを察して沈んでいる子らに、兄は優しく言った。


「心配なぞ無用ぞっ、お前達は最上の者ぞ。

 大将軍殿がさよう申された。そして夫と父親を、亡くしたそなた達を労ってやれとな。」


「それでは、私と梵天丸ぼんてんまる竺丸じくまるにも、お咎めはないのですか。」




「ないぞ。面倒ごとが起きれば俺に申せ、対処致すと東国諸大名一同の前でお言葉を賜った。

 最上の一族として暮らすが良いとな。」


 なんということでしょうか、良くて生かされても出家を覚悟していた。嫡男の梵天丸は死罪になるのではないかと、不安が消えずにいた。


「大将軍殿は雲厳寺で我らを諭し、それでも戦国の世を捨てられぬ輝宗殿を悲しそうに見ておられた。伊達家は滅びを選ぶのかとな。

 大将軍殿は、本当は誰も死なせたくなかったのであろう。

 しかし刃向かう者は、朝敵として討伐なされねばならぬ。伊達家は見せしめとなったのだ。

 大将軍殿を恨むでないぞ。かのお方はそなたらの命の恩人ぞ。」


「はい、別れの間際に夫も申しておりました。

 子らには、朝廷を大将軍殿を恨むでないと教えてくれと。全ては夫が野望を捨てなかった故だと。」


「さようか虚しいの。しかし俺は大将軍殿に着いてゆくと決めたぞ。大将軍殿は誠にこの国の民の行く末を案じておられる方だから。」




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 私達は山形城に居室を与えられ、梵天丸と竺丸には守役が付けられて、最上一族として暮らせることになった。お家を失った私達には夢のようです。

 私達の生活が落ち着くのと反対に、最上の領内は日毎に慌ただしさを見せ始めました。

 東国各地の湊から、続々と物資と差配をする者達が来て、城下と村々を人々が慌ただしく行き交っています。

 城下にいつの間にか蕎麦とうどんという麺料理の店ができており、町民達が気軽に立ち寄っています。

 私達も食しましたが、梵天丸と竺丸がとても気に入り、その喜ぶ姿を見たお付きの者が城の料理人に話したのでしょう、城の中食なかじきなどに出されるようになりました。

 料理人の話では、蕎麦などは安く手に入るし米の節約になるので、大いに食べてほしいとのこと。


 私は、寺で孤児を育てていると聞き、兄の許しを得て子らを連れ、その手伝いに行きました。

 蕎麦打ちを習って中食などを作って、幼子らに物語を読み聞かせて、年長の子らには読み書きや算術を教えます。米沢から連れて来た侍女達も寺の手伝いや城下の伊賀市場、普請場で働いています。

 梵天丸や竺丸も、寺で同年齢の子らと仲良く学んでいます。


 城下の至る所で道や橋、堤防の普請が行われています。

 道は広げられて真っ直ぐになっています。もう敵の侵入を防ぐ曲がりの道は必要ないのだとか。

 普請場には女衆も賄いなどでおり、その周囲には幼子が遊んでいます。年長の子らは鯉や鮒の稚魚集めとか。老人や不具者も工務所という建物で藁細工や木彫り、陶磁器を作っているとか。そのせいで城下は賑わいで溢れ返っています。


 そうそう、伊賀市場という市ができて便利な農具や大工道具、調理や裁縫道具、狩猟道具などが手に入れることができます。

 それに遠い漁村から一夜干し魚や魚介の干物が、山村からも炭や茸などが安く大量に出回るようになって、喜ぶ暇もなく日々驚きの毎日です。



 そんな日々が一ヵ月も経つ頃、米沢の大将軍様から文と荷が届きました。

 驚きながら兄から受け取ると、荷はなんと亡き夫輝宗様の遺骨と大小の愛刀でした。


「遅くなったが、輝宗殿の遺骸を見つけることができたので、荼毘に付したが遺骨を届ける。

 墓はそなたらの参れる場所に立てるが良い。輝宗殿の愛刀は梵天丸殿に、脇差は竺丸殿に、元服の際に渡すが良い。

 二人には、輝宗殿が東国諸大名の中で唯一、大敵に臆せぬ武士として生き、戦に破れ亡くなったのであり、少しも恥じることはないと教えてやってほしい。」


 大将軍様の文にはそうあった。私達親子を少しも貶めることなく、子らに父親への誇りを持たせてくれるお言葉に、溢れる涙が止まらなかった。

 この子らは、大将軍様の成される国造りにお役に立てる武士に育てようと、心に誓った。




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