第35話 あなたが私に選んでくれたもの
「んんっ! この海老、美味しいです!」
私は美味しくて落ちそうな頬を両手で押さえて支えた。
跳ね返すようなぷりぷりとした弾力性と甘味が口の中に広がって本当に美味しい。
「良かった」
「ありがとうございます。幸せです」
町を一通り歩いた後、アレクシス様は新鮮な魚介類を食べさせてくれるというお店に連れていってくれた。人気店らしく、昼間からお酒を飲んだりする人で賑わっている。美味しい物を頂く時、人は皆、幸せな気持ちになれるらしく、生き生きとしているように見える。もちろん私も例に漏れずだ。
「私も幸せそうに食べる君を見て幸せだ」
アレクシス様がそんな台詞を真顔で言うものだから頬が熱くなった。
「君も茹で上がったな」
「もう。意地悪ですね!」
それでもこの美味しさの前には文句もすぐに引っ込んでしまう。
「町の一部はアレクシス様のおっしゃる通り、異国に来たみたいでした。目に楽しい場所ですね。気持ちがとても高揚しました」
我が国は比較的落ち着いた配色の家々や店が多いが、セントナ港の町の一部では赤やオレンジ、水色に緑色などと一貫性はないものの色に富んだ町模様だった。おそらくその辺りがアレクシス様の言う移民の方々が住んでいる場所なのだろう。顔立ちや言語が違う方ともたくさんすれ違った。
「そうか」
アレクシス様は微笑しているが、きっと楽しいばかりの町ではないのだろう。他国に足を踏み入れながら、我が物顔で振る舞う者もいると言っていた。
他国の秩序を守り、文化を尊厳しようとする人間もいる一方で、守りたくない、尊厳したくないと思う人間もいる。それは何も異国民に限ったわけではなく、人という生き物全てに共通しているものに違いない。美しいものを美しいと鑑賞するだけでは飽き足らず、それを自分のものにしたい、奪い取りたい人間もいるということだ。
職業病かもしれない。アレクシス様は監視するがごとく、それとなく町を見回っているようにも思えた。
現在は昔ほど不穏な世の中ではないが領民のみならず、国の防衛という重い使命を背負っているのだ。気を抜ける瞬間などないのかもしれない。
私にもアレクシス様のお力添えができることはないのだろうかと思う。それでもその言葉を口にすれば、せっかくの休みを私に使ってくれたのにかえって気負わせることになるだろう。
今は自分の心の中に仕舞っておくことにした。
「アレクシス様。このセントナ港から以前連れていってくださった海辺までは遠いのですか」
地理的な感覚が全く分からない私は尋ねた。
「そうだな。海沿いに行けばもちろん行けるが、少し距離はあるな」
「そうですか」
「海を見たいのか?」
「いいえ。ここでも海は見られますもの」
しかし同じ海でもアレクシス様と一緒に見たあの海は特別な場所だ。ここからでは見られない。
「また時間を作るから行こう」
「はい。ありがとうございます」
アレクシス様は私の気持ちを汲んでくれたのか、あるいは同じ気持ちを抱いてくれたのかそう言ってくれた。
食事を終えて再び町の散策に出ることにした。
美味しそうな香りが漂う町に誘惑されそうにもなったが、さすがにお腹が膨れていた私は見るだけに留めておいた。確かに実家の料理長でも調理法が分からないのではないかと思う珍しい食材なども売っている。
「世の中には自分の知らぬ色々な物があるのですね。とても勉強になります」
「そうだな」
くすりと笑うアレクシス様を仰ぎ見る。
アレクシス様もまた目の前の妻が本当の妻ではないということを知らない。知らぬことを知ることは決していいことばかりではない。
自嘲しそうになった時、ふと目に付いたものがあって足を止めた。
店先に赤や白、黄色などの単色を初め、様々な花の形や色が組み合わされた花飾りが並べられていたのだ。
「きれい……」
思わず呟くと。
「どれがいいんだ?」
「――え。あ。い、いえ! ただ見ていただけですので」
まるでねだった形になり、顔を上げると慌てて否定する。
「私が君に贈りたい」
「……ほ、本当に良いのですか?」
「食べ物は遠慮しないくせに、なぜ髪飾りは遠慮する?」
そう言われて思わず口を尖らせてしまった。
アレクシス様は笑って促す。
「ほら。どれがいい?」
「ありがとうございます。では」
視線を彼から花飾りへと落とす。
私が好きな色は赤色や薄紅色。もしかしたら自分にはない華やかさを求めてその色が好きなのかもしれない。一方、ブランシェが好きな色は清楚な白や控えめな淡い色だ。だから私が選ぶ花飾りは。
「この白い花飾りが欲しいです」
小さく控えめな白い花飾りを指差す私に、アレクシス様はご自分の口元に拳を当てて小首を傾げた。
「そうだろうか。君には」
アレクシス様は花飾りを手に取ると私の髪に当てた。
「こちらの赤い方が似合うと思うが」
私が好きな色は――赤。
アレクシス様が選んでくれた赤。
「っ! わ、悪い。白い花飾りの方が良かったか?」
「……え。あ」
珍しく焦っているアレクシス様を前にして、自分の頬に熱いものが伝っていることにようやく気付いた。
「も、申し訳ありません。違うのです。とても嬉しいのです」
私は頬に伝った雫をハンカチで当てて拭う。
「え?」
「アレクシス様がわたくしのために選んでくださったから」
アレクシス様はブランシェに贈ろうとしてくれているのに、アンジェリカに合う花飾りを選んでくれた。私を通してブランシェを見ているのではなく、アンジェリカを見てくれた。それが本当に嬉しくて仕方がない。
「わたくしはこちらの赤い花飾りが欲しいです」
「そうか」
私が意思を見せるとアレクシス様は安堵した様子で頷く。
「ありがとうございます、アレクシス様。家宝にいたします」
「家宝って大袈裟だな」
苦笑するアレクシス様に私もまた笑みを返した。
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