第四話 疾風の暗躍『伊勢の巫女達』

永禄7(1564 )年7月 伊賀藤林砦 

藤林疾風



 砦の別館に、白い巫女装束に桃色の羽織を着た、16〜18才の娘達が整列している。

 彼女達はこれから、伊賀の密命を帯びて、諸国巡業の旅に出るのだ。


 武田の歩き巫女とは違い、伊賀のくの一、二人に率いられた巫女達8人が一組となって諸国を巡業する。

 遠方へ行く者達は半年は帰れない。

 母上や孤児院の子供達が見送りに集まっている。



 藤林砦の孤児達も成長し、15才を超えた娘達もいる。

 そこで今春から、伊勢神宮で巫女の修行の祝詞や舞を学んでいたのだ。

 彼女達には、孤児院や薬草園で学んだ医学や薬草知識がある。加えて護身術や手裏剣も使えるから、危険な任務を託すことにした。


 伊勢から船で東国へ行く者、陸路で飛騨や木曽へ行く者、別の船で四国へ旅立つ者。

 彼女達の使命は、伊勢芋(馬鈴薯)と伊勢長芋(薩摩芋)と名付けられた芋を、飢餓に苦しむ地域の農民達に普及させることだ。

 伊勢神宮の巫女として民を救う彼女達を、神宮の神祇大副 藤波朝忠殿も正式に認めてくれて、巫女としての修行に全面協力してくれている。


 彼女達は表向き『歩き巫女の薬師』として巡業をする。

 巫女としてのお祓いや口寄せもするが、病気や怪我の治療を行い、飢餓に苦しむ人々に年貢で搾取されない伊勢芋の苗を配布する。

 しおり薬草園で作った薬と、伊賀忍びに伝わる薬草知識に、俺の知る限りの未来知識を加えた『伊勢巫女流医術』で少しでも人々を救うのだ。


 野宿の旅となる彼女達のために、俺も可能な限りの準備をした。一人でも引ける小型の荷車と布小屋テント、寝袋、即席具汁シチューやライター、方位磁石、医療機材などを持たせた。

 また、一定期間ごとに伊賀者を伊勢屋に配して、補給をさせる手配もした。



「お袋さま、行って参ります。綺羅ちゃんも元気でね。」


「伊代、無理はしないのよ。旅先では飲水に気を付けるのよ。」


「伊代お姉ちゃん、早く帰って来てね。綺羅待ってるから。」


「お袋さま、綺羅ちゃん。知世も行って来るよ。」


「頑張るのよ、知世は慌てん坊だから怪我に気を付けてね。」


「知世ちゃん、慌てちゃだめよ。綺羅を見習ってれば大丈夫っ。」


 こうして、6組48人の伊勢巫女が旅立って行った。



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「巫女様、どうかお助けくださいっ。赤子が赤子が熱を出して死にそうなんですっ。」


「すぐに行きましょう、案内してっ。」


「熱さましの薬と消毒の薬を飲ませたわ。

 水を小まめに飲ませて。だけど生水はだめ沸騰させた湯冷ましを飲ませてね。2刻ごとに、このお猪口に入れた薬を飲ませてね。

 明日また様子を見に来るけど、容態が急変したらすぐ呼びに来て。」


 小柴胡湯しょうさいことうの丸薬を砕いて白湯で溶いたものを、大人の分量の1/3をお猪口に入れて5個渡した。

 あとはこの子の運と体力次第、頑張るのよっ。そう呟いて、次の病人へ向う。


(翌日来てみると幸いなことに熱も下り快方に向っていた。本当に良かった。巫女伊代)



「巫女様、猪にやられて大怪我をした者がいやす。なんとか助けてくだせぇ。」


「すぐに戸板に乗せて家に運んで。誰かお湯を沸かして。馬糞なんて塗ってはだめ、きれい水で傷口を洗って。傷口に砂やごみが入ってないか、良く見るのよ。

 出血してるなら、その場所をきれいな布か洗った葉っぱで強く押さえていて。

 私は急いで膏薬を作るから。」


 猪の牙に下腹を刺された男は出血も酷くぐったりしている。もうだめかも知れない。

 傷口を湯冷ましのぬるま湯で洗うと、深く抉れた傷口から、大腸が2箇所千切れかかっているのが見える。

 吐き気を抑えながら、焼酎で消毒して腸と皮膚を針で縫い、膏薬をあてさらしを巻いた。大成湯だいせいとうを処方する。

 膏薬の作り方を教え、傷口が塞がるまで安静を言いつけ、予備のさらしを渡した。


(私にはこれ以上のことはできない。回復を祈るばかり。巫女 知世)



「巫女様っ、おらの子供が炉端に落ちて、手と顔が酷い火傷で、どうしたらよかべか。」


「すぐに井戸端か川へ連れてって。火傷した箇所を水で冷やして。私が行くまで冷やし続けていて。急いで膏薬を作って行くから。」


 塗り薬の紫雲膏シウンコウを患部に塗りさらしで巻いた。

(女の子だから火傷跡が残らないことを祈る。薬が効いてくれるといいな。巫女羅奈)



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「へへへっ、きれいどころが揃ってるじゃねぇか。高く売れるぜっ。」


「命が惜しければ立ち去りなさいっ。伊勢の巫女は弱くはないのよ。」


「しゃらくせぇ、破っちまぇ〜。」


 賊は11人、槍と鎌を持ってるわ。こっちは8人だけど手練よっ。皆で手裏剣を浴びせ杖に仕込んである細剣を抜いて突く。細剣では刀と打ち合えば折れるから突くの。

 あっと言う間に5人を倒し、残りの賊にも手傷を負わせた。逃げようと背を向けたところを手裏剣で追い打ちを掛け、追いついて止めを刺す。

 私達の戦う姿を見られてはならないから。


 人里離れた旅先では不貞の輩も現れだが、そこは『くノ一』目潰しや手投げ焙烙玉に、手裏剣と仕込み杖の剣、そして、非常時には拳銃を駆使して殲滅した。


 手分けして村々を回りながら、巡業を続けるうちに噂が広がり、到着を待ちかねている村もあった。伊勢芋が実るのは先のことだけど、やがて飢餓を救う一助となるでしょう。




 武田の歩き巫女が単独行動なのに対し、伊勢巫女を集団行動としたのは、治療や種芋の配布をする組と、周囲を警戒し地図を作成する二組で行動させるためだ。

 彼女達には測量機材と未来地図の古い物を持たせ、その地図に村落や道を記載させた。

 時には地図にない山や丘を書かせ、斜面の緩急なども概略で記載するようにさせた。




【 測量機器 】 

 古代の中国では『記里鼓車きりこしゃ』という歩行距離を測る『からくり』があった。

 車輪と歯車で、一定の距離を進むと人形が太鼓を叩く仕掛けで、​戦で弓矢の攻撃距離を測るために使われたと言われる。

『きりあげる、きりがよい、きりがない。』などの語源になったとも言われている。

 日本では、日本地図を作った伊能忠敬が、使った『量程車りょうていしゃ』が知られている。

『記里鼓車』とついをなす『指南車しなんしゃ』は車上の仙人人形が常に南を指すもので、仕組みは車輪が向きを変えた分、歯車で人形の向きが反対に向くというもの。

 古代人の智慧には、感嘆せざるを得ない。

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