第34話 この熱を手放したくない
朝の気配を感じて起こされる前に自然とまぶたが開いて横を見ると、アレクシス様が眠っている姿が目に入った。
以前のように私に背を向けているのではなく、私の方に体が向けられている。相手の心まで見通すような琥珀色の瞳は伏せるまぶたに隠されており、代わりに今は長い睫が端整な顔立ちを際立たせている。
本日はアレクシス様が港町に連れて行ってくれる日だ。お仕事の関係やら私事で延び延びになっていたので、ようやくといったところである。しかしこれらの日々を鬱々と過ごしてきたわけではなく、むしろ私にとっては大切な宝となっている。
一方で自分がしてしまったことの罪深さをも感じている。
アレクシス様と心と体を通い合わせたが、ブランシェが戻って来たらどうなるのだろう。私はブランシェの身代わりであっても、心と体はその限りではない。はたしてブランシェが私に代わりアレクシス様に愛を注いでくれるのだろうか。あるいは冷淡な態度を取ってしまうのか。
そんなことを考えるだけで胸が締め付けられて苦しくなる。
アレクシス様の心情を思いやってもそうだし、私の代わりに愛されるかもしれないブランシェに対してもそうだ。
これ以上は彼と通い合わさない方がいい。私がしていることはたくさんの人を傷つけることになるだろう。あまりにも身勝手だと分かっているのに。それでも……今はこの熱を手放したくはない。手放せない。
――ごめんなさい。ごめんなさい。
私はまだ横で眠るアレクシス様の胸元に、冷えた体を寄せて熱を感じていると、不意に腕が伸び私の背中に回される。
「アレク――」
「おはよう」
耳元に熱のこもった低く掠れる声で囁かれてそのまま口づけが落とされた。
「っ」
痺れて震えそうになる体を叱咤して身を引くとアレクシス様を見た。
まぶしそうに半ば目が伏せられた彼は、夜の名残が見られて色気がある。
「お、おはようございます」
「ああ。おはよう」
アレクシス様から引いた身を戻すように腕に力を入れて引き寄せられるので、私は慌てて言った。
「きょ、今日は港町に連れていってくださるのですよね」
「ああ。そうだな。分かった」
私の言葉にあっさりと手を離すアレクシス様のお優しさに感謝しつつ、少しばかりの寂しさもあり。……複雑な気持ちだ。
アレクシス様は先にベッドから身を下ろすと部屋着を手早くまとう。
「ではまた後で」
そう言ってまだベッドの中にいる私の頬に口づけを落とした後、出て行った。
その後に入れ替わりでやって来るのはライカさんだ。
「おはようございます奥様、朝ですよ! ……って、起きていますね」
ライカさんは、アレクシス様が部屋から出てくるのを自分の目で確認するまでは絶対に入らないようになっていた。考えてみればいつもそうだっただろうに、あの時はアレクシス様が珍しくお寝坊さんをしたからだろう。
「おはようございます、ライカさん」
「はい! それでは今日も一日元気に準備いたしましょう!」
ちょっと意味が分からないが、まあそういうことなのだろう。
私ははいと頷くと、もっと元気よくと言われたので、はいと叫んだ。
食堂に行くとアレクシス様は相変わらず先に席についていた。
「お待たせいたしました」
「いや」
私は椅子に腰掛けると話を再開する。
「今日はお出かけには最適な良いお天気になりそうですね」
「ああ、そうだな。……体は大丈夫か」
「ええ。お腹が空いております」
もはや食欲で体の良し悪しを報告するのが通例になっている。
「そうか。元気なようだな」
「はい。ですが、お腹が空いているのはお出かけできると気持ちが高ぶっているからです」
「それは違うな。君はいつも食欲がある」
言い訳してみたが、アレクシス様は小さく笑って否定した。
そういえば来た当初も緊張していたのに食欲だけはあったなと思い出す。
「お料理が美味しいのも理由の一つでしたね」
私は目を伏せて小さくこほんと咳払いした。
「旦那様、奥様、行ってらっしゃいませ」
ボルドーさんやグレースさん、ライカさんらに見送られて私たちは家を出た。
アレクシス様の手をお借りして馬車に乗り込むと出発だ。馬車が動き始めて再び二人の空間が始まる。
最初の頃は彼の突き刺してくるような視線が恐ろしく、気まずい思いもしていたが、今は彼の瞳に映っているのは私だけだと思うとただ嬉しく思う。
「アレクシス様、本日はお忙しい中、ありがとうございます。セントナ港はどんな町ですか?」
「そうだな。港町だから新鮮な海産物が食べられる。足が早くて王都ではなかなか手に入らない食べ物もあるし、舶来品からの珍しい食べ物も多く店で提供されている」
「あの。お言葉ですが、なぜ食べ物のことばかりなのでしょう……」
「不必要な情報だったか?」
少し不本意そうに尋ねるとアレクシス様は意外そうに眉を上げる。
「いいえ。最重要事項ではありますが、食べ物以外の特色はいかがでしょう」
「港町は物だけではなく人も多く出入りしている。言葉の違う異国の人物も多いな。厳しい審査の上、申請が受理されて住み着くことを許された者が町の一部を作っているから自国ではあるが、少し異国感を覚えるかもしれない」
「そうなのですね。他国への旅行みたいになるのでしょうか。楽しみです」
「ああ」
アレクシス様の言葉がいつもよりほんの少しだけ重い感じがする。
「どうかなさったのですか」
「あ、いや。悪い」
私が彼の変化に気付いたことに驚いたようだったが、すぐに微笑した。
「確かに楽しい町ではあるが、他国に足を踏み入れながら我が物顔で振る舞う者も中にはいるから気をつけてほしい。もちろん私が常に側についているが」
「分かりました」
色々な意味で危険な町なのかなと少し思った。
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