第3話 藤林家の発展と、伊賀の団結。

永禄元(1558)年10月 伊賀藤林館 藤林疾風


 俺が修行から帰還したのは、3月の上旬。

 さっそく、未来から持参した穀物の種籾や種を植えるべく藤林家の領地を見て回った。

 山間にある伊賀の国としては、平地がある方だというが、川沿いに狭い畑があるだけで主作物は麦だし水田は少ない。

 野菜も山菜のたぐいを家の近所にわずかに育てているにすぎない。おまけに土壌は、弱酸性質で農作物にはあまり適していない。


 俺はまず付近の岩山で石灰岩を探し、土壌の改良から始めた。

 次に大工道具を駆使して水車を1基作り、1町步(約1ha)の水田を作った。

 水田を作っている間、種籾から苗を育てなんとか5月の初めには、田植えができた。

 水田作りも田植えも、主に女性の家人達が総出で手伝ってくれた。


 また、大瓶かめと竹筒に粘土を塗って漏れないようにし、管を駆使して簡易な蒸留器を作り麦を原料に焼酎を作った。

 焼酎には味がないので里の子らに野いちごを摘んでもらい、野いちご風味とした。


 父上や大人達には大好評だったけど、当面の自家消費は厳しく咎め、大和の寺院や神社に販売した。

 初期の売り上げを資金を元に、鍛冶職人に本格的な蒸留器の製作を依頼できた。

 蒸留酒作りは、女衆の仕事となった。そのおかげで焼酎作り初年にして、藤林家の年収が倍増した。


 その年の秋には、手押一輪車、千歯扱き、唐箕とうみ(風力籾殻選別機)を職人に作らせ、家中に行き渡らせ販売もした。


 また、牛馬を購入し農民に雌雄1組を育てさせ、牛は乳牛と田起しなどの農作業に用い馬は繁殖させて、軍馬として販売や自家用とした。



 ニ年目は石灰で土壌改良を大規模に行い、水田を20町步に拡大して、海水による籾の塩水選別を行い(水田は初年から未来の籾苗で正条植え)、水田には鯉の稚魚を放って、雑草や虫の駆除を容易にした。


 このほか、さつま芋と馬鈴薯、トウキビ、大根、人参、長ねぎ、玉ねぎ、ほうれん草、大豆、小豆、えんどう豆なども、前年の収穫の半分超を種に回し各所で栽培させた。


 焼酎の大型蒸留器は10台に増やし、伊賀の他家からも女衆が出稼ぎに来て、伊賀全体の収益増となっていた。

 下手をしたら、男衆の忍び働きよりも実入りがいいのである。


 藤林家の周辺の中小5家が、藤林家に臣従を申し出てきた。これを受け入れ、三年目に向け、水田の開墾と土壌の改良を進めているところだ。



 資金を得た俺が次に取り組むことは、軍備の増強である。

 刀槍、鎧兜、そして鉄砲。籠城するための城砦の建築。堀や石垣の建設。



 いつの間にか、藤林家の領地には、商家が6軒もできている。酒屋、塩や豆や味噌などの雑貨屋、茶碗や箸などの小間物屋、着物の呉服商、鍛冶屋、桶屋である。


 その中心にある建物は藤林家の商品取引所である。各地の商人がここで焼酎を初め椎茸や大豆醤油、農機具や家具塗り物、農作物を買って行く。

 うん、商品は絶賛拡大中だからね。


 商人達は、道が険しいため、伊賀を流れる久米川などの水利を利用して、やって来る。

 実はこの水運も、うちが舟を自前で造り、伊賀の領民を使って、商人から運送費をせしめているのだ。


 なんだかんだ、2年目の秋にして、藤林家の収入は、以前の3倍を越えている。

 というのも、昨今の男衆は、雇われの忍び働きではなく、行商人として藤林家の商品を売り歩いているのだ。

 従って、もう安く命を賭けた危険な忍び働きをしなくても良くなり、伊賀は商人の国に生まれ変わりつつある。


 既に、藤林家以外の上忍ニ家である百地家服部家も、忍び働き以外の伊賀の領地経営に関しては、半ば藤林家に臣従している。



 俺は父上とともに、百地家、服部家に対し安い報酬の忍び働きは、必要ない限り避け、領地の民を富ますべきだと説いた。

 そして、いずれ淘汰され強大となった大名が、伊賀に攻め込んで来る時に備えるべきだと説いた。

 両家とも伊賀が一つになり、防衛に当たることに賛成し、藤林家を筆頭上忍家として、協力体制を敷いて行くことになった。



「百地丹波殿。百地家は鉄砲や火薬を使うことに長けておられます。そこで、馬の牧場を設け馬の飼育とともに、馬の糞尿を使い火薬の原料である硝石を作っていただきたい。」


「なんと御曹司。火薬の硝石が作れると申すのですか。」


「はい、3年以上掛かりますが作れます。」


「服部半蔵殿。服部家には織田信長様、松平元康(徳川家康)様との誼よしみを通じていただきたい。暗殺や戦働きは避け、情報提供で恩を売ってください。

 情報収集には我ら三家が協力して当たりましょう。」


「承知いたした。藤林殿は織田が伊賀の脅威になると睨んでいるのですな。俺も同意見にござる。」


「しかし、海道一の弓取りの今川もおるぞ。」


「百地殿。今川義元殿は馬に乗らず、御輿を用います。本陣を攻め込まれた時に退避に手間取り、それが致命傷になりかねません。」


「なるほど。今川は大軍で織田は寡兵、すると寡兵では奇襲しかないか。なれば、御輿は不利じゃのう。」


「勝敗は時の運だけではありません。欠点や短所を抱えるのは愚かなことです。」


「うむ、織田家が勝った場合に備えるのでござるな。織田家とのつなぎ承った。」


「伊賀が栄えるのは喜ばしいが、周囲の勢力の妬みも買うことを考えねばならぬ。

 伊勢の北畠は藤林で探る。百地殿には紀州と六角家を頼み申す。」


「ならば、服部家は当面は織田家と今川家、いずれは三河と美濃が必要になりますな。」


「配下の者を呼び戻し行商を兼ねて手配しましょう。伊賀の為とあれば皆喜びますぞ。」


「はい、皆の手当は商いで賄います。伊勢の商人を通じて、商いも広げるつもりです。」


「これで、皆も伊賀の為に働けますなぁ。

御曹司の手腕のおかげじゃわい。」


「百地殿の言うとおりにござる。御曹司、

これからもよろしくお頼み申す。」

 



【 硝石の作り方 】

1、古土法

 雨水の入らない古民家の床下の「鼠土」から、硝酸塩を抽出する方法。少量が欠点。

2、培養法

 干草と土と蚕糞を床下の穴へ交互に入れ塩硝土を作り、発酵抽出して硝酸塩を作る。

取り出す方法。

3、硝石丘法

 培養土を積み硝石丘を作る。薩摩藩ではこの方法で生産した。

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